第七話 セミテリオから犬にも乗って その八
(ユリ、ロバートさんのお話、ちんぷんかんぷん)
(俺、少しは分かるっす。一応英語勉強したし)
(ふむふむ。テレザの明日さんも同じようなことをおっしゃってましたね。天然痘は問題ないが、癩病は使えないと言われたそうで)
(どっちも怖い病気ですね)
(ユリ、知ってます。天然痘はあばたになるし、癩病はお鼻やあちこちが溶けちゃうんでしょ。でも、どうして天然痘は使えても癩病は使えないのかしら)
(翻訳は構わないが、そのままでは出版はできないと言われたそうです。癩病という言葉には昔からの誤解があり偏見があるからと。それで、ハンセン病に換えてくれと。その偏見には、国も関わってましたしね。ハンセン氏病患者をつい最近まで無理矢理隔離いや監禁してましたし。それで明日さんは困ったそうですよ。原書で扱われている時代には既にハンセン氏が菌を発見していたが、舞台のブラジルの田舎ではそんなこと知るわけもなく、原書にも癩病とあり、ハンセン病とはなっていないものを、ハンセン病とは書けない。それで僕のところに相談にきて、僕も困ったのですが、出版社の提示してきた重い皮膚病という言葉に置き換えることになって、でも、どうもね、僕も後味悪かったですね。犬好きなマキ先生もね、韓国旅行の前に、韓国語で犬をケと言うのよ、簡単でしょなんておっしゃってたのに、帰国してから、ケは使っちゃいけないと言われた、差別用語だから、って。三つ覚えても四つ忘れちゃう程耄碌していてもせっかく覚えたのにと言ってたのも思い出しました。どうも、使っちゃいけない言葉が世の中にはあふれているらしい)
(マキ先生とは、ご隠居さんの病院の先生ですか)
(いえ、昔、小学校の先生だった方で。僕、先生と言われるのが嫌いでね。でもマキ先生は僕のことを先生って呼ぶから、僕もマキ先生と呼んでいたんですよ。嫌がってましたがね、でも学校の先生だから先生でいいでしょう、と。そしたらそんなのは昔のことです。先生こそ現役のお医者さまなんですから先生で構わないじゃないですか。いや、僕は半分現役だとしても先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなし、と返したのですが、それでも、先生は私より先に生まれたのですから、やっぱり先生ですわ、と。埒開かなくて、堂々巡りですからね、結局、互いに先生という呼称を外さないまま今日まで)
(今日って、今もこちらの世でおつきあいあるんですか)
(いえ、僕が病院に遊びに行くとね、マキ先生がよく来ているから、おしゃべりしているんですよ)
(マキ先生もどちらかのセミテリオから病院にいらっしゃるのですわね)
(いえ、マキ先生はまだあちらの世界でご存命)
(えっ、あちらの世のマキ先生と、こちらの世のご隠居さまが、お話できるのですかっ)
(あらユリさん、覚えてらっしゃいませんかしら。わたくし、ほら、セミテリオで遊んでらしたお子、え〜と、ことねちゃんだったかしら、あの時、お話できましたわ)
(そういえばそうでしたわね。でも、ことねちゃんは幼かったから)
(僕思うのですが、年齢ではなく、感受性ではないでしょうか)
(然様でございますわ。私もね、あちらの世におりました時、物心ついた頃は、そうでしたし、五十ぐらいから後もそうでしたわ。その間は、あちらの世では忙しくて聞こえなくなっておりました)
(この前、誰かが言ってたっしょ。忙しいって漢字は心が無いってことだって。それっすか)
(かもしれませんわね。実際、愛も望も、私、いえ、私達のこと感じているみたいですし。それに、望は動物のことも感じるらしいですわ)
(まぁ。犬や猫とお話できるんですか。ユリ、信じられない)
(それって、ドリトル先生みたいなのっすか)
(そのドリトル先生って、武蔵君、どこの先生ですか。中学校の、それとも小学校の、それともどこかのお医者さんですか)
(えっ、どこのって、本の)
(ドリトル先生物語でしょ。全部でたしか十二冊でしたわ。愛が大好きでね。何度も繰り返して読んでました)
(えっ、あの本っすか、十二冊を繰り返しっすか。動物好きなら面白いですよって、図書館の人に勧められたことあるっす。けど、一冊目で、難しくて。何冊もあるっしょ。あれを何度も繰り返して読んだっすか。すっげぇ)
