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第五話 セミテリオのご隠居 その十八


(それじゃぁ、学校に行かなくても同じなのでしょうか。わたくしの頃には、学ぶことはとても大切でしたのに)

(学ぶことは、たぶん人間にとっては大事なことでしょう。学ぶ場は学校だけではない。いえ、学校の外の方が、学ぶことは多いのでしょう。学校の外で学べるように学校では基礎を学ぶと言う事が大切なんだと思いますよ。けれど学校に、上の学校に行って更に学ぶことが絶対的に必要なわけではないのかもしれません。最近は不登校と言って、学校に行かない子も増えてますしね)

(学校に行かない子は、いつの時代でもおったのっ。家の仕事を手伝わねばならぬ、下の子の子守りだの、学校に行かせる金がない、女に学問は不要ぬ、どうせ他家に嫁ぐ、手に職つければ充分、など、当たり前のことだったのっ。学校に行かせると生意気になって、親を馬鹿にするからなんてのもあったのっ。警察も一緒になって親を説得したものだのっ。罰金を取るなんてのもあったのっ)

(わたくしの国でもそうでした。学校に行かない、行けないこども達がたくさん。わたくしも学校には行ってませんのよ。家で、教わりました)

(カテリーヌさん、それは、貴女のお育ちになった家庭環境が素晴らしかったのですよ。我輩の頃の亜米利加も、そうでしたな。あの頃、移民や黒人などが増えて参りましてな、馬鹿だから貧しいのだから、馬鹿は学校に来ても勉強しないから来なくて構わないなどと思われてましたな。我輩がこちらの世に参る前の大戦の折に兵士の知能検査をした所、九歳程度がいくらでもいたそうで、もっとも、知能検査がどれほど正確だったかどうかは存じませぬが、十四歳程度ならば成人とされたようでしたな)

(マッカーサー元帥が日本人は十二歳と言ったのはそういうことだったのかなぁ、いくらでもいる九歳と成人並十四歳の間という意味か、おっと、僕、またハナになっていました、皆の衆、独り言です)

(それでは、仏蘭西でも亜米利加でも日本でも、私たちの頃には、学ばせることでは、別に日本が特別に西洋社会から遅れていたわけでもないのですわね)

(そうみたいですね。僕も驚きました。僕の頃、西洋に追いつけ追い越せで、日本の社会構造はまだまだ西洋文明とは差があると思われていた部分もありましたが、あの頃、日本同様に西洋社会でも学校に通わない子は多かったということなんですね)

(え〜と、皆の衆、僕の言った、学校に通わない不登校というのは、そういうのとは違いまして、こどもが学校生活に馴染めないから、学校に行けない、行かないというものでして)

(ほうっ、時代は変わるものですのっ)

(あのぉ、ユリには、ご隠居さまのお話の中で、分からない言葉が他にもあったのですが。べびぃなんとかって、なんでしょう)

(baby boomerですが、ロバートさん、どう訳しましょう)

(おっと、それ、英語なのですかな。赤ん坊、急に集まる、ですかな、よく分かりませんが、急に赤ん坊が増えることですかな)

(ほうっ、あの英語は新しい単語なのですな。戦後使われていたのですが)

(あっ、戦後に赤ん坊が増えることですな。先の大戦の戦後にも確かに、赤ん坊がたくさん生まれました。殺した後、殺された後には産みたくなるものなのですかな)

(ユリさん、たくさんこどもが産まれる。そのことです。産まれた人のことや、その時代のことをbaby boomerと言うんです。それで、第一次ベビーブーマーが昭和二十年代前半、その子達が結婚して子づくりした四半世紀後が第二次ベビーブーマーでした)

(ついでにもう一つ。トラックっておっしゃいましたが、トロッコとは別の物かしら)

(トロッコは、線路の上を走るものですのっ。横浜に走ってましたのっ)

(彦衛門さん、そうだったんですか。横浜にね。僕は知らないです)

(わたくし、聞いたことあるように思います。わたくしが日本に参りました頃にはもうなかったのですけれど、ここを走っていたんだと、夫が横浜で申しておりました)

(英吉利では、炭坑で線路上を走らすものをtruckと呼んでいたと思いましたがな。それがトロッコですかな)

(ロバートさん、トラックはそのtruckですよ)

(あっ、僕わかりました。ご隠居さんがおっしゃる今のトラックは米語で、英語ではlorryのことですよ)

(あら、lorry、わかりますわ)

(つまり、トロッコはトラックでローリーなのですね)

(ほう、トロッコとトラックは別のもので、でも、英語、いや米語だと同じ言葉なのですね。面白いです。あっ、ユリさん、つまり、物を運ぶ車がトラックで、それをイギリスではローリーと呼び、イギリスではレール上を走る運搬車がトロッコなわけです)

(なんだかややこしいです)

