第七話 セミテリオから犬にも乗って その四
(なんだか〆〆で湿っぽい、先ほどまでの雨でただでさえ湿っぽいのに)
(あのぉ、さっきからしめ、しめって、×のことだってのはわかるっすけど、しめってなんっすか)
(今の若い者は使わないからね。ほら、大人が封筒の裏、糊を貼って封をした後に×の様な字を書くだろう。封筒を閉めた印)
(ああ、あれっすか。あれ、うん、俺たち使わないっす。へぇ、あれを〆って言うっすか。〆の封筒は別にいらないっすけど、シールの貼ってある可愛い封筒だったら、欲しかったっす)
(シールですか。懐かしいですわ。孫からよくそういう書簡が届きました)
(絵都や、強いるとは何かのっ)
(お父上の頃にはございませんでしたか。ぺたっとくっつく)
(ぺたっとくっつくのは、うむ、秋に野原に行けば裾に色々緑や茶色の実が付いたがのっ、ぺたっとというのは、紙や手拭を濡らせば)
(いえ、切手の大きさで)
(郵便切手のことかのっ、あれは米粒糊で貼るもの)
(いえ、最近の郵便切手には元々糊がついておりますの)
(元々糊がついていたら、どこにでも付きますのっ、どこにでも置いておくわけにはいきませぬのっ)
(いえ、そうではなくて、かわいた糊で、嘗めて貼りますの)
(舌切り雀ではあるまいし、糊を嘗めるのかのっ、我が娘にあるまじき行い)
(いえ、お父上、水を塗ってもよいのですが、ついぺろっと)
(ふむ、便利になったものですのっ、で、何故、武蔵君はその濡らさず貼れる郵便切手ではないものが貼ってある封書が欲しかったのかのっ)
(ラブレターじゃなくても、女の子からだとそういうの来るっしょ)
(かぶれたのかのっ)
(おじいちゃん、折角僕がロバートさんより先に解説しようとしたのに、かぶれたじゃなくて、ラヴレター、恋文ですよ。英語で)
(然様、ヴがブになる日本語式英語ですな)
(恋文。中学生でかのっ)
(まぁ、そういう時代なのですか)
(うっす。携帯でもいいのに、女の子ってそういうの好きっしょ。特にバレンタインなんかだと)
(ばけたいへんとは何かのっ)
(え〜と、今度は僕、解説できません)
(我輩にも判りかねます。手紙ではなく携帯ということは、携帯電話で電話をかけるということなのですな、いや、バレンタインはヴァレンタイン、おっ、判りました)
(父上、私、判りましてよ。克子がね、グランドハイツの中ではご主人様が奥様にチョコレートを買ってきて贈る日だと申してました。こども達は、学校で交換するらしくて、その頃になると売店でもカードがたくさん売れたそうです。年賀状の様なものらしいですわ。克子はオーストラリアからわざわざ、二月の半ばに着く様にとチョコレートを毎年送ってきてましたの)
(かあどとは何かのっ、ねんがじょぉとは何かのっ)
(カードは歌留多状の物で、それを封筒に入れてお送りするのです。年賀状、そういえばお父上お母上の頃にはございませんでしたわね)
(へぇ〜、年賀状、なかったっすか)
(そういえば武蔵さん、年賀状は戦後ですね。当たり前になっておりましたが、あの習慣、戦前はございませんでした。お父上、お母上、年賀状とは、年賀のご挨拶を葉書でいたすことですわ)
(年賀の挨拶を、葉書でですか、絵都、それは直接訪ねられない程遠方に住んでらっしゃる知人が大勢いらっしゃる時代になったということかしら)
(いえ、お近くの方にも書いておりましたわ)
(なんと無精なっ。近くなら訪ねて参ればよいものをのっ)
(年賀状には籤が付いておりまして、それが楽しみで。ですから頂いた方には差し上げませんと)
(年賀状に籤、ほぅ、面白そうですのっ。籤を付けるということは、逓信省が籤を扱うということですかのっ。お上に認められたものなのですのっ)
(年賀状は、お友達など増えて行って、でも、段々減って参りまして、来なくなったら亡くなられたのだろうと。段々遠出もできなくなりますと、年賀状でしかお付き合いが無くなった方が増えて行き、頂く年賀状の枚数が年毎に減って行くのは淋しいものでしたわ。私も、亡くなった年には勿論書けませんでした)
(こちらの世からあちらの世にその年賀状が届いたら、不気味でしょうね)
(驚くっしょ)
(その風習、亜米利加ですとクリスマスカードの交換と似ておりますな)
(年賀状は、うっす。俺たちも小ちゃい頃はダチに書いてたけど。でも、バレンタインのチョコは女子が男子に送るだけっしょ。あああっ、女子同士でも交換してたっけ。ちょっと気持ち悪かったっす)
