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第七話 セミテリオから犬にも乗って その三

(せんのうとは何ですかのっ)

(あっ、脳を洗うって書きます)

(頭を洗うってことかしら)

(洗髪とは違うのでしょうか)

(髪ではなく、頭を洗うのですか)

(頭を洗うと馬鹿になるのかのっ)

(それでユリもみなさんも、髪をあまり洗わなかったのかしら。長い髪を洗うのは水がたくさんいるからだと思ってました)

(いえ、頭を洗うと漢語で書いて、つまり、え〜と、思い込ませるという意味で)

(ほうっ、義男さん、あいがとさげもした)

(いやぁ、新しい日本語だからね。彦衛門さんやマサさんの頃どころか、もしかしたら絵都さんもご存知ない言葉かもしれないだけで)

(はい、私も存じませんでした)

(何を判らないこと言ってるんだ。だからお前は馬鹿なんだ)

(そう、馬鹿でしたわ。あなたに五十年も連れ添って。もっと早く愛の所に行けば私の寿命を全うできたかもしれません)

(何言ってるんだ。 おまえはそうやってすぐにほいほとしっぽを振って出て行く、若い者とどこぞにいって何が楽しいんだ、浅はかな、おまえはいつもそうやって俺の言うことを聞かない、そもそもその態度は何だ、口を閉じていれば、耳を閉じていればいいというのか、耳をよぉくかっぽじって聞くがよい。おい、俺の言うことを聞け、聞いているのか、誰がおまえを養ってやったと思っているんだ、この墓だっておれの父が買ったからお前はここに入れているんじゃないか、なんだその目つきは、殴られたいのか。 医者の俺がいたからお前は長生きできたんだ)

(もうこちらの世では殴れませんでしょ。いえ、お医者様なら、ましてや精神科のお医者さまなら、私の苦しみを判って下さってもよろしかったのに)

(俺は病院だけで疲れていたんだ。家に帰ってきてまでお前の相手などしておられるか)

(釣った魚に餌はやりませんでしたものね)

(何言ってるんだ。餌はやってたろう。子供を三人作って、ちゃんと喰わせて着せて三人とも大学まで行かせた。誰のお陰だと思ってるんだ)

(はいはい、あなたのお陰でしたわ。でも釣った魚に餌だけやっても生き生きとは生きられません)

(何を贅沢な、つべこべ言うんじゃない)

(なんだか、やっぱり小言爺さんなのかしら)

(申し訳ございませんわ。主人がうるさくて)

(いえ、構いませんのよ。でも夢さまたいへんですわね)

(おほほ、ですから私は愛と望とマックとお散歩、いえ、いつも一緒です。もう主人の小言は沢山)

(夢、家の恥を誰に話してるんだ、この馬鹿者が)

(あら、恥だと思ってらっしゃるんですか)

(ああいえばこういう、まったく)

(わたくし、やはり釣ったお魚には餌をあげるのは当然だと思っております)

(カテリーヌさん、釣った魚は餌をやる前に食べますよ)

(えええっ、釣った魚は放すっしょ)

(えっ、武蔵君は釣った魚は食べないの。ユリそんなの信じられないです)

(だって、釣った魚喰ったら可愛そうっしょっ)

(ほう、面白いものですな。所変われば品変わる、時代変われば行動変わる。然し乍ら、釣った魚を放していては釣る意味がない、楽しめませぬな。おぅ、もしや釣りは食糧を得るためではなく、競技ですかな、だとするならば、釣った魚は放しますな)

(あのぉ、わたくしの申しましたのは、釣った魚に餌をあげなければ死んでしまいましょう)

(当然です)

(釣ったお魚、つまり、人の場合なのですが、結婚して、餌、いえ、お食事を差し上げなければ、死んでしまいますもの。ですから、結婚したらお食事を得られる術がなければ困りますわね)

(はい)

(でも、食べ物だけ与えられてもおもしろくないですわね)

(はい。まぁ然様ですわねぇ)

(ですから、釣って餌をあげるだけではだめで、構ってさしあげなければ、つまり、結婚して食事を与えるだけではなく、構うって事が大事なのでは、とわたくし思うのですが)

(そうかっ、放しちゃ結婚できないっすね。結婚したら、構わなきゃならないっすね。やっぱ、結婚って面倒っすね。釣られなきゃ、魚は自分で餌探すっし。餌を探せないようにしたらちゃんと責任取らなきゃってことっすか)

(結婚が面倒なんて、そんな。ユリは結婚したかったです)

