第六話 セミテリオに里帰り その一
(コルネイユが鳴いてますわ)
(烏ですなっ)
(コルネイユがたくさん。コルネイユ、コルネイユと聞こえますわ)
(肩が凝るねぇ、いい湯だねぇ、とも聞こえます)
(クロウですね、クロウ、クロウと)
(苦労が多いのも肩が凝るのも、ユリ、嫌です。いい湯には浸れませんし。カァカァががいいです)
(ユリちゃんは、母さんがたくさんの方がいいんだ)
(母さんは一人です。ユリ、日本語が一番いいんです。虎ちゃん意地悪)
(烏が日本語と仏蘭西語と英語を使っているのに)
(虎ちゃん、烏が人間の言葉でないているとは思いませんっ)
(それにしても今日は烏がよく鳴きますね。また新しい住民が増えるのでしょうか)
(そういえば、いつもとは違う気を感じます)
(いや、何か、知っている気配)
(いえ、やはり存じない気を感じます)
(こちらに向かってきますよぉ)
(おっ、これは生きている気配ではなく、我らがお仲間の気配)
(あらっ、彦衛門さまとマサさまみたい)
(まさか、つい先ほど曾孫さんと玄孫さんに乗ってお出かけされたのに)
(ですわねぇ)
(あら、でも、やはり、彦衛門さまとマサさまですわ)
(お友達をお連れのようで)
(随分おはやいお戻りですこと)
(まぁ、戻るには乗らなくとも念じればよいからね)
(マサさま、もう戻ってらしたのですか。曾孫さまのお宅、そんなにお近いのでしょうか)
(カテリーヌさん、実はね、綾子と摩奈は、綾子の運転する車で別のセミテリオに行ったんですよ。途中、例の高速道路というものにも乗りましたわ。アルは大人しくて。だんなさ〜とわたくしの方がひやひやしておりました。車の中にあんなに大きい犬と一緒なんてね)
(アルは、このセミテリオで、小便しなかったのを、みなさんご覧になったのっ。だから、車の中で私は小便ひっかけられないかと冷や冷やしておったのだのっ。で、あちらのセミテリオに着いて、今度こそアルがどこかで小便するぞ、他所様の墓に小便するなど不届き至極と、これまた私は冷や冷やしておったのだのっ。ところが、しないのだのっ。あちらのセミテリオは、自動車で中まで入れるので、降りてから墓までは近かったがのっ、それでも墓石がたくさん並んでいるのに小便しない犬ってのは、もしや病気なのではと今度は心配になってのっ)
(だんなさ〜、またそういうお話)
(そうか、アルは私たちと一緒の間、飲まず喰わず、よって小便も糞も出さなかったのかのっ)
(だんなさ〜)
(ユリ、そんな犬、見た事ありません。犬って、あちこちにおしっこしますよね)
(でもユリちゃん、ここでもよく犬を散歩させてるけれど、犬が小便しているの、僕、見た事ないよ)
(あら、そういえばそうです。みんなお水飲まないのかしら)
(そんなことないだろう。だって、ほら、なんとかって透明のふにゃふにゃのに水入れて持ってきていたくらいだから)
(犬さんたちも、気がたくさん漂っているから、遠慮しているのかしら。人間より犬さんたちの方が、わたくし達に気付きますもの)
(犬も進化したのかもしれないですな)
(あの、それで、だんなさ〜とわたくしの娘の入っている墓地で、娘と話し込んでおりましたので、綾子と摩奈に置いてかれてしまいましたの)
(お爺ちゃん、その、お婆ちゃんとお間にいらっしゃる方はお爺ちゃんのお母さんですか)
(虎之介殿、貴殿におじいちゃんと呼ばれる筋はないのっ。それに、これは私の娘、悦ですのっ)
(お嬢さまなんですの。初めまして。わたくし、カテリーヌと申します。お母さま、お父さまにはいつも親しくして頂いておりますのよ)
(我輩はロバートと申す。元外交官です。お見知りおきを)
(僕、虎之介、大正十五年生まれです。肺病でこちらの世に参りましてかれこれ七十年)
(ユリです。ユリは西班牙風邪で十九でこちらに)
(初めまして。絵都と申します。申し訳ございません、まだ旅の疲れが残っておりまして、しばらく休ませてくださいませ。あっ、お父上お母上、わたくしの名は、絵画の絵と都の字を使っております。先ほどは悦という漢字を思い浮かべてわたくしをご紹介頂いたのに気付きました)
(お前が産まれた時に、初めてのおごじょで悦しくて悦と名付けたものを、親の付けた名が気に入らなかったのかのっ。親不孝者め)
(お父上、怒らないでくださいまし。空襲で戸籍が原簿も燃えてしまいましてね、戦後届けて作りなおして頂いた折に、戦前の苦しみから生まれ変わろうと思いまして、漢字だけ変えたのです)
(うむ。まぁ、暫くこちらで休んでおればいい)
(悦、いえ絵都は、墓石にも絵都で記されておりましたのよ。綾子と摩奈とアルが、墓まで連れてってくれて、でも墓石には悦の字がないんですもの。驚きましたわ。たしかに、墓石の名字は娘の嫁ぎ先でしたし、孫も玄孫もアルも墓前でくつろいでましたの。そちらのお墓では、一番新しく入られた、娘と血のつながりのない方が生き生きとしてらっしゃいましたが、他の方々はみなさんほとんど化石でしたし、悦の字はないですし、でも悦の気配は微かにございましたし、どなたのお墓でしょうと思っておりましたら、絵都の名を見つけましたの)
