第六話 セミテリオに里帰り その十六
(パンパンなどと私が口にしばかりに、申し訳ございませんわ。克子はグランドハイツのフェンスのすぐ外にアパートを借りて一人住まい始めましてね、時々私も千葉から出て来て泊まったりしていたのですが、そういう時には、ハイツの中の物を買ってきてくれるんです。日本人従業員は本当は買えないそうですが、中のアメリカ人からプレゼントされたことにすればいいとかで。克子が勤め始めて二、三年経った頃でしたかしら。私が克子の夕食を作って待っていた時、アパートのお部屋の扉を開けるなり、お母ちゃま、今すぐ食べて、溶けちゃうからって、冷たいこのくらいの箱を渡されたんです。アイスクリームですよ、冬だというのに。冬にはからだの冷えるものは食べたくないですよ、と私が申しましたら、だって、夏じゃ持ってくる間に溶けちゃうじゃないの。それに冬にアイスクリームを食べるのって、中じゃ流行っているのよ、ですって)
(絵都おばあちゃん、今の日本なら、冬にアイスクリーム食べるっす)
(武蔵さん、あの頃、日本の冷蔵庫は、夏に氷を入れて食品が傷まない様にする木製のものばかりでした。まだそれもお持ちでないお宅が多かった頃です。克子は日中はハイツの中におりましたでしょ。勿論アパート暮らしでは木製のも持っていませんでした。フェンス中ではどのご家庭にも電気冷蔵庫があって、冷凍食品が詰まっているなんて申してましたけれどね。冷凍ですのよ。冷蔵ではなくて。で、いくら冬でも、置いておけないので、アイスクリーム、頂きました。克子がそれまで天国と言っていたことがよぉく分かりました。火鉢に暖まりながら、冷たい箱の四隅からそぉっと紙をめくって、匙ですくって口に入れました。冷たいっ。でもその次に幸せが口の中に広がりました。あんなに豊潤なアイスクリームは大連でも頂いたことございませんでしたし、アイスクリームはその後、こちらの世界に来るまで何度も頂きましたが、あの時のアイスクリームほど美味しいと思ったことはありませんでしたわ。誇りを失っておりましたなら、舌を出して箱の紙を嘗めたいくらいでしたもの。流石、そこまでは出来ませんでした。明治の女が然様な恥ずかしい事はできませんでした。額こそ戦後少なくなりましたが、それでも細々と修養団には寄付いたしてまして、会員ではおりましたしね。貧しい時こそ、他人様の好意、善意が身に滲みますし、他人様に優しくなれるものなんですね。これだけは、私、終世絶やしませんでした。きっと、地球のどこかのお困りになってらっしゃる方々に何か届けられるのだろうと。どんなに騙されても、騙すよりはましです。心の平和が得られますものね)
(そうですわ。他人さまの物や土地や生命まで奪おうとする人がいる反面、他人さまと共に生きよう、助け合おうとなさる方々がいらっしゃるから、生き辛いあの世が少しは救われているのですものね。幸い、物も土地も命も、こちらでは奪えませんから、奪いたい者はここの世では永らえぬ様でございますし)
(あの頃、日本の食生活も漸く落ち着いてきた頃でしたが、戦前戦中戦後のすさまじい変化、疎開先の千葉にようやく建てた朝子と住む家とソ連抑留から帰って来て開さんが建てていた松澤の家と克子の住む成増のアパートと、あちこちいったり来たりで疲れ果てておりましたが、あのアイスクリームを口に含んだ時には、幸せってこういうことだった、美味しいってこういうことだったのねと、大連で碧さんと過ごした陽だまりの様な甘い幸せの日々をとても久しぶりに感じました。豊潤、濃厚、口の中から全身がとろけていくような、柔らかい布に包まれている様な、ほんと、天にも昇る心地とはこんな感じなのかしらと思わされました。で、目を開くと、克子がにっと笑っていて、お母ちゃま、分かるでしょ、私が天国みたいな所っていつも言うのが。満鉄の株はぱぁ〜になりましたし、預金封鎖で貯金は大層目減りしましたし、焼けだされてますし、それまで戦争に負けたことが悔しくて残念で仕方なかったのですが、あの時初めて、もしかしたら戦争に負けたことはよかったのかもしれない、と思えました。それほどに素敵な味わいでした)
(その天国みたいな味というのを、私も味わいたいものですのっ)
(だんなさ〜、今私達は天国みたいな所におりますでしょ)
(しかしのっ、喰えぬ身ですのっ、これはかなり辛い)
(その頃、克子はアメリカの物を色々持ち帰って来ておりました。先ほども申しましたように、本人は買えないけれど、贈り物として頂くことはできましたから、贈り物という形を取ればよかったようですし、ハイツの中の米兵家族と一緒に車で外に出る時には持ち出せましたし、古本や古着も構いませんでしたのよ。ですから、古着も大分。その頃の日本の綿製品は安物と申しましょうか、質が悪かったのですが、アメリカの物は質が良くて、色落ちもいたしませんでしたでしょ、私、ほどいてアッパパーをよく作りました。克子のも朝子のも私のもね。夏場には重宝いたしました。ただ、直六十になろうとする老婆にはアメリカの布は色も柄も派手で。その内、克子が持ち帰ってきてました家庭婦人向けの雑誌を見て、朝子は自分で作るようになりましてね。そうそう、アメリカの雑誌も独特の匂いがございましたわ。あら、変ですわねぇ。雑誌はお肉を食べるわけではないのに、どうしてあの匂いなのかしら)
