第六話 セミテリオに里帰り その十三
(私もそのぺきんだっくとやらを食してみたかったのっ。しかし、そのだっくとは何かのっ。肉とおっしゃるからには、魚か鶏か豚か牛か、さてまた羊か、はてまた蛇かそれとも鳩か、雀か鯨か、犬猫鼠か)
(彦衛門さま、恐ろしゅうございます)
(カテリーヌさん、貴女の国では蛞蝓を食すのではなかったかのっ)
(蛞蝓ではなくて、蝸牛ですわ。然様ですわね。食は文化、人それぞれ地域それぞれ食それぞれですわね)
(中国人は、脚のあるものならば机以外何でも食べる、と現地のガイドが冗談半分で言ってましたね。たしかに、地面を見ても、蟻はいないし、空を見ても鳥がいなかったのには、驚かされました。生き物でいるのは人、どっちを向いても人人人。早朝ホテルから下の道路を見ておりましたら、車道には車とバスが溢れ、歩道にも人があふれ、車道と歩道の間には自転車専用道路があり、そこも自転車であふれておりました。人はたくさんいましたね。人以外に生きているものは見なかったですね。本当に何でも喰うのじゃないかと。先ほどの天安門の前を駱駝の列が歩いている絵葉書がありましたが、駱駝も見ませんでしたしね、まぁ、中国のことですから動物園に行けば大熊猫はいるんでしょう)
(大熊猫とはなんですのっ、熊と猫の半分こ、間の子ですかのっ)
(だんなさ〜、熊と猫は無理でしょう。猫が熊の子を孕んだら、産む前にお腹が破裂してしまいます)
(マサ、猫が雄なら文句あるまい)
(それでは生まれた子を母熊が食べてしまいますわ)
(お爺ちゃん、俺もわかんないっす。大熊猫って何っすか)
(パンダのことだよ)
(な〜んだ、パンダっすか)
(パンダとは何ですかのっ)
(僕も知りませんが、武蔵君は知ってるのですか)
(我輩も存知ませぬな)
(わたくしも、聞いたことございませんわ)
(ユリも知らない、けど、ユリ知らないこと多いから)
(ほうっ。みなさんご存知ないのですか)
(へぇ〜。上野に行けばいるのに)
(上野とはそこの上野かのっ)
(うん。上野の動物園にいるっすよ、他にもあちこちの動物園にいるっすよ。あっ、でも、上野のパンダは俺がこっちに来る前に死んだんだっけ)
(どんな動物ですのっ)
(小さめの熊くらいの大きさで、白と黒で、耳と目の周りは黒で)
(で、その小さめの熊は喰わないのですかのっ)
(そりゃぁ、食べないと思いますよ。大熊猫は、中国にしかいないそうで、外交に使っていますしね)
(ほうっ、その大熊猫は外交官ですかな。いやまさか、この時代、もしや動物も人間並みになったとか)
(いえいえ、中国にしかいないからこそ、他の国に親善使節として、こうちょっとした手みやげのような)
(あ〜、成る程。分かりました。しかし、大きい動物を大変ですな)
(あ〜、やはり、その大熊猫の肉が貴重なので、他国に土産に持って行くのですな)
(いえ、ですから、大熊猫は殺さないで、だいじにだいじに船か飛行機で届けるわけで)
(おっ、新鮮な肉というわけですな)
(いえ、ですから、殺さないで、動物園で見せるわけで)
(おっ、駱駝の見せ物興行の様なものですのっ)
(駱駝が見せ物になったのですか)
(明治の中頃でしたかのっ)
(ほう〜。まぁ、そんなような)
(パンダ、大変な騒ぎでしたわね。私も記憶しております。でも、一度も見には参りませんでした。あれは綾子だったかしら。学習雑誌の付録の世界の不思議とかいう歌留多で、花札くらいの絵札にスフィンクスやピサの斜塔等と描いてあったのを見たのが初めてでした。もう半世紀以上前のことですわね。お婆ちゃま中国にいらしたのに、パンダ知らないのと聞かれましてね、あの絵札を何度も見たのですが、竹林を背景に座っているパンダ。でも、大連におりました時には全く存じませんでした。その後はテレビで何度も見ましたわ。ですから、スフィンクスは、伯父さまがご洋行の折に撮られたお写真がありますよとお話しましたのに、興味示さずで)
