第五話 セミテリオのご隠居 その十七
(虎さん、そういう時代ありましたね。勤め人が一種のステータス、ええと、社会的地位かな、になったような。今や勤め人をサラリーマンと呼んで、サラリーマンは酷電に乗せられて兎小屋から運ばれ税金を払わされる奴隷とも言われて、おっと、この表現ももう一昔どころか二昔三昔ですね)
(あのぉ、ご隠居さま、わたくし、分からない言葉ばかりでしたの。一番最後の、ひと、ふた、みはひぃふぅみぃ、一二三のことでしょうか。昔って数えられるものなのかしら)
(カテリーヌさん、一昔は普通十年ですから、二昔で二十年、三昔で三十年ぐらいのことです、つまり、三十年ぐらい前には、サラリーマンは兎小屋から酷電に乗って運ばれる奴隷、と言われていたわけです)
(勤め人をサラリーマンと呼ぶのですかな。面白い表現ですな。サラリーは給与。これは日本が米で給与されていたから石高で表されるのと同様、報酬が塩で払われていた頃のラテン語の塩が語源なので理解できますが、マンは男性の単数ですな。複数のメンにはならなかったのですな。日本語化された英語にはなかなか奥深いものもあるのですな)
(ほう、昔は塩で払われていたのかのっ。ロバート殿はいかがでしたかのっ)
(彦衛門殿、貴殿の頃には米でしたかな。我輩の場合はすでに紙幣で払われておりましたな)
(うむ。なるほど。米換算ではありましたが、米で払われたことはなかったですのっ。それも親っさんの頃ですのっ。私が巡査の仕事を始めた頃は、もう俸給は紙幣でしたのっ)
(あのぉ、勤め人が奴隷並みになったのでしょうか、しかも兎小屋に住んでいるのでしょうか。わたくしの頃、戦前は、勤め人はある種の地位がございませんでしたこと。兎小屋では、風が入って寒いでしょうに。天井も低くて家の中で立てませんわね)
(はは、マサさん、いくらなんでも、壁はありますし、天井もそんなに低くはないですよ。喩えです。兎小屋のように狭い家という意味で。それと、たしかに昔は勤め人は定年まで働ける、収入が安定しているいい職業的立場でしたね。たぶん、昭和の半ば、え〜と、瑞穂が医者になった頃から変わりましたから、昭和半ばというよりも昭和後半ぐらいからでしょうか。勤め人の地位が落ちましたね。昔は企業が、え〜と、会社ですが、大きいのしかなかったでしょ。銀行や輸出入の商社や、保険会社ぐらいでしたかね。建設は何々組とか、あとは店、商売でこじんまり、いや、こじんまりとしてなくてデパートでも、デパートであって、別に会社というのとは違う印象でしたよね。今は百姓なんて言い方はしませんし漁師や樵という言葉もあまり使われなくて、農業も水産業も林業も場合によっては会社組織になっていますよ。さもないとあんもないと、他の企業や他国に負けちゃいますからね。会社もすぐにつぶれる、会社も正社員じゃなくて、契約社員だの派遣社員だの、米国流になって、簡単に首切られる時代です)
(首、切るんですかのっ、それでは江戸時代に逆戻り)
(彦衛門さん、斬首ではなくて、馘首、会社を追い出すという意味ですよ)
(ちと安心したのっ)
(米国流とは、これいかに)
(ロバートさん、貴男のお国では、一生同じ所で働くという考え方はなかったでしょう)
(そうですね、確かに)
(ですから、チャプリンの映画にも出て来る様な、会社や工場で忙しなく働いている人たちは、いつそこをやめさせられるか分からない不安定な下層民のような扱いで描かれていますね)
(チャプリンの映画とは、我輩は存ぜぬが)
(おっと、申し訳ございません。アメリカのコメディ映画で有名な俳優なんですよ)
(コメディ、すなはち、喜劇ですな)
(ロバートさん、ありがとうございます)
(いえ、not at all、どういたしまして)
(僕、名前だけ知ってます。チャーリーチャップリンですよね。日本にいらしたことがあるそうです。僕が幼い頃ですが)
(そうそう、戦前にも来日してましたね。モダンタイムスという映画は、戦前公開だったと思いますが、虎さんもご覧になってないんですね)
(ええ、見てません。あのぉ、それよりも、先ほど、江戸時代の斬首の話しの前にご隠居さんがおっしゃった、さもないとあんもないと、というのは今のあちらの世界の流行言葉でしょうか)
