第六話 セミテリオに里帰り その十五
(え〜と、それで、あの超特急ではなくて、昔の、え〜と、私があちらの世に生きておった頃の東海道線ですのっ。汽車ですのっ。おっ、もしかして武蔵君は汽車を知らないのかのっ)
(いえ、知ってっす。秩父鉄道の汽車に乗ったことあるっす)
(ほう、今でも秩父は汽車なのですのっ。秩父事件の頃のままですのっ。あの時は汽車が大活躍したのっ)
(いえ、月に何回かだけ、観光用に汽車を走らせてるっす。普段は電車っす。秩父事件ってなんっすか)
(ほう、武蔵君は知らないのかのっ。絹糸が安くなって困った百姓が反乱起こして、警察や軍隊が出動したのだがのっ。当時は大騒ぎでしたのっ。明治の一揆ですのっ)
(それ、わたくしも少し覚えておりますわ。横浜でも騒いでおりました。輸出いたしました絹糸が欧羅巴で安く売り叩かれたそうで。夫の同業者が嘆いておりました)
(あのぉ、俺が、いえ、僕がおばあちゃん、絵都おばあちゃんに質問した、なんとかハイツっての、まだ答え貰ってないっす。ハイツってアパートっすか、近所、あっ、俺、いえ僕が生きていた時の近所にたくさんあったっす)
(武蔵、あれは、なんとか荘という名前じゃ古臭いから、なんとかハイツとかメゾンかんとかと呼んでいるだけだ)
(あっ、アパートって亀歩き青年の家みたいな所ですね、ユリ、わかりました)
(heightsは、高い所という意味ですがな)
(そんなに高いアパートじゃないっす。ほとんど二階建てで、たまに三階建てもあるっすけど。あぁ、高いって家賃のことっすか。それも安いって、矩雄が言ってました。アパートなんて貧乏人の住む所だぜ、よかったなお前はアパートじゃなくて。アパートなんかに住むのは貴重な一票の時にしか頭下げる価値のない奴達だってのが矩の父ちゃんの口癖だって)
(矩雄ってのは、お前をいじめていた子だね。そんな言い草の親だからろくな子が育たないんだ。え〜と、ロバートさんでしたっけ。いえ、それも違うんです。終戦時、私は小学校に上がる前でしたが、たしか、私がこちらの世に来た頃に、都内最後のハイツが無くなったんだと思います)
(そうそう、都内には何ヶ所かありましたわ。たしか、グランドハイツの他にも、代々木にも、オリンピックの前はワシントンハイツがありましたし、もう一つ永田町にもあったんじゃなかったかしら。ともかく広くてね。あっ、武蔵さん、アパートみたいなのではなくて、中にお家がたくさん、とてもたくさんある広い場所をハイツと呼んでいたようですよ)
「もうっ、どこなんだ、家の墓はっ」
(あきらめればよろしいのに)
(いやぁ、自分の家の墓をあきらめるわけには参りませんですな)
(いえ、あきらめて管理棟にいらっしゃれば、という意味でございましたの)
(こりゃ早とちり失敬、然様ですな)
(でも、管理棟に行って、ここまで戻ってくるのって結構大変っす)
(確かに、生きていると歩く身としては遠いですね)
(今の我らも、あちらの世の人々に乗って動くのは結構大変ですがね)
(あらぁ、ユリ、この前、カテリーヌさまとご一緒して楽しみました)
(でもユリちゃん、カテリーヌさんが降りちゃった後、寂しかったんだろう)
(そうですぅ。虎ちゃんすぐ意地悪言う)
(夢さんやご隠居さんみたいに乗りこなせるようになったら楽しいでしょうね)
(乗りこなせるようになったら、カテリーヌさま、一緒に上野に行きましょう。ユリ、大熊猫と小さい熊猫と見たいです)
(お母上、先ほども申しましたように、戦争に負けるということは、占領されるということで、占領されるということは、占領軍が来るということで、帝国陸海軍では考えられなかったことなのですが、あちらの方々は、皆さん家族を呼び寄せるので多人数になって。しかも、あちらでの生活そのままを望みますから。ハイツの中には遊ぶ所も買い物できる所もあって、町そのものの様ですよ。)
(じゃぁ、ディズニーランドみたいなのっすか)
(アメリカの遊園地ですか。武蔵さん、私、参ったことないのでわかりませんわ。デズニーの映画なら綾子を連れていくつか見に行ったことございますが、デズニーランドはアメリカにあるのでしょう)
(ディズニーランドって浦安にあるんだけど)
(浦安って千葉のですか。あんな漁村に、デズニーランドがあるのですか。もう占領されておりませんのに、デズニーランドまでアメリカは作ったのですか)
(漁村...結構大きな市だと思うけど)
(武蔵、浦安は三十年ぐらい前から開発されていたけれど、その前は、ほんと漁村だったね。べか船だらけ)
(懐かしいですわ、べか船)
(おや、絵都さんの疎開先は海辺でしたか)
(いえ、でも、海の上にたくさん出てましたでしょ。遠くからでも点々の様に見えました。れんげ畑の向こうの青い海に)
(べか船ってなんでしょう)
(カテリーヌさんもご覧になったことございませんか。小舟ですわ。海苔を取ったり、一寸した荷物を運んだり)
(築地から見えたのがそうかしら)
(あっ、もしかして、ユリも知ってます。川を上り下りする小ちゃいお舟でしょ)
(ふ〜ん。やっぱ海苔とってたっすか、東京湾で)
(今は採ってないのかのっ)
