第六話 セミテリオに里帰り その四
(え〜と、どうお呼びしたらよいのか、お爺ちゃんとお婆ちゃんのお嬢さまとお呼びするのは長過ぎますし、それにお爺ちゃんとお婆ちゃんよりお年上に見えますし、絵都さんとお呼びするのも失礼ですし、おばさま、ですか、え〜と、絵都おばさま)
(はい、え〜と、どなたでしたっけ。学生さん、ですわね、書生さんかしら)
(いえ、一高在学時にこちらに参りましたから、学生です、でも、あのまま生きておりましたら、もうとっくに八十路を超えております、芥川龍之介から竜虎に因んで名付けられました虎之介と申します。あっ、それで、絵都おばさま、霊口が人口より多いのは致し方のないことでして、あちらの世ではどんどん産まれますが、他界もするわけで、こちらの世では、他界されてらした方がどんどん増えて行く。昇華される方もそれなりにいらっしゃいますが、昇華なさらない、いえ、ここでお話してます僕達もそうなんですが、昇華したがらない、あるいは非常に屢々あちらの世で思い出され、名前を行いを口にされる方々は、昇華なさりたくともなされないので、霊口はいや増すばかりでして)
(まぁ、そうなんですの)
(絵都、どうもそうらしいのだのっ。ほら、あちらではこちらを知らないから、死んだら終いみたいに、私もそう思っておったのだがのっ)
(こちらのこの状態を受け入れられない方々は早々に石になられるようですわ)
(受け入れられないとは、どういうことでしょう)
(何時の時代にも何処にもおりますな。古今東西、我が身の置かれた状況に必要以上に抵抗する者が)
(どういうことでしょう)
(苦しい立場から脱出したい、これはわかりますな。されど、我が身の苦しさから抜け出す為に、あるいは我が身が苦しまぬ為に、他者を苦しめる輩。こういう輩は他者の苦しみを推測できぬわけで、他者の苦しみを推測できぬ輩は、目の前にあるもの、我が目で見たものしかその存在を信じられぬものでして、それが極端になると、我が目の前で起きている事象でも、我が理性感性の範疇に無い事象は起きている事すら認められない、というわけでして。つまり、こちらの世などあるわけないと思ってこちらの世に来た者は、こちらの世が紛い物に見える、斯様な処に我が身があるわけがない、そうなると黙り込む、石になるわけですな)
(他にも石になる方もいらっしゃいますし、お華になる方もいらっしゃるの。ユリはお花ですから昇華したいんです)
(あちらの世で辛くて辛くて、もうこちらの世でもどなたとも口をききたくない。ご自分の世界に閉じこもられる方も石になられるようです。このご近所でも、墓石にはお名前たくさん書いてあっても、こうやっておしゃべりなさる方々や出歩かれる方々ばかりではございませんのよ。幸い、わたくしは、ロビンと一緒ですから)
(ご主人さまでらっしゃいますか)
(あら、いえ、次男ですわ。主人は英吉利に長男と参りました。たぶんあちらのお墓に。それこそ霊口が多過ぎて、それに遠過ぎまして、もう随分長い間会っておりませんの。ロビンは幼過ぎてお話はできませんが、一生懸命わたくしに話しかけて参りますのよ)
(まぁ...ところで、先ほど難しいご解説を下さった、え〜と、ロバートさん、どちらのお国の方ですの。白いお召し物とパナマ帽からお見受けするところ、大正中頃の方でらっしゃいますかしら)
(ピィンポ〜ン)
(卓球のことでしょうか)
(あはは、みなさまお耳にしたことございませんか。昨今のあちらの世では時折使われておるようでしてな。然様、という意味のようでござる)
(卓球の球があたるからでしょうか)
(虎之介殿、どうも違うようですな。それで外れの時にはブッブ〜と申すようですな)
(それはもしかして不不でしょうか)
(絵都さん、不不とは)
(いえ、大連で、ぶ〜なんとかって、断る時や嫌な時に支那人がよく使っていたのを耳にしておりましたから)
