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第六話 セミテリオに里帰り その二


(ロバートさま、何をお一人でぶつぶつ)

(いえ、我輩も薄暗がりで、あの時、刃の邪気を感じたのに、ほろ酔いで避けきれず、こちらに来てしまい)

(まぁ、そうでしたの、ほろ良いでしたの)

(何が辛いと申しまして、我輩に刃を振るった者の正体を知らぬことでしてな、どの筋の者だったのか、気になって気になって、昇華するどころではなく、こちらで生き延びております)

(わかった。ロバートおじさんみたいなのを邪気って言うんだ)

(我輩は邪気ですか、とほほ)

(わたくしは邪気ではございませんことよ)

(ユリもちがいますっ)

(僕も違うと思うけれど、自身無い)

(邪気であろうと芳気であろうと、だいじょうぶですよ。今までわたくし達、あちらこちら乗せていただいて、殆どの場合、気付かれておりませんでしょ。昨今のあちらの方々は、気配を感じないほどにお忙しいのでしょう、きっと)

(そういえば、ユリ、忙しいと言う字は心が亡いと書くって教わりました)

(忙しいだけではなく、世の中明る過ぎて、気配を感じられなくなってきているのだろうのっ)

(先ほどの、暗いと、目が見えない分、よく聞こえよく匂うですわね)

(然様、夜の便所はよく匂う)

(だんなさ〜、昨今のお手洗いはあまり匂いませんわ)

(つまらないのっ、いや、つまったら大事、いや、失敬)

(しない事は忘れる。気配を感じない者がどんどん増える、辛いものですな。我らが存在は、存在していることすら忘れられる、忘れられるから感じてもらえない)

(忘れられるから化石になる、昇華する)

(辛いですわ)

(いいもん。ユリは楽しみます。忘れられてもいいですっ。楽しみますっ)

(ユリちゃん、その意気その意気)

(お父上、お母上、こちらの墓地の方々、みなさまこんなにいつもおしゃべりしてらっしゃるのでしょうか。お父上もお母上も生き生きとなさってらして、私よりよほどお若く見えます)

(おっ、悦、いや絵都、少しは疲れが取れたかのっ)

(はい、いいえ、まだ。こちらに参りますのには、疲れませんでした。そよ風に乗せられた様な心地良さで、お父上とお母上の間で両手を握られて、幼い頃のように幸福感で満たされておりましたもの。でも、こちらの世で過ごした二十七年というもの、あちらの墓地では、ただただだんまりの、無言の行のような年月でしたから体が、あら、体ではなく、どう申しましょう。気の体かしら、気の体中が凝っておりますようで。皆さまのお話しお伺いしておりますと、こちらでは皆さま固まっておりませんのね。不思議でございますわ)

(固まっておるとは、絵都さん、化石になりかかっておりましたな)

(え〜と、外人さん)

(絵都、ロバート殿ですわ)

(お母上、有り難うございます。ロバートさま、私のおります墓地では、みなさまご家族ごとに固まってらして、会話などございませんの。家が大事、家を一歩出ましたら他家。隣組などございませんの。ですから、みなさま無言の行者みたいで、私も、墓地に入るとはそういうものなんだと思いまして、義理の息子が入って参りましても、私は何も語らず。義理の息子の方は、お母さん、こちらの世を題材にしてカメラワークを考えたいのですがアイデアあったら教えてください、などと言われても、口を開かずでしたの)

(まぁ。絵都、こちらでも隣組など無いですよ。でもおしゃべりしたい方々がこうやって。こちらにも無言の行者方々もたくさんいらっしゃいますよ。どうしなければいけないなどと決まりもございませんし、それぞれが気楽に、気を楽しみますの)

(義理の息子とは誰のことかのっ)

(ああ、だんなさ〜はご存知ないのでしたわね。絵都、いえ大戦前ですから悦だった頃、再婚したお相手の先妻さまのご長男の開さんのことですわね、悦、いえ、絵都)

(はい、お母上、左様でございます。開さんには、戦後お世話になりました。でも、私、カメラワークなどと言われましてもねぇ)

(そのカメラワークとは何ですかな。写真機の仕事、ですかな)

(え〜と、ロバートさまでしたわね。カメラと申しましても、あら、あれも写真機なのでしょうか。あの、映画、あっ活動と申した方がよろしいのでしょうか、とまっているお写真ではなくて、動いているものを撮影するカメラ、写真機の事なんです。私もよくは存じ上げないのですが、カメラをどの向きから構えて、どの大きさで撮影するかということらしいのです)

(ほうっ、エジソンの発明した技術を元に、開発された映画を、絵都さまの義理のご子息が撮られていたというわけですな。浅草の電気館で時折目にしましたぞ。弁士がおもしろおかしく語るのが我輩は気に入りましてな。そうそう、日露戦争や忠臣蔵も見ましたな。弁士の日本語が素晴らしかったですな。あの独特の節回し)

(ロバートさん、日本語お上手ですのね)

(我輩、日本が長いものでして)

(ロバート殿はややもすると私よりこの国のことに詳しいですからのっ。日露戦争の活動は私も見たのっ。勇ましさに、西南の役を思い出してのっ、血が騒ぎもしたのっ)

(だんなさ〜、あの頃は、温が無事に帰ってくるかどうか、私はとても不安でしたのに)

