第六話 セミテリオに里帰り その九
(方々にいるのが外交員ですかな。外交官と似てますな。我輩もかつては外交官でしたが、普通はあちらこちらの国に本国から派遣されて)
(あっ、似てるっす。外交員ってね、市の事務所から毎日あちこちの家に行って、保険に入りませんかって勧誘するっす)
(あら、それでしたら、わたくしの頃にもいらっしゃいました。徴兵保険や火災保険の勧誘員のことですわね)
(ほうっ、つまり、外交員というのは、保険の勧誘を行う者のことですな)
(そうそう、それっす)
(partでやるとは、一部でやるということですかな)
(パートってのはアルバイトみたいなので、おばさんがやるっす)
(アルバイトとは、独逸語arbeit労働ですね)
(あるばいとが労働で、ぱぁとが一部で、えっと、ユリ、ついていけません)
(おばさん、日本人っしょ、分からないのは古い人だからっすか)
(まぁ、カテリーヌさま、ユリも傷つきました。古い人ですって)
(カテリーヌおばさんもユリちゃんも、古い人には違いない)
(まぁ、虎ちゃんまで)
(だって、僕から見たって、お二人は僕より四半世紀も早く生まれてるんですよ。僕が生まれた時には、もうお二人ともこちらの世界にいらしたでしょ)
(そりゃそうですけれど、やっぱりユリ、古いと言われるのは嫌です)
(申し訳ございません。本当に私の孫は躾がなってなくて)
(あのねぇ、アルバイトってのは、学校行きながら仕事するっす。んで、パートってのは、学校は終えて、え〜と、あれっ、俺にもよくわからない。でも、パートって男の人には使わないかもしんないっす。んで、どっちも一日中、毎日働くんじゃなくて、一日数時間ずつしか働かなくてってののことっす)
(まぁ、勤労学生、苦学生が今のあちらの世にもたくさんいらっしゃるのですわね。涙が出ますわ、いえ出せませんけれど)
(どうして涙が出るっすか。こちらの世界だと涙が出ないってならわかるっすけど)
(お勉強の志をお持ちの方が、お勉強をお続けになるために、働かれるのでしょう。大変なことですわ)
(そうっすか。俺、高校生になったらバイトできるって楽しみにしてたのに)
(楽しみになさってらしたのですか。義男さま、お孫さん、しっかりしたお子さんですわ)
(マサさま、昨今のあちらの世では、アルバイトはお涙頂戴ものではないのですよ。武蔵だって、アルバイトして稼いだ金で楽しもうって考えだったと思いますよ)
(そうっす。アイポッドシャッフルを買いたいって思ってたっす)
(なんですかのっ。そのあいぽっどなんとかと言うのは)
(我輩にもわかりませぬな。英語でもないようですなshuffleは、確かに英語でかき混ぜるという意味ですが)
(かんます、ね。でも英語っすよ。iPodって書くし)
(いやぁ、アルファベットで書くから英語とは限りませぬし。新しい言葉なのでしょうな、きっと)
(で、そのあいぽっどなんとかとは、なんですかのっ)
(音楽を聞く、このくらいので)
(携帯電話というものとは違うのかのっ)
(携帯はね、あれは電話だし。高校に入学したら新しいの買ってくれることになってたし)
(なんだか、分からない世の中ですわね)
(そんな小さいので音楽が聴けるのですかな、いやはや世の中の進歩というものは。もっとも、あの大きさで紐の繋がっていない電話を持っている御仁がたくさんいるわけですし)
(紐っすか)
(武蔵さん、コードのことですよ)
(まぁ、絵都までよその国の言葉を知っているんですか)
(お母上、私、女学校で幾ばくかは教わりましたが、そちらではなく、戦後も随分生きておりましたから。戦後の日本語は大分変わりましたのよ。漢字は簡単になり味がなくなりましたし、カタカナ言葉の外来語が増えましてね)
(紐...紐ねぇ、んで、エロいしんちゃんの話しはしなくていいのかなぁ)
(その前に、エロなんでしたっけ。ユリ、わからないんですけどぉ)
(ユリさま、erotique、grotesque、nonsense、ご存知ないままの方がよろしくてよ)
(ユリちゃん、うん、そう、知らないまま、ユリの乙女のままでいた方が幸せだよ)
(ええっ、ユリが知っちゃいけないことなんですかぁ。ユリ、そりゃ箱入り娘でしたけどぉ、でも、井の中の蛙さんはいやですぅ)