(あら、わたくし、その写真見せて頂きましたわ。砂漠の中にお顔がありますでしょ)
(そうそう、武人どんの、私も見ましたのっ)
(でございましょ。ですから、私、伯父さまは偉いお方でね、と。でも綾子は、お婆ちゃまの伯父さんじゃ私と離れ過ぎてるって、全然関心無いようでした)
(まぁ、お兄さまもがっかりですわね)
(で、絵都、大熊猫とは竹林に住むものなのかのっ、ならば宮之城に向いてますのっ。何しろ香具夜姫の地)
(まぁかぐやひめって、本当にいらしたんですねっ、ユリ、嬉しいです)
(かぐやひめって、あの昔話のですか。わたくし、日本語のお勉強の時に少し。お姫さまが、何人もの殿方から逃げて月にいらっしゃるお話ですわね)
(ユリちゃん、カテリーヌさん、月に行けるわけないですよ、あれは物語)
(えっ、行けますよ。っていうか、行ったっすよ。俺が生まれる前っす。その後、行ったっての聞いたことないっすけど)
(ほらね、やっぱり。行けるのよ)
(いや、ほらね、やっぱり、行けないんだよ。武蔵君のだって、物語)
(いや、あれはパンダ騒ぎのもう少し前でしたかね。アメリカ人が宇宙船に乗って月に行って、月面歩行したんですよ。テレビで見ましたよ)
(テレビは作り物が多いのではなかったかのっ。ご隠居殿がそうおっしゃってたのっ)
(まぁ、そう言われれば元も子もないですが)
(でも、ほら、絵都さまおっしゃってらした、ご自分の目でご覧になったことしか信じられなくなりましたなら、絵都さまの何とかの君と同じになってしまいますっ)
(私も、そのテレビ、欲風園で見ました。たしかに、月の上をアメリカ人の宇宙飛行士が歩いていましたわ)
(ほらね虎ちゃん、行けるのよ)
(然様、月にアメリカ人が行ったという話しは、我輩、ご隠居殿から耳にいたしました)
(ほらね、虎ちゃん)
(でも、これじゃぁ、聞いた、見たって人が多くいたら、本当にあったってことになってしまいますね)
(ほう〜虎之介殿、なかなか厳しい)
(真実と偽物を見分けるのは難しいことですね)
(香具夜姫とアメリカ人、どちらも月には行っていないのか、両方とも月には行ったのか、どちらか片方は月に行ったのか、さぁ)
(あのぉ、なんだか難しい話みたいっすけど、月の話じゃなくて、俺思うっすけど、かぐやひめは竹薮っしょ。竹っすよね。パンダが食べるのは笹だと思うっす)
(笹と竹は違うものなのですか、わたくしには同じ物に見えますが)
(違いますわ。竹は物干竿になりますが、笹はなりませんもの)
(七夕に使うのは笹でしょ、芽を頂くのは竹でしょ)
(笹竹という種類があったように、僕記憶しておりますが)
(あれはいつ頃でしたかね、初めて大隈猫が日本に来たのは。日中国交回復で大熊猫が頂けることになって、日本のあちこちの動物園が手をあげましてね、武蔵の父がまだ小学校入学前でしたかね。で、上野動物園に来て。それからしばらくして、私、出張で名古屋に参りました。会議場が割と動物園の近くだったんですよ。それで、時間が空いた折に、名古屋の社員がご案内いたしましょうかと。それで動物園をぶらぶら歩いておりましたら、パンダはこちら、と矢印がありましてね、ほうっ、上野の次にこちらにもパンダが来たのか、上野ではすごい行列で混むから息子達もまだ連れて行っていないが、ここで見られるなら写真でも撮って持ち帰ろうと思いながら進みましたら、ガラス越しに食パンが置いてあるんですよ。あれには騙されましたね。ああいう騙され方は、いいもんですね)
(えっ、お爺ちゃんも騙されたっすか。血のつながりっす。俺も騙されたっす)
(お前は人が良いからすぐ騙されるんだろう)
(うううん、そうじゃなくって、パンダ矢印にっす)
(お前はあの頃まだ生まれてなかったし、それに武蔵、お前は名古屋には行った事ないだろう)
(名古屋じゃないっす。埼玉で)
