第七話 セミテリオから犬にも乗って その十一
(なるほど。ご隠居さん、流石です。で、偉くはない立場でも、偉い人の側にいればおこぼれにあずかれるから、偉い人に、あなた様は偉い、偉いっておべっかつかう)
(偉くはなれないが、何がその時、その場で偉いのかが分かればそうするものなのですな。偉くはなれない自分の変わりに偉い人を作る。哀しいですな)
(だんだん鈍くなってきて、おべっかだということに気付かなくなり、余計に偉くなった気分になるから、段々無茶をし始める。おべっか使う方は、悪い事を伝えると自分の評価が落ちるやも知れず、悪い事は伝えなくなる。偉い立場にいる者は、余計に下にいる者の不満に気付かなくなる、自分が下にいた時の不満を忘れてしまう)
(そうそうだから腐敗していくんですな、虎さん。なんらかの力を持つ人が偉い人、というのはどうでしょう。だから偉くなりたくて、なんらかの力を持とうとする)
(まぁ、精子だって競争して卵子に突入しようとしますからね。人間の、いや、人間に限らず雄の持つ特徴なのだとしたら、もうどうしようもないことなのでしょうか)
(なんだか性教育受けてる気分っす。あれつまんなかったっす)
(ご隠居さま、なんだか身も蓋もないお話ですこと)
(いやぁ、案外これが真実かもしれませんぞ。精子ですらそうなのでしから、男は本能的に女を手に入れるために競争する。卵子が元気な精子を望むように、女は元気な男を望む。元気な男を探す手段として、男の職業を気にする。そういう職業に就きたいと男が願う、如何でしょうか)
(人間は歴史から学ばないものだとするならば、いつまでも、偉い存在はあり続けることになりますな)
(入れ替わるだけということでしょうか。入れ替わられるまでどれだけ長続きさせられるか)
(殿方のお話、理解はできなくもないのですが、殿方とわたくし達とでは本当に違いますのね)
(そう、ユリ、偉いなんてどうでもいいから、みんなが病気や貧乏で苦しまなければそれでいいのに)
(ですわねぇ)
(しかし、みんなが対等になってしまい、偉いという概念が無くなった頃には、精子の能力も衰えて、人類滅亡かもしれませんね)
(えっ、どうして)
(英雄色を好むというのもありますな、つまり、英雄がいなくなれば、皆平等、すると人類滅亡ですかな)
(元気な精子は元気な男のもの。英雄は元気であろうから、元気な子孫が繁栄するやもしれませんからね。もし精子の競争が男の競争心と関係があるとしたら、なのですが、その場合、男が競争しなくなるということは、もしかしたら精子が競争しなくなるということやも知れず、精子が競争しなくなると、よりよい子孫を残すどころか、子孫そのものが出来なくなるやも知れず。僕がまだあちらの世におりました頃から、精子の数が減って来ていると言われてましてね、おっと、この話は以前しましたっけ。それで、我が曾孫のところはなかなか子供ができなくて、人工授精でという話。最近三つ子が生まれたということ、お話しましたっけ)
(まぁ三つ子ですの。お珍しい。おめでとうございます。それに玄孫ですの、素晴らしいですわ)
(はい、ありがとうございます。しかし、自然には妊娠しなかったわけですからね)
(ユリはそのお話、お伺いしたと思います。玄孫さんにその内、お目にかかりたいです)
(はい、是非)
(僕も、以前玄孫さんの三つ子の件はおうかがいしました。世の中が平和になってきているということかもしれませんね)
(別の言い方をすれば、人類滅亡が近づいているということですかな、やれやれ。我輩の目の青い内には平和な地球は望めぬのですかな)
(人類滅亡と人類平和とどちらが先になることやら)
(玄孫って何っすか)
(玄孫とは曾孫の子のことですよ、武蔵さん。素晴らしいでしょう)
(ええと、曾孫って孫の子っしょ。つまり、孫の子の子ってことっすか。うっひゃぁ。でも、そっちはまだわかるっす。ただ、なんかぁ、さっきの難しい話っす。歴史、そんなに知らないし。稔る程頭を垂れる稲穂かな、というのあるっしょ。麦は実ってもまっすぐで、競争しているけど、稲は競争しないっての)
(武蔵君、歴史は知らなくとも、よくご存知ですね)
(うっす。俺の住んでたとこ、田んぼや畑ばっかっす。んで、いつも不思議だったっす。だって、米も麦も結局筍っしょ)
(そんな、武蔵君、麦と米と筍は異なる植物だよ)
(あっ、俺の言いたいのは、筍の身長比べるってあるっしょ)
(おうおう、筍の背比べですな)
(武蔵君、外人さんに負けてるぅ)
(外国人っす)
(だってぇ、ユリの頃は外国人さんなんて舌を噛みそうな言葉使ってませんでしたっ)
(んで、麦も米も、皆筍みたいに同じ高さだから)
(ふむ、面白い視点ですな)
(だから、世界に一つだけの花と同じで、同じ身長で、誰が偉いとかってないって言うかぁ)
(その世界に一つだけの花って何でしょう。ユリかしら、ユリだったらいいなぁ)