(それでもまだ、悦だとは私には思えなくてのっ、それに存知ない方々ばかりの墓でのっ、悦、悦、ここにおるのかのっと呼びかけたら、もしかして富士見町のご両親さまでらっしゃいますか、と悦の声がしたんだがのっ、なんとも弱々しい声でのっ)
(もう昇華しそうでしたもの。昇華でもこどもに先立たれるのは辛いですわ。すでにこちらでももう息子も孫も昇華してしまって)
(どうも、私とマサは、好奇心が強過ぎて昇華までの道のり遥かのようですのっ)
(せっかく曾孫と玄孫に会えて、曾孫と玄孫に乗せてもらって久しぶりに娘に会えましたのに、昇華されては辛いものです)
(綾子と摩奈が、ここでの挨拶と同じ様に、朝子がこちらの世に参ったこと、朝子が綾子の、なんて言ったけのっ、胸の所でぶらさがっている)
(ペンダントですな)
(ロバート殿、あいがとさげもした。それでそのペンダントに朝子が入っていると聴いた悦いや絵都は、娘の最後も耳にして余計に昇華しそうになりましてのっ、娘もこちらなら、もう私も華になって昇天いたします、などと申すのでのっ、お前は両親より先立つのかこの親不孝者と思っただけで、さすが気の我ら、通じましてのっ、私とマサを見て、少し元気になったようでのっ。お父上お母上にお墓参りにいらして頂くなど、勿体のうございます。お久しぶりにお目にかかり、嬉しゅうございます。御両親さまのお墓に最後にお参りさせて頂いてから、かれこれ四十年になるでしょうか。ほんにお久しゅうございます。八十を過ぎた頃から転びやすくなりまして、墓参もできなくなりました。ほんにお久しゅうございます、とはらはら涙を流すのでのっ。見かけは私より年上でも娘に泣かれると切なくてのっ。それで気晴らしに人に憑いて、乗ってあちこち旅する楽しみを伝えたのだがのっ、娘はこんな手を知らなかったようでのっ、娘から見たら孫、曾孫の綾子と摩奈に乗って、さっそく出歩こうと誘ったのだがのっ、いえいえ、わたくしの居る場はこちらですから、わたくしはこの家に嫁いだ身ですからと固辞されて、それでも誘う、娘は断る、再度誘う、娘は断る、こうしている内に、綾子と摩奈とアルはもう帰ろうかってなってしまって、そそくさと自動車に乗ってのっ、私とマサは置いてけぼり)
(まぁ、置いてけぼり)
(仕方ございませんわ。何しろ綾子も摩奈も私たちが一緒に乗っておりましたこと気付いてませんでしたし。それに、こちらに戻るのはさして難しゅうございませぬし)
(残念だのっ、綾子も摩奈も幼い頃は私たちに気付いていたようだったがのっ)
(仕方ございませんわ。大人になると、気遣うことが多くて、気配にまで気がまわりませんもの。わたくし達もそうでしたでしょ)
(いやぁ、気配はいつも感じておりましたのっ、特に墓場では)
(昔は暗かったですから)
(そうそう、銀座のアーク灯、初めて目にした時にはまぶしかったのっ)
(今は、こちらでも夜になりますと、街灯が灯りますでしょ、街でもないのに)
(そうですな。たしかに、墓場に灯りとは、ちと不思議)
(あらっ、明るいと、ユリ怖くないです)
(ユリちゃん、恐がりだったんだ)
(当たり前ですっ。墓地やお寺やお社の近くって、夕方になったら怖くて歩けませんでしたっ)
(おっ、ってことは、もしかしたらユリちゃんは、気配を感じてたんだね)
(あら、あの頃でしたら、普通でしょ。お友達もみ〜んな怖がってました)
(不思議なものですのっ。こちらからは見える、聞こえる、嗅げる、あちらからは私たちを見えない、聞こえない、嗅げないのですのっ)
(夜にならないと星が見えないのと同じかしら)
(カテリーヌさま、お上手)
(しかしですのっ、昨今は、夜になっても、星が見えなくなりましたのっ。星の数が減っておるのかのっ。星も消えるのかのっ)
(お爺ちゃん、星はそう簡単に消えませんよ。セミテリオの周りが夜もどんどん明るくなっているから、星の明かりが見えないだけですよ)
(虎之介殿、然様かのっ、しかしながら、私は貴殿の祖父ではないのっ)
(確かに、暗いと、目が見えないと、香りや音はよく聞こえましたな。ユリさんのように、何かを感じるということもありましたな。気配などというものは、気のせいだと思っておりましたがな)
(なんか、ユリ、分かってきたような気がします。暗いとあちらとこちらがつながるのですね。少し怖くなくなりました)
(ユリちゃん、やっぱり変だよ。だって、あちらの世の人が怖がるのは、たぶん僕たちのことなんだから、ユリちゃんがこちらの世界に来て怖がられる立場なのに、怖いなんて)
(だって、あちらの世にいた時にはやっぱり怖かったんですもの)
(じゃぁ、墓場を明るくするのは、墓場に漂う僕達を怖がる人が多いからか、いや、あっ、そうか、セミテリオが明るいのは、あちらの世の人にこちらの世を知らせない為のものなんでしょうね。誰がそんなこと考えたのでしょう)
(いや、虎之介殿、たぶん、然様ではござらぬ。ほら、夜になるとセミテリオで良からぬことをする御仁がおるから、その防止策ではないですかな。まぁ、当人には良い事、端から見たら良からぬ事なわけで、いや、あれは良い事、いや、当人同士が納得しておれば、であって、やはり犯罪になる場合は良からぬ事で)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は3月16日の予定です。