第七話 セミテリオから犬にも乗って その十九
(遠いのですか)
(いえ、すぐですわ、バス待って乗って降りてバス停からというくらいなら、すぐ歩き始めれば同じくらいかしら。私はこちらの世に来る少し前からは駅前からタクシーに乗っておりました。もうほとんど歩けなかったものですから。今はこうして楽しております)
(バスって、先ほど武蔵君かご隠居さんがお話になってらしゃってた、乗り合い自動車のことでございましょ。タクシーは何かしら)
(へぇ〜、バスもタクシーも知らないんだ。あんなのフランスにはずっと昔からあったんだって思ってた。ナポレオンの頃なら馬かもしれないっすけど)
(ナポレオンの頃と一緒になってしまうのかしら、悲しいですわ)
(カテリーヌさんにとっては、鎌倉時代も江戸時代も一緒でしょう。他所の国の歴史はそんなもんですよ)
(はい、いえ、江戸はまだ少しは分かりましてよ。鎌倉時代がいつ頃なのかは一寸、すみません)
(で、タクシーとは、お金を払って乗せてもらう、ユリさんなら江戸の籠で分かりますか)
(あのぉ、ユリも江戸にされちゃうんですか。それに乗り合い自動車の方はユリだって乗ったことありますし)
(タクシーは、籠よりは多く、バス、乗り合い自動車よりは少ない人数を乗せて走ります)
(そうなんですか)
(ほら、時々セミテリオの中を走ってますよ。よく目にする自動車の屋根の上がちょっと飛び上がっていて文字が書いてある、あれですよ)
(あのぉ、赤い光とぱぁぱぁ音出して走っている白黒のでしょうか)
(いやぁ、あれはパトカーで)
(ぎゃはっ、パトカーをタクシーにしたら怒られっすよ)
(また知らない言葉です。パトカーって何かしら)
(patrol car...おっ、見回りの車ですな)
(警察の車ですわ)
(タクシーって、運転士はお一人ですわね。乗り合い自動車もお一人でしたら、乗り合い自動車の方がたくさん乗せられて運転する方にはお得ですわね)
(そう。ですから乗車料金は、バスは安くてタクシーは高い)
(俺、知りたいっすけど、籠って一人じゃ無理っしょ。二人いないと、ってことは、江戸時代には籠に乗るのって、今のタクシーの二倍ぐらいってことだったっすか)
(武蔵君、それに答えられる人はここにはいないと思うよ。誰も江戸時代にはまだ生まれてもいないから。セミテリオに帰ってからなら、彦衛門さんやマサさんが江戸時代生まれでしたっけ)
(あのぉ、ユリも気になってきました。人力車、ユリの頃にも花街の方を乗せて、まだ時折走ってましたけど、あれは一人で二人ぐらい乗れるのでしょう。一人の時と二人の時と同じなのかしら)
(人力車なら今でも走ってっす。川越とか)
(川越、ここは川口ですわね)
(カテリーヌさん、川越も、そういえば埼玉県ですわ。横浜も多摩川を越えるのに、川の名前より海にちなんだ地名なんですね)
(夢さん、川崎というのもありますよ)
(あら、そうでしたわね。昔は工業地帯で空気が悪くて有名でしたのに、最近は大きくなってますのよ)
(川があると作ったものを運べましたからね。産業が発達した)
(えっ、でも川越は工業地帯じゃないっすよ。観光地っしょ。だから人力車が走ってっす)
(川越も昔は醤油か何かを作っていたように僕は覚えていますが)
(川越で醤油っすか。この辺で醤油って言ったら、野田っしょ。あと正田醤油ってのも。どっちも埼玉じゃないっすけど、遠足で行ったことあるっす)
(人力車と言えば、戦後もオリンピックの前ぐらいまで、たしかに花街界隈では時折走ってましたね。僕、乗ったことないんですよ。乗っておけばよかった)
(へぇ〜、お爺ちゃんも乗ったことないっすか。なんか不思議っす)
(武蔵君、僕も明治生まれですしねぇ。物心ついた頃には、汽車、路面電車でしたからねぇ)
(ふ〜ん)
