第七話 セミテリオから犬にも乗って その二
(草葉の陰で福沢翁もさぞかし大笑いしていることだろうのっ)
(苦笑いかもしれませんわ。ご自分が昔話を書かれたと思われてらしたなんて)
(でも、勉強する雀のお話しって、ちょっとユリ、読んでみたいかも。武蔵君、どんなお話だと思ってたのかしら)
(えっ、昔の、畳に座って、雪灯りで一生懸命本を読んで勉強してる雀の絵があって、んで、黒板の前に雀の先生がいてっての)
(武蔵、正しくは、一生ではなく一所だよ)
(お爺ちゃん、中学の国語の先生が言ってたっす。今は一生懸命でいいんだって、いいことになってんだって。だって、一つの所を守るのに懸命よりも、一生、ずっと懸命な方がいいっしょ。俺の一生は短かったし懸命でなんてなかったっすけど)
(時代が変わると漢字も意味も変わるものなのですな)
(武蔵さんの学問の雀の昔話、蛍の光と雀の学校が一緒になった様ですわね ♪蛍の光窓の雪、文読む月日重ねつつ♪)
(おっ、マサが歌う歌、珍しく私が知っておりますのっ。蛍雪の功、晋書の車胤と孫康の話ですのっ)
(その節はスコットランドのものでござるな)
(あら、そうでしたの。ユリ、日本のだと思ってました)
(朝鮮人も歌ってましたね)
(そうそう、朝鮮語のですわね。私も聞いたことありますよ。いつもお別れの歌を歌うんだなって思ってました)
(いやぁ、戦中は朝鮮語で歌うのは禁止されてましたよ、あっ、僕の言う戦中は支那事変ですが)
(もう一つは、♪ちいちいぱっぱちいぱっぱ、雀の学校の先生は♪)
(その歌、マサは前にも歌ってましたのっ。だが、そちらは知らぬのっ)
(だんなさ〜、もう一つ思い出しました。これは、だんなさ〜もご存知ではないでしょうか。♪起きよ起きよ寝ぐらの雀〜遊べよ雀、歌えよ雀♪)
(マサお婆ちゃん、それって、雀じゃなくてちょうちょの歌っす)
(あら、武蔵さんは知らないですか。一番目はてふてふ、でも二番目か三番目は雀ですのよ)
(そうですのっ。私もその歌は知ってますのっ。絵都が歌っておりましたのっ)
(ええ、尋常小学校で教わりました。私も雀の、一つ思い出しました。我と来て遊べや親の無い雀)
(絵都お婆ちゃん、それって、歌ってより短歌か俳句っす)
(五七五の俳句ですよ。一茶の。俳句も歌ですのよ。あら、私、今日は口を閉じていようと思っておりましたのに)
(まぁどうして)
(先日お話致し過ぎましたもの。もの言えば唇寒し秋の風ですわ)
(それも俳句っすか)
(はい、芭蕉の)
(ふ〜ん)
(あらごめんなさい。やはり、唇寒しみたいですわ)
(武蔵が行儀悪くて、すみません)
(いえ、あちらのセミテリオではみなさま寡黙でしたから、こちらでつい調子に乗ってしまいました)
(いえいえ、そんな、こちらのみなさま、おしゃべりとお散歩ぐらいで永遠の時を永らえておりますのよ)
(そうですよ。お話してくださる方がいらっしゃらなきゃ、ユリ、退屈しちゃいます)
(一茶だの芭蕉だの懐かしいですのっ)
(ねぇねぇ、雀は、遊んだり歌ったり、学校もあるんだから、雀が勉強する昔話があったっていいっしょ。けど、その福沢って人、古い人っしょ。明治のなんて古いからどうでもいいっす)
(福沢翁は、私と同じ年配だと思いますがのっ)
(つまり明治より前の生まれのわたくしどもも古いってことですわねぇ。あら、武蔵君、だんなさ〜やわたくしのお話もどうでもいいかしら)
(そんなことないっす。もういいっす。なんか、みんなにいじめられているみたいっす。もういいっす。んで、日本の紫陽花ってどんなっすか)
(武蔵君、本当に見たことないのですかな。いやぁ、知るは一時の恥、知らぬは一生の恥、いや、もう死んだ我らには恥もなかろうが、知りたいということはいいことでございますからな。それこそ学問の勧めですな。しかも好奇心を持てばこちらで永らえられる。あそこに見えるのとは違って、もっと木の背が高くて、花、いや、あれは厳密には花ではなく額だそうですが、額は学問の学ではないですよ、武蔵君。その額、花に見える部分が大きくて、丸というより平らな円で色も淡く如何にも日本の色でして)
(ふ〜ん、やっぱ古い花っすか)
(ふむ。まぁ、古の日本の美でしょうな)
(ふ〜ん)
(こう雨が降っては、烏も飛ばなきゃ、我らもどこにも参れませぬな)
(えっ、そうっすか。雨だとだめっすか)
(どうもね。雨だと流される)