(確かに武蔵の言う通り、日本では女性が男性にチョコレートを贈る日のようですね)
(ほうっ、本当に、風習は土地や時代によって異なるものなのですな、しかし、St.Valentine’s Dayは我輩がおりました日本にはございませんでしたな。そもそもSt.Valentineは聖人でして)
(はい、仏蘭西でもそのようにお祝いしておりました)
(お前はやっぱり俺のことが好きなんだな。だが勘当したんだ、つべこべ言わずにさっさと出て行け。金輪際戻って来なくてよいからなっ)
(ですから、勘当なんて、こちらの世では意味の無いことでございますわ。どちらにいたしましても、愛と望とマックと一緒にまたその内、私のお顔を拝ませて差し上げますわ)
(お前の顔など見たくない。知らん。勝手にしろ)
(はいはい、勝手にさせていただきます)
(尻尾振ってほいほい出かけるお前には犬がお似合いだな)
(はいはい)
(はいは一度でよい)
「そろそろ帰ろうか」
「どこかで食べて行きたい」
「どこで、銀座か渋谷か」
「だめだわ。今日はマックいるし」
「じゃぁすぐ近くのドッグカフェ行ってみようよ。雨も止んでるし」
「ええっ、あそこの、カフェなんとかねぇ、美味しいかなぁ」
「かふぇじゃるだんわふみゃうよ。ねぇマック、行きたいよねぇ」
<ワン>
(やっぱりちゃんとマック君が見えている方がいいです。傘がワンワン言っているみたいなの気味悪かったです)
(ほんとっす。真っ黒な犬っすね)
<ワン>
(あらっ、武蔵君とユリに返事してくれたみたい)
(へぇ〜、そうっすか)
「やっぱりやめた。家まで我慢するわ。爺の近くにはいたくないもの。早く家に帰りたい。コンビニでお弁当買えばいいし」
(みなさま、よろしかったらご一緒なさりませんか)
(あら夢さま、ありがとうございます。あっ、夢さま、これ、わたくしの娘悦ですの。今里帰りしておりますのよ)
(はじめまして。夢と申します。お母さまにはお世話になっております)
(あら、お世話なんて、何もいたしておりませんわ)
(いえいえ、主人の愚痴を聞かされて御迷惑でございましょう)
(お気になさらないでくださいませ。わたくし共には何も)
(そうでしたらよいのですが。外面はいいですものね、でもお耳に入りますでしょ)
(いえいえ、ぶつぶつぐちぐちは、中身を知ると気が重くなりますしね、聞かないようにしておりますの。ご心配なさらないで。折角お招き頂きましたけれど、娘とも久しぶりに会えましたので、今日のところはご遠慮いたします)
(そうじゃのっ、私達より老いた娘一人置いていくのもなんですしのっ)
(あら、わたくしは絵都とお留守番いたしますわ。だんなさ〜、いってらっしゃいましな)
(いやぁ、私はマサと一緒でなくては)
(あらまぁ)
(あのぉ、ユリ、乗せて頂いてもいいかしら)
(もちろんどうぞ。私と一緒に愛に乗られますか。望やマックにも乗れますのよ)
(えっ、それじゃぁわたくしも。わたくしも愛さまに。あら、重いかしら)
(いえいえ、そんなことございませんわ)
(えっ、俺も行きたいっす)
(いやぁ、武蔵、お前はやめておきなさい。まだ躾がなっていないからご迷惑だ)
(えええっ)
(構いませんのに)
(いえ、足手まといになりますし、遠慮させます、武蔵も今はここで居候の身ですし)
(足手まとい、でも、ユリ達こそ、あちらの世の方々の足手まといじゃないかしら)
(乗っていられるかどうかは、武蔵君次第。それこそ独立自尊、学問のすゝめの世界やもしれませぬ)
(いやぁ、まだ武蔵は慣れてませんし)
(うっす)
(僕、行こうかな)
(ええっ、虎ちゃん来るの、なんかなぁ)
(ユリちゃん、最近ほんと意地悪になってきた)
(だからぁ、虎ちゃんに似て来たの)
(いいよ、僕はマック君に乗るから)
(えっ、犬に乗るの)
(人には添うてみよって言うだろう)
(あれって、馬には乗ってみよ、でしょ。犬と馬じゃ違うじゃない)
(いや、意味は同じ、試してごらんってことだから)
(でも、馬は人に乗られるの慣れてるかもしれないけれど、犬、それもこんなちっちゃな犬に乗るの)
(ユリちゃんもだけど、僕、重くないし、馬、いや、犬が合うかもしれないし)
(ふ〜ん)
(みなさま行ってらっしゃいませ)
(土産話を楽しみにしておりますのっ)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。