第六話 セミテリオに里帰り その二十一
(うっす)
(はいそうです、とは言えないものかね)
(うっ、はい。んで、そのダチ、えっと友達、お爺ちゃん、俺、いや僕のいつもの言葉じゃないと話しが続けれないっす)
(続けられない、だろう。う〜ん、困ったもんだ)
(いいんですよ、武蔵さん、いつもの調子でどうぞ)
(そうそう、義男さんも、あまり気になさらないで)
(ほらね、お爺ちゃん、じゃぁ、続けるっす)
(んで、俺のダチ、その車の人、えっと、車を運転していた人の車に自転車も乗せられて、病院行って、一応頭も、レントゲンだか何だかで見てもらってから、その人が一万円以上払って、次に自転車屋さんに連れてかれて、どれでもいいって言われて新しいの買ってもらって、あと三万円もらって、誰にも言わないでくれって言われて、家に帰ったら新しいマウンテンバイクだから母ちゃんが驚いて、んで、母ちゃんには話したらしいんだけど。だから、車にひかれたら金貰って得したって。母ちゃんは怒っていたらしいっす。警察に届けなきゃいけないのにって)
(そうそう、時折届けがありましたのっ。馬車鉄道に轢かれてというのが)
(馬車鉄道の前では人払いしてましたのにねっ)
(危ないからっすか。それとも生なんとか事件の時みたいに大名は偉いからっすか)
(危ないからですのっ。汽車や馬車は偉くはなかろうのっ)
(けど、絵都おばあちゃんの話しの兵隊は偉かったっしょ)
(偉いでも危ないでも、ユリは汽車や馬車や自動車にぶつかられたくないです)
(ところで、マウンテンとは山という意味ですな、バイクとはなんでござろう)
(やだなぁ、おじさん英語の人っしょっ。バイクってバイクっす。英語っす、自転車のことっすよ)
(自転車はbicycle、バイシクゥですな、おっ、また日本語流の短くしたものですな、なるほど)
(んなことないっす。だって英語の教科書にもバイクって書いてあったっす。え〜と、bikeっす)
(ほうっ、英語も短くするようになったのですな、ほうっ、我輩ももう古い人間なのですな。で、山の自転車ということは、登山もできる自転車ですかな)
(ひょえっ、登山じゃないっす。あっ、でも、山みたいなってか、でこぼこした所でもへいちゃらっす)
(武蔵君の住んでた辺りは山なのかのっ。山はいいですのっ。空気がきれいで、鳥がたくさんおって、花も咲いて、温泉もある。あぁ、宮之城が懐かしいですのっ)
(えええっ、温泉なんてないし、鳥は、鳩と烏と雀ぐらい、花も桜とあとは何が咲くかなぁ、菊と藤ぐらいっす。空気なんてちっともきれいじゃないし。あっ、山なんてないっすよ。遠くに見えることもあるっすけど、俺の住んでたとこ、関東平野のへそって言うか、真っ平らっす。坂もないっす)
(鷺も鳶もいないのかのっ、私の頃には江戸、いや東京にも鷺も鳶もおったのっ、マサ)
(宮之城でしたら、鶴も時折)
(あっ、鷺、小さいのいまっす。時々だけど)
(小さいのかのっ、大きいのはいないのかのっ)
(大きいのって)
(このくらいの)
(そんなに大きいのはいないっす、このくらいのだけっす)
(山も無ければ、登山用自転車は不要でござろう)
(だって、かっこいいっす)
(格好ですか)
(うっす)
(ふむ)
(後ほど克子が似たようなことを申したんですよ。ピーターさんはお金を払っただけましだって。何でも、克子の仕事仲間の日本人の方は、進駐軍のお仲間とご一緒に何台もの車で海水浴に行った折、やはり日本人の足をひいたらしくて、その時には車の中でいいよ、いいよ、行っちゃおうって、げらげら笑っていたそうです。お酒も入っていたらしいのですが、あんなの構わないって。生きてるから文句言えるんだし、って。そのお友達は、車の後ろの窓から、日本人が怒っているのを見て、申し訳なくて辛かったそうですよ)
(兵隊さんには何でもありなのかしら)
(占領軍はやはり日本人より偉かったのだのっ)
(危ないから人は除ける。除けられていい気になる、すると偉くなった気になるのでしょうか)
(うむ、いや、たぶん、一人ではないと気が大きくなるのと、まぁ、若さ故の無謀なのですな。ほら、日本語で若気の至りと申す)
(僕も、わからないでもないですね。寮生活など、そんなことの連続のような。僕は肺病で早々に引き上げましたが、ひどいもんでした。いえ、まぁ、それが生きていた証のような、ひどいけれど楽しい思い出ですね)
(なるほど、あの学生運動の時には学生と機動隊に分かれていた連中が、中年過ぎて、あの頃は楽しかったなどと話しているのと相通じる所がありますね)
(まったく、殿方はわかりませんわ)
(それでしたら、最初から戦わなければよろしいのに)
(いやぁ、そこがね)
(でも、喧嘩はなさらない方がよろしいですわ)
(人と人でしたらともかくも、国と国ですと、死にたくない、戦いたくない方々には迷惑ですわ)
(然様ですわねぇ。私も、あの頃は...国をあげての戦いでしたでしょ。やれ中国が悪い、やれ朝鮮が賢くないから、やれ台湾は指導してやらねば、やれ口を出す欧米、でしたものね。偉い方々がそうおっしゃるならばそれが正しいのでしょうと、国を護らねば女子供が生き延びられない、大義が、正論が、東亜が、帝国が、皇国がでしたもの。若い生命が戦地で、戦争に行かなくとも空襲で、原爆で女子供もたくさん死にました。あの頃は、殿方の戦好きにつられて、私も戦好きに慣らされてたのでしょうか。議論を交わすのが賢い、馬鹿ならば黙って従え、女子供は黙って男の言うことをきいていればいいんだ、そんなでしたものね)
