第六話 セミテリオに里帰り その十九
(最初から戦などなさらなければよろしいのですわ)
(わたくしもそう思います)
(どうして殿方は戦がお好きなのかしら)
(皆様、今では自衛隊には女性も入れますよ)
(まぁ然様なんですか)
(うわぁ、おまわりさんだけじゃなくて、兵隊さんにもなれるんですかぁ。あの素敵な軍服、女の子でも身につけられるんですかぁ。羨ましい。ユリ、着てみたいです)
(ユリちゃん、似合わないって)
(虎ちゃん、すぐ意地悪言うんだから)
(だって、その髪型じゃぁね)
(ええっ、この髪型じゃいけないのかしら)
(兜になるとか)
(たぶん、自衛隊の女性は皆髪の毛短くしてますよ)
(まぁ、坊主刈り、それはユリ駄目)
(そこまで短くはしていないと思いますが、結ってはいないと思いますよ。それこそ、ヘルメットに入りませんしね)
(ほらユリちゃん、やっぱり諦めなきゃ、それに、こちらの世にいるわけだしね)
(いつか、このセミテリオに自衛隊の女性がいらしたら、ユリ、絶対に乗せて頂きます)
(どの方が自衛隊の方か、判ればねぇ。軍服着て墓参りしてくれればいいけれどさ。その時は、僕もユリちゃんについていってあげるよ)
(虎ちゃん、意地悪なんだか親切なんだかわかりゃしない)
(ふふ)
(ほらほらマサさま、カテリーヌさま、ユリちゃんのように戦好きな女の子もいるってことですよ)
(あらぁ、ユリ、戦が好きなんじゃなくて、あの軍服が素敵なの。凛々しくて)
(え〜と、自衛隊は軍隊ではないので、もしかすると軍服とはよばないのかもしれません)
(ユリ様、戦争に負けて帰還してらした帝国陸軍や海軍の兵隊さん達はそれはそれはよれよれぼろぼろの軍服とも呼べない様な服でしたのよ。一方占領軍の軍服はしゃくに障るくらい凛々しくて、物資の差が戦力の差だったのかと情けなく思わされましたわ)
(それで、鎧をまとわぬ巡査と学生が戦ったのですのっ。なにやら戊辰戦争のような、いや、西郷どんの私学校と巡査が戦った西南戦争に似てますのっ)
(もっとも、実弾も刀もないですからね、鎧は必要なかったのかもしれませんね。それよりも如何に素早く逃げるかの方が大事だったかもしれません)
(逃げるのでしたら、最初から戦わなければよろしいのに)
(然様でございますわ)
(いやぁ、男の血が騒ぐのですのっ)
(弾も刀も使わぬゆえ死なぬ戦であるならば、餓鬼の遊びと変わらぬではないですかのっ)
(いやぁ、死人も出たんですよ)
(弾も刀も使われなかったのにかのっ)
(圧死があったそうです。それに、安保反対運動とは別に、学生運動の中でも暴力的な連中は色々と武器を準備していたようで、浅間山荘では機動隊の方も数名亡くなりましたよ)
(ほうっ、いよいよ、ますます戊辰戦争ですのっ)
(戊辰戦争ではあれは使われたのでしょうか)
(あれとは、義男殿、何かのっ)
(え〜と、一寸申し上げにくいのですが、排泄物)
(おおっ、私の好きな話ですのっ。しかしながら、う〜む、戦国時代には使われたという話も耳にしたことはあるがのっ、戊辰戦争では、たぶん、使われていないと思うがのっ、やはり、武士の情け、敵も人なり、糞尿ではあまりに敵が哀れ)
(それがですねぇ、成田では使われたようなんですよ。やぐらの上から糞尿を浴びせかけられたというかつて機動隊だった人の話しを延々聴かせられて参りましたよ、なんでも、臭いを落とすのが大変だったとか、宴会の席での話しですからね、ビールが不味くなりそうで)
(おおおっ、ビール、しかし、ビールは酒ほど香りませぬな。東京麦酒とか大阪麦酒とかありましたのっ。私はビールは腹が膨れる割には酔えないので好きではありませんでしたがのっ。おっ、確かにビールは似ておりますのっ)
(だんなさ〜。またそういうお話)
(いやいやマサ、今回ばかりは私が始めたのではないですのっ、義男殿が始めた話ですのっ)
