第七話 セミテリオから犬にも乗って その十四
(あのぉ、ユリ、おっかない話しより、さっき武蔵君が歌った歌、あれが気になってるんですけど)
(ユリさん、武蔵さんの歌ったのは、CMですよ。あっ、CMってコマーシャル、テレビで宣伝する為の歌のこと。ラジオのもございましたわね。あら、でも覚えておりませんわ)
(夢さん、ラジオも民間ができたのは戦後ではなかったでしょうか。だとするとここにいる皆の衆の中で、ラジオのCMソングを聞いたことのあるのは夢さんと僕と武蔵君ということになりますね)
(然様でございますわね。ごめん遊ばせ)
(ユリさん、元の歌はご存知かしら。♪おたまじゃくしは蛙の子♪というのと、♪太郎さんの赤ちゃんが風邪ひいた♪というのがあります)
(いえ、ユリ、どちらも知りません。でも、ユリには、さっきの武蔵君のがいいです。もう一回歌って)
(♪丸い緑は山の手線、真ん中通るは中央線、新宿西口駅の前♪っすか、でも、ここ新宿じゃないっすよ)
(うううん、緑は山手線って覚えられるでしょ。あら、でも、さっきの電車もう行っちゃいましたけれど、緑じゃなくて銀色でした)
(ああ、あれね、真ん中に緑の線が入ってるっすよ)
(昔は全部黄緑色でしたわねぇ)
(もっと昔は小豆色)
(それだったら省電と同じですね。僕の知っている電車)
(ユリも乗ったことあります)
(わたくしも)
(我輩も。ところで、下の檻の中から質問失礼、いえ、上からよりはよろしいでしょうか。え〜と、夢さん、先ほどの歌、元はアメリカの歌だとはご存知でしたかな)
(まぁ)
(僕も知りませんでした)
(ああ、僕は聞いたことありますよ。本堂で占領軍の若いのがじゃれあって歌ってましたよ。太郎さんも赤ちゃんも出てこない。あの時までは日本の歌と思っていました。ハレルヤハレルヤと歌うので、上官がこちらを見て申し訳ないという顔をしたのですが兵達の騒ぎを黙認していたのを覚えています。)
(♪Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord〜〜Glory, Glory, Hallelujah! Glory Glory, Hallelujah! Glory Glory Hallelujha! His truth is marching on! ♪ですな。それとも、♪John Brown’s Body lies a-mouldering in the grave♪の方でしたかな。どちらも♪Glory Glory Hallelujah!♪の部分は同じですが。奴隷廃止論者のJohn Brownが絞首刑にされたのを黒人達が歌って、その替え歌が北軍の行進曲みたいになりましてね。亜米利加人ならよく知っている歌ですよ。いずれにせよ、いくら負けたとはいえ、寺で歌うのはちと、いや随分失礼ですな)
(でございますわね。alleluiaは主を称える言葉ですものね。あら、でも、カトリックと申しますより、元はユダヤ教のですわね。どちらに致しましてもお寺でというのは)
(いや、まぁ、戦争が終わって、負けようが勝とうが、平和にはなりましたからね)
(ロバートさんが歌うのって初めてですね。いつも歌うのはマサさまでしたもの)
(我輩、歌はちと苦手でしてな)
(アメリカでも日本でも替え歌ができるということは、すてきなメロディなんですね。太郎さんの赤ちゃんも、おたまじゃくしも、愛も歌ってましたもの。望は歌っていなかったかしら)
(メロディとは節回しのことでござる。♪ハニホヘトイロハ♪)
(ロバートさん、ありがとうございます。でも今では♪ドレミファソラシド♪ですのよ)
( イロハニホヘトは使わないのですかな)
(えっ、使わなくなったのですか)
(ユリ、その新しい方、知らないです。あっ、だから、小学校に行った時に、変だなぁって思ったんですね。気付きませんでした。あらっ、でも、ハとかトとか書いてありました)
(ユリさん、それ、ハ長調とかト長調じゃないかしら。ハニホヘトイロを使っているようですわ)
(ややこしいのですね。日本語は。カタカナとひらがなと漢字だけでも充分数が多いのに、音楽の方も両方なのですか)
(あっ、電車、これに乗るのですね。これ、空色の線が入ってます。もうみなさんユリに話しかけないでくださいね)
(うわぁ広い。先ほどの電車より広くて明るい感じです)
(先ほどの電車は両方とも地下鉄で、中でも銀座線は一番古いから狭いですね。一寸前までは銀座線は時々照明が切れる場所もありましたしね)
(あら、窓が大きくてお外が見えても高い建物ばかり。こんなに高い建物ばかりになったんですね。うわぁ、じゃぁ、東京に住む人ってすごぉく増えたのかしら)
(僕がこちらの世に着た頃、東京府の人口は七百数十万で、日本の十分の一に達したと覚えていますよ)
(今、たぶん一億三千万人ぐらいですから、ユリさんがいらした頃の二倍以上ですね)
(うわぁ、でも、でも、人間が二倍になったなら、平屋の建物が二階建てになればすむでしょ。なのに、みんな何階あるのか分からないくらい高いです)