(あっ、世界に一つだけの花って、歌っす。あっ、ここのみんな誰も知らないっすね。俺が小学校に入学した頃の歌っすから、もう十年ぐらい前の)
(私、存じておりますわ。紅白歌合戦で歌ってましたよね)
(たぶん)
(紅白歌合戦、懐かしいですね)
(紅白歌合戦って何でしょう、お歌のことでしたら、もしマサさまがいらしたらお判りになるかしら)
(いや、マサさまは、戦前にこちらにいらしてますからね。紅白歌合戦というのは、戦後、最初はラジオで、その後テレビで毎大晦日に放送されてましてね、男は白、女は紅に分かれて、歌を競う番組ですよ)
(へぇ〜、面白そう。で、ユリの知りたいのは、その世界で一つだけの花はユリじゃないんですか)
(俺もよく覚えてはいないっす。けど、どの人も、世界に一人しかいない人だから、一人一人が大切なんだから、って意味っす。誰が偉いとか目立つとかそういうんじゃなくて、って)
(なるほど)
(ふ〜ん、ユリじゃないんだ。残念)
(いやぁ、ユリちゃんも、その世界に一つだけの花だったってことだから)
(あらぁ、虎ちゃん、優しい)
(僕は基本的には優しい筈なんです。何しろ高校生としての誇りがありましたからね)
(いいなぁ、俺なんか埃っぽい中学生って言われてたっす)
(うわぁ、ユリ、そっちの方が判り易いですぅ)
(武蔵君、今の時代、あちらでは誰でも中学生になれるようですが、僕の頃は、高校生になるのはほんの一握りでしたから。高校生になれるということは、社会に出て、それこそ偉くなる将来が約束されてました。あの頃は、偉くなるということは威張って権力を振りかざすということではなく、社会のために何を為すべきかということでしたから。勿論、そう言われる事自体、実際には威張って権力を振りかざす、頭を垂れない者がいたということなのですが、それでもnoblesse obligeの意識は皆一応は備えていただろうと)
(おう、又出て来ましたね。noblesse oblige。以前皆で話したことがございましたな。あの時には武蔵君はいなかったと思うが、説明必要ですかな)
(いいっす。要するに、頭を足れる、っしょ)
(まぁ似た様な、些か異なりますがな)
(いいっす。難しいこと嫌いっす)
(noblesse oblige、ほんと死語ですね。いや懐かしい。戦後しばらくは続いてましたね。いつ頃からだろうか、noblesse oblige は消えましたね。やはり高校生が世に溢れた頃から、いや、猫も杓子も大学に入るようになった頃からでしょうか。おっと、別に差別しているわけではないのですが、何も、勉強するのが嫌いな、あるいは勉強が苦手なのに就職の為に大学に行く必要などないと僕は思っておりますのでね)
(俺勉強嫌いっす。だから大学行きたいなんて思ってなかったっす。んで、馬鹿だから、その猫も杓子も、って、猫は分かるっす。猫は大学行かないっしょ。けど、杓子って何っすか。あっ、聖徳太子が手に持っているものっすか)
(おしゃもじのことでしょ)
(おしゃもじじゃないっしょ。あれ、カンニングペーパーだって誰かが言ってたっす)
(堪忍って何かしら、我慢することかしら)
(ほほほ)
(カンニングとは機敏、ペーパーとは紙のことでござる)
(機敏な紙って、違うっす。カンニングペーパーって、テストなんかの時に見る紙で、テストの前に覚えられなかった時に書いておくので)
(テストとは、試験ということでござる)
(試験の時にずるするために書いて隠しておくもののことですね。僕の頃にもありました。潔しとしない輩がしてましたね)
(ほほほ、主人がね、実物を持ってきてくれたことがありましたわ。鉛筆の芯のまわりを薄くくるくる桂剥きみたいにして、その剥いた所にとっても小さい字で書いてありました。主人は、こんなことを考えたりしたりする時間があるなら勉強すればいいものを、とぷりぷり。これで退学処分になるやもしれず、全くと。私は、鉛筆の桂剥きをなさる技術に感心いたしましたのよ。鉛筆って、お大根より長いでしょう。さぞかし苦労なさったのだろうと。きっと外科手術などお手の物になるかもしれませんわって、で、そう申しましたら、だからお前は馬鹿なんだ。そんなことを言っているんじゃない。こんな小狡い小賢しい手段で単位を取得しようなどと、医者の風上にも置けぬと、ぷりぷりでした)
(鉛筆の桂剥き、たしかに、大変そう。ユリ、お大根の桂剥きもできません、いえ、できませんでした)
(聖徳太子のしゃもじも大学行かないっすね、けど、猫の大学とかおしゃもじの大学って、あったら面白そうっす)
(戦前、貴族院議員など無条件に偉い人でした。馬鹿なことをする人もおりましたが、それでも皆、それなりに国の将来を真剣に考えておったと感じておりましたが。どうも、昨今のあちらの世の政治家は。おっと、また話しが元に戻ってしまいそうです。こちらの世に参ってもこんな僕ですからこちらの世からは当分消えそうにないですね)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。