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第七話 セミテリオから犬にも乗って その十五


(ユリさん、あちらをご覧になって。ほら、小さなテレヴィジョン。でも、音が出ませんわ。壊れているのかしら)

(音は出ないようになっているんですよ。音が出たらうるさいでしょう。そうでなくとも、日本の電車は電車の中も外も案内や注意でうるさいと言われているのに)

(うるさいですか。ユリ、まだ、人がいないのに声だけきこえてくるのが不思議で、面白くて)

(あら、あらぁ、先ほどお話しておりました、昔からの無粋な音って、うわっ、これじゃないですか。ここどこかしら。上野ですね)

(おっ、上野はまだこの音を残しているのですね)

(そういえば、おほほ、懐かしいものですわね)

(ユリも懐かしいです。父が、上野の大仏は越後の近くのお殿様が作られたっておっしゃって、連れて行って下さって)

(上野に大仏、うっそぉ。大仏って奈良か鎌倉っしょ)

(いえ、武蔵さん、上野にも大仏がありましたのよ。大仏は関東にもたくさん。宇都宮や鎌ヶ谷や市川や、日本全国方々にあると思いますよ)

(うっそぉ、上野のは西郷さんの銅像の間違いじゃないっすか)

(そう言えば、西郷さんのお顔は大仏と似ていますね、ははは)

(いいえ、上野に大仏はありましたわ、いえ、たぶん、今も。でも、私、お顔の前半分しか見たことはございませんの)

(僕は、全身を見た様な記憶はあるのですが、今は頭の半分、お顔だけですね)

(ええっ、あの大仏、お顔だけになっちゃったんですか)

(火事でしたかしら。それとも戦争で供出されたのでしたっけ)

(震災で落ちたのではなかったですか)

(まぁ、それじゃぁ本当にお顔だけなのですか。お可哀想に)

(大仏さまがいらっしゃらなくとも、この辺りになると、高い建物だけじゃなくて、少しは緑もあって、何かほっとします。緑だと速さも遅く感じます。ほんとこの電車速いんですもの。窓の外を見ていると目が回りそう)

(昔はもっとのんびりしてましたわねぇ。電車も人も空気も。昔、今日みたいに雨の日ですと、電車の床の木が湿って、妙な臭いいたしてましたでしょ。人も、もっといろいろな臭いしてましたもの。電車の中で赤ちゃんに乳を含ませるのも、オリンピックの前ぐらいは普通でしたものね。お年寄りに席を譲ったり、見知らぬ方でも袖触れ合うも他生の縁、軽い挨拶いたしておりましたでしょ。今はほとんどそういうのございませんものね。窓が大きくなって、明るくなって、車内がきれいになって、真ん中の棒もなくなって、座席が柔らかくなって、臭いも減って、でも人間臭さも一緒になくなってしまったみたいですわ)

(座席が柔らかそう、座って確かめてみたいです。でも、気のユリにはわからないですよね)

(昔より柔らかくなりましたよ。あっ、でも、通勤時間帯には座席が折りたたみになる車両もあって、あれは硬くて座り心地が悪くてね。でもあれ、京浜東北線にはなかったかしら)

(あの上からぶら下がってるの、つり革ですよねぇ。革じゃないみたいです。それに、形も、昔は丸かった、ですよね)

(あら、そういえばそうでしたわねぇ。慣れてしまうと忘れてしまいます)

(あら、あそこのつり革だけ色が違います)

(ああ、あれね、心臓ペースメーカーを体に埋めている人がいるから、あの辺りじゃ携帯、あっ、例の持ち歩く電話のことですよ、それを使っちゃいけなくて、というより、優先席だと知らせるためなのでしょう)

(ペースメーカーとは、速度を作り出すもの、ですかな)

(まぁそうですね。心臓の拍動を作り出す小さな機械で、この辺に埋めるんですよ。あっ、ロバートさんのお国で作られたのが最初でなかったかな)

(ほうっ)

(体に埋めるんですか。怖い)

(しかしそのおかげで心臓がちゃんと動くわけで)

(優先席は、みなさまおわかりになりますかしら)

(夢さま、優先席のことは、前、ご隠居さまが教えてくださいました)

(変な話ですわよね。私が中年の頃にできたのだったかしら。そんなの無くたって席はゆずるものと思っておりましたのよ。で、自分が老いて来た頃には、優先席の近くで立っていても、座っている方は立ってくれなくなりましてね)

(まぁ、そうなんですか)

(年取ると疲れ易くなるというのも、身近にお年寄りが少ないと、わからなくなるのでしょうねぇ。座りたいなら混んでいない時に乗ればいいって言われたことがございましてね。でも、今は何時乗っても空いておりませんし)

(優先席が空いているなら座ってしまおうという合理主義が、何も立たなくたっていいだろうになってしまう。それが当たり前になってしまう。少しずつ変わっていく物事には気付きにくいものですね。何かが新しくなった時にはおやっと思っても、それに慣れてしまう。僕も、駅員さんのいない改札や、丸くないつり革、当たり前になってました。戦後一時、この辺り、中央に棒があったのも、今思い出しました。で、もし、ユリさん、ロバートさん、カテリーヌさんもでしょうか、それに虎之介君、夢さん、もしご記憶にあったら教えて頂きたいのですが、昔の省電の座席、木製のではなくて、こう、布になってからの方ですが、あれ、何色でしたでしょうねぇ。先ほどから気になって気になって。紺でしたか、深緑でしたか)

(えっ、あれっ、そういえば...思い出せないです。あっ、もう上野を過ぎてしまいましたねぇ。ところてんになるのが嫌ではなかったら、ここから抜け出して、戻って万世橋の鉄道博物館に行けば見られるでしょうか。僕も気になってきました)