(まぁ、お母上、そうでしたの。お母上と違って、私は明治の女。義理とはいえ育てた息子を戦、あっ、日中事変から始まった第二次世界大戦に取られましても、辛いとは感じませんでした。お兄さまが日露戦争に取られました時にも、そりゃ、生きて帰ってきて欲しいとは思っておりましたが、どうせ死ぬなら敵の一人を殺してからなどと思っておりました。私、女学校の帰りに電車の停車場まで、よくお友達と歌を歌っておりましたのよ。いつもでしたら、先生に見つかるとみっともない、およしなさい、でしたのに、戦争の歌でしたら、先生もお止めになられないものですから、余計に勇ましくなって、そうそう、戦勝の後にも、軍艦行進曲、手を大きく上げて、流石に袴の脚は上げられなかったのですが、もう行進みたいにして。パラソルを銃に見立てて肩にかけて。流石にこれは先生に叱られました。戦争、勝てば嬉しいものですわ。あの頃は、良かったです)

(♪旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル、乃木大将と会見の処は何処水師営♪ですね。僕、尋常小学校で習いました)

(ユリ、手まり歌なら知ってます。♪いちれつらんぱんはれつして、にちろせんそうはじまった♪ でしょ)

(ユリさんのも虎之介殿のも、戦勝後にできた歌ですよ)

(ユリさん、同じくらいのお年かしら)

(ええっ、でも絵都さま、とてもお年をとられてらっしゃる)

(あら、私、九十三でこちらの世に参りましたから)

(でも、日露戦争の時、私はえ〜と、四歳でした。戦勝の提灯行列をぼんやり覚えているくらいです)

(絵都さまは、マサさまのお嬢さまですものね。ユリさんよりお若い筈はございませんわね。そして、マサさまより長生きなさったからマサさまより老けてらっしゃる、あら、ごめんあそばせ)

(構いませんわ。確かに、老けております。もうあちらの世に参りたいです。そうおっしゃるえ〜と)

(カテリーヌです。わたくし、千八百八十八年生まれですのよ)

(千八百八十八年ということは)

(明治二十一年です)

(あら、私より少しお姉さまでらっしゃいます)

(お近づきになれて嬉しゅうございます)

(どうしてそんなにお若く見えるのでしょう)

(あら、ご存じない。あっ、そうでしたわね。あちらのセミテリオではおしゃべりなさらない、ご存知ないのですわね。私、こちらの世に参りましたのが三十五でしたので、その時のまま。でもね、絵都さまもお若くお見えになれますのよ。ご自分で念じられれば、お若い時のご様子を思いだされれば。気を張りつめてらしゃればそのまま保たれますわ。ただ、気を抜くとまた元に戻ってしまいます)

(然様、元の木阿弥)

(おっ、流石ロバート殿)

(えっ、なんですか、そのもとのもくあみ、早口言葉でしょうか)

(カテリーヌさん、元に戻ってしまうということですよ)

(漆を塗ったお椀、お高いでしょ。でも使っている内に漆がはげて、元の木の椀に戻ることなんです)

(あら、マサさま、そうでしたの、ユリはお坊さんの話しだと思ってました。木阿弥というお坊さんが、年とって修行をやめて元の奥さまの所に戻られてという。この前、ご隠居さまが、明治からは結婚するお坊さまが増えたとおっしゃってましたが、昔のお坊さまは結婚なされなかったから、あら、ひどいお話ですわ。木阿弥さんは、結婚なさってらしたのにご出家なさったのかしら。それで、修行が辛くて、また奥さまのところに戻られたのかしら、随分勝手なお坊さん)

(ふふふ、面白い。そういう解釈もあったんですね。僕、お椀の気に入りました。でも、僕が聞いたのは)

(虎之介殿、たぶん、武将の話だろう。後継ぎがまだ幼いから、殿の死を隠すのに、木阿弥という人を寝かせておいたが、後継ぎの息子が城主になれそうな年齢になったから、木阿弥は追っ払われたという)

(そうです。お爺ちゃんさすが元武士)

(筒井順慶が城主になったんですよね)

(然様、私はそう聞いた)

(何時頃の事ですの)

(私があちらの世に生まれる、ざっと五百年前のことかのっ、天文年間のことゆえ)

(面白いお話をかたじけない。我輩、意味は知っておりましたが、由来は知りませんでした。それにしても、木椀から、不誠実な坊さん、ごまかし武将だの、面白いものですな。我輩は塗りのお椀がはげるというマサさまのお話が一番面白かったですな。しかしながら、観阿弥世阿弥がいらしたのですから、木阿弥という坊さんもいそうですしな)

(わたくしもですわ。お坊さんやお侍さんのことは、どうもわたくしには分かり辛くて。塗りのお椀がはげるのって、とっても実感あるんです。美しい表面に指のあとがついたので洗おうと水につけておきましたら、女中が怒ったんです。まったく異人さんはなぁんにも知らねもんだから、それでわしらのせいにされたらとんでもね、なんて)

(おほほ、カテリーヌさん、懲りたようですわね)

(女中があんなに怒ったの初めて見たものですから。塗りの物は丁寧に大切に扱わなければいけないのですね)

(ユリもよく言われました。そっと、そうっと、って。いい塗りのお椀は、こどもにはもったいないって、特別の時にしか使わせてもらえませんでした。お正月やお雛祭りや)



お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回は3月23日の予定です。


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