(私がこちらに参ります頃は、まだ採っておりましたわ。あんな汚い湾でよく作れると思ってましたが)
(絵都、江戸湾は美しかったがのっ、まっ、薩摩の海には負けるがのっ)
(お爺ちゃんはたまに会社への行き帰りに乗換駅で見かけるぐらいだったが、家には鎌ヶ谷からかつぎ屋さんが来ていて、お婆ちゃんは時々海苔や魚や野菜を買っていたよ。他にも浦安や佐倉からも)
(お爺ちゃん、かつぎ屋さんってなんっすか)
(そういえば私がこちらの世に来る頃にはもう見かけませんでしたね。武蔵が知らないのも無理ないか。随分大きな籠を背中にしょって、首にふろしき包みまで巻いて、電車に乗って都内まで魚や野菜を売りに来ていたんだ。その日の朝の採れたてで新鮮でね、一軒一軒馴染みの家を回って売り歩いてた。確かに私が幼い頃はかつぎやのおばちゃんって呼んでいたけれど、馴染みにな二十年も経てば、かつぎ屋のおばあちゃんって呼んでいたくらいだからね)
(ふ〜ん)
(ハイツは、遊園地とは違うと思いますよ、武蔵さん。でもね、街中に映画館もボーリング場も、小さめの遊園地や小中高の学校もあって)
(ボーリングとは、球転がしの遊びですな。一升瓶ほどのこういう形のものを並べて、このくらいの球を遠くから転がして遊ぶ場所ですな。あの瓶状のを並べるのを人がやっておりましてな、重い球が転がってくる所で瓶を並べるなど命がけの仕事と思っておりましたな)
(ほう〜。死人が何人も出たからかのっ)
(ユリ、怖いです)
(ロバートおじさん、今は、機械がやってっす。自動で)
(私も人が並べるのは見たことないですよ。いつ頃でしたっけ。え〜と、もうかれこれ四十年になるでしょうか。日本でやたらとボーリングが流行った頃がありましてね、私も仕事帰りに週に何度か同僚と行ったものでした。その頃すでに機械で並べてましたね)
(そのハイツのPX、購買部で克子は働くことになったんです。お母ちゃま、すごいのよ。全部アメリカなの。アメリカにいるみたいなの。もちろん全部英語。で、それぞれのお家の前は広〜い芝生で、ハイツの中を子供は自転車、大人は自家用車で走ってるの。数軒集まった前にはブランコやジャングルジムがあったり、私のいるPXも、ぜ〜んぶアメリカの物ばかりで、みんな英語で書いてあって、中にはどう食べるのかわからないものもあって、食べ物だけじゃないの。食器や寝具やお化粧品やお洋服やお酒や雑誌や新聞やレコードや自転車やラジオや洗濯機や玩具やともかく何でもあるの。みんなアメリカから運んでくるのよ。車だって新しい車を運んで来て、車ばっかり売るお店まであるの。PXで売っている物はみんな色もきれいで、日本のみたいにぼんやりした色じゃなくて、はっきりした色で、総天然色って感じなのよ。総天然色って言えば、ライフって雑誌なんて写真ばっかりで、日本にはあんな雑誌、支那と戦争始めた頃から無くなったでしょ。他にもアメリカのお店やレストランもあって、私達もそこで軽食を買えるの。天国みたいな所。ちょっと前まで日本とだけじゃなくてヨーロッパでも戦争していた国なのにあんなにあるの。日本は戦争中も今も物資不足でしょ。なのに、あ〜んなにあるの。日本が戦争に負けたのは無理ないと思ってます。少し前までは鬼畜米英、神国日本などと申していた娘のあまりの変わり様に、驚いておりました。もう目がきらきら輝いていました。お店の中で上官に会っても気をつけなんてしないで、軽口たたいているし、フレンドリーなの)
(friendly とは友の様に親しげという意味ですな)
(ロバート殿、あいがとさげもした)
(毎日英語ばかり話すのよ。それも楽しい。日本と違ってね、嫌なことは嫌ってはっきり言えるのも素敵。私は米軍に雇われて、しかも物を買ってもらう立場なのに、商品を渡すと、にっこり笑ってthank youって言ってくれるのよ。あっ、お母ちゃま、GIが若い男で私が若い女だからってんじゃないのよ。小さい子も、お年を召された方も、み〜んな、といった調子でしたから、その内GIと恋愛でもしたらどうしましょうと心配しておりました。みっともないでしょ。米兵と一緒にいると、パンパンみたいに見えてしまいますものね)
(パンパンってなんすか)
(あっ、それ、ご隠居さんが話してました。ユリが知っちゃいけない言葉らしいです。ユリがだめなんだから、武蔵君もきっとだめよ)
(どうして)
(ははは、武蔵にはちと早い)
(あっ、そういうことっすか。そんなの別になんてことないっす。援助交際みたいなのっすね)
(援助交際って、なんでしょう)
(武蔵、援助交際という言葉はお爺ちゃんも知らないよ)
(えっ、知らないっすか。え〜と、つまり、中学生や高校生の女子が、男と付合って金貰うっす)
(まぁ。中学生や高校生がですか。世も末ですわ)
(もしかしたら、生活苦でかしら)
(生活苦って生活が苦しいからってことでしょ。違うっす。遊ぶ為に遊んで金儲けるっす)
(まぁ...)
(警察はそういうのを許しているのかのっ)
(いえ、見つかったらたぶん捕まるっしょ、補導かな)
(まぁ...)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は6月22日の予定です。