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第七話 セミテリオから犬にも乗って その六

(えっ、犬が電車に乗れるんですか)

(はい、バスや営団地下鉄は無料、JRはえ〜と一日二百七十円だったかしら、新幹線も乗れるそうですよ)

(まぁ、バスや地下鉄はただなんですか。あら、ユリも今は望さんにただ乗りしてますけど。あら、虎ちゃんなんか、ただ乗りできるマック君にただ乗りしてるっ)

(このただ乗りは命賭けなんだからね、ユリちゃん。それにロバートさんもただ乗りしてる)

(命ったってっ、もう関係ないっす。落ちたってこれ以上死なないっす)

(武蔵君、犬に乗るのと人に乗るのでは随分違いますな)

(乗り心地、ご推察いたします)

(あっ、お爺ちゃん、ほとんど初めましてっす)

(いやぁ、お互い顔は見かけてますからね)

(やっぱ、セミテリオには年寄りが多いっすね)

(そりゃそうだ。天寿を全うしてからの方が多いですからね)

(百まで生きられたご隠居さんにそうおっしゃられると、我輩など立場がないですな)

(わたくしもですわ、ロビンも、それにユリさんも虎之介さんも武蔵さんも)

(いやぁすみません。ところで夢さん、今は営団地下鉄とは呼んでませんよ。東京メトロ)

(あらあら私としたことが。そうでしたわね、慣れなくて。いつまでも国電を省線と呼ばれる方を古いと思っておりましたのに。その国電すら古くなって、私も古くなりました)

(夢さま、まだこちらには新しいでしょ。夢さまが古くなんておっしゃると、ユリ辛いです)

(ご隠居さまがおっしゃったメトロ、仏蘭西語ですわね。何故かしら。最初の地下鉄は夫の国、英吉利でしたからチューブとお呼びすればよろしいのに。それに、日本は英語をたくさん使ってますのにね)

(亜米利加ではsubwayですな)

(僕、今まで考えた事なかったのですが、tubeとsubwayとmetroを聞いて、なぜmetroにしたのか判ったように思います。tubeではホース、管のことですが、あるいは自転車のチューブなどと紛らわしい、subwayではサンドイッチの店の名前と紛らわしい、metroなら元々metropolitan,metropolisですからね。首都大学や首都銀行や首都の好きな都民が選びそうな名前ですね)

(いやぁ、また日本語お得意の短縮形ですな。しかしながら、metropolisはラテン語の metroをギリシャ語のpolisに付けて、母なる街という意味ですからな、メトロだけですと、母ですな。ははは、こりゃ面白い、母は地面の中を走る。すると、メトロに乗るということは母の胎内で地下を走るということですかな)

「マック、そろそろケージに入って。あっ、先に足を拭かなきゃ。ケージがドロドロになっちゃう」

(cageとは檻のことですな)

(うわぁすごい、マック君、自分で入るんだ、犬のくせによく分かってる)

(ユリさん、愛や望に聞こえていないと思いますから構わないのですが、あの二人は、犬のくせになんて聞こうものならすさまじい議論になりますよ)

(えっ、犬は人間より馬鹿だから)

(ユリさん、それも、あの二人にかかったら大変)

(まぁそうなんですか)

(彦衛門さまがいらっしゃらなくて良かったですわね)

(えっ)

(マック君のことではなかったかしら。それとも摩奈さんがお連れだった犬のことかしら。彦衛門さまは、美味そうだとおっしゃってませんでしたっけ)

(まぁ、そんなこと知ったら、この二人がなんて言うか。何しろ、愛は貝や海老を茹でる時に、一つずつ、一匹ずつ、丁寧に洗って、ごめんね、でも美味しく食べてあげるからね、許してね、って。沸騰した鍋に入れたらすぐ蓋をして、暫く目をつぶっているんですよ。苦しまないようにって願いながら。望にいたっては、その側にもいられない、絶対に自分では調理しませんわ)

(まぁ、浅蜊も蜆も蛤も海老も美味しいのに)

(それがね、望は海老が大好きで)

(あら、変なの)

(お魚やお肉は平気ですの)

(平気らしいですよ。二人が言うには、あれはもう切ってあったり、もう死んでいるからって。自分の手で殺すってのがダメらしくて。ちょっと前まで生きていた新鮮なものほど美味しいのに。でも、確かに今は、自分の手で殺すこと少ないですよ。お店でも切り身で売っていたり、パックに入っていたり。この中で一番お生まれが古い方はどなたでしょう。え〜と)

(俺ではないっす。絶対に)

(パックとは器のことですな。で、カテリーヌさん、ご年齢をお尋ねするのは失礼ですかな。我輩とどちらが先に生まれましたかな。我が国のCivil Warは我輩が生まれる前に終わっておりましたが)