(おっと虎さんにつつかれました。いえ、別に流行語ではなくて、僕がごろあわせに時々使うんですよ。さもないとあんもないとって、何だか面白くありませんか)
(たしかに、さもないとアンモナイトになってしまったら大変ですね)
(アンモナイトって何ですか。ユリにはとても素敵な言葉の響きです)
(ユリちゃん、アラビアンナイトと混同していないかな。異国の王様に毎晩お話をしていた姫の話し)
(そうそう、それですっ。面白いお話しがあったような、婆ややお母様が語ってくださる日本の昔話とはとっても違っていて、お友達のお家でそこのお兄様が読んでくださったんだと思います。わくわくして聞いていました)
(それだったら、アラビアンナイトだよ。千夜一夜物語と言われていた)
(アンモニアでしたらわたくしも存じておりますがしみぬきに使いましたわ)
(おばあちゃん、それもはずれ。アンモニアは臭いでしょ。アンモナイトは大昔の貝なんだ)
(虎さん、幅広いですね。アンモニアにアンモナイトにアラビアンナイトですか。化学に地学に文学ですね。十七年間の人生でいろいろご存知ですね)
(いやぁ、十七年分しかないので、それにそこで止まったので、十七年分の知識が貯まったままなんです)
(なぁるほど。長年生きていると、長年の知識が貯まってはいても、なかなか取り出せないから思い出せないのですね。うん、こりゃ面白い。そうすると、老人がすぐには思い出せないことがあるというのは、思い出せない思い出ばかり貯まる状態なんですね。うん、こうやって若い者に刺激を受けると、記憶の引き出しがあちこち開けられて、心地よいものですね。それで、え〜と、アンモナイトの化石、つまり昔のアンモナイトが石の中に入って石みたいになっているものですが、日本橋の三越の階段で見られるのですよ。もしかしたら、マサさんはご存知でしょうか)
(日本橋の三越には時折参りましたが、まぁ、あそこの階段でそういうものが見られたのですか。存じませんでした。残念ですわ)
(じゃあ、その内、皆の衆で見学に参りましょう。あはは、今の銀座をご覧になるのも面白いですよ)
(はい、是非、ご案内ください。ついでにユリの住んでいた京橋の辺りまでお願いします)
(銀座ですか。わたくしも久しぶりに見せていただきたいですわ。煉瓦街は、震災と大戦できっともう残っていないのでしょうね)
(ははは、当然です。今は、高い、高〜いビル、building、ビルディング、ビルヂング、摩天楼ばかりです。おっと、カテリーヌさんは驚かれるかもしれませんよ。最近の銀座にはカテリーヌさんのお国の物がたくさんあります)
(まぁ、夫がしておりました商売をもっと手広くなさる方がいらっしゃるのかしら)
(店ごとフランスの物ばかりなんてのがいくつも並んでいて)
(うわぁ、ぜひお連れくださいませ。フランス語を耳にできるかもしれませんわ)
(いや、店員、昔の言葉でいうと丁稚や番頭さん、いや、今はほとんど女性が店員に多いのですが、日本人ですよ。使っている言葉はフランス語より中国語が多いらしいです)
(えっ、どうしてですか。たしかに仏蘭西語と支那語は響きが似ているとは感じたことございますけれど、でも、全く異なる言葉ですのに)
(いやぁ、中国人が多数買いに来るので)
(世の中変わったものですな。仏蘭西の物を日本で売って、それを中国人が買いに来るとは)
(ご隠居さま、先ほどの、さもないと、なんでしたっけ。アンモニアではなくて)
(アンモナイト、さもないとあんもないとですね)
(えぇ、そのさもないとあんもないとからお話しが逸れてしまって、わたくし、まだよく分からないのですが、どうして勤め人の立場が奴隷になったのでしょう)
