第六話 セミテリオに里帰り その十七
(table...いや、我輩は卓袱台が何かではなく、武蔵君が卓袱台は理解できずとも、tableで理解できることが驚きでしてな。今の日本はそうなっておるのですな。こりゃ愉快。いや、美しい日本語が失われているという意味では残念ですなぁ。しかし興味深いものですな)
(ただ、低い、正座して食事する時用ので。丸いのや正方形のや長方形の座卓だ。あっ、だから無くなったのですね。最近の日本人は正座しなくなりましたからね)
(まぁそうなんですか。お茶やお華のお稽古も無くなったのかしら)
(そんなことはございませんわ。いえ、ないと思いますわ。私がまだあちらの世におりました頃にはお茶もお華もお琴もちゃんとお教室ございましたもの)
(あ〜よかった。ユリのおさらいした事、み〜んな古くなってなくなってしまったのかと思いました)
(おっ、もしや、悦、柔道、剣道、弓道、なども、ちゃんと道場、あるんだろうのっ)
(だんなさ〜、それ、全て、兄が学校教育に奨励いたしたものですわ。無くなる筈ございませんことよ)
(いえ、母上、え〜とお父上、柔道、剣道はしっかり残ってますわ。柔道などオリンピックにも取り入れられましたの。でも弓道は、あまり。日本全体でどれくらい弓道場があるのかしら。でも剣術は、お父上もご存知の様に、廃刀令がございましたでしょ。ですから、剣術はもはや。道場でも竹刀だけ。もっとも大戦の時にも刀は持って参ったのですが、それも敗戦で)
(亜米利加が廃刀令を出したのかのっ)
(私も詳しくは存じませんが、今ではご家庭で刀をお持ちになるには、いちいち届けなくてはなりませんのよ)
(巡査の佩剣は)
(あれも、今のおまわりさんはお持ちではないですのよ)
(あの、刃の美しさがのっ)
(彦衛門殿、あの美しさは魔性の光ですな)
(然様、ロバート殿にはお分かりいただけますのっ)
(刀が美しいっすか)
(然様、美しいですのっ)
(へぇっ、あんなもの、博物館にでも行かなきゃ見れないし、それに古臭いし)
(嘆かわしい事でござるのっ。武蔵という名前を持ちながらのっ)
(武蔵坊弁慶っすか、だって、弁慶って最後に何本も刀刺されたっしょ。刀は俺の敵みたいなものっす)
(刀が刺されたのでしたかのっ。いや、あれは矢が何本も刺されたのであって、刀というよりも薙刀で体を支えておったのではなかったかのっ)
(まぁ、彦衛門さま、弁慶さんと同じ頃のお方なのですか)
(いえいえ、カテリーヌさま、だんなさ〜は弁慶さんの最期より、え〜と、六百五十年も後に生まれましたの)
(まぁ、でも、彦衛門さまのお話よう、ご覧になったみたいで)
(あはは、よく語られる話でしてのっ。島津家家臣としては、鎌倉が発祥みたいなものでして、武蔵坊弁慶も赤の他人と呼ぶのはちと辛いような)
(で、武蔵君の名前は弁慶から取ったのですかな)
(いえ、私は宮本武蔵のつもりだったんですがね。どうも、宮本武蔵は現代には馴染まないようで、武蔵は弁慶の方が好きでね)
(俺、どっちもあんまり。だって戦うっしょ。そういうのあんまり好きじゃないっす。刀って人を殺すもんだっしょ)
(ほうっ、今の若いおの子は、情けないものですのっ)
(だんなさ〜、おの子は戦う者と思ってらっしゃいますのね。戦わないで済むのでしたらそれにこしたことございませんのに)
(しかしのっ、血が騒ぐということはないのかのっ)
(俺はあんまりなかったっす。矩雄やあいつのダチはそうだったっすけど。だから先生達に睨まれてたし、年鑑にも入ったみたいだし、俺が死んだ後も調べられたし。だから、戦うなんてのは、警察に捕まる奴らの好きなことっす)
(流石、血が騒ぐと年鑑に載るのですね)
(虎之介お兄ちゃん日本語間違ってっす。年鑑には載るのではなくて入るっす)
(おっ、お兄ちゃんとは、嬉しい言葉、ありがとう)
(いえ、武蔵さん、年鑑には載るものです。その年の目立った事柄が整理されて載るのですよ)
(あっ、あの図書館なんかにあるものっすか。誰も開かないのに古いのがずらっと並んでる。あれじゃなくて、年鑑ってのは、え〜と、悪い事したら入る所で)
(刑務所とは違うものなのかのっ)
(年端の行かない、大人になっていない子を入れる所ですよ)
(感化院のことですか)
(矯正院のことではなくて)
(いえ、今は少年院と呼んでいますよ)