(終いには愛は原書まで揃えて読んでましたよ。でも、望は武蔵君と似たようなもので、数冊で止めたみたいです。で、今更ながら、言うんですよ。ドリトル先生の世界は、人間の一方的視点だから、って。すると愛が、動物の権利や立場や諸々を人間と同じように扱う視点を持っただけでも、素晴らしいことなのに、と。ドリトル先生の話題になると、愛と望は互いにゆずらず)
(あのぉ、おしゃべりに夢中になっている内に、いつの間にか、ユリ達、電車、いえ地下鉄に乗って、降りちゃったんですね。ユリ、初めての地下鉄、もっと味わいたかったのに)
(ユリさん、まだ電車にも乗りますし。あまり変わらないですから)
(ユリ、電車なら乗ったことあります)
(ふっ、なんだか俺の小学校の時みたいっす。乗ったことないってのがいたっすよ)
(えっ、武蔵君、それって、僕の頃と変わらないような)
(え〜と、虎ちゃんでしたっけ、何時のお生まれですの)
(虎之介と申します。僕は大正十五年です)
(あらっ、同じ。私は昭和元年ですけれど)
(えっ、どうしてっすか。どうして同じっすか)
(武蔵君、西暦と違って、元号は、天皇で変わるから。大正十五年も昭和元年も同じ一九二六年なんだ)
(私の方が少しばかり後に生まれたことになりますわ。貴重な昭和元年)
(そうですねぇ。昭和は元年も六十四年も一週間前後ですからね)
(あら、武蔵君、困った顔してる)
(えっ、だって、お兄ちゃんとお婆ちゃんが同じ年なら、お兄ちゃんとお姉ちゃんと呼ばなきゃいけないのかって、けど、お婆ちゃんをお姉ちゃんとはちょっと呼べないし、だからって、お兄ちゃんをお爺ちゃんても呼べないっすよ)
(あら、私はお婆ちゃんでいいですよ。望って孫もおりますし。あっ、それで、ええ、私の頃は、女学校の修学旅行が伊勢参りでしたの。それまで、鎌倉ぐらいまでしか乗ったことのない方ばかりでしたでしょ。みんなわくわくして。実際のところ、顔や襟は煤で汚れるし、座席に座ってばかりではお尻が痛くなりましたし、散々でしたが、でも帰宅すると、女中達が羨ましがってね、一度も乗ったことないって。そういう時代でしたわね)
(えっ、なんか違うっす。電車はあるっす。けど、電車の駅まで遠くて、駅まで、俺が小さい時はバスが一日三往復ぐらいあったっす。けど、みんな乗らないからバスもなくなっちゃって。タクシーは高いし、だから、父ちゃんだけじゃなくて母ちゃんも運転習いに行って車持つようになってるっす。だから、電車乗らないっす。お兄ちゃんやお婆ちゃんの話だと、電車が走ってないみたいっすけど、違うっす。電車は走ってるっす。けど、小中学校に行ってる間は使わないっす。高校に行く様になったら使うっす)
(ユリ、よくわからないんですけど、高校になったら電車乗るんでしょ、でも駅は遠いんでしょ。駅までどうやって行くのかしら)
(あっ、チャリ、自転車っす。それか、雨の日なんかだと母ちゃんか父ちゃんが駅まで送ってくれるか、母ちゃんがまとめて父ちゃんとこども達を駅まで送るかしてるみたいっす)
(それでなのすな。我輩の頃より、日本の空気が汚れている様に感じるのは。車に乗る人が増えたのですな)
(そうですよ。なのに、肺癌患者が増えたのは、煙草のせいにして、まったく。僕は煙草を八十年吸い続けて百まで生きて癌にはなりませんでしたからね。癌になるかどうかは、体質も関係している筈なのに。値上げすれば喫煙者が減って肺癌患者が減るから値上げしようなんて屁理屈ですよ。喫煙者が減ったおかげでこちとら煙草の香りも嗅ぐ機会が減りました、まったく。いや、僕の独り言、失敬)
(いやはや、我輩も最近煙草の香りにはなかなか接することできず)
(嬉しいことをおっしゃって下さいますね。ロバートさん、ところで、まだ電車があるだけましですよ。もう何十年になりますかな、かれこれ三十年くらい経つでしょうか。方々で電車すら廃止されましてね。バスも電車もなく、タクシーは高くて、過疎地の高齢者や貧乏人はどこにも行けやしませんよ。年とってから免許取ろうとして教習所に通っても、物覚えが悪くなってますからね、反射神経も落ちてますしね、何度も試験受けてやっと免許取って。金も大分かかりますし。それで運転していたら、今度は高齢者が運転するのは危ないと言われますし。僕は免許、若い頃に取りましたが、都内でしたから本当に運転したことなど滅多になくて。まぁ、都内はね、電車や地下鉄があるから別に困らないでしょう。でも、バスも電車も無くなった地方に住んでいると、僕より若い世代がたいそう苦労しているらしい)
(なんか、やっぱ、昔の日本と同じっすか)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。