(義男様、この手のお話、宅の彦衛門は好きですのよ。お気をつけ遊ばせ。ところで、成田とおっしゃると杉並ですわねぇ。たしかにあの辺りでしたらわたくしがこちらに参ります前、まだ田畑が広がっておりましたから、さぞかし、あら、だんなさ〜、わたくし口にできませんわ)
(マサ、何も遠慮することはないのっ、生きている限り喰えばひねるもの。今ではひねる前に喰えもしない、残念ですのっ、そのかわりしぶることもないのっ)
(お母上、杉並の成田ではございませんわ。千葉の成田です)
(千葉の成田、あら、新勝寺の成田、あちらでですか。まぁ、お寺が大学になったのでしょうか。たしかに弘法大師さまのお寺ですから、学問と少しは関わりございますかしら。でも、汚いですわねぇ、学問の場で糞尿を使う戦いですか)
(いえ、寺でも学問の場でもなく、空港で)
(まぁ、飛行場で糞尿ですか。まさか飛行機からですか)
(いえいえ、成田に東京の空港を作ることになりまして)
(あら、東京には羽田に空港作られたのではなかったかしら)
(私も義男さん、少し前に義男さんからそう伺いましたがのっ)
(はい、羽田に作られて、でも羽田では狭いからと、もう一つ)
(まぁ、それで成田山新勝寺を飛行場にしてしまったのですか)
(弘法大師さまがお可哀想。ユリも成田山新勝寺に初詣に参ったことございますの。あんまりですわ)
(いえ、みなさま、お寺ではなくて、成田の田畑を、東京の新しい空港にしようとしまして)
(まぁ、今では千葉も東京なのですか。東京はどんどん広がっておりますのね)
(え〜と、カテリーヌさん、そうではなくて)
(カテリーヌさま、私にもわかりましてよ。なぜ東京からあんなに離れた場所なのに、東京空港なんて名前をつけるのか、当時生きておりました私にも不思議でございました。銀座通りがあちらこちらにあるのと同じで、東京という名前を付ければ価値が上がるような考え方だったのかもしれませんわ)
(東京とて、東の京でござるな。京も都も中心の場所という意味だと、かつて教わりましたがな)
(あら、みなさま、私、何のお話をいたしておりましたかしら。あっ、千葉は千葉でも成田ではなく鎌ヶ谷の時のお話でしたわねぇ。そうそう、ピーターさんに初めてお目にかかった時のお話でございましたわね。はぁ〜)
(まぁ、絵都さまお疲れかしら。そろそろお休みになられては)
(いえ、疲れてはおりませんのよ。ただねぇ、あの日が...)
(あの日が、どうなさったのですかな)
(いえ、まぁ、練馬から鎌ヶ谷まで十里程を行きは克子とピーターさんと二人だけでしたでしょう。夕方にはまだなっておりませんでしたが、帰路、東京のどこかで克子が降ろして頂いても、うっかりすると暗くなり始めると思いまして、帰りにまた二人だけにするのは気が進みませんでしたので、私も克子のアパートに参ることにいたしましたの。今程車は多くありませんでしたし、何しろ占領軍の車でございましょ。土ぼこりをあげて飛ばすのですのよ)
(車が飛ぶのかのっ。今、いや、もう何十年も前から車は飛べるようになったのかのっ)
(つい先ほど絵都の所に参った折の綾子の車は飛んでませんでしたわねぇ)
(いえ、お父上、お母上、飛ばすとは、スピード、あっ、速度を上げて走ることですわ。ですから恐ろしくてねぇ。それに穴ぼこだらけでございましたでしょ。がたんがたん、車がしょっちゅう跳ねるのですよ。気分が悪くなりまして、そうしたら、お母ちゃま、ピーターさんが、そこで横になっていて構いませんって。横になれば、と克子が申しましたので、私、横になりましたの。でもねぇ、頭の下からしょっちゅう突き上げられて、大きなもぐらに突かれるようで)
お読み頂きありがとうございました。
セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。