(しかし面白いものですな。我輩は籠には一度、人力車には何度も乗ってましたが、人数と支払いとの関係とは。ふむ。籠は二人で一人、人力車は一人で二人、馬車は馬一頭で四人程は乗れましたかな。馬を増やして馬車鉄道にして乗客も増やせる、馬を蒸気に変え、電気に変えて、汽車、電車、地下鉄とどんどん乗客を増やしたわけですな。しかし、タクシーという少人数用のも残っておるわけですな。ふむ。いやぁ、これに脚の数も入れたら一層面白い。籠は二人で四足。馬車は四足で四人、ふむ。おっ、そういえば、江戸の頃の絵を見たことありますが、大名などは一人乗せるのに四人も六人もで担いでいたのではないですかな。あれだと脚の数は馬より多くなりますな。おっ、我輩が乗っておりますマック君も脚が四本。ということは、夢さまおっしゃる近い道のりも二本脚より四本脚の方が歩数が多い、どちらが疲れるのであろうか)
(距離は同じっしょ)
(ロバートさん、それに、同じ体重ならば、二本で支えるより四本で支える方が楽ではないでしょうか)
(どちらにいたしましても、もう大分歩いております)
(どっちにしても俺たち乗ってるし、歩かないし、重さ無いし)
(あっ、コンビニでたぶんドーナツ売ってますわ。ドーナツをご存知ない方、私と一緒に愛の方にお乗りになって)
(望さんじゃいけませんの)
(ええ。マックを連れて一緒にコンビにには入れませんでしょ。愛と望が交代で外で待つので。愛でも望でもどちらでも構いませんが、私とご一緒でしたらご説明できますもの。あら、でも、ご隠居さんも武蔵さんもいらっしゃるから、どちらでも大丈夫かしら)
(今の内にロバートさん、僕達も人間に乗り換えましょう)
(いや、我輩はもうちとマック君に乗り続けることにいたします。この視点もなかなかおつなもの。それに、犬に乗る機会など滅多にござらぬ。ドーナツが何かも存じておりますしな)
(ロバートさんも物好きですね、僕は機会を狙って愛さんに乗ります)
(僕はドーナツを知っておりますし、それにみなが愛さんに乗ると愛さんが重かろう、いや重さはなくとも)
(それじゃぁ、愛さんに乗るのは、ユリと、カテリーヌさんと、虎ちゃんと)
(俺、移るっすよ。望さんに。ドーナツ知ってるし。コンビニには久しぶりに入ってみたいっすけど、望さんも入るっしょ)
(それじゃぁ、僕も望さんに。武蔵君がいるから色々教えてもらいましょう。しかし、マック君から愛さんにどう乗り移るか、それが問題だ)
(that is the questionですな。to be or not to beを思い出しますな)
(ハムレットですね。生きるべきか死ぬべきか)
(ほう、日本語ではそう申すのですか)
(はい。名訳だそうです)
(to die or not to dieになりますな。ふむ)
(虎さん、生きるの死ぬのではないですからね、大して難しくはないですよ。気力を使って。もう檻の中ではないですしね、心太になる心配もないですし)
(いやはや、心太とはほんに懐かしいですな)
(へぇ〜、ロバートおじさん、心太なんて好きだったっすか。あんな味の無いもの)
(いやぁ、あのほのかな味が如何にも大和の味でしてな)
(へぇ〜)
(あの...)
(カテリーヌさん、どうなさって)
(あの...あそこ...ライオンが)
(ライオンっ。怖っ、嘘っ)
(マック君も静かですし)
(気付いていないのやもしれませぬな)
(あちらに...)
(ああ、おほほ。マックには上過ぎて見えませんし)
(まぁ、本当にライオン、まぁ、あんな高い所で)
(動かないですな、あれは人形ですな)
(人形ですか。あら。でも、どうして)
(あそこは、えぇと、何でしたかしら。紳士服のお店でしたかしら、それともパチンコ屋さんでしたかしら)
(そのお店の名前が獅子屋とでも言うのでしょうか)
(あのぉ、そのパチンコ屋さんって、何でしょう)
(ユリも分かりません)
(パチンコ、僕は知っているような知らないような。あったんですよ。でも戦時体制で禁止されて。ですから入ったことはなくて。賭博みたいなものですよね)
(賭博って、花札みたいなものかしら)
(骰子を使うものですかな)
(いえ、どちらでもなくて)
(へぇっ。みんなパチンコ知らないっすか)
(まぁ武蔵さん、入られたことあるのですか)
(ないっすよぉ。先生や警察に見つかったらたいへんっしょ)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。