(いえ、ユリさま、ユリさまももしご結婚なさって、お食事だけではつまらなかったと思いますの。構って頂きたいと思いませんでしたでしょうか)

(ユリ、結婚してないから判らないです。でも、ご夫妻の間に会話がなかったら、もし食べて寝てこどもつくって死ぬだけだったら、つまらないかもしれません)

(でございましょ。夢さまと偏屈爺様の間にもご夫妻の会話は今でもございますが、夢さまは楽しそうではありませんもの。ということは、その構うというのが、わたくしの国で申すamourなのではないかと)

(アムール、あっ、俺、知ってっす。ロシアの川っしょ)

(あはは、武蔵君、amourは仏蘭西語でして、英語ではloveですな)

(ああ、なんだ、ラブっすか。結婚するならラブは必要っしょ)

(ええっ。ユリわかりません。らぶって何かしら)

(ユリちゃん、ラヴって愛のことだよ)

(虎ちゃんありがとう。流石元高校生)

(武蔵君、私の頃には結ばれるのに愛は必要なかったですのっ)

(えええっ、彦衛門お爺ちゃんの頃には、愛なしで結婚するっすか。あっ判ったっす。見合いっしょ)

(まぁ、そんなような。もしかして、義男さん、見合いはもう無いのかのっ)

(そんなことないですよ。でも、随分減りましたね。彦衛門さんとマサさんは、お見合いでしたか。絵都さんはお見合いとお伺いいたしましたが)

(私達は幼なじみでしてのっ。絵都には見合いさせましたのっ)

(お父上、私のは見合いでしたでしょうか。お父上が早々とお決めになってらしただけで、私、嫁ぐまでお相手を存知ませんでしたし。見合いましたのは婚礼の席。それまでは釣書しか存知ませんでしたもの。あれも見合いでしょうか。再婚の折には、たしかに伯父が間に入ってお見合いでしたわ。碧さんとは何度もお目にかかってから決めましたし)

(昨今の結婚事情は、もしかしたら昔と違っているのかもしれませんね。私の時代には恋愛結婚が増えて来て、学校や職場で出会って、お相手に手紙を書いたり、お付合いして、親に紹介して結婚して、でしたね。息子の頃には、手紙が電話になって、最近は電話は電話でも携帯電話ですしね。それに、少し前までは、付合ってから結婚して、結婚してからえ〜と愛を交わして、こどもが生まれるってのが普通でしたが)

(それはわたくし共も同じでございましたわ。お付合いして式を挙げて、結ばれてこどもが生まれて、当然でございましょ)

(いやぁ、どうも昨今は順が違いまして、どうも、お付合いして結ばれて一緒に住んで、こどもができてから式を挙げる)

(まぁ、式も挙げない内から一緒に住まわれるのですか、まぁ)

(昔もそういう方いらっしゃいました。ユリの尋常小学校のお友達、ご近所の方、式なんて面倒くさいもの挙げてませんでした。式は、お金が無いとできないでしょ。ユリの両親はきちんと式を挙げるのが当たり前と思ってましたけれど、ちょっと貧しい方々でしたら、お稲荷さんの前でご挨拶するくらいってのもたくさん。神主さんをお願いすればましな方だったかもしれません。ユリはね、親戚の方と神社で、その後お家でお食事って思ってました。でも、ユリそのずっと前にお相手もまだ決まってません内にこちらの世界に参りましたから、残念です)

(うん、僕の頃もそういうのありましたね。でも、一緒に住んでこどもができると逃げる男がいたでしょ)

(そうそう、そうでした。式は挙げなくてもいいけれど、籍は入れなさいって言われているお友達がいました。そうしないとこどもが出来た途端に逃げる男がいるって)

(籍、戸籍のことですのっ。昔は人別帳でしたのっ。お寺別で)

(お寺と言えば、江戸、いえ東京に参りまして、親鸞聖人のお寺が多いので驚きましたわ)

(そうでしたのっ)

(浄土真宗はどうして薩摩では御法度だったのでしょうね)

(さあなっ)

(御法度ってなんっすか)

(禁止ということだよ、武蔵)

(禁止って、キリシタンみたいのっすか。へぇ〜。キリスト教だけじゃなかったんだ)

(まぁそうでしたの。わたくしも初めて知りましたわ。浄土真宗のお寺って、築地の大きいお寺が然様でございましょ。まぁ、あそこも禁止されていたのですか)

