第六話 セミテリオに里帰り その五
(それで、まだ教えて頂いてないのですが、ロバートさんはどちらのお国の方なんでしょう)
(おっと、まだ申し上げておりませんでしたかな。亜米利加合衆国です)
(まぁ)
( まぁ、とは失礼ですよ、絵都)
(すみませんでした。でも、お母上、アメリカには色々と複雑な思いがございます)
(絵都、わたくしがこちらに参ります前にも、大東和共栄圏を作ろうとがんばっていた日本に対してABCD包囲陣が敷かれ、石油や鉄が輸入できなくなって、日本はいじめられている様なものでしたから、絵都の気持ちもわからないのではないのですが、ロバート殿は、それより随分前に亡くなりましたのよ。ここのセミテリオでお付き合いさせて頂き、博識で日本のこともよくご存知ですわ)
(マサさま、かたじけない。絵都さん、お手柔らかにお願いいたします)
(お母上、そうはおっしゃっても、聡子も克子も朝子も尋常小学校から女学校までずっと、太平洋の両側で世界の警察をしているアメリカと日本、という風に教わっておりました。まだ国家として未発達なアジアの諸国を教え諭し治安を維持するのが、太平洋の西側に位置する日本の役目だと。けれど、所詮、アメリカは欧州の白人国家のお仲間、黄色人種は白人より劣っているからと、日本の覇権を快く思わず、日本を除け者にし、日本が我慢しきれなくなり、とうとう真珠湾攻撃、戦争になりました。婦人会の支部長やっておりましたでしょ。いくつもあった会が翌年には一つにまとめられて、殿方はどんどん戦場へ、残った私たちが、いえ、婦人会も上の役職は、お年を召された戦地には行かれない町内会の要職に付かれている、退役軍人さんや大店の殿方が名前を連ねて、会合の度に最初に演説なさったりしてましたが、実際に動くのは私たち婦人でしたでしょ。それも、以前からのそれぞれの国防婦人会と更に旧い愛国婦人会が統合されましたから、表向きはみなさんにこやかに仲良さそうに、お国の為、銃後の護りなどおっしゃっても、一歩中に入ると、殿方の誰それを巻き込んで勢力争い、醜いものでした。それでいて 私たちは襷がけ、兵隊さんは命がけ 、みなさん白い割烹着に襷をかけて集まれば、神を敬ひ詔を畏れみ皇国の御為に御奉公致しませう、銃後も戦場だの、万歳して兵隊さんを送り出し、我が家の誉れだの、国防は台所からだの唱和し、貯蓄増強だの、金属供出だの隣組に回覧板を廻せばひそひそうわさ話なんだかんだどうのこうのと足の引っ張り合い。配給も滞るようになり、空腹を抱えての国防訓練、バケツリレーの消火訓練、はちまき絞めて竹槍訓練。そういう時はここぞとばかり威張り怒鳴りちらす退役軍人。それでもね、私、日本が戦に負けるなど思いもしませんでした。新聞でもラジオでも、どこそこで何隻撃沈、どこそこを死守など勇ましい話ばかりで、耐えれば,頑張れば勝つ、西洋がいくら強くとも、大和魂の前には膝を屈するだろう、神風が吹く、神国皇国大日本帝国万歳万歳万歳、でしたもの。窓ガラスにどう新聞を貼れば割れにくいか、男手の少ない中で防空壕を作り、先妻さまのお子の開は招集されてましたし、同じく光さんと、私の長女聡子はとっくに他家に嫁いでましたし、克子は療養中で神奈川へ、朝子は女学校ごと千葉へ疎開、松澤には妊った開の若妻と私だけでした。夜間になると鬼畜米英の軍機が頻繁に空襲、大事なものを詰めた背嚢を抱いて空腹をしのぎながらの眠れない日々。終戦の年の五月には空襲で、とうとう私達も焼けだされ、幸い節も私も怪我もなく、焼け跡に呆然と座り込んでいた私達のところに、翌日夕方、神奈川から克子が、千葉から朝子が、二人ともたどり着くまでに焼死体を嫌と言う程目にしたそうで、黒こげになったり生焼けの、まだぶすぶす音をたてたり灰色の煙が立つ、申し訳ないけれどすさまじい悪臭のねじれたご遺体がいくつもごろごろ転がっていた、と青ざめた顔で駆けつけてくれました。克子の療養先の神奈川の方が近かったのですが、学校毎疎開し、県立高女に編入していた朝子はまだ学業半ばでしたから、皆で千葉に疎開いたしました。