(ああ、あれは戦後、たしか交通博物館と名前を換えたんですよ。いい考えですね。今日は虎之介君が無理なら、またその内、参りましょう)

(あら、ご隠居さま、虎之介さん、今、交通博物館は万世橋にはございませんのよ。あそこには子供達を連れて、四、五回行ったかしら。今は、大宮にございますのよ。私がこちらの世に参ります頃にオープンした筈です。もう望は連れて行くには大きくなってしまって、私、参ってませんが)

(オープンとは開く、すなはち、開館するということですな)

(ロバートさん、ありがとうございます)

(大宮って、東京のどこですの)

(東京ではなくて、埼玉ですよ。このままこの電車に乗って終点まで行けば大宮です)

(あっ、あの博物館。高いっしょ。俺も行ってないっす。中学生の内に行かなきゃ、たぶん高校生になってからじゃ入館料が高くなるかもって思ってたっす。県民の日には安くなるか只になるんだっけ。でも、行く前にこっちに来ちゃったっす。何か損したみたいっす)

(武蔵君、大丈夫。こちらの世に来てしまえば、そこに行く人に乗れれば只)

(うっす)

(ほうっ、交通博物館、万世橋のはどうしたのでしょう)

(大宮に移した以上、万世橋には無いのでしょうねぇ。そうやって古い物は消えて行く。ちと寂しいものですね)

(消えぬは、我ら好奇心の固まりの気の者ばかり)

(この吊るしてある広告、昔のよりきれいですね)

(天然色の写真ですな。紙もピカピカしていて、あっ、カテリーヌさん、ピカピカとは輝いていることですな。檻の網の間から見上げるのはちと苦しいですな)

(そうでしたねぇ。昔は紙も質が悪かったですし、挿絵風で写真なんて使っていませんでしたものね。字ばかりのもたくさんございましたでしょう)

(あのぉ、大学のが多いみたいです。ユリが名前知らない大学ばっかり)

(大学は戦後急に増えましたからね)

(お勉強したい方が増えたのかしら)

(んなことないっす。俺、勉強、嫌いっす。けど、爺ちゃんも父ちゃんも大学行ったから、俺も行くべきだって。でも、俺、父ちゃんの店継ぐって勝手に決めてたし、大学行かなくたっていいって思ってたっす。あああ、あの店誰が継ぐんだろう。姉ちゃんが継ぐのかなぁ)

(何のお店ですの)

(うどんっす)

(おうどんですか。ユリ、食べたい)

(そればかりはちと無理がござる。食べられぬ身、彦衛門殿流に申せば)

(ロバートさん、その続きはいいですっ)

(あはは)

(ユリ不思議なんですけど、風が吹いているのに、この広告の紙、揺れないでしょ。それに、扇風機も無いのに風が吹いて来る。あっ、わかりました。ユリが前彩香ちゃん達と行った英語のお教室みたいなのかしら)

(クーラーですよ)

(クーラーとは冷やす物という意味でござる)

(冷房が入っているのでしょう)

(へぇ〜)

(雨が降ったり止んだりの日に、夏でもないのに冷房なんてね。昔でしたら考えられませんでしたわ。扇風機すら無い時代もございましたでしょ。窓を大きく開けて、それだけ)

(あら、この窓、どうやって開けるのかしら)

(開くのでしょうか。僕がこちらに来る前は、開けられましたが、この窓、どうやったら開くのでしょうか)

(開かないのですか、なんだか息苦しくなりそうです)

(あら、ユリ達、息してませんもの、だいじょうぶ)

(そうですわね、でも、なんとなく)

(あら、あちらの方がお持ちの傘は、犬用かしら、短くて)

(でも、犬を連れてませんよぉ)

(へへ、知らないっすか。あれ、折りたたみ)

(おりたたみって何でしょう)

(傘を折ってたたんで小さくするっす)

(まぁ、折ったら、させないじゃない)

(折っても折れないっす)

(えっ、わからない)

(折れないように折れるんですよ。え〜と、どう申しましょう。ハンカチを折っても破れないでしょう。つまり、骨の部分が折れ曲がるようになっていて。ほら、腕を肘で折っても、腕の骨は折れませんでしょ)

(なんとなくわかったような)

(おりたたむと小さくなって、持ち運びに便利でございましょ)

(へぇ〜。昔と違うんですね)

(ですわねぇ。昔は、雨が止んだら傘は邪魔でしたものね。それに、柄も色々でございましょ)

(あそこの傘、あれ割とみなさんお持ちみたいですが、あの透明のは折れないのでしょうか)

(ああ、あれは安物ですから)

(まぁ、透明だと傘の外が見えて楽しそうですのに)

(あれ百均でも売ってるっしょ)

(百均、あら、以前耳にいたしましたわ、何でしたっけ)

(何でも百円で売っているお店らしいですわね。愛も望も、こんなものまであったぁなんて喜んでいましたわ。でも最近行かなくなって、やっと安物買いの銭失いを理解ったみたいで。私、愛や望と、いえ、乗ってですが、数回参りましたのよ。確かにお安いのですけれど、何だかちゃちでね、それに、国産のものが少なくて)

(まぁ、外国の物が日本の物よりお安いのですか)

(為替の差だとか、労働対価の差だとかだそうですが)

(なんか、授業みたいな言葉、つまんないっす)

(ユリだったら、異国のものがお安く買えるなんて嬉しいかも)

(俺も、安きゃいいっす)

(しかしながら、やはり安かろう悪かろうとも言えますね)

(すぐ壊れたって、百円だから捨てたって惜しくない)



お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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