(ユリさん、今から参ります愛の住んでいる所はね、愛の結婚したお相手の健さんのお父様が退職なさる随分前に川口に買われたものですし、私が住んでおりました野毛山の家も、それより少し前に主人の両親が私達と住むために世田谷にあった家を売って引っ越しましたのよ。東京オリンピックの頃から、そうやってどんどん遠くに引っ越すようになりましたの。東京で働く人は神奈川や埼玉や千葉に夜帰るようになって、神奈川、埼玉、千葉の東京寄りの町はベッドタウンと呼ばれるようになりました)
(ベッドとは床のこと、タウンとは町のことですな)
(へぇ〜)
(東京の人口が二倍で二階建て、神奈川増やして三階建て、埼玉増やして四階建て、千葉増やして五階建て、あらっ、でも、五階よりもっと高い建物だらけです)
(ユリちゃん、その計算変だよ。だって東京の人口の半分が後の三つの県それぞれと同じってわけじゃないし)
(ユリわかりました。今のあちらの世は女の方も色々なお仕事なさってらっしゃるから、そのまた二倍かしら)
(ユリちゃん、その計算、絶対変だって)
(ははは、まぁ、今の会社は、色々と物が多いですからね。その物の置き場所も要るでしょうし)
(人が増えれば、売る物が増える。売る物が増えれば、売る物を置いておく場所が増える、だから売り手が増える。つまり人が増える。これがぐるぐる回っているとも言えませんか)
(人が増えれば病人も増える。病人が増えるから医者が増える、だから医院が病院になる、あはは、我が医院もそうやって大きくなったのでした)
(増えた人が死ねば、墓も増えてるっすか)
(墓の場合は日本では家ごとが多いですからな。おっと、我輩はあちらの世でもこちらの世でも一人住まい)
(あっ、あらっ、運転手さん間違えたのかしら。駅に止まりませんでした)
(あはは、この時間帯の京浜東北線は快速運転していますからね)
(さっき秋葉原に止まった時、東京駅のと音が違ったでしょう)
(えっ、電車の音ですか)
(いえ、駅の音。電車が出る時に、駅で音楽みたいなの。あの美しい音。妖精が出て来るみたいな、ねぇカテリーヌさん)
(でしたわねぇ。あれ、オルゴールかしら)
(そういえば、昔は無粋な音でしたねぇ)
「ほら、望、あなた座りなさいよ」
「愛ちゃんは」
「愛ちゃんって誰。外ではやめてよね」
「ん。で、座らないの」
「うん。座ってマックを膝に乗せて」
(おっ、膝の上だと我輩も座り心地がよさそう)
(でも、何も見えなくなりました。愛さんの脚ばかり。マック君は外が見えなくても文句は言わないのでしょうか)
「ねぇ、マックを網棚に乗せたらどうするかなぁ」
(それは勘弁願いまする)
(ロバートさん、視界が開けてそれも酔狂かもしれませんよ)
「だめ。私、自分が座っている時に、誰かに上にどさって荷物置かれると気分悪いのよね。それまで床に置いてあったのだったりすると、土やほこりが落ちてきそうで。犬だって、犬の嫌いな人にしたら嫌だと思うし。それに、万が一揺れて落っこちたら、マックが怪我しちゃう」
「そうかっ」
(さっきまで雨だったからかしら。お外がまた暗くなってきたみたいです)
(あっ、ユリさん、私もよくJRに乗るとそう思いました。UVカットで窓が暗くなっているらしいですよ。でも、傘を持っていない時など焦りました)
(ゆぅゔぃかっとって何ですか)
(紫外線、切る、でござる)
(紫外線を着るのですか。紫外線って何かしら)
(ユリちゃん、虹の色言えるかな)
(七色ですよね。え〜と、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)
(はい、よくできました。その紫の外にあって、見えない光を紫外線と言う)
(うわぁさすが虎ちゃん、元高校生)
(おっ、最近にしては珍しくユリちゃんに褒められた)
(その紫の外にある光を着るのですか。異国の物語の妖精みたい)
(ユリさま、わたくしも思いました。きっと可愛らしい虹色の妖精)
(あっ、いえ、え〜とどう申しましょう。紫外線を遮るのがUVカットですわ)
(どうして紫外線を遮らなければいけないのかしら)
(あっ、それだったら俺も知ってっす。母ちゃんいつも外に出る時にUVカットクリームをべたべた塗ってたっす。日焼けするって)
( へぇ〜、見えない光なのに日焼けしちゃうんですか。 日焼けっていけないんですか。色白は七難を隠すってユリの母も申しておりました。日傘を差しなさいって。でも、日焼けしていないとなんだか弱そうでしょ。今の電車って、電車に乗る人の日焼けまで心配するほど親切なんですか。省電とは思えない)
(ユリさん、省電ではなく、国電、いやJRですし。それに日焼けは今ではよくないこととなってますよ。皮膚が老化する、場合によっては皮膚癌にもなる)
(まぁご隠居さん、そうなんですか。あっ、でもユリ達は日焼しない)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。