第五話 セミテリオのご隠居 その十六
(我輩も理解できませぬが。網のニュースとは何ですかな)
(虎之介殿やロバート殿におわかりにならないこと、私もマサも、ユリさんにもわかりませんのっ。もしかしてカテリーヌさんは分かるのですかのっ)
(いえ、わたくしにもわかりませんわ)
(すみません。ついネットなどと申しまして。internet、インターネット、おっと、これも一昔より前にはなかったですね。え〜と、どう説明いたしましょう。パソコン、先ほどご説明しました電脳機械というものが、今のあちらの世界では大層普及しておりまして、多くの事務所や家庭にパソコンが一台のみならず、それこそパーソナルと言うくらいですから一人一台持っていてもおかしく無い様な時代になっておりまして、そのパソコンを電話線につなぐ、いや、つながなくてもいい場合もあるが、いや、そこまで説明すると更にややこしくなるから)
(ご隠居さま、簡単な説明で構いませんわ。もう頭の中がごちゃごちゃになりそうなお話しみたいですもの)
(え〜と、つまり、テレビとは違って、ネット、網ではなくてインターネットに繋がったパソコンでは見たい時に最新のニュース、報道を調べて見られるわけです。パソコンを使っている人に乗っていれば、そしてその人がパソコンでニュースを見れば、僕も一緒に最新のニュースを読めるわけです)
(便利な世の中になったものですな)
(隔世の感がありますのっ)
(だんなさ〜、そりゃぁ隔世でございますわ。わたくしとて、こちらに世に来て早七十年)
(それで、そのぉ、人に乗って一緒にパソコンのニュース、つまりネットのニュースを見ていますとね、警官や先生の犯罪ってしょっちゅうあるんですよ。犯罪に手を染めないように教育する立場の先生と、犯罪者を捕まえる警察官が犯罪を犯すなんて、笑い話にしちゃいけない笑い話ですよね)
(情けない世の中になったものですのっ。哀しいですのっ。警察官や先生が犯罪者とは、消え入りたいですのっ)
(だんなさ〜、消えないでくださいませ。だんなさ〜のいらっしゃらない世はもうたくさんです、あちらの世だけで)
(嬉しいことを言ってくれるのっ)
(お熱いですわね。うらやましいです。ユリ、こういうご夫婦になりたかったですぅ)
(まぁ、ユリさん、熱さ寒さを感じられるのでしょうか)
(いいえ、どうして)
(今、お暑いとおっしゃったので)
(カテリーヌさま、お熱いのはユリじゃなくて、彦衛門さま、マサさまのことです)
(まぁ、彦衛門さま、マサさまは熱くなれるのですか、気の世界でも)
(いえ、あのぉ、カテリーヌさま、温度ではなくて、心が熱い、ですから、え〜と、とっても親しいという意味で)
(それそれ、それですよ、現代用語でらぶらぶ)
(おっ、先ほどのlove, loveですなっ)
(情けない実態ですが、彦衛門さん、あまり悲観なさらないでくださいよ。実はね、警察官どころじゃないんです。先日見たニュースでは、検察官が検察庁の中で犯罪を犯したそうです)
(検察庁の中でですかっ。この前僕が行った日比谷の近くのですかっ)
(いえ、虎之介さん、東京じゃなくて、大阪らしいです)
(へぇ、警察官より上の立場の検事がねぇ)
(ほんと、noblesse obligeどころじゃないですな。そんなひどいのはあちらの、この国だけなのですかな。いや、たぶん世界中なのですかな。嗚呼情けないことですな)
(それって、でも、僕は笑っちゃう訳ですよ。だって、検事が犯罪者なわけでしょ。ってことは、その検事を調べるのも検事なわけでしょ。その検事を裁くのが裁判官で、その検事の弁護をするのは、普段は検事と対立する弁護士なわけでしょ。そういう事態だと、たぶん傍聴人も報道関係者を除けば検事や弁護士でしょ。で、もし証人が出廷するとしても、それもたぶん同僚検事なわけでしょ。裁判所の中が司法試験合格者だらけになって、それぞれが論駁しようとして、ははは、笑えませんか。まぁ、裁判官が犯罪するよりはましなのかな)
(ユリには面白いです)
(落語の世界ですな)
(しかし情けないですのっ。誰を信じていいものやら)
(確かに、諧謔と申しましょうか。それにしても情けない世の中ですな)
(noblesse obligeの日本語はあるのかなぁ。日本には定着しない感覚なのかも。武士は食わねど爪楊枝、いや、高楊枝、ってのは一寸違いますしね。あれは痩せ我慢の見栄はりですね。しいて言えば慈善事業でしょうか)
(いや、noblesseがobligeをしなければ、noblesseでない者からつきあげられる。貧乏人からの責めを防ぐ方策だったのでしょうが。散々騙されて来た者達が真実を知り始めて、社会は平等になっていくのかもしれませんしね。官僚や政治家や商人が甘い汁を吸うことが許されない、化けの皮が剥がされる、まぁ、いいことなのでしょう。おっと、僕は何の話をしておりましたか、あっ、曾孫の結婚披露宴、どこまで話ししましたっけ。え〜と、会場には着いて、そうそう、メニューの辺りでしたっけ)
(目乳、最近耳にした単語ですのっ)
(わたくしの国の言葉ですわ。お食事の時のお料理の名前が書いてあります)