(いえ、奴隷になったというわけではなくて。う〜ん、昔は大きな会社しかなかったですよね。ですから、そういう大きな会社で働いている人は少なかった。けれど、先ほど申しましたように、百姓漁師樵も会社組織化してきておりますから、ましてや何々組やかにかに店はみんな何々企業、何々社となっているんですよ。そうすると、そういう所で働く人も皆社員、給与を貰うサラリーマン。小僧で入って丁稚になって番頭になって大番頭になってというのでしたら、最初は何も知らなくて我慢する事ばかりでも、長く務めていれば知識も身に付く、地位も俸給も上がり、でしたが、会社組織になってしまうと、企業を運営経営し給与を従業員に払う立場にはそう簡単にはなれない。勤め人は定年まで俸給を貰うだけなわけでしょ。世の中に仕事が少なくて、会社が少なくてという時代でしたら、勤め人というのは、過ちおかさなけりゃ決まった給与が定年まで貰える、しかも大きい会社で安定している、あの頃安定した職業でしたが、今じゃ、どこもかしこも会社みたいなものですから、給与は貰える。士農工商の士はいなくなって、農工商はみんな会社みたいになって、士農工商の身分の差もだいぶ意識されなくなりましたしね。まだ百姓を馬鹿にするとか、ハナみたいに戦後の買い出しで百姓に恨みを持っている世代もいましたが、ごく少数。今じゃ、食料危機になっても農家ならなんとか食べて行けるから百姓になりたいって若者も出て来ましたし。工も工業で大きくなれますしね、商も商いを大きく出来ますし、固定した身分で差別されるってこともなくなりましたからね。農工商で働いていても勤め人、サラリーマンなわけですよ。社長や経営者でなけりゃ。ただ、会社の規模の大小や内容によって給与はかなり異なりますから、勤め人だからといって決してうらやむような職業とは言い兼ねる。皆が平等になって、学歴も関係無くて)
(まぁ、学歴が関係無いのですかっ)
(そうですねぇ、ここ二十年ぐらいはそうなりましたね。中卒を金の卵と呼ぶ時代もはるか昔)
(そうそう、中学校を出ていれば、ましな仕事に就けましたのっ。私は藩校でも、退職の頃には中学校卒の巡査、帝大卒の署長がいましたのっ)
(あっ、それとは違って、え〜と、皆の衆の時代の中学校はある程度生活力のあるご家庭からしか通えませんでしたね。大半が尋常小学校で終わり、一部が高等小学校まで。恵まれていて、学問も出来れば中学校、高等学校、帝大でしたね。戦後は、中学校三年間も義務教育になりまして、その頃は、中学校を終えて東京に仕事をしにくる地方の子が金の卵と呼ばれていたのです。からだを使ってする仕事が馬鹿にされてた時代、けれど、工業の生産の場では人が欲しい、けれどそんなに給料は払えない。中卒というのが、安くてしかも素直な人材というわけで。あの頃はどこまで教育を受けたかで給料格差も大きかったですしね。もう三十年ぐらい前からでしょうか。高卒が当たり前になってきた。第二次ベビーブーマーの頃からは大卒もありふれてきた。大学を卒業したからって、特に偉い訳でも何でもない。そりゃ、資格のいる医者や弁護士はともかくも、何も大学行かなくたって、できる仕事はある。大学出てトラックの運転手をするなんて、という発言も昔はありましたが、今はトラックの運転手になれるなら良い。仕事そのものが無くなって、失業者がわんさかいますからね。学歴が仕事探しに役立つこともあるけれど、ぐらいの意味ですかね。どの時代にどの場所で産まれて育つかによって、大事なものも違ってきますし、運もありますしね。世が世なら、僕は医者じゃなくて坊主でしたし、案外、弟が医者、薮でも筍でもなく、あるいは薮や筍医者をやっていたかもしれませんし)
(まぁ、それでは、勉強を一生懸命する意味がないのですかっ。わたくしは娘も孫もみな、女学校を卒業させましたのに)
(いや、みながある程度の学を身につけるのは正しいのじゃありませんか。何も、より良い仕事に就くために上の学校で学ぶわけでもないでしょう。まぁ、そう思われていた時代は長い、といっても百年やっと続いたぐらいですか。大学で学ぶのにかかる費用とそれから仕事に就いた場合の生涯賃金と、高卒で仕事に就いた場合と、殆ど差が無いそうですし。生きて行く為に仕事をする為に上級学校に行くという必要性は無くなったとも言えますね。それでも皆、保険のように学歴をほしがるから、今の日本には虎さんの頃の大学の数の数十倍の大学があるんですよ。都内だけでも今や百二十ぐらい)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は2月16日の予定です。