幸い、持ち出した背嚢にお金も貯金通帳も入れてありましたから、千葉で農家を間借りして、千葉なら安全だと思っておりましたのに、朝子が勤労動員で狩り出されていた工場に昼間空襲。女学生達が逃げ惑うのを米軍機はダダダダダッと追って銃撃したそうです。確かに帝国の飛行機の部品を作っていた工場でしたが、もんぺをはいていたからといって、操縦席から女か男の区別もつかないのでしょうか。朝子は幸い、工場内の事務机の下に逃げ、飛行機の音が遠のいてから机の下から出たところ、机の天板に穴があいていて、机の引き出しに弾が入っていたそうです。間一髪で助かったのですが、外に出てみたら、工場敷地内のあちこちに虫の息や絶命した級友達が倒れていて、お母ちゃま、とっても怖かったと、都内で焼死体をいくつも目にしてましたのに、その日の朝には普通におしゃべりしていた級友が何人も爆撃で亡くなり、朝子は涙も出ずに呆然としておりました。終戦後本来の女学校は再建され、授業も開始したのですが、松澤の家もすぐには再建できず疎開先にとどまり朝子は県立の方を卒業いたしました。それでも、朝子の元いた女学校の同窓会名簿は頂きまして、朝子の前後の学年は死去で住所が記載されていない方がたくさん。松澤の家によくいらした朝子のお友達もその時亡くなりましたし。米軍機のせいですわ。あたら若い命が、それも女性が。米軍機に狙い撃ちされたのですよ。米国の方を平然と受け止めよとおっしゃられても、お母上、無理ですわ)
(お爺ちゃん、すっごい迫力っす。歴史の授業より面白いっす)
(あらっ、どなたかしら)
(えっ、僕より若い声、どこ)
(俺っすか。あっ、俺、ちょっと来ているだけで、ここの住人じゃないっす)
(俺じゃなくて、僕と言いなさい。まったく躾がなってなくて、すみません。突然話しに割り込んで、すみません。私の孫でして。私の三男が墓参りしに来た時にここに一緒に来て、数日前からここにいるんです)
(え〜と、まぁ、お宅さまがいらっしゃるのは存じておりましたが、いつもお静かに暮らしてらっしゃるので。義男さまでしたわね。まぁ、お孫さんがいらしてるのですか。あら、お孫さんって、随分若くこちらの世にいらしたようですわね。残念でしょう)
(ユリみたいに、ご病気ですか)
(まさか、我輩みたいに殺されたわけでもあるまい)
(事故というか、自殺というか)
(まぁ自殺ですの。カトリックでしたら同じお墓に入れていただけないこともございますのよ)
(お若いのにのっ、何故自殺など)
(あの,俺、自殺するつもりなかったっす、俺的にはあれは事故だったんですけどぉ、でも、俺が死んだあと、自殺みたいにされちゃって。まぁ、俺、矩雄達にいじめられてたから)
(俺じゃなくて、僕にしなさい)
(僕じゃ、保育園児か小学生みたいっす)
(僕、高校生ですが,僕と言います)
(お兄さん、昔の人でしょ)
(昔...たしかに。でも僕は高校生のままで...そりゃ生きていたらもう八十を超えてるけれど)
(ほら、やっぱり昔の人っす。俺のお爺ちゃんより年上っす)
(ところで、いじめられるようなひ弱には見えないがのっ)
(俺、のろいっす。でかいとのろくなるっす)
(おいくつですの)
(十四、中学二年っす)
(うわっ、この中で一番お若い)
(あら、ユリさん、わたくしのロビンが一番若いですわ)
(ば〜ば〜)
(ほら、ロビンが文句申してますわ)
(あら、カテリーヌさん、ごめんなさい。ロビンちゃんはお話できないんですもの)
(お話しできなくとも、心は通じておりますでしょ)
(カテリーヌさん、お許しになって)
(それでお名前は)
(武蔵っす)
(すみません。孫のしつけがなってなくて。ちゃんと、ですと言いなさい)
(無理っす。癖になってるっす。お爺ちゃん、もっとこのお婆ちゃんのお話聞きたいっす。歴史がこんなに面白いなんて思いもしなかったっす)
(面白い、ですか)
(だって、米軍機の爆撃のダダダダダッって、すっごい迫力っす)
(武蔵さん、私もね、空を飛んでいる米軍機なら、最初の頃はのんびり見上げておりました。でもね、あの戦争の時の生活、笑い話にはできませんわ。ほんと、ひどかった)
(終戦の日ってあるっす、夏休みの間に)