(扇情的、不気味、意味不明とでも訳しましょうかな)
(ロバートさま、ありがとうございました。ユリ、日本語になってもあまり分からないかもしれません。気持ち悪い幽霊みたいな、お化けみたいなのかしら、でもお色気があって、うわぁ、なんだか柳の下の女郎さんみたいな、あら、女郎さんがどろどろに溶けて柳の下で手招きしているようなってのかしら)
(へぇ、ユリちゃん、女郎にさんを付けるんだ)
(だってぇ、お可哀想じゃございませんこと。ご家族の為に身売りなさるなんて)
(そりゃそうだけど)
(麹町の兄もそう申しておりました。ですから売娼伎撤廃を申しておりましたのに)
(あのぉ、女郎さんってなんすか、ジョロウグモってのは知ってっす)
(上臈蜘蛛のことだのっ、女郎とは正反対だのっ)
(彦衛門殿、左様でござるか。我輩は妖怪の名だと聞いたことがあったのだが)
(おうおう、見目麗しき妖怪のことですのっ、ですから上臈)
(もう、みんなの話しわかんないっす)
(あら、ユリも、武蔵さんのお話、わかりませんっ)
(ユリさま、いいお年をして、ムキになられませぬよう)
(お父上、お母上、こちらのお話はほんに面白ぅございます)
(絵都もずぅっとこちらにいらっしゃいな)
(あらお母上、こちらにはお兄様のご家族もいらっしゃるのでしょ。小姑の私がいてもよろしいのかしら)
(ええ、ええ、構いませんわよ。もう世間体も気にすることないですし、それに、温も嫁女も誠もその嫁女も一応いることにはなっておりますが、絵都、気配を感じないでしょう。嫁女達はそれぞれのご実家の方に出て行かれたままですし、温は些とも目覚めませんし、孫の誠は嫁女に付いて参りましたし、ここ、空いてますわ。ましてやわたくし達、嵩の無い身、些とも窮屈ではございません)
(そうそう、それがよろしいですよ。武蔵も、このままここにいれば良い)
(でも、ここの話ついていけないしぃ)
(あら、そんなことおっしゃらないで、武蔵さん)
(そうそう、君がいるとユリちゃんが元気になるし)
(若い方の気は強いですものね、生きる気力になります、あらっ、生きていないのに、変かしら)
(いやいや、気の我ら、気力が大切ですな)
(お若いですから、ご両親様の所に行かれたい時には、念じれば、すぐに行けますわ。わたくしは、仏蘭西までとても無理ですけれど)
(う〜ん、じゃぁ、もう少し、お爺ちゃんの所にいることにするっす)
(武蔵さん、居させて頂きます、とはおっしゃれないかしら)
(ええっ。そんな舌噛みそうな、時代劇みたいな。そんな言葉しゃべれってならやっぱ居たくないっす)
(まぁまぁマサさま、ここは無礼講で)
(え〜と外国人のおじさん、無礼講ってなんっすか)
(う〜ん、酒が飲みたい)
(だんなさ〜、それは無理というもの)
(武蔵君、無礼講とは、地位も身分も関係なく酒を飲もうということですな)
(ふ〜ん、地位と身分ね。身分差別って戦後無くなったって教わったすよ)
(ほ〜ぉ、士農工商は明治の初めに四民平等になったとは知っておるがのっ、身分が無くなったのかのっ)
(華族士族平民がなくなったのですかっ。わたくしは士族ではなくなったのですかっ。あら、華族士族平民ですと三つですわねぇ、何が足りないのかしら)
(穢多、非人かしら)
(それじゃぁ五つになりますわ)
(おばさん、今言った言葉、言っちゃいけないっす)
(はっ、穢多、非人って言っちゃいけないのぉ)
(ユリちゃん、穢多、非人は平民の中に入れるんだ)
(虎之介殿、それでは三つのままではありませぬか。四民平等が成り立ちませぬ)
(ですねぇ。でも、最初は華族士族卒族平民で四つだったので、まぁ、名称だけ残ったのでしょう)
(へぇ〜、卒族なんてのがあったんですかぁ。ユリ、知りませんでした)
(うん、兵卒って言葉、ユリちゃん聞いたことあるでしょ。あの卒。士族を二つに分けていたらしい。上級士族と下級士族とにね。四民平等というのは、四つの身分の間で身分が異なっても結婚できるってことで)
(でも、実際は、同じ身分の方とご結婚なさいましたわね)
「おかしいなぁ、この辺なのに。あれっ、さっきここ通ったかなぁ」
(然様。貴殿は先ほど通られましたな)