(わたくしもそれより後でございますわ。Troisieme Republiqueの開始より二十年近く後でございます)

(おっ、我輩はその開始時ですから、つまり、我輩の方が年上、古いということになりますな。で、ご隠居さんは)

(そのとろわなんとかは存じ上げませぬが、僕は十九世紀最後の年に生まれました)

(って千八百九十九年ってことっすか)

(いや、丁度千九百年ですよ。世紀は一から始まり零零が最後なのでね)

(あっ、そういえば習ったっす)

(ということは、我輩が一番古いということになりますな)

(ご隠居さま、お召し上がりになったもの、ご自分で殺されたことございますかしら)

(え〜と、いえ、無いと思います。まぁ、僕は一応寺に生まれてますから、殺生はなかなかという環境でしたよ。一応、生臭い物は食べないことになっておりましたし。一応ですけれどね)

(僕、卵だったら生で食べたけれど、あれは殺すというのとは違いますしね)

(我輩も、鶏など料理人がが殺してましたがね)

(それだったらユリも、下男さんが)

(それでしたらわたくしも女中が)

(自慢じゃないけど、俺、ゴキブリなら殺した事あるっす)

(でしたらわたくしも、蚊でしたら。ゴキブリはダメです)

(そういえばあの時、ゴキブリの家を見て気絶したカテリーヌさんは消えましたっけ)

(ユリだって蠅なら)

(望はね、キャーキャー言いながらでも殺すんですけれどね、愛が平気で殺せるのは蚊ぐらいかしら。ハエは家から追い出しますし、ゴキブリ殺す時はごめんなさいって)

(まぁ)

(一昨晩もね、ゴキブリの赤ちゃんを見つけて、愛が慌てて近くにあった綿棒の空の容器で捕まえて)

(うどんを作る時のですね。ユリ、あれ転がして遊んでいたら、婆やに取り上げられました。ゆがむと使い物にならなくなるんですよって。でも麺棒の空の容器って何かしら)

(あっ、俺も叱られたことあるっす。あれ振り回してたら、大事な商売道具をって。でも、容器になんて入れてなかったっす)

(うどんのじゃなくて、耳掃除の)

(えっ、耳を掃除するのに、あんな太いもの、どうやって使うんですか)

(あはは、ユリさん、麺棒ではなくて、綿の棒。両端に少しだけ綿がまいてあって、まとめて売るのに、透明の容器に入っているんですよ)

(耳掃除に綿ですか。なんだかくすぐったそう)

(耳あかには二種類ありましてね、一説によれば、弥生系は乾いているから耳かきで構わない。縄文系はねばついているから綿棒の方がよいそうで。もっとも、アメリカンファーマシーで、ジョンソンのを売ってましたが、日本製のが売られるようになったのは随分最近だったと思いますよ)

(へぇ〜、そんな麺棒、いえ綿棒があるんですか。僕も初耳です)

(もしや、Johnson兄弟の会社ですかな。我輩より若い。それにしても懐かしい。アメリカンファーマシーなるものが戦後の日本にはできたのですな。我輩、ちと早く生まれ過ぎた、いや死に急いだか。いや、日本と戦争した時に生きていなくてこりゃ幸いだったのかも)

(で、その望が捕まえたゴキブリをどうするか、望と愛で相談しているんですよ。殺虫剤で殺すって望が言えば、愛は、一寸の虫にも五分の魂、生まれて来てすぐ死ぬんじゃあまりにも可哀想じゃない。じゃぁどうするの、一寸って、何センチだっけ。三センチぐらい。ってことは五分って半分なら十五ミリかぁ。このゴキの赤ん坊、二ミリぐらいだから魂は一ミリ、一ミリの命をどうするかってことかぁ。で、どうするわけ。えっ、とりあえずこのまま。じゃぁ飢え死にしちゃうじゃない。餓死と殺虫剤とどっちが楽。私ね、殺虫剤の方がよいかもと思ってましたが、愛にも望にも伝えられなくて。戦中戦後の飢えを体験しておりますでしょ。餓死が恐ろしくて。蚊ですら、痒くしないなら血ぐらい吸わせてあげるのに、ですよ)

(ははは、そりゃ面白い。しかし、あれは吸血する前の麻酔みたいなもので、その麻酔が痒みの元でしてね)

(まぁ、ご隠居さま、そうなんですか)

(痒くて気付かれたら殺されるから)

(ですから愛が申すのですよ。痒いから気付いて殺すわけで、痒くなかったら気付かないから殺さないで済むのに、って。蚊とぐらい共存できるって)

(しかし、蚊も伝染病を媒介しますからね。マラリアや日本脳炎やフィラリアや)

