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第七話 セミテリオから犬にも乗って その七


(うわぁ、降りてくる人もたくさん)

(もうこの時刻ですもの。少ない方ですわ)

(よかった、お爺ちゃんが一緒じゃなくて)

(どうして)

(だって、お爺ちゃん、俺が電車に乗るとき、いっつもうるさいっす、あっ、うるさかったっす。あっそうかっ。生きていないから、関係ないっす)

(えっ、どういうことかしら)

(電車が入ってくると、ほらほら白線より内側じゃなきゃ危ないだろう。電車に乗ろうとすると、ほらほら、降りてくる人の邪魔になる。脇によけて。乗ったら乗ったで、子供は座らないもんだ、なんだかんだと、ずっとうるさかったっす)

(まぁ、それが躾というもの。こどもの内に躾ってないと、大人になって周りに迷惑かけますからね)

(けど、俺の場合、仕方なかったっす。俺が住んでた所、電車なんて校外学習でもなきゃ乗らないっす。みんな車っしょ。だから、小一の時なんか、隣の駅までわざわざ電車に乗る練習の授業まであったっす。列に並んで、白線より内側で、降りる人が先で、乗ったら静かに、座ろうなどと思わず、ちゃんとつかまってとかなんとかかんとか、色々注意ばっかだったっす。銀座線にはお爺ちゃんと何回か乗ったことあるっすけど、いつも銀座線は日本で一番古い地下鉄って聞かされたっす)

(古いのに壊れないのですか。ユリ、一寸怖くなりました。乗っている間に地面が落ちてきたらどうしましょう)

(ユリちゃん、大丈夫だよ。僕たちはもう死なないから。それにしても、今のあちらの世では、まだ電車の乗り方を教えなければならないのですね。なんだか、僕の時代のような)

(今は、都内の地下を、それこそよく地面が落ちないものだというくらい蜘蛛の巣みたいに地下鉄が走っていますよ。しかも地上の建物はどんどん高く重くなっていますしね。東京だけではなく、地下鉄は、横浜や名古屋、京都、大阪、神戸、福岡、仙台や札幌でも走ってますよ)

(まぁそんなに方々で)

(よく日本列島が沈没しないものですね)

(お爺ちゃんは、田舎で育つと電車にも乗れなくなるのかと俺を見て驚いてたっす)

(田舎、ですか)

(たしかに、俺のいたとこ、田舎だったっす)

(私ね、その田舎って言葉、苦手ですわ)

(まぁ夢さま、どうしてでしょうか)

(主人が何かと言うと、田舎者、田舎者と私を馬鹿にいたしましたのよ)

(夢さま田舎のご出身なのですか)

(いえ、私の家は、家康の頃から代々江戸、東京ですわ。最初は市内で、後に山の手)

(なのに田舎者、なのですか)

(まぁ、山の手もお江戸の頃は大いなる田舎でしたから、市内とは違いましたけれど。でもそういうのではなくて、主人の悪口の一つですわ)

(つまり何でしたっけ、え〜と、偏屈爺さんは田舎者がお嫌いということかしら)

(私にではございませんでしたが、ご近所の方を肥溜かつぎのどん百姓の倅の癖してなどという言葉も申してましたし、田舎やお百姓さんを馬鹿にしてましたから)

(おやおや、偏屈爺さんはそういうお方だったのですかな、鼻持ちならない。たしか、僕と同じ一高帝大とお聞きしましたが。そういう輩もいたのですね)

(何か嫌ですね。僕も。noblesse obligeの感覚を持っていない、威張って怒鳴り散らす、たしかにそういえば、いつも夢さんには威張って怒鳴り散らしてますね。偏屈爺さんと皆さんに呼ばれてますが、僕達には別に怒鳴りませんよ。夢さんがいらっしゃらない時には独りでぶつぶつ)

(お百姓さんがいなかったら、お米もお野菜も頂けませんわ)

(それに、便所が詰まる)

(虎ちゃん、まるで彦衛門さんみたいなこと言わないで)

(いやぁ、だって、汲み取ってもらわなきゃ、便所は詰まります。つまらない話ではなく、つまる話。おっと本当に彦衛門さんみたいになってきました。失敬)

(そうそう、あれは本当に困りましたね。関東大震災の後など、しばらく汲取されなくて、家が倒れなかった者でも苦労。家を失くした者など場所にことかいて、夜半に道路ででしたねぇ)

(ご隠居さままで、なんですか。御不浄のお話なんて、彦衛門さんみたいですっ)

(いやいや、あの当時、帝大生が路上の排泄物の処理をしたのですよ。これぞまさにnoblesse oblige。まぁ、帝大から上野は目と鼻の先でしたしね)

(つまるって、ぼっとん便所のことっすか)

(ええっ、武蔵くん、それって)

(便所ですよ、武蔵君)

(だって、普通の便所なら、水流せるっしょ)

(今は水で流せる方が普通だということですね)

(まぁまぁみなさま、愛の所に行けば、水洗トイレは見られますから。今は、ほとんど水洗ですのよ)

(まぁ夢さまそうなんですか)