(ご隠居さん、話しも入り組んで参りましたわ。わたくし、兎小屋に住んでこくでんで運ばれる奴隷というお話しもまだ理解できておりませんの)

(マサさん、辛抱強い。随分前の話しのようです)

(そりゃぁ、こちらの世は永遠ですから、辛抱強くなりますわ。好奇心はこちらの世でながらえる為に不可欠ですし。わからないままですと気がなえますし)

(兎小屋というのは、それほどに狭い家に住んでいるという表現で、酷電というのは、例の今はJRと呼ぶ電車、昔の省電が戦後国の電鉄会社だから国電と言われていたのにひっかけて、国のこくではなく、残酷のこくを使うんです。つまり、日本のサラリーマン、勤め人は、小さな家に住んで、少し前に話した例のラッシュ時に押し込まれてぎゅう詰めの、残酷な電車に乗せられて運ばれる奴隷だと、どこかの外国人が発言したのに加えて日本人が自虐的に言ったのでしょう)

(兎小屋とはそういう意味だったのかのっ。私は、この前、ユリさんがご覧になってきた小学校の庭の鶏小屋の様なものかと思っておったのっ。つまり、人間が兎小屋の様な家に住んでいるのですかのっ)

(彦衛門さん、比喩です。先ほども申したように、ほんとに兎小屋に住んでいるわけでも、兎や鶏と一緒に住んでいる訳でもありませんよ。たぶん、欧米よりも住宅が狭いからそう言ったのでしょう)

(なんだのっ。昔は、土間で兎や鶏を飼うのはよくあったことだったがのっ。あれなら、兎も鶏も広い家だったのっ)

(ところで、どこまでお話ししましたっけ。結婚式場について、え〜と、食事のことでしたっけ。もう五年も経ちましたからね、あんまり覚えていないのですが、彦衛門さんの為に思い出しましょう。え〜と、ワイン、葡萄酒ですね、これが、先ほど申しましたように赤白ロゼ、それと、オードブルがフォワグラ。スープが、そうそう伊勢海老ので、あと、魚が何かと肉が何かと、サラダとチーズと、デザートがアイスとフルーツえ〜と果物のことです、最後がコーヒー紅茶抹茶だったかな。素晴らしいと思ったのは、サラダです。何しろ花のサラダなわけです。桜や菫やひな菊など赤白黄紫ピンク、あっ、桃色ですね、彩りが美しくてね、まさに結婚披露宴向きでしたね)

(ユリ、わからない言葉だらけでした)

(我輩はフォワグラが懐かしい)

(わたくしもですわ。オードブルという言葉も)

(私には伊勢海老と魚と肉しか分からなかったの)

(わたくしは抹茶が美味しそうに響きましたわ。アイスというのも)

(僕には、何だか目の前で、色々な色と香が踊っているような印象でした。いいですねぇ、こんど結婚披露宴に行ってみたいです。でも難しいですね、結婚式や披露宴に向かう方々、普通は、途中でセミテリオには寄ってくれそうにないですね)

(そうですわ。墓地は結婚式とは正反対ですもの)

(ロバート殿が懐かしいとおっしゃったほわなんとかはなんですかのっ)

(フォワグラは、鵞鳥にうんと食べさせて、絞めたあとのその肝臓を食べるんですよ。美味なんですな)

(あれは、脂肪肝ですからね。確かに美味しいのですが、残酷ですね。狭い檻に入れたり地中に埋めたりして動けないようにして、餌をたらふく無理矢理食べさせるんですから)

(鵞鳥さんが可哀想)

(ユリさん、鶏を絞めたことありますか)

(マサさま、無いです。できないです。ユリ、おさかなさんも駄目なんです。あの大きい目で見つめられると)

(まぁ、ユリさん好き嫌い激しい方でしたか。でもふくよかでいらっしゃる)

(あっ、ユリ、甘いものが好きなんです。おまんじゅうやお汁粉や。でも、生きている姿のままのは駄目です。お肉屋さんの裏に行くと、豚や鶏の頭が置いてあったりして、もう駄目です。牛肉は幸い、牛さんの頭まではお肉屋さんにもなかったので)

(ユリさん、鯨は大丈夫でしょう。鯨の生きている姿はそんじょそこらじゃ見られないですからね)

(はい、大丈夫です)

(でも、今は鯨こそ日本では食べられなくなっているんですよ)

(鯨さん、減っちゃったんですか。それとも、鯨を取れる人が減っちゃったんですか)

(減ったかららしいのですが、減ってはいないという人もいて、何よりも、鯨を殺して食べるなど残酷だと、欧米社会が騒ぎましてね。鯨しか食べないわけじゃないんだから、日本人は鯨を食べなくても構わないだろうとされてしまいました)