(不始末、不遜、不敬、不機嫌、不老不死の不ですのっ。漢籍の否定の文字ですのっ)
(だんなさ〜、漢籍は支那の物ですから)
(一本取られもした)
(あのぉ、一本、何を取られたのでしょうか)
(あっ、カテリーヌさん、負けたという時にね、一本取られたと言うんですよ。あっ、でも、ほんとに、何を一本取られたんだろう。カテリーヌおばさん、気になって寝られないような事をおっしゃらないでくださいよ)
(虎ちゃん、大丈夫よ。セミテリオの時は永遠)
(いやぁ、永遠に眠れないと、僕たちだって昇華してしまうかも)
(だめ、虎ちゃんがいないと面白くないもの。ユリ、肋骨だと思うの。前、ロバートさんおっしゃってましたよね。男の肋骨から女が作られたって。ってことは、女が男の肋骨を一本取って、勝ち)
(おっ、それはいい。しかし、世の男は納得しないでしょうな。女の勝ちでは。それに、その日本語は耶蘇教が日本に入るよりも旧くからあるのではないですかな。糸などいかがでしょうか)
(糸、糸一本では何もできませんわ。白髪でしたらたくさんございますが。あら、だんなさ〜、なんこなどいかがかしら、でも、あれは負けても一本取られませんでしたわね)
(わっはっはっはっ。皆の衆、この彦衛門を笑わせてくださりあいがとさげもした。珍しくロバート殿や虎之介殿がご存知なかったとはのっ、その上、マサが忘れておったとはのっ。先ほど取られた一本を取り返せましたのっ。その一本取られたは、剣術のだのっ、隙を突かれた時に言う言葉だのっ)
(あら〜、そういえば)
(そうえいばそうでしたね。僕も少しは習いましたが、もう忘れてました、面目ない)
(おっ、我輩古傷が痛みますなっ。あれは突かれたのか刺されたのか)
(ロバート殿、嫌なことを思い出させてすまんのっ)
(お母上、お父上、こちらのセミテリオではいつも斯様な調子なのですか)
(そうなんですよ、絵都。わたくし、楽しませて頂いてますよ)
(お酒を召し上がられてもいないのにお父上が斯様にご機嫌麗しゅうらっしゃるとは)
(絵都、あちらの世はあちらの事。地位もあれば立場もあったからのっ、本音の中にも建前があったがのっ。こちらは本音ばかり。本音の中にあちらの世の建前が時折顔を出すがのっ)
(で、絵都さん、我輩のような身なりの方をよく見かけたということですかな)
(えっ、あっ、はい。いえ、パナマ帽の方をよくおみかけいたしましたのは、帝都でも、それに外地で。大正の中頃から昭和の初めくらいでしたかしら。大連には、支那人はじめ、露西亜人、亜米利加や英吉利、独逸や仏蘭西の方々もいらっしゃって、そういう方々はよく白の上下にパナマ帽でしたの)
(ふむふむ。我輩、白の上下で思い出しましたぞ。今のあちらの世にも白の上下を街中で時折見かけますな。McDonald’sに何度も入ったあの時、隣のえ〜とどの州だったか、あっ、Kentuckyの店頭に白の上下の白髪の爺さんがいましたな。おっと、あの御仁はパナマ帽は冠っておらなかった)
(それって、フライドチキンのお店のことでしょうか。朝子が好きでした。私に穴子寿司を買ってきてくれて、一緒に食べるのかと思いきや、朝子はフライドチキンを私の目の前で頂いてましたのよ。あの油の匂いで穴子寿司が不味くなりそうでした)
(ねぇねぇ、虎ちゃん、ご隠居さんがいらしたら、支那人のことおっしゃるかしら)
(ご隠居さんって、どなたですの)
(ほらそこのお墓の方なんですよ。とってもお元気な方で、あちこち飛び回ってらっしゃるの。今日もお留守みたいですけど)
(まぁ、そんなにお元気な方がいらっしゃるのでしょうか。私などあちらのセミテリオでずっと墓から出ずでしたのに)
(ご隠居さんは楽しいお方でのっ、その内、絵都もお目にかかれるのっ)
