第六話 セミテリオに里帰り その十八
(それで、あんぽん柿に似た件で、巡査と学生が戦ったのですのっ)
(なんだか、学生さんとおまわりさんが柿を投げ合ってる戦いみたいですわ)
(それは面白い。硬い柿なら痛かろう、柔らかい柿なら衣が汚れる。おっ、当たると服が血まみれならぬ熟し柿まみれ、ははは)
(だんなさ〜、猿蟹合戦ではございませぬわ)
(雪合戦みたい。ユリ、やってみたい。でも、きっと、女の子がそんなみっともないって叱られちゃったかしら)
(日本人ではないわたくしから見せて頂くと、なにやらお子同士のほほえましいお遊びの様にも聞こえますわ)
(弾が飛ばない戦争でしたら、ほほえましいですわねぇ)
(運動会の種目のようですね)
(どうして弾を飛ばし、生命を奪うことを考えるのでしょうね。人間は利口なのか馬鹿なのか)
(そのあんぼん柿戦争で我輩の記憶の引き出しが開きました。昔、欧州でじゃが芋戦争というのがございましたな)
(仏蘭西にじゃがいもを広めたParmentierが捕虜になった戦争ですわね)
(然様)
(ロバート殿、その戦争ではじゃがいもを投げ合ったのかのっ、じゃがいもも当たりゃ痛かろうの、が、死なぬ)
(いえ、じゃがいもを盗みあったのでしたかな)
(いえ、たしか、兵隊さんがお暇でお腹がすいたので、じゃがいもを掘って食べたらしいですわ)
(掘った芋いじるな、を思い出すのっ)
(お爺ちゃん、それ、何ですか)
(私は虎之介殿のお爺ちゃんではないですのっ。で、虎之介殿、掘った芋いじるなは判らぬのかのっ、ロバート殿、お判りであろう)
(いえ、我輩にも判りませぬが)
(ほうっ、私が江戸に下ったおり、いや、東京に上京した頃に目にした英吉利語の会話本に載っておったのだがのっ。ほったいもいじるな、これは英吉利語ではないのかのっ。この芋は甘藷なのか馬鈴薯なのか里芋なのかと気になったので覚えておるのだがのっ)
(だんなさ〜、それどういう意味なのでしょう)
(マサ、たしか、今何時じゃ、という意味の英吉利語が、掘った芋いじるなだったのだがのっ)
(今何時じゃ、ですか...Oh、What time is it now...ほぅったいみぃずぃなう...ほったいみじな...なぁるほど、ほったいもいじるな、ですな、これはいい)
(じゃのっ、掘った芋いじるな、は今何時じゃ、ですのっ)
(たしかに)
(柿でも芋でも雪でもなくて、学生さんたちと機動隊さんたちが戦ったのです)
(まぁ、戦ったと言えるのかもしれませんね。テレビや新聞ではしょっちゅう報道されてましたよ。どこそこでデモ隊と機動隊が衝突、何人逮捕などとね)
(デモ隊とは何ですの)
(機動隊というのも、何ですかのっ、陸軍の隊ですかのっ)
(デモ隊は、え〜と、あれはデモンストレーションですかね)
(demonstration、見せる、ですかな)
(ロバートさん、そういう意味なんですか)
(はい)
(よくわかりませぬのっ)
(あっ、僕、なんとなく判ります。あのぉ、フランス革命やロシア革命のような、民衆の蜂起行動でしょう)
(あら、そうおっしゃられれば、わたくしにも判りますわ。王様や政治家に対して、普通の人々や貧しい人々がみんなで集まって文句を言うことですわね。お金持ちには怖いこと)
(おっ、一揆みたいなものですかのっ、いや、日比谷焼討事件のようなものですのっ、暴徒、鎮圧。おっ、血が騒ぎますのっ)
(そういうこともありましたな。日露戦争終結の頃でしたかな。かつて鹿鳴館のあった辺り、我輩が生きておりました時、目が最後に見たのも日比谷の森、皇居の森の黒い陰)
(まぁ、ロバートさま、日比谷で亡くなられたのですか)
(たぶん)
(まぁ、たぶん、なのですか)
(生命の最後の瞬間はなかなか曖昧でしてな)
(然様ですわね)
(デモ隊ってあれみたいなものかしら。確かに日比谷焼討事件に似ているような。お父上、あの頃私女学生でしたでしょ。記憶にはございますが、あの頃はテレビもございませんでしたし、伯父さまが大変だったことはお母上から耳にいたしましたが。新聞も、女子が読むものではない時代でしたし。安保の方は、六十年のも七十年のも、あちこちの大学の学生が集まって、列になって道路を歩いて、理由は存じませんが、機動隊と衝突してという白黒の映像、テレビでしょっちゅう目にいたしましたわ。そういえば、学生運動も日比谷や国会議事堂前や新宿、それと方々の大学ででしたわね)
(そうそう、日大、明大、早稲田、中央、東大、方々軒並みでしたね)
(東大の安田講堂とか、どこでしたっけ、赤軍派が閉じこもって、機動隊が大きな球をぶつけて家を壊したり、テレビでずっと中継してましたね)
(安田講堂ですか。駒場は大丈夫だったんですね)
(いやぁ、駒場もやってましたよ、たしか。井の頭線に乗ると、何でしたっけ、あの独特の字体で書かれた、え〜と立て看でしたっけ、見えましたよ)
(あら、義男さん、井の頭線にお乗りになってましたの、私もホームがあの沿線にございましたのよ。ですから時折渋谷にお買い物に)
(おっ、懐かしいですねぇ)
(ほんとに)
