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第六話 セミテリオに里帰り その二十二 最終回

(光さん、聡子さん、朝子さん、あら、克子さまは)

(克子はもっと遠い所に参りました)

(もっと遠いとは、こちらでござるか)

(いえ、こちら程遠くない、あら、でもこちらも近いですわねぇ)

(こちらでもなく、京都や四国よりも遠い所ですか)

(はい、シドニーから車で二時間程かかる町に)

(しどにぃとは)

(オーストラリアですね。ということは、ピーターさんと)

(はい。ミシンを運んで下さった時が初めての出会いだったそうですが。往復の長い道のりで気心知れたのかもしれませんわね。でも、釈然といたしませんでした。戦中、あれ程、鬼畜米英などと申しておりましたのにね。恋は盲目。そんな遠くに行かないでと申せば、お母ちゃまだって満州にいらっしゃったでしょ。満州はあの当時日本でしたよ。でも海を渡られたでしょ。言葉も違うのに。もうハイツで困らないくらい英語で通じてますわ。気候も違うでしょう。満州だってここより寒かったでしょ。白人との間の子ではこどもが可哀想ですわ。愛があれば大丈夫。それに間の子は可愛く賢く生まれるそうですよ。どんな暮らしになるか、生活はできるのかわからないじゃないですか。今の日本のどん底生活よりましよ。鬼畜米英って言ってたのはどなた。お母ちゃま、オーストラリアはアメリカでもイギリスでもないですよ。どんなに反対してもだめでした。反対すればする程、もしかしたら熱を上げたのかもしれません。ピーターさんも何度も鎌ヶ谷までいらして、ママサンダイジョーブ。カツコサンシアワセニシマスでした。朝子の作ったウェディングドレス、あっ、西洋風の婚礼衣装ですよ、お父上お母上、それを着て、写真館で写真を撮って、ピーターさんと克子の同僚も集まって、ダンスホール、え〜と西洋風の踊りの場所です。そこで披露宴みたいなのをして、克子は皆さんの前で口づけいたしましたのよ。皆さんははやし立ててましたが、私と朝子はもうどこを見ていいのやら、下向いておりました)

(へぇっ、口づけってキスのことっしょ。結婚式みたいな所だったら、キスぐらい構わないっす)

(えええっ、ユリも下向いちゃいます)

(へぇっ。じゃあ、テレビドラマなんて見れないっすか)

(武蔵、昔はそういう時代だったんだよ。今みたいに人前で、電車の中でも平気で男女がいちゃついたりするなど、昔はあり得なかった)

(まぁ、今は電車の中で、公衆の面前でですか、まぁ)

(ほんの数年前までは人前で男女が手をつなぐことすら無かったのに、少し前まではお琴をたしなむ大和撫子だった克子が皆さんの前で口付けでしょ。私も朝子も逃げ出したかったですわ。まぁ、そんなこんなで克子はオーストラリアに嫁ぎました。船ではなく、プロペラの飛行機で参りましたのよ。最初の頃は毎週、私がこちらに参る前頃でも月に一度は便りをくれました。航空便用の紙は薄くてね、小さい字で書いてくるので読むのも大変でしたが、書くのも、書き辛くて、終いには慣れましてね、薄い紙でなくとも、裏表書けば同じ量書けると気付きました。航空書簡は書くのも受け取るのも慣れませんでした。書くのには量が少なく、受け取ると、どこを切ればよいかわからなくて、よくばらばらにしておりましたわ。おほほ、思い出してしまいました。初めて航空書簡を受け取りました時に、克子は何を慌てているのかしら封筒だけで中身がないなんて。でも気付きましたのよ。封筒に字が書いてありますの。ばらばらにしてつなげて並べて読みました)

(そのぉ、絵都、航空なんとかというのは、手紙が飛行機に乗って届くというものかのっ)

(はい、然様でございます)

(ほうっ、手紙が飛行機にのっ、隔世の感ありですのっ。私の頃には手紙は下男や書生に届けさせたものだった)

(私の頃には、船で届きましてよ。仏蘭西から日本まで)

(いや、私の頃にも、明治になってからは人が持ってきましたのっ。人が、次には馬で、それから汽車に乗って。で、飛行機で届くというのは、飛行機が空から絵都のいる場所を探して落とすのかのっ)

(お父上、まさか。そんなことしておりましたら、空中が飛行機だらけになってしまいますわ。それに、風で飛ばされて、下で受け取る者はうろうろおろおろ)