(ご隠居さんは、明治の三十何年でしたかしら、絵都より少しお若い方ですよ。愛宕でお生まれになって、一高、帝大出の医者さまで、百歳まででしたかしら、あら、絵都よりお年上ですわ)
(それで、どうしてそのご隠居さんが、支那人のことをおっしゃるのでしょうか)
(いえね、絵都、ご隠居さんは、明治大正昭和平成と生きてらして、どうも戦後は支那人と言う言い方は、なんでしたっけ、馬鹿にしてる呼び方だから、今のあちらの世では使ってはいけない言葉だとおっしゃってましたの。支那という国はもう無くて、今は、なんでしたっけ、とっても長いお名前のお国になったとか)
(お母上、平成の世は私ももうこちらでしたが、あちらで明治大正昭和と生きて参りました。満州国は戦後なくなり、中華民国は大きな国になって、お国の名前が長いものに変わって、でも普段はみなさん中国と呼んでおりますわ、いえ呼んでおりましたわ。でも、私が大連におりました頃には、支那人と呼んでおりました)
(あのぉ、パナマ帽って、ロバートさまのおかぶりになってらっしゃる帽子のことですわね。カンカン帽とは違うのかしら)
(ユリちゃん、カンカン帽って缶詰の缶でつくるから叩くとカンカンって音がするんだよ。で、パナマ帽はパナマで作る)
(パナマって何ですか。高級な香しいバナナなら、ユリも知ってます。お口にしたことはないんですけれど。あのバナナみたいな果物からお帽子が作れるのでしょうか)
(パナマとは場所の名前でござる)
(あら、バナナじゃないんですか)
(パナマではバナナも採れますな)
(あら、では南洋のお国なんですね)
(あの辺りは南洋ではなかろう。ユリさん、亜米利加の位置はわかりますかな)
(はい、前、びわちゃんに乗せていただいて小学校に行った時に、地図で見ました。カタリナちゃんの所が南亜米利加ですよね)
(そのカタリナさんは我輩にもわからぬが、二つの亜米利加、北と南の間が細く繋がっている、その辺りがパナマですな)
(そこで作るからパナマ帽なんですね)
(いや、そこに我が国の大統領が行った時に冠っていた帽子だからだと言われておりますな)
(へぇ〜、ロバートさまのお話、なんだかややこしいです。バナナでもなくて、パナマという場所でもなくてなんて。それに、虎ちゃん、帽子を叩くなんてユリ考えたことございませんでした。あちらに生きている時に叩いてみればよかった、あっ、もちろん冠られているのではなくて、そんな失礼なことできませんもの。あら、でも他所様のお帽子を冠ってらっしゃらない時でも叩くなんて、それも失礼ですわね、お店の売り物を叩くなんて、商いの家で育ったユリには、やっぱりできませんし)
(虎之介殿、ユリさんをからかうものではありませんっ。ユリさんがお可哀想でしょう)
(ふふ、でも半分は本当だと、僕だって思っていたんですよ、パナマで作るんだって)
(えっ、それじゃぁ)
(そう、缶詰の缶で作るってのはでまかせ)
(カンカンって音がするのはどうなのでしょう。やっぱり叩いてみればよかったかしら)
(カンカンと音がするからカンカン帽と呼ぶのでしょうか。わたくしの国ではcanotierと呼びますから、それでだと思っておりましたのに。たしかに硬いのですが、カンカンと音がする程でもございませんでしたわ)
(まぁ、カテリーヌさん、叩かれたんですか)
(いえ、叩いたことはございませんわ。でも、手触りで、分かりますでしょ)
(仏蘭西のお言葉からでしたの。わたくし、かんかん照りの日にかぶる帽子だと思っておりました。あら、でも、かんかん照りの日にかぶる帽子はどちらかというとパナマ帽の方かしら)
(ええっ、やっぱり、ユリ分かりません。カンカン帽とパナマ帽ってどこが違うのかしら)
(そうですな、たしかに形はそっくり)
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