(あっ、少年院とは違うっす。あっ、でも俺あんまり知らないっす。ただ、矩雄やダチは、年鑑上がりだと箔は付くけど、少年院上がりには負けるって言ってたっす。だから、年鑑は少年院とは違うっしょ)
(もしや、警察官も戦わぬ時代なのですかのっ)
(だんなさ〜、警察官は戦いませんわ。西南の役ぐらいでございましょ)
(いえ、皆さん、そんなこともありませんよ。悦さんもご存知でしょ。学生運動)
(あ〜、はい。そうでしたわねぇ)
(学生の運動ですか。それでしたら僕の頃にも、天皇の赤子として敵と戦う為に、健康な身体を作る為、運動は奨励されてましたね。ただ、僕はもう、肺病で体育もろくに出来なくなってましたが、体を鍛えるのは、特に中学生や高校生には当然のこと)
(虎之介さん、違いますのよ。学生が政府に反対して運動することを、学生運動と言ってましたの)
(へぇ〜、そうだったんですか。つまりアカの学生ってことでしょうか)
(アカ、そうだったのでしょうかねぇ。六十年の時、私はまさに学生でしたが、う〜ん、誘われて一度だけ。でも、別に自分をアカだとは思ってませんでしたね。絵都さん、どう思われます)
(さぁ、私もあんまり存知ませんわ。でも、学生運動って随分長い間でございましたでしょ。六十年安保より前から七十年安保の後もでしたものね)
(その六十だの七十だのあんぽんだの、何かのっ、あんぽんたんのことなのかのっ、おっ柿のことかのっ)
(あっ、なんか、歴史の教科書に載ってたっす)
(あんぽんたんや柿が歴史なのかのっ)
(まぁ、たった少し前のことですのに、もう歴史の教科書に載っているのですか。それではやはり私も古い人間ってことなのかしら)
(絵都、六十年も七十年も経てば、人間古くなりますわ)
(いえ、お母上、六十年とは千九百六十年、つまり、え〜と、昭和三十五年のこと、七十年は昭和四十五年のことですわ。たった四五十年前)
(一人分の人生かしら、あら、でもわたくし一人分の人生を生きられませんでしたわ)
(僕も)
(俺もっす)
(ユリも)
(おっ、何やら、私とマサは、それに絵都も、長生きの家系ですかのっ)
(まぁ、何だか申し訳ないような)
(無いものねだりですもの)
(お父上、お母上、長生きがよいとは限りませぬ。人生が長ければ長い程、辛いことも多うございました)
(お歳を召された方はよくおっしゃいましたわね。でも、ユリ、やっぱり番茶も出ばなの花も恥じらう年頃でしたでしょ。もっと生きたかったです)
(うむ。僕もそう...ですね。もっともあの時に死なぬとも、すぐに赤紙で戦地で死んでたかも知れませんしね。戦地での苦しみから逃れられただけ、どうせ死ぬならあの時に死んだのはよかったのかもしれません。もっとも、あの当時斯様な事を申しましたら、非国民、もっと死ぬ目に遭っていたやもしれませぬし)
(俺、死ぬ予定じゃなかったんだけど、俺、馬鹿したっす)
(おうっ、あんぽんたんだったわけですのっ。で、あんぽんは何かのっ、美味しそうだのっ)
(あんぽん柿ではなくて、お父上、え〜と、条約の名前ですわ。義男さま、安保って何でしたっけ)
(日米安全保障条約ですね。日本とアメリカが相互に安全を保証しあうという条約でして、それでアメリカの基地が日本にたくさんあるんですよ。でも、それは日本国民の主権を侵すということで、また、ベトナム戦争に日本から爆撃機が飛ぶということで、学生が多数、戦争反対運動をしまして、それを学生運動と呼んでいましたね)
(そういえば、ご隠居様もその戦争のお話をなさってましたな。しかしながら、我が国の爆撃機が日本からねぇ。そういう関係になったのでござるか。昔はただただ捕鯨の為の給水地を求めて開国を迫りましたのにな)
(えええっ、アメリカが捕鯨してたっすか。たしか今じゃ、日本が鯨を取るのをアメリカは反対してるんじゃなかったっすか)
(武蔵君、亜米利加は、鯨の油が必要でしたからな、鯨を追って日本近海まで来ておりましたな)
(へぇ〜、それじゃぁ、今鯨が少ないのは、日本人が食べるからじゃなくて、アメリカ人が採り過ぎたからじゃないっすか)
(そうかもしれませぬが、我輩、そこまでは詳しくないのでして)
(ふ〜ん)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。