(食パンが置いてあったのかい)
(うううん、やっぱりパンダって矢印があったから、行ってみたら、レッサーパンダだったっす)
(ああ、あのたぬきくらいの、茶色と黒と白の。あれも可愛い)
(狸ですかのっ、狸汁は美味ですのっ)
(いや、あのパンダも食べないと思いますよ)
(ユリ、見たいなぁ、両方。その狸ぐらいのと、大きい熊猫っての)
(ユリさま、わたくしも目にしたいですわ。その内、どなたかに乗って、動物園に参りましょうよ)
(そうですわね)
(僕もご一緒いたします)
(我輩もお連れ頂きたい)
(あらっ、ロバートさまは、私達より乗るのお上手でしょ)
(私も参りたいですのっ)
(だんなさ〜、だんなさ〜の場合は、如何に召し上がるかでございましょ)
(しかし気の我が身、そう願っても喰えぬのっ)
(お母上、お父上は相変わらず食い意地が張ってらっしゃるのですね)
(食い意地とは、娘に言われたくないですのっ)
(ははは、彦衛門さん、鼠や猫は知りませんが、蛇は中華料理にはあるそうです、私はちょっと手が出ませんでした。羊肉は串刺しの様なのを露天で売ってたので、一口だけ。で、ダックはあひるですよ)
(あひるは家の鴨と書きますな。家鴨と鴨とは別のものなのですかな)
(ロバートさま、以前そのお話なさいませんでしたか)
(ユリもしたような気がします)
(そうでしたっけ。僕のいない時でしょうか。僕、鴨の白いのが家鴨だと思ってましたが。理科は苦手でね)
(カテリーヌさん、フォワグラは何で作るのでしたかな)
(あれは、鵞鳥ではなかったかしら)
(そのほわぐらとは何ですかのっ)
(鵞鳥に無理矢理食べさせてその肝を食すものですな)
(鵞鳥と家鴨と鴨ってどう違うのかしら)
(♪すずめはすぅずめ、チュンチュン♪)
(雀は違うでしょ、ユリ、雀なら分かりますっ。小さいもん。あと、鳩と烏もわかりますっ)
(あっ、ユリおばさん、これ、俺の父ちゃんが小学生の頃流行っていた歌っす。あれにあひるは出てこなかったかなぁ、って思ったっす。すずめは大きくなっても、たかにはなれないって歌っす)
(なんだか現実的な歌ですね)
(夢がない歌っ)
(日本には鳶が鷹を生むという諺がありますな)
(ロバート殿、一寸違うような)
(鳶と鷹の場合は、親子、今の武蔵君の歌は、一人の一生ですね)
(で、雀が違うのは分かるけど、ユリ、やっぱり、鵞鳥と鴨と家鴨は分かりません)
(こういう時にご隠居さんがいらしたら教えて頂けるのに)
(やっぱり、♪あひるはあ〜ひる、ガァガァ♪)
(あらっ、鴨も鵞鳥もガァガァって鳴きますっ)
(あら、先ほどの方、戻ってらした)
「おかしいなぁ、この大きな石碑の近くだって言われてたのに」
(まだ探してらっしゃるのですね)
(本当にこの大きな石碑なのかしら。このセミテリオにはこのくらいの大きな石碑はたくさんございますのに。話しを続けてもよろしゅうございますかしら)
(お疲れでなかったら、ぜひ)
(ええ、大丈夫ですわ。先ほどから時折、みなさまの面白いお話を聞かせて頂いておりますし。それでは、続きを。節さんのご両親の住んでらした武蔵野村の辺り、軍需工場が多かったので、空襲がひどくて、それでも、あり集めの材木で焼け野原に簡易住宅をなんとか建てたとのことで、孫娘を暫く預かっていただけることになりましたの。でも、後から考えますと、その頃から都内の方が食糧調達が難しくなりましたでしょ。あのまま千葉にいらした方が、少なくとも日々の食物にはこと欠かなかったと思いました。預金封鎖の後は、余計に現金より現物でした。燃え残った現物はどんどん食物に交換されて。復員してらした方々の手で、翌春には千葉の方も小さい家が建ち、小さな庭というより畑にして何種類もお野菜を作り始めておりましたの。母屋の老爺に教わりながら、見よう見まねで自給自足。初夏からは育った野菜を武蔵野にお裾分けしようと、でも、お送りするのは恐ろしくてね。