(まぁ、終戦がいつだったかもご存知ない。八月十五日ですよ)
(すみません、ほんと孫の躾がなってなくて)
(その終戦の日の頃になると、資料館が毎年、戦争中の暮らしってのをやるっす。それで、戦争中に使っていた、割れるお金とか、紙のランドセルとか、物が並ぶっす。俺、夏休み行くとこないから、暇で、毎年資料館行くっす。でも、いつも同じような物ばかり並ぶし、漢字も難しいし、つまんなくて。でもお婆ちゃんの話し聞いてると、すっごくわかるっす。だから面白いっす)
(戦争は、ABCD包囲陣でいじめられた日本がやむを得ず始めたものでした。いじめられていなければ、真珠湾を攻撃などいたしませんでした。原爆も落とされず、朝子の級友達も死なずにすみました。私も戦後の苦労もせずにすみました)
(武蔵だって、いじめられていなければ、事故死ですんだものを)
(いじめはあったっす。僕的には事故死だけど、矩雄たちがいじめてたから、あいつら散々調べられたって思うと、いい気味っす。ざまぁみろ)
(こらこら、武蔵、言葉遣いに気をつけなさい)
(あら、その一寸意地悪な所、私気に入りましたわ)
(絵都こそ、お年を考えなさい。十四のお子と同じ考え方など、みっともないですよ)
(あら、お母上、お母上はあの頃、お父上のご病気にかかり切りで、私がどんな女学校生活でしたか、ご存知ないからおっしゃれるのですわ。そう、私もあの頃、十四でしたのね)
(女学校生活。いいなぁ。ユリ、あこがれます。美しい調べと甘い香りが漂う花園)
(ユリさん、そんなことございませんわ。花園には刺のある薔薇も、触るとかぶれる草や毒のある実、臭い葉も生えてますのよ。見かけと実態は異なるものです)
(まぁ、そうなんですか)
(あの頃の女学校は、私の娘達、光さん、聡子、克子、朝子の頃とは違って、まだ女学校に通う方は少のうございました。お金に余裕がなければ無理でしたもの。それに教育、ましてや女子教育をご理解なさってたご家庭だけでしたもの)
(あらっ、絵都お姉さま、ユリの家は余裕はありましたし、それに、和裁やお華やお茶や、色々身につけましたの)
(ユリさん、女子教育というのは、そういう伝統教育とは異なって、男子同様に、理科や数学や外国語も学び、偉い殿方の支えとなり家庭を築き、優秀なお子を育てる為の教育ですわ)
(でも、理科や算数の難しいのや他所のお国の言葉なんて、家庭に入っちゃったら、いらないでしょ。ユリはそういうお勉強は好きではありませんでした)
(たしかに、私も歴史や生物学や天文学など、大して役にたちませんでしたわ。英語は夫と出会ってからは話す時の基礎になりました)
(カテリーヌさんまでそういうことおっしゃる。わたくしは安政の生まれでしたし、まともにお勉強などできない時代でした。それでも、兄の書物をお借りしたり、殿方がうらやましゅうございました。それで、娘にも孫娘達にも皆、女学校に行かせました。それに、お兄さまが、女子教育に熱心でしたもの)
(お母上、たしかに、お父上より伯父さまの方が、私が女学校で学ぶことに熱を入れてらっしゃいました。お父上は、どうも、その辺り適当でしたもの)
(絵都や、おごじょには尋常小学校で充分だと思うのっ)
(だんなさ〜、おごじょにも教育は必要でございます。兄もそう申しておりましたでしょ)
(いやぁ、武人どんは、その父上のご行状に困っておったからのっ。次から次へと弟妹ができるのは、父上に騙されるおごじょがいるわけで、おごじょがきちんと考えられるようにと。その程度なら尋常小学校で充分だのっ)
(まぁっ、だんなさ〜、確かに私の父は手が早いと申しましょうか、節操がなかったとはいえ、おごじょが教育を受ければ父無し子を作るようなことにはならないのでしょうか。異国においつけ追い越せの時代、天子さまの下でおごじょもお国の発展にお役にたつ為にと思っておりましたのに)
(あのぉ、お父上お母上、お考えの違いは、よく分かりました。私、女学校のこと、ユリさんにお話ししてもよろしいでしょうか)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は4月13日の予定です。