(いえ、カテリーヌさま、薩摩では禁止されておりましたが、江戸、いえ東京では禁止されておりませんでしたのよ)

(仏教でも禁止されてたなど、不思議でございますわ。築地のお寺や浅草や芝や上野や、お寺はみな大きくて。カトリックの教会は市ヶ谷と神田の小さくて)

(いいかげんにしろ、うるさい、出てけ)

(はいはい出て参ります。折角命日ですから参りましたのに、雨も止みましたしではまたその内)

(はいは一度でよい、いいかげんにしろっ、もう来なくてよい、勘当だ)

(まぁ、勘当ですって)

(かんどうってなんっすか。何かいいことあったっすか)

(武蔵の言うかんどうは嬉しくて感情が動く方だろう。一徹爺さのかんどうは、席を抜くというか、縁を切るというような、もう関係無いというような)

(バツイチのことっすか)

(ばついちってなんでしょう)

(ええっ、バツイチしらないっすか、離婚したってことっす)

(まぁ、離縁のことを今ではバツイチと言うのですか)

(英語ですかな。我輩の知らない英語がまた増えたようですな)

(ロバートおじさん、英語じゃないっす、日本語っす、×が一つってことっす。二度離婚するとバツニ、三回だとバツサンって感じっす)

(ばつとは罪と罰の罰ですかな)

(じゃなくて、○×の×っす)

(おぅ、エックスみたいな記号のことでありますな。しかしながら、なぜ離婚が×なのですかな)

(わたくし、判ったような気がいたします)

(ほう、マサがかの)

(ほら、例の人別帳、いえ、戸籍に、結婚して娘が戸籍から抜かれると、娘の名前の上に〆の字を大きく書かれますから。だんなさ〜がこちらの世にいらして、温に家督相続なさった時にもだんなさ〜のお名前の上に大きく〆を書かれましたの。だんなさ〜の人生が〆られたようで辛くてね。で、絵都、いえまだ悦でしたが、長州に嫁いだ後、悦の名前の上に〆が書かれまして、で悦が兄の所におりました折には一度悦の名前が戻されて、悦が碧さんと結ばれた後はまた悦の名前の上に〆が書かれました。他家に嫁ぐと、前の家からは〆出されたことになるのでしょうね、これも辛いものでした)

(ああっ、あれって×じゃなくて〆だったんですね、なぁるほど)

(じゃぁ、本当はバツイチじゃなくてシメイチって言わなきゃいけないっすか)

(私はバツ二、いえシメ二なのですわね、いえ、シメサンなのかしら)

(えええっ、絵都、碧さん亡き後、また結婚したのかのっ、そんな話しは聞いていないのっ)

(うわぁ、絵都おばあちゃん、バツサンなんっすか)

(いえ、二度嫁いで、一度死にましたから、〆は三回書かれたわけですから)

(ってことは、結婚しなくても、皆一度は死ぬからみんな〆一)

(そっか、俺もバツイチってことっすか、変なの、結婚したこと無いのに)

(わたくしは戸籍ございませんでしたもの)

(然様ですな、我輩にも戸籍はなかったですからな。然し乍ら、息をしなくなると〆るとは、意気な計らい、いやぁ、そりゃぁ、息をしなくなっちゃぁお〆いよぉ、〆は終い)

(ロバートさん、なんだか変です)

(へぇ〜、外国には戸籍ってないっすか)

(戸籍で〆を書かれる、これでお前の人生終わりと告げられるわけですかのっ、ちと辛いものがありますな)

(もしかしたら、それで〆が×になって、バツと呼ぶ様になったのでしょうか)

(おっ、虎之介殿、何か気付かれましたかのっ)

(いえ、戸籍に〆が書かれると、バツが悪い。バツが悪いのバツは場の都合という意味で×という記号ではなかったのですが、しかし、バツが悪いと感じる、それにバツは悪いと感じる。ゆえにバツを×と表す、いかがでしょうか)

(うわぁ、虎ちゃんすごぉい、流石学生さん)

(おっ、ユリちゃんに褒められた。滅多にないこと)

(なぁるほど、たしかに、〆は×ににていますね。〆を書かれたらバツが悪い、こりゃいい。こちらの世でもあちらの世の疑問が解決されるものなんですね)

(まるは)

(うむ。もしかしたら、了承の意味で印鑑を捺していたからというのはいかがかのっ。判子の丸い縁の形。それに丸は輪、輪は和に通じるのっ)



お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

Xバツの語源は〆しめ、セミテリオの仲間たちの解釈、如何でしょうか。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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