食べ物だと分かると途中で盗まれたりしますでしょ。それで持っていこうとすると、駅で没収されかけたりでしたから。大変でした。松澤の焼け跡に畑を作りなさいなと節に申しましたが、お義母さま、作っても食べ頃になったら盗まれてしまいますわ。乳飲み子を抱えてずっと見張りをしているわけにも参りませんでしょ、と言われました。実際、どなたかご近所の方が、私の、いえ、名義は開さんのでしたが、焼け跡を耕して、お野菜を育てていたようでした。地代を頂こうとは思いませんでしたよ。皆様大変でしたし、私は千葉で最低限の物は採れましたし、お隣さんですものね。国会議事堂の前も畑にしていた頃ですから、空き地があれば畑にしないと飢え死にしかねない時代でしたしね。その頃まだ、本人からは何の連絡もございませんでしたが、終戦直前には開さんの部隊はどうも北支の方にいたらしい、その内引き上げて来るだろうからと、焼け跡に棒を立てて、棒の上に濡れないように庇をつけて、全員無事であることと、武蔵野と千葉の連絡先を二つ書いた紙を貼りました。初めて米兵を目にしたのはあの時でしたわ。千葉の農村までは米兵もやって来なかったものですから。克子が、これが鬼畜なのぉ、お母ちゃま、どう見ても日本人より大きくて清潔よ。大連を後にしたのは、克子も朝子も幼い頃でしたから、欧米人の体格の良さの記憶がなかったのでしょうね。お母ちゃま、手足が長くてかかしみたいね、と申しながらも、米兵の背の高いこと、脚の長いことにやたらと驚いておりました。私も驚いていたんですよ。大連におりました時には、印度人は見かけたことございました。白い服にターバン巻いて、女性の方も布を巻き付けた姿でしたわね。ですから焦げ茶色の肌までは存じておりましたが、ほんとに真っ黒の黒人がいるとは。お顔の中で白目の部分と歯が真っ白に目立つんですね。黒人の兵隊さんは、少なかったですけれどね。その頃の復員兵は皆着の身着のままで、寒いですから何枚も着重ねて、そうそう入浴もできず臭かったですものね。寒さしのぎにお髯もぼうぼうでしたし。それに比べて、米兵、いえ、アメリカの兵隊さんだけじゃなかったのですが、やはり圧倒的にアメリカ兵でしたものね、身なりもさっぱり、香水みたいないい匂いもして、何より快活。戦争に勝つということはこういうことなのだと、身なりが良くて、外套も立派で、快活で、我が物顔。私も碧さんも自分たちが戦争をしたわけではなかったのですが、大連でこういう風に見えたのかと、支那人達はこう感じていたのかもしれない、とも思わされました。でも、日本兵に比べて、なんと申しましょうか、なよなよかしら。例えば、気をつけっができないような印象でしたわ。背筋がしゃんとしていないというのではなく、指先までピンと張りつめたというのが無くて、こんな規律でも日本に勝てたのかと、悔しくて。街中のあちらこちらに横文字があふれていて、娘は四人とも外人先生のいらっしゃるミッション系の女学校に通わせましたが、朝子の時にはもう英語の授業は敵性言語だということで半年で終わっていました。でも克子は五年間しっかり学んでおりましたから、看板を読んでは、あら、何々のお店ねなどと興味しろがっておりました。娘達は外人先生の授業を受けてましたのにね、神父さんはご年配の方でしたし、尼さん方は女性でしたし、若い白人を見た記憶が無かったのでしょうね。街を闊歩する米兵の振りまく香水とは違った独特の空気に、朝子は嫌い、臭いと言っておりましたが、 ほんの少し前まで、皇国の臣民だの撃ちてしやまん、だの大和魂だの勇ましいことを申しておりました克子が、鬼畜だった筈の米兵集団の体臭でしょうか、この匂い、私好きよ、 アメリカの匂いって何なのでしょうね。ロバートさま、ご存知でしょうか)
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