(管理棟でお尋ねになればよろしいのに)
(お母上、あの身なりでは管理棟には入れませんでしょ)
(絵都....おばさん、お姉さん、お婆ちゃん、どうお呼びしたらいいのか、やはりとまどいますが、え〜と、そう、実際はね、やっぱり同じ身分の者同士でないと、両家が嫌がってましたね)
(そうでしたわねぇ義男さん。戦後、そんなこと言ってられなくて。自由恋愛になって、でも興信所使って調べてましたわ)
(興信所ってなんすか)
(え〜と、どなたかのことを調べる事務所で)
(それって、浮気の調査しますって入るチラシみたいなのっすか)
(浮気っ。武蔵君、中学生でしょ。うわぁ、ユリ、信じられません)
(ユリおばさん、あのね)
(おばさんっ)
(もう、ユリ、嫌っ)
(ユリさま、まぁまぁ)
(あのねぇ、おばさん、もう平成なんっす。浮気なんて言葉、小学生だって知ってっす。で、浮気の調査すんのは探偵事務所っす)
(探偵とな)
(何やら、警察の探偵のようですな)
(おっ、警察。私の血が騒ぎますのっ)
(警察に探偵がいたっすか)
(悪い人を捕まえる前に、調べるだろう。その巡査を探偵と言うんだ)
(へぇ、デカ長じゃないんだ)
(デカ長とはなんですかのっ)
(俺、知らないっす。でも、テレビで刑事物をすると、デカ長ってよく言ってっす。内の母ちゃん好きだからよく見てるっす)
(刑事、そういえば以前、虎之介殿が、ほら、いつぞやの亀歩き青年の時、警察官に乗って行かれた折の話し、まだお伺いしてませんのっ)
(母ちゃんって、お母様が警察のお話を好きなんですか、まぁ)
(まぁって、フランスのおばさん、婦人警官ってのもいるし。今ね、男と女も平等っす。み〜んな平等。女がなれないのはすもうとりぐらいっしょ)
(まぁ。それでは警察官にも軍人にもなれるのでしょうか)
(お母上、軍はなくなって、自衛隊と言うんですよ。婦人自衛官も婦人警察官もいらっしゃいます)
(まぁ、女の身で敵を殺すのですか。女の身で人殺しを捕まえるのですか.世も末でございます)
(お母上、あの日支から世界大戦になった後には、幸いにも日本はどちらとも戦争いたしておりませんのよ)
(あのぉ、武蔵さん、わたくし、確かにフランスのおばさんですけれど、カテリーヌって名前がございますの)
(だって、その名前、なんだか覚えにくいっすよぉ)
(カトリーナ台風というのがございましたね。私がこちらの世に参る少し前でしたが、アメリカで大騒ぎになっていました、あっ、あれは台風とは呼ばないのでしたっけ)
(そんなことあったっけ。俺覚えてないっす)
(昔カスリン台風というのもございましたね。息子、あっ武蔵の父のことですが、そこの店の近所のご老人が話してました。息子も生まれる前でしたが、今息子がいる辺りは大変だったようです)
(おっ、それ、前に誰かが話したことあったのっ)
(我輩でござる。我輩が旅しておった折に、電柱の印を見せられましたな。いや、見せられたのは我輩ではなく我輩が乗っておった御仁でしたがな。そうそう、武蔵君、そのカスリンとカトリーナとカテリーヌ台風は同じなのですな)
(はぁっ。だって、カスリン台風ってのは、俺も聞いたことあっすけど、それって父ちゃんが生まれるより前の日本っしょ、お爺ちゃんが死ぬ前のアメリカの台風と、フランスのおばさんがどうしていっしょなんすか)
(カテリーヌさんは、英語読みするとキャサリンなのですな、当時、キャサリンと発音し辛い日本人はカスリンと言っていたらしいのですな)
(えええっ、そうっすか。キャサリン先生だったら、イギリスのALTと同じっす。キャサリンだったら覚えていられっす)
(なんですの、そのえいえるてーってのは)
(えいえるてーじゃなくって、ALTっす)
(僕にもわかりません)
(我輩にもわかりませぬ)
(えええっ、アメリカのおじさん、ええっとロバートさんにもわからないっすか。英語っしょ。英語の授業を手伝ってくれる、英会話の先生のことっす。俺の市にはイギリスから来てたっす)
(ふむ。また新しい英語が生まれているようですな)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は5月11日の予定です。