(そうそう、犬にも蚊はいけないそうですね。ニーニャの頃から言われてました。蚊を避けなさいって.今は飲み薬があるそうで)

(蚊も悪さしなければ殺されないのにね)

(蠅も、あれはウイルスや病原体を媒介しますからね、退治した方が良いでしょう)

(そういえば、蠅たたき、ほとんど使わなくなってましたわね。そうそう、昔、蠅とりリボンってございましたわ。あれもとんと見かけなくなって)

(えっ、あれ、無いのですか。どこにでも吊るしてあったのにね)

(そうそう、お店など、リボンに蠅がびっしり付いていて、取り替えればいいのに、ってよく思いました)

(ユリ、それ知りません。蠅なんてあまり気にしてませんでした。どこにでも普通にいたでしょ)

(そう、衛生状態悪かったですね。でも、こうまで蠅も見かけないというのも、先ほどの話ではありませんが、殺虫剤の効果なのでしょうが、アンバランスなものを感じさせられます)

(アンバランスとは釣り合いが悪いということですな)

(いつもながら、ロバートさん、有り難うございます)

(いやぁ、いつもながら、最近の日本人の言葉は、いえ、最近こちらの世にいらっしゃる方のお話には日本語以外の言葉、特に英語が多用されているのに驚いておりましてな。勉強になります)

(うわぁ、ユリ、地下鉄乗るの、初めてです)

(ユリさま、わたくしもですわ)

(僕はあちらの世にいた時に乗ってますから)

(我輩も最近あちこち出歩いておりますからな。しかしながら、この乗り心地はあまり愉快なものではないですな)

(籠の中の犬に乗ってますからね。もしかして、今日の面々の中で最古参のロバートさんは、籠に乗られたことはありますか)

(一度だけ、試しに乗せて頂きましたがな、あれはこれよりましでしたな。よくこのマック君が平気ですな。捕まるところも無いのに。もっとも犬ではつかまり様が無いですかな)

(僕、なんだか酔いそうです、籠酔い、犬酔いでしょうか)

(おっ、みなさま、ほらほら、これがスイカです。パッとタッチして改札を通れる)

(うわぁ便利。いちいち切符を買わなくていいのね。でも立っちって、赤ちゃん言葉。ご隠居さんが使われるとかわいらしいです)

(いえ、立っちじゃなくて、英語の触れる、です。それに、歩いて通りながらですから、座っているわけではありませんから、立っているのと同じですし)

(なぁんだ。でもすごいですねぇ。触って通るだけで)

(昔の改札の鋏の音が懐かしいですわ。あのカチャカチャいつも鳴らしてたのが)

(すごいと思ってました。よく指が腱鞘炎にならないものだと、よく切符をさっとつかんでさっと見られるものだと)

(切符、見るだけなら、秩父鉄道が今でもそうっす)

(切符に鋏は入れないのですか。何回でも使えちゃう)

(じゃないっす。出る時には切符渡すっす)

(まぁ、これが以前ユリさまがおっしゃってらした動く階段ですのね)

(そうそう、カテリーヌさん、これです)

(変なの。おばさん達、エスカレーターが珍しいっすか)

(おばさんですって、まぁ)

(何だか妙なものですね。前の人の尻しか見えません)

(仕方なかろう。犬の目の高さで見る世もおつなもの)

(うわぁ駅。地下に駅なんて、怖くないのかしら)

(汽車じゃないのですね)

(地下で汽車を走らせたら、煙が大変でしょうね)

(おばさん達、電車も乗ったことないっすか)

(そんなことないです。でも汽車の方が多かったかしら)

(地下じゃ真っ暗な中を走るのかしら)

(いえ、ちゃんとライトで照らしますよ)

(ライトとは電灯のことでござる)

(ロバートさまありがとうございます。ただ、そのぉ、下の方からお声が聞こえてくるのには、どうも慣れません)

(まぁ、女駅員さんがいらっしゃるのですか、ユリもなりたい)

(なんか、ユリちゃんって何にでもなりたいのかな)

(虎ちゃん意地悪。だって、ユリの頃は女の子はお稽古のお師匠さんかお嫁さんぐらいにしかなれなかったんですっ)

(ユリさん、もしかして、あの声ですか。あれは録音してあって、まぁ、駅員に女性もいらっしゃるかもしれませんが、あの声は録音なんで、毎回同じものを流すんですよ)

(録音って)

(音や声を貯めておくのですよ、ほら、ユリさんも蓄音機はご存知では)

(あぁ、あの大きな喇叭がついていて、黒くて丸いのがくるくる回るのですね)

(そうそう、あれがもっと進化しましてね)

(世の中変わりましたねぇ。お金みたいに音も貯めておけるのですね)

(その内、命も貯めておけるようになるかなぁ)




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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