(おっ、私、思い出しましたよ。戦争末期、敵機がビラを撒きましてね。拾ったらすぐに届けよと。戦後もよく飛行機からビラを撒いてましたね。どこそこの店の開店大売り出しなどと)

(へぇ、そんな時代があったっすか)

(で、飛行機はどうやって絵都に手紙を届けるのかのっ)

(お父上の頃と同じですわ。郵便配達人が届けて下さるんです)

(おっ、飛行機から郵便配達人が飛び降りるのかのっ。それは恐ろしい)

(恐ろしくないですわ。♪見よ落下傘、空に降り、見よ落下傘、空をゆく♪ あっ、でも、落下傘は使いませんのよ。飛行機が飛行場についてから郵便局に、郵便局からは郵便配達人が届けて下さるんです)

(なんだ)

(その唄、懐かしいですね。僕がこちらの世に来るほんの少し前の映画の唄ですね。藍より蒼き、とか真白き薔薇が花開くでしたね。僕にはどうも吐血の印象があるのですが)

(きれいな唄ですわね。節も素敵。虎之介殿がこちらにいらっしゃる少し前で、でも私はその唄、存じませんわ)

(然様でございましょ。私、後になって、やはり戦争は酷いもんだと思いましたのよ。それでも、この歌は美しいと思っておりました。美しいから恐ろしいのかもしれませんわね。戦争の酷さを感じられませんもの。一番は美しくて、そこに惹かれて私も歌い始めましたの。女なら、乙女なら惹かれる歌詞ですわ。でも、二番、三番四番と歌詞が進むにつれて、恐ろしくて残酷で。悲壮。純白の落下傘に赤い血をとか、肉弾粉と砕くとか、撃ちてしやまぬとか。一番だけでしたら、今でも私、好きですのよ。克子は四番まで勇ましく歌っておりましたのに、心変わりして。今頃、克子はどこにどう漂っているのかしら)

(どこかでその内、会えるかもしれませんわね)

(難しいのかもしれません。風の便りでは、克子の遺骨と遺灰は海に流したそうですもの。魂は風に乗って来るのでしょうか。それとも海の水の中でしょうか)

(海の水は蒸発して雲になり雨になって地面に降り注ぐ、ということになってますよ)

(虎之介さん、ありがとうございます。これからは雨が降る度に、克子がいるかもしれないと思えますわね)

(うわぁ、そうっすねぇ。空気にも雨にもいられるっすね、なんか面白い)

(克子が嫁いだ頃は、白豪主義とやらで、差別がひどかったそうですよ。お母ちゃま、朝鮮人は怖いとかあそこは通っちゃいけませんとかおっしゃってらしたでしょ。今、それより酷い目に遭ってます。ピーターさんと一緒に歩いていても、顔を背けられたり、一人でお店に行くと売ってくれなかったり、言葉も大丈夫だと思ってたのに、英語は英語でも発音の仕方が違って、お相手のおっしゃってることがわからなかったり、話しても通じなかったりやらで、最初は辛かったようです。ほらごらんなさい、とも、もう申せませんでしたしね。その内こどもも二人、女の子と男の子と生まれて、私には間の子の孫ができました。お母ちゃまオーストラリアに遊びにいらっしゃいと何度か言われましたが、船ならまだしも飛行機は怖くてね。里帰りは三度、最初の二度はホームまで子供を連れて来てくれましたのよ。可愛くてねぇ。ジェニファーちゃんとマーカス君。髪の色が茶色っぽくて、目の色も黒より茶色なくらいで、真っ白な肌の色を除けば、日本人とあまりかわらない子供達。あちらでは日本人と言われ、日本でも日本語話せませんから変な顔されて、やっぱり間の子は可哀想だと思いましたわ)

(絵都や、そのぜに何とかとまー何とかは、このセミテリオに来たことはあるのかのっ、覚えていないのだがのっ)

(お父上お母上、克子はいつもホームにも突然来てました。前もって来日のお手紙は頂いてましたが、予定は未定の子で。慌ただしく来て、もっとゆっくりして行けばと申しても、いえ、お母ちゃま、都内のお友達にも会いたいし、この子達も少しは観光させたいし、それに、ほら、朝子のとこの従姉妹達にも会わせたいですし忙しいのよ。この子達、ここにいても、お母ちゃまとお話できませんしね、でした。お墓参りなど、ましてやひいおじいちゃんひいおばあちゃんのお墓までは気が廻らなかったのでしょうね)

(残念ですわ。わたくしの曾孫達ですのに。会いたかったですわ。あら、その曾孫達が綾子と同じくらいということは、もしかしたらもう曾曾孫もあちらの世にはいるのかしら。会ってみたいですわ)