(邪気は流され易いようですが、僕たちの中に邪気はいますか)
(ユリ、邪気なつもり無いです。無邪気です)
(ユリちゃん、自分で無邪気って、いい年して)
(虎ちゃん、また意地悪)
(だって、いい年でしょ、僕だって。この中でいい年じゃないのは武蔵君ぐらい)
(あら、お忘れにならないでくださいな。わたくしの所のロビンを)
(おっとすみませんでした、カテリーヌさん。ロビンちゃんこそ、無邪気そのもの)
(然様ですのっ。赤子が無邪気でなければこの世、いや、あちらの世は救われぬ)
(まだ世の辛さも毒気も知らぬ無邪気な赤子に、私達、いや、あちらの世で、大人はどれほど救われたことか)
(然様ですわね。だんなさ〜も、赤子が生まれる度に優しそうなお顔になられてました)
(私は今でも充分優しいですのっ)
(ほんに。わたくし、いつもおそばにいられるマサさまが羨ましいですわ)
(ほんと。ユリも彦衛門さまみたいな方に巡り会いたかったです。虎ちゃんみたいな意地悪じゃなくて)
(そういうことを言うユリちゃんも、最近意地悪になったみたいだよ)
(虎ちゃんのが伝染ったんです)
(まぁまぁ)
(うわっ、傘が歩いて来ます。あら、でもあの傘、柄の向きが逆。それにあんな小ちゃい傘、小人さんがいるのかしら)
(おはようございます。あら、もうこんにちはかしら)
「ワン」
(うわっ、傘が吠えました)
(ユリちゃん、傘の下に犬がいるんだよ)
(うわっ、あらこの犬、前会ったことあります)
(ユリさん、私、夢ですよ)
(まぁ、夢さま、お久しぶり。ご帰宅ですか)
(いえ、ちょっと用足しに。今日は日が日なものですから一応)
(まぁ、雨の日に)
(あら、傘の下ですもの。濡れませんわ)
「なんで雨の日にわざわざ」
「だって今日一応爺の命日だしねぇ、それに平日なら民男に会わないですむし」
「わかんないじゃん。叔父ちゃん、都内の会社でしょ」
「あの子がわざわざ会社の昼休みに来るとも思わないし。うっ、妖怪お婆々忘れてた。あっ、でもあそこの兄弟仲悪いし来ないわよね」
「あれだけ揃いも揃って口悪けりゃね。でもさぁ、死人に恨まれたくないから命日ぐらいお墓参りくるかも」
「さっさと帰らなくちゃ」
「兄弟は他人の始まりか。私は結婚したら二人は産む。一人っ子じゃ可哀想」
「あら可哀想だったの。もう一人欲しいってきいたら、いらないって言ったくせに」
「あれは、小さかったじゃない。それに周りで弟や妹できた人がみんなつまらないって言ってたし。大体、こどもをもう一人作るかどうかをこどもにきいてどうするのよ」
「あら、望だけにじゃないわよ。両方のお婆ちゃんにもきいたわよ。そしたら二人とも、もう孫はいらない、だったし。健も次も女の子ならいいけどだったしね。ほんとはもう一人いたっていいと思っていたのは私だけだったんだもん」
(お前はまたほっつきあるいて。何日だと思っているんだ)
(うわっ、久しぶりに聞こえました。え〜と、なんでしたっけ。偏屈じゃなくて、頑固じゃなくて、小言幸兵衛じゃなくて、え〜と)
(一徹爺さんってお呼びすることにしたんじゃなかったっけ)
(そうそう、虎ちゃんありがとう)
(然様でしたわね。一徹爺さんはお出かけお好きでないのでしたわね)
(まぁ、主人にそんなお名前頂いてたのですか。おほほ。たしかに一徹。いえ、偏屈ですし頑固ですし、小言だらけですし、どれでもよろしかったのに)
(夢、お前はなんということを。みっともない。お前はそもそも俺を置いてすぐ出かける。俺を何だと思ってるんだね)
(あちらの世で五十年以上連れ添わして頂きましたわ)
(俺がいたからお前は生きていられたんだろうが)
(そうかもしれませんわねぇ。でももうこれ以上死ぬこともないですし、あなたがいなくても平気)
(よくも屁理屈をこねおって。お前はこの家の人間じゃないか)
(もう家など関係ございません。もう私の好きなように生きます、いえ行かせて頂きます)
(なんだ、俺に向かって。だからお前は馬鹿なんだ)
(あなたが馬鹿だ馬鹿だと私のことをおっしゃってたから、私、自分が馬鹿なんだと、長年洗脳されてました。でも、気付きました。馬鹿でなかった私に馬鹿だ馬鹿だと日々おっしゃって、私を馬鹿だと思わせたあなたこそ馬鹿なんだって)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。