(ええ、マックのもそちらに流すんですよ)

(えっ、犬専用のお便所もあるのですか)

(あっ、はい、あります。でも、そこは水洗ではなくて、マックのトイレトレイから拾って、人間用のに流すんです)

(えっ、その早口言葉みたいなのもう一度お願いします)

(トイレトレイですか)

(トイレはご不浄のことでしたわね。仏蘭西語が元で。で、トレイは)

(英語で皿のことですな)

(まぁ、お皿が犬のお手洗い)

(いえ、お皿じゃなくて、ご覧になればお判りいただけますわ)

(おっ、地下鉄が入ってきましたな)

(うわぁ、すごい風。飛ばされちゃう、しがみつかないと)

(その点、籠の中は安心)

(白線の内側に下がらなきゃ、あれっ白がなくなって、黄色だけになってるっす。この前まで白い線と黄色いぶつぶつだったのに。俺、まだこっちに来てそんなに経ってないってのに、もう変わってるっす)

(武蔵君、僕、今気付きました。僕の頃には白い線だけでした)

(世の中の移り変わりは早いものですわね。私がこちらに参りました頃には両方でしたのに)

(夢さま、この黄色い線はどうして幅が広くてぶつぶつなのでしょう)

(視覚障害者の為だそうですよ。乗ったり杖で触ると判るらしいです)

(四角しょうがいしゃ、それって日本語ですか。ユリ、わからないんですけど)

(視野の視に覚えるの覚)

(目暗のことですわ。盲人)

(そうそう、最近はそうやって言葉を変えれば差別がなくなるとばかりに、やたらめったら長たらしい言葉が多くてね。言葉狩りですね)

(Dort, wo man Bücher verbrennt, verbrennt man am Ende auch Menschen)

(おぉ、ロバートさんはドイツ語もご存知でしたか)

(いえ、ご隠居さん、このくらいは)

(その言葉、わたくしも耳にしたことございます。もしかして、仏蘭西語では Là où on brûle les livres, on finit par brûler les hommes ではございませんかしら)

(あっ、ハイネの言葉ですね、フランス語でしたら僕も少しは)

(英語ですと、Where they burn books, they will, in the end, also burn people、焚書坑儒みたいなものですよ)

(本を燃やす所では最後に人も燃やす、ですね)

(焚書坑儒、俺わかるっす。先生を生き埋めにしちゃうっしょ)

(日支事変の頃の日本もそうでしたね。発禁処分になったり、なんでもかんでも検閲されて。人も警察や特高に殺されたそうですね。こういう話はひそひそと語られてました)

(何だか嫌な感じ。ユリにはちんぷんかんぷん。どうして武蔵君まで判るの。何だかユリだけ除け者)

(あら、私もあまり判りませんわ)

(よかった夢さまも。でも夢さま女学校お出になられたのでしょ)

(まだ敵性言語と言われる前でしたが、でも、英語を学んでから随分経ってますもの。ほとんど覚えておりませんわ。その癖、神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化なんてのはいまだに)

(おっ、僕もそれ覚えてますね)

(ユリも)

(なんですの)

(俺も分からないっす。何っすか)

(日本の歴代天皇の名前ですよ)

(まぁ、日本の方って覚えさせられるのですか、あら、そういえば私もフランスの王様の名を)

(我輩も歴代大統領の名を覚えましたからな)

(へぇ〜、みんなたいへんだったんだぁ。俺そんなので覚えたのは、え〜と、九九ぐらいっす。あっ、あと、歴史の少しぐらいっす)

(少しですか)

(少しでいいっす。歴史って、後で生まれる程、覚えること多くて、絶対に損っす)

(話しを元に戻させて頂きたいのですが、書を燃やす処では終いに人をも燃やす。旧い言葉、我輩より旧い言葉ですが気になりますな)

(でも、どうして)

(いえ、我輩、言葉狩りに関しましてはちと苦言がございましてな。日本語に限らず、新しい言葉に置き換えれば意味が変わると思う御仁が多くて。確かに、前の言葉が孕む悪意や誤解は無くなったかの如く感じられるが、使う者の側の心に悪意や誤解があれば言葉を換えても中身は同じですからな。我輩も最近まではたいして気にしておりませんでしたがな、先日の散歩で現在の我が国の文章を目にしましてな、武蔵君流に申せば、なんだこりゃぁと思ったわけです。何でもPC、Political Correctness運動というのがあったそうで、それ以降、policemanやfiremanではman、つまり男であり、女性警察官消防官もいる以上 police officer、firefighterでなければならない、 Missと Mrs.では結婚しているかどうかが判るので、Mr.で婚姻の有無を問われない男性敬称に比べて女性差別だとされて、 Ms.にしたなどと、どんどん新しい言葉を作ったのですな。まぁ判らないでもないのですが、だからと言って差別がなくなるわけではなし。IndianをNative Americanに、 NegroをAfrican Americanに換えて、まぁ確かに差別が少なくなったのかもしれませんがね、それにしたって過去の文化を反映した言葉ですからな、その差別があったというのも含めた上での文化ですしな)



お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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