(マサさま、羨ましいです。マサさまは、曾孫の綾子さんや綾子さんのお嬢さん摩奈さんに会えましたでしょ。私など、自分の息子ですら一人は英吉利ですもの。孫にすら会えてませんわ)

(あらぁ、ユリなんて、自分の子すらいないのに)

(僕だってそうですよ)

(我輩もですな)

(ええと、俺もっす。けど、そんなに子や孫や曾孫やひいひい孫に会いたいものっすか)

(そりゃそうですのっ。自分の血が流れた者がどのような容貌なのか、元気でおるのか、知りたいものですのっ)

(孫は子より可愛いと、世間では申しますものね)

(だのっ。孫が子より可愛いならば、曾孫は孫よりもっと可愛いだろうしのっ)

(んじゃぁ、お爺ちゃん、僕って可愛いんだ)

(そうだね。可愛い)

(ふ〜ん)

(しかしですのっ、マサ、曾孫や曾曾孫に会ったところで話はできまい。こちらの世とあちらの世では話しができないのは当然だが、会ったとしても、曾孫達ですら日本語は話せなかったのだのっ、何かを話してくれても意味が分かりませぬのっ)

(我輩でよければ通訳いたしますが)

(おっ、その内、オーストラリアに渡る者をうまく見つけられましたら、ロバート殿、是非オーストラリアまでご一緒下され)

(あはは、そんなに容易く見つかるとも思いませぬが)

(だんなさ〜、あの超特急ですら振り落とされそうでしたのに、飛行機なんて、わたくし恐ろしくて)

(それじゃぁ、マサは留守番すればよいのっ)

(あらぁ、だんなさ〜、そんな)

(仲のよろしいことで)

(お父上お母上、私は、御両親様のそういうお言葉ですら気恥ずかしいですわ。克子は祖父母に似たのかしら。あっ、それで、ピーターさんが退役してからはご両親の牧場をお手伝いされて。そうそう、克子は車の運転もできるようになり、馬にも乗るようになり、そんな写真も送ってくれてました。カリエスで体の弱かった子がねぇ。人生なんて判らないものですわね。お父上お母上にお嬢様に育てられた私は再婚し、先立たれ、家を焼け出され、満鉄の株はぱぁになり、預金封鎖はされ、つれて来た嫁には追い出されたも同然。殆ど父の顔も知らずに育った克子は、療養生活をし、お琴で芸大に入りかけ、ハイツで仕事をし、朝子のミシンが縁で出会ったピーターさんと一緒にオーストラリアまで行き、馬にまで乗るなんて。あの青白かった子が、真っ黒に日焼けして。そうそう、お琴はね、昔取った杵柄で、あちらで教えていたそうですよ)

(人生先は見えませんからな。我輩とて、日本に骨を埋めたいとは望んでおりましたが、あんなに早く、殺されてとは夢にも思っておりませんでしたしな)

(俺だって、あれで死んじゃうなんて思ってなかったっす)

(武蔵君はどうしてこちらの世にいらしたの)

(ええっ、まだ恥ずかしくて言えないっす)

(恥ずかしいことなんですか)

(俺的には)

「あったぁ やったぁ うぉ〜 わぁ〜 やっとあったぁあああ」

「くわっくわっくわっあああ」

「くわっくわっくわっあああ」

(烏さんが警戒してますわ)

(そりゃそうだ、あの大声)

(先ほど、この辺りをうろうろなさってらした方ですわね)

(やっとご自分のお家のお墓が見つかったのだろうのっ)

(結構お年齢を召されてらっしゃった)

(なのにあの声は、それこそ恥ずかしい)

(何やら臭いますわ)

(あの風体ですからね)

(でも、終戦の頃は、あの臭い、あの風体でもましな方でしたわ)

(まぁ、きれい好きの日本人が、あんなになってたのですか)

(うわぁ、ユリ、嫌)

(ユリちゃん、僕らも、まぁあんなだった、かも)

(そうでしたわ。だから、ユリ、高校生って苦手でした)

(日も暮れて参りましたし、そろそろ)

(ごゆるりとお休みくださいませ)

(お久しぶりにご両親さまのところでお甘えになってくださいな)

(そうそう、三界に家はなくとも、こちらの世では、あちらとこちらとお墓は二つありますね)

(ありがとうございます。みなさまにお話できて、長年の胸のつかえが取れた様に感じております。また、みなさまとお話できて若返ったようでございます。今日のところは、ごきげんよう)


第六話 終わり


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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