(そうそう。ユリもそう育てられました。女の子は、お茶にお華、嫁いで子を成し、子を育て、夫をたてて。家の外のことは男に任せておけばいいって)
(わたくしもですのよ。ですから、それじゃぁ女の子はお勉強しなくてもいいのかしら、と一緒にお住まいになってらした先生に申し上げたことございますの。そしたら、教養を身につけ作法を身につけ、立派な殿方と結ばれ、賢いお子を生み、女の子なら女の子らしく、男の子なら男の子らしく育てられるようなマダムになる為に、お勉強は必要不可欠なのです、とおっしゃられて)
(俺、その、何々らしくって嫌いっす。小学生の時には小学生らしく、五年や六年になると上級生らしく、中学校に入れば中学生らしくとか言われたっす)
(武士は武士らしくといわれましたのっ)
(武蔵君、いい所に気付きましたな。我輩、その日本語、興味深く観察いたしたことがございましてな。我輩は亜米利加人だが、亜米利加人らしからぬ振る舞いと屢々言われましてな、では亜米利加人らしい振る舞いとはなんぞや。どうも、日本語を話せず、日本のことを知らずでなければいけないようでしたな)
(らしく、とは、社会が期待するあるべき姿なのでしょうね)
(曖昧ですわね。わたくし、異人らしかったとは思っておりますが、でも、異人である以前にわたくしでしたのよ)
(僕、思うのですが、らしくない存在ですと、周囲が判断に困るからというのもあるのでしょうか。らしくあれば、まとまった存在、分類しやすい、統率しやすい。個人の人格、個人の幸福よりも、集団としての一体化、集団の理念を個々にあてはめ、同じでなければならない、一律でなければならないという発想)
(お兄ちゃん、難しいっす)
(うむ。武蔵君、つまり、中学生になっても小学生みたいだったり、あるいは学生ではない振る舞いをすると、武蔵君を中学生としては見られなくなり、それは困ると思うから、中学生らしくしなさいと言われるのでは、ということなんだけれど)
(う〜ん、わかんないっす)
(中学生ならばこうすべきだというのが曖昧に決められていて、その曖昧の範囲からはずれたことをすると、中学生らしくしなさいと言われる訳ですよね)
(そうっす)
(つまり、その曖昧の範囲からはずれたことは、武蔵君としてはしたいこともあるけれど、中学生らしくしなさいと言われるからできない訳ですよね)
(そうっす)
(ということは、そのしたいことをすることが武蔵君であるならば、中学生らしくしなさいという言葉で、武蔵君を周囲が期待する中学生という枠にはめようということですよね)
(はい)
(つまり、周囲の枠が大事で、武蔵君個人がしたいということは大事にされない訳ですよね)
(あっ、そうかっ。だから俺、らしくしなさいって言葉嫌いだったっすね)
(そう、ですから、らしくしなさいとは、社会の曖昧な期待の枠であり、それは文化とも呼ばれるわけで、でもそれは法律には書かれていない事柄でも社会による個人の規制をしていることであり)
(虎ちゃんのお話だと、らしくしなさい、ってずるい言葉みたい)
(とも言えますね。で、多用される)
(そう、日本人は、らしくあれ、という言葉で自分をも規制する、我輩そう感じておりましたな。武蔵君によれば、今の日本も同じ様でござる)
(その時々で、期待される姿は変わるのでしょうか。光さんも、聡子も克子も朝子も、娘達はみなカテリーヌさんやユリさんや私とどこか似た教育を受けてましたわ。あの頃、あちらこちらでそうだったんですわね。嫁の節も。良妻賢母温良貞淑忠君愛国。光さんも聡子も軍人さんに嫁ぎ、共に戦死なされ、朝子は戦後官僚に嫁ぎ、光さんは戦後再婚なされて四国に参りましたが遺伝なのでしょうかねぇ、光さんのお母様と同じで癌でね、私より先にこちらに参りました。聡子は軍人の遺族年金では生活できないからと働き始め、もうこちらの世に参りましたが、一人で鎌倉に住んでおりましたのよ。たまにホームには来てくれましたが、お母ちゃまはいいご身分ですわ。私もこういう所に入ってもいい歳ですのに、空きもなければお金も足りないですもの、ここまで来るのも大変なんですよなんて申してました。朝子は京都でしたしね、娘達はみんな離れて行って、婦、三界に家無しですわ。いえ、私にはホームという家があっただけ、聡子に言わせればましなのでしょうね)
(三階に家なければ、一階でも二階でもいいっしょ。でも、どうして女の人は三階に住んだらいけないっすか)
(三階ではなくて、三界)
(ええっ、あれっ、かいでもがいでもいいっしょ)
(いや、漢字が違う。建物の一階二階の階ではなく、世界の界だ)
(世界が三つってことっすか)
(あのぉ、わたくしもわからないのですが。天国とあちらの世と地獄かしら)
(あら、私も存じませんわ。私、勝手に、嫁ぐ前の家、嫁いでからの家、夫亡き後の家と思っておりました。嫁ぐ前の家は父の家、嫁いでからの家は夫の家、夫亡き後の家は息子の家、違うのかしら)
(おおっ、何やら、坊さんが話しておったが、そういうのではなかったのっ、三つの界で世界は一つとかだったが)
(だんなさ〜、三つで一つとは、またややこしい)
(我輩もそれは存じませぬ。ご隠居様がいらしたら、教えてくださろう)
(あっ、ご隠居様はお寺のお生まれですものね。今度ユリお尋ねするの忘れないようにしなくっちゃ)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。