(ホームは停車場のことであろう。そりゃ鉄道沿いにあるに決まっておるのっ)
(停車場はplatform、プラットフォーム、なるほど短くしてfが発音できぬからホームですな。停車場から近かったということであろうか。それとも、絵都さまのおっしゃるホームはhome, 家庭のことでござろうか。いづれにせよ絵都さまはあの辺りに住んでおられたのですな、神田川の水源近く)
(はい、たしかに住んでおりましたが、家ではなくて、老人ホーム)
(老人の家ですかな)
(まぁそのような。老人が集まって住む場所で、病院もございまして、有料のと無料のとございました。節さんと折り合いが悪くなりましてから、開さんが私にそこを買って下さって、終身おりましたのよ。まぁ、体良く追い出されたみたいなものですわ)
(まぁ絵都、追い出されたのですか。なんと冷たい息子と嫁)
(お母上、いたしかたないですわ。息子とは血がつながっておりませんし、まぁ、育てはいたしましたが、まして嫁女はね、私が連れて参りましたとはいえ、嫁女にしてみれば、私よりご自分の連れ合いや腹をいためたお子達が可愛いに決まっておりますし。もうあの頃、私は裏切られるのには、慣れとうなくとも慣らされておりましたもの。高女の時の親友に始まり、最初の連れ合い、お国にも勝ち戦だから耐えよ忍べよと、家は焼かれ、食べるのも大変で負けてみれば満鉄の株はぱぁ、預金封鎖、娘は、あら、娘達のことはまだこれからお話いたしますわね。義理の息子が帰還して暫くすればホームに追い出され、やはり長生きなどするものではございません)
(ほうっ、父には裏切られたとは申さなかったのっ。よしよし。で、絵都、機動隊とは陸軍かのっ)
(お父上、今の日本には陸軍も海軍もございませんのよ)
(今は、自衛隊で、陸上と海上と空上、いや、航空自衛隊がありますよ)
(で、機動隊は自衛隊の陸上の部隊の中にあるのですのっ)
(いえ、機動隊は警察の中にありますよ)
(警察っ、おっ、それで、警察は学生相手に戦うのですのっ)
(今も戦っているのでしょうか)
(ええっ、俺、そんなの聞いたことないっす。機動隊ってのは、時々、外国から偉い人が来ると、警備してるってのテレビで見たことあるっす)
(学生運動、七十年の頃は、学生相手に戦っていたのは機動隊でしたね)
(へぇ〜、そうだったんすか)
(で、佩剣も無しで戦うのですのっ)
(六十年の頃は警棒だけでしたかね。七十年の時は、こう、何て言うのでしょう。盾を持ってましたよ。あれは前が見えなくて不便そうでしたね。で、最近のは透明だったか)
(へぇ〜、透明...今はジュラルミンだっしょ。あれっ、でも両方あるのかなぁ、前が見えるのと見えないのと)
(ジュラルミンって何でしょう)
(軽い金属ですよ)
(で、佩剣は無しですのっ)
(そうですねぇ。刀は無しでしたねぇ。かわりに、というか、警棒と放水車や催涙弾)
(放水車とは水を撒くものだのっ。火消しでもするのかのっ)
(火消し、まぁ、たしかに学生の中には火炎瓶を投げる者もいましたね)
(火炎瓶って何でしょう)
(瓶の中に燃える液体を入れて、液体に浸した布の端を瓶の口に持って来ておいて、そこに火をつけて投げるらしいです)
(ほうっ、で、火が付くから火消しの水を撒くわけですのっ。ということは、警察と一緒に火消しも出動していたのですのっ)
(あ〜、いえ、たぶん、消防署は出ていなかったと思います。警察が放水車を持っていたのではないでしょうか。それに、放水車は火を消すためではなく、水圧で学生を散らす為に使っていたのではないでしょうか)
(ほうっ、水圧でですか。騒いだ血も冷めてしまいますのっ)
(佩剣の代わりに警棒と盾と水、もう一つ何かおっしゃってましたが)
(あ〜、催涙弾)
(ほうっ、やはり弾を使うのですのっ)
(弾と言っても、銃弾ではなく、え〜と、涙を流させるガスを入れた弾で)
(ほうっ、泣かせるわけですのっ。血は流させぬが涙は流させる、ですのっ)
(おまわりさんは盾と警棒と水まき車となんとか弾で、学生さんは火炎瓶だけですか、なんだか可哀想)
(いやぁ、何と呼ぶのでしたっけ、角材を持ってましたよ。それにヘルメットかぶって、口と鼻をタオルや手拭で覆って)
(そうそう、テレビで初めて目にいたしました時には、私、建築現場の方だと思いましたもの)
(その、減る目とか倒れるのは何ですかのっ)
(helmet、兜ですな)
(タオルは手拭)
(ふむ、兜。兜につきものの鎧はないのですかのっ)
(鎧...お父上、江戸時代ではありませぬ)
(戊辰の折には、甲冑の者もおったがのっ。実は私も身につけたことはないですのっ。動き辛いそうですのっ。日清、日露の折にも鎧は無かったですのっ。しかしながら、弾よけを身体には身につけぬというのも変なものですのっ)
(そうですねぇ)
(確かに不思議ですな)
(頭は護っても、心の臓、五臓六腑は護らぬのですかのっ)
(我が国では、例の南北戦争でも、いえ、独立戦争でも鎧に相当する物は身につけてませんでしたな)
(ふむ、摩訶不思議)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。