(ほうっ、それは面白い。我が国は鯨油の為に鯨を追って、鯨をたくさん捕まえてましたから日本に開国を迫ったのも、捕鯨船の補給基地としてというのもあった筈だったのですがな。鯨肉は食べていなかったと思いますがな)

(それこそ勿体ない。生き物を殺して油だけで終わりですかのっ)

(日本では鯨はとことん使いましたわ。肉は食べ、髯は撥條に、皮からも油を取り、そうそう、鯨尺は、物差しの高級品でした。残りは肥料にしておりました。殺生するのですから、とことん使わなければ失われた生命が勿体のうございます)

(ユリ、不思議なんですけれど、鯨を殺すのは残酷で、鶏や豚や牛を殺すのは残酷ではないのですか)

(僕もそう思うわけです。僕はユリさんとは違って、残酷だとは思っても鶏肉も豚肉も牛肉も魚も食べましたが、生き物を殺して食べるならどれも残酷じゃないか。何故鯨だけ騒ぐのかとね。彼等の言い分には、鯨は賢いからだというのもあって。それじゃぁ、鶏や豚や牛や魚は賢く無いのか。どんな動物だって賢いと思うわけですよ。一方的な人間の物差しで、どの動物が賢いか賢く無いかなんて、決められないと思うのですが。煙草と同じでね、世論が熱を帯びて、少数派が被害を受ける。世論作った方が勝ちなだけで、あとは理屈をくっつける。ところで、ケーキ、瑞鏡や瑞穂の時の様に高いのではなくて、茜さんの手作りで、持ち込みでした。ケーキに入刀して、本当に瑞樹と二人で人数分に切り分けて、デザートの時、え〜と、食後の甘いもののことですが、その時に一緒に出てきました。宴も終わり、若い連中はカラオケに行った様です。喫煙所で瑞穂と僕はほっと一息。幸いにも瑞穂 が秀二郎さんに、このままお墓にご報告に参りましょうと言ったので、瑞穂に乗って、四人でここに戻れました。折角ここまで来たのですから、医院に参りましょうなんてハナが申すと思いきや、ハナのぶつぶつももう途絶えがちで、二人ともぐったりしておりましたから、助かりました)

(その空桶というのが、先日来、ここの私たちの間で何だろうとなっているのですのっ。ご隠居さん、ぜひ、その空桶が何なのかご説明頂けますかのっ)

(カラオケですか、あはは。で、皆の衆は何と思われたのでしょうか)

(歌に関係あるらしいとは推測できましたの。で、だんなさ〜は、空の風呂桶で歌うとさぞかし響いて心地よいのではと)

(我輩とカテリーヌさんは、何語だろう。またしても英語か仏蘭西語もしや独逸語、露西亜語を短くしたものではないだろうか、と)

(あはは、日本語ですよ。いや、オケの方はオーケストラですから日本語じゃないのですが。空っぽのオーケストラ)

(おっ、私の空の方はあっていたのっ)

(空っぽのオーケストラって、舞台の上に人がいなくて楽器だけが置いてあることかしら)

(カテリーヌさん、違います)

(え〜と、オーケストラの様に音楽の部分は流れていて、歌の部分が入っていない、つまり録音されていなくて、その歌詞が画面に出てくるので、音楽に合わせて歌うことです。カラオケに行って、音楽に合わせて好きな歌を歌うということなんです。歌の数はかなり入っていて、え〜と、どれくらいだろう。一冊に数百頁、各頁に数十曲、数冊はあるから、万単位ですね。それが機械に入っていて、曲を選んで合わせて歌うわけです)

(なんと。機械の中にそんなにたくさん曲が入っているのかのっ。では、探している曲が出て来るまでさぞ待たされるのっ)

(いや、あっと言う間です)

(レコォドを入れ替えるだけでもたいへんでしょうに)

(マサさん、レコードじゃないんですよ)

(まぁ、そうなんですか。朝子が小さい折、ラヂオから歌が流れる度に、ラヂオの中で小人さん達が楽器を弾いて歌っているんだと申しまして、そうじゃないのよ、ラヂオ局でレコォドをかけてるのよと説明したことございますが。レコォドでもないのですか)

(一度見て見たいものだのっ。私が空の桶と思っておったものをのっ)

(皆の衆、その内どなたかに乗って、歌いに行きましょう)

(僕、どちらかというと音痴ですから)

(虎さん、ご心配無用)

(そうですよぉ。どうせ歌ったって、ユリ達にしか聞こえませんよ)

(それでも、やっぱり恥ずかしい)

(あっ、虎ちゃんの弱み、分かりましたっ)

(ユリちゃん、案外意地悪なんだ)

(おほほ)

(おばあちゃんまで)

(いつもわたくしをおばあちゃん呼ばわりするからですよ、おほほ)




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回、第五話 セミテリオのご隠居 その十九最終回は2月16日アップの予定です。


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