(多分に、紙やインキの匂いですな。我輩は、日本の和紙に墨というのが気に入っておりましたな。墨にも独特の香りがござろう)
(へぇ〜、墨っすか、あれがいい匂いっすか、ふ〜ん)
(克子と違って朝子は器用でしたのよ。姪にあたる幸子ちゃん、あっ、開さんと節さんの長女ですが、その子の服を作ったのが最初でしたかしら。次第に自分の服も作るようになりまして、最初は手縫いでしたが足踏みミシンも米軍のお古のシンガーを克子を通して買いましてね。買ったはいいけれど、どうやって運びましょう。郵便も回復してましたし鉄道チッキもございましたが、大きくて重くて運べませんでしょ。あっ、その頃には女学校を卒業した朝子は、上の学校に入る程成績も良くなく、いえ、何しろ、卒業はいたしましたものの、戦中は学校毎工場で仕事していたようなものでしたし、まともにお勉強してはおりませんでしたでしょ。英語など敵性言語でしたしね。きちんと勉強してみたい、などと申しておりましたが、なかなかね。それで、疎開先の卒業した方の県立高女の同級生のお家の製麺工場で事務の仕事をしていたのですが、戦中こそ男手が足りなくて女でも働けましたが、戦後は復員してきた元の従業員がどんどん戻って参りまして、戦地帰りの方々は、ふぬけみたいになってらっしゃる方々か、殺気立ってらっしゃる方々ばかりでございましたでしょ。 若い女性は色々と卑猥な言葉を投げかけられたり居づらくなっていたようで、 アメリカの古雑誌を見て服を作る趣味が高じて、ご近所の方から頼まれるようになっておりましたので、お代はその頃、お野菜やお魚をお金の替わりに頂戴しておりましたから、製麺所をやめました。現金収入は減るわけですが、でも、ほっともいたしました。士族の娘、高女を卒業させたのに事務とはいえ工場で働かせるのは、辛く思っておりましたもの。それで、シンガーのセコハンミシンを買ったのですが)
(セコハンってなんっすか)
(英語ですわねぇ、ロバートさま)
(英語ですかな。セコハン、申し訳ないが、我輩には判りかねます)
(セカンドハンドでしたよ、たしか)
(義男さん、かたじけない。なるほど、second handですな、二つ目の手、すなはち、二人目、すなはち中古。なぁるほど、また何でも短くする日本語なのですな)
(そのセコハンミシンを千葉まで運ぶのにチッキを使って鉄道とリヤカーで運んで頂くのに、途中で盗られたらどうしよう、途中で倒れて壊れたらなどと考えあぐねておりましたら、克子が、友達に頼んで運んでもらうわ、と。千葉の家で朝子と共にご馳走を作って楽しみにしておりましたら、昼過ぎに、後ろの蓋を開けて、中にミシンを太い綱で固定した大きな車から表れたのは、これまた大きな白人の男性で。唖然呆然、朝子と顔を見合わせてしまいました。克子の友達は、てっきり運転お上手なお転婆お嬢様、日本の方だと思っておりましたのにね。コンニチワ。トーキョーカラ、マシーントキマシタ。オーストラリアカラキマシタ。ワタシノナマエワピーターデス。ドーゾヨロシクと変な節回しで言われまして。ミシンを軽々と一人で持ち上げて、家の中に設置して下さってから、お手拭きをお渡しいたしましたら、アリガトーゴザイマスとにっこり笑われて、朝子にはウインクするんですよ)
(ウインクとは、片目をつぶることですな、軽い挨拶の様な)
(ロバートさま、ありがとうございます)
(あいがとさげもした)
(大柄なピーターさんが窮屈そうに卓袱台の前にあぐらをかいて座って、五目寿司を珍しそうに見ている間、目配せして克子を呼び、どういう関係なの、あなたまさか、と小声で尋ねましたら、克子は、ただのお友達よ、ミシンを譲って下さったハイツのお宅の少尉のお友達なだけだから心配しないで、と)
(ロバートおじさん、チャブダイってどういう意味っすか)
(ほっ、卓袱台は日本語ですな)
(えっ、日本語っすか)
(武蔵は知らないのかねぇ。そういえばいつの間にか卓袱台は見なくなりましたねぇ。私がこちらに来た十年前にはもう見かけませんでしたね)
(えええっ、卓袱台が無くなったんですかぁ、あんな便利な物ないのに、ユリ、信じられません。ほら、女中さんや小僧さんがお食事の時には、あれをぱっと開いてすぐに食卓にできたでしょ。ユリもお稽古のおさらいをする時なんか、よく使いました)
(ぱっと開くっすか、どうやって)
(ほ〜んとに、武蔵君、知らないのっ、信じられない)
(こう、脚が開くんですよ。脚がばらばらか、二本ずつ)
(えっ、脚がそう開くって、椅子っすか)
(椅子ではなくて、食卓でね、テーブルだよ)
(テーブルっすか、へぇ〜)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。