(ユリの見たあれですね。ほら、彩香ちゃん家、お花屋さん家で見ました。お品書きでしょ)
(そのメニューにずらっとその日の料理の名前が並んでおりましてね、仏様とは関係無いけれど、同じ漢字の仏蘭西料理ですから、それもフルコース、え〜と、これは英語で、つまり、一式全部というような意味なんですが、ともかくたくさん並んでいました。ハナは、こんなに、おいくらするんでしょう。これみなさんみんなお腹に入れるのでしょうか。まぁ、地元でこんなに立派な仏蘭西料理が召し上がれるようになったのですか。オリンピックの頃でしたら、まだ都内に数件しかございませんでした。愛宕が銀座になったみたいです。あら、次から次と、まぁ美味しそう、でも私は召し上がれないじゃないですか。あなたっ、こんな所に私を連れて来て罪作りですっ。口には入らず香りだけなんて、あんまりですっ)
(おうおう、そのハナさんの気持ち、私にはよく分かるのっ。辛いもんだ。しかし、鼻と目で楽しめるだけ気晴らしにはなるだろうのっ)
(ハナは気晴らしというよりも拷問みたいに感じたようでした。どうも、ハナは何事でも楽しむより苦しむ方が好きなようで。僕は思っていたんですよ。もしハナ生存の頃にこんな近くにこんないいお店があったら、さぞかしハナはでかくなったろう、なんてね。戦中戦後の飢餓時代を過ごした者は、なんでも蓄える習性がありますからね。たらふく食べて、太って早死に。幸い僕は、いや、僕もたらふく喰う方なんですが、煙草吸いますから食物が胃腸を早く通過するのであまり吸収しませんでした。そうそう、だから喫煙者が減ってデブが増えるんだな、デブは公害。電車の席は広く取るし、電車や車が走るのに負担になるし、夏は側に行けば熱いし。デブも減らせばいいんだな。いや、あれも最近の健診では胴囲を測るなんて変なことやっている。どうも厚労省は変なことばかりする、いや厚生省だった昔からだな、そもそも天皇の立派な兵に育つよう赤子を健康優良児として表彰しておったし)
(またご隠居さまのぶつぶつ、ですか、でぶでぶ、ってぶつぶつと同じことなのかしら)
(いや、失敬、どうもハナの話をしておりますと、ハナに似てきました)
(それで、どのようなお食事だったのでしょう。あら、だんなさ〜、わたくしが伺ったらお気の毒かしら)
(いいや、目と鼻で楽しめなかったから、せめて耳で楽しもう)
(え〜と、もう五年も前のことですから、全部は覚えておりませんが、まずワインは全部、赤、白、ロゼ)
(ワインは葡萄酒のことですな)
(Thank you, Mr. Robert)
(赤い葡萄酒はわたくしも時々いただきました。美味でしたわ。血の巡りに良いとか言われて)
(マサっ、私の死後、異国の酒を飲んでおったのかのっ)
(あらぁ、だんなさ〜、お酒より甘くて美味しいんですよ。だんなさ〜と時折頂いておりましたお酒はツンと来ましたでしょ。お酒に比べたら、赤い葡萄酒はお菓子みたいな。それに。大正や昭和の御代にはもう、日本でできた赤い葡萄酒がめしあがれましたのよ)
(長生きしたかったのっ。残念無念)
(ワインって、耶蘇教の教会で飲まれるものでしたわね、カテリーヌさま)
(そうそう、幼稚園の教会でこういうお話いたしましたわね。耶蘇教の教会では人間の血を飲んでいるということにされてしまっていたのは、葡萄酒だってこと)
(おばあちゃん、それって本当に葡萄酒だったのでしょうか。僕、肺病に効くかもしれないって言われて、養命酒は口にしてましたが)
(いえ、葡萄酒でした。養命酒も頂いたことございますよ。でも、あれは一寸薬臭いでしょ)
(養命酒、我輩も耳にしたことございますな。あれは、養老の滝の水で作られたのですかな)
(養命酒は信州が発祥だったと思いますよ。養老の滝は美濃の国ですか)
(そうそう、養命酒は長野、養老の滝は岐阜ですね。どちらも逸話がありそうですね)
(お目出度い席なので赤白、紅白、それにお祝いで桃色なのかしら)
(いえいえユリさん、赤は肉に、白は魚に合うのですな)
(あら、そうなのですか。紅白に桃色って結婚式にお似合いですのに。婚礼の引き出物に紅白のお砂糖、それと生の鯛をお渡ししておりましたが、ご隠居さまの時には如何でした)
(そうそう、定番でしたわね、お砂糖と目出鯛。曾孫様のご結婚の引き出物にもございましたでしょ)
(マサさん、ユリさん、今はね、砂糖はさほど高価でもなく、鯛は料理できない人が増えましてね。魚嫌いも増えてますし。息子の瑞鏡の頃にはそれでも焼いた鯛を出しましたね。その後しばらく、結婚式に出ると、鯛を象った紅白の砂糖ってのがありました。一挙両得というのでしょう。孫の瑞穂の時に、それがいいんじゃないかと僕が言いましたら、お爺ちゃん、あんなのはみっともないわ。重いしかさばるし、今はもう流行らないのと言われたのを思い出しましたよ。最近の引き出物で食品は減りましたね。せいぜいカットされたウエディングケーキぐらい)
(切られた結婚焼き洋菓子、ですね)
(ケーキの高さはどんどん高くなりまして。勿論、僕とハナの結婚式は仏前でしたし、仕出しの箱膳で、ケーキなどありませんでした。息子の瑞鏡の時には、学生会館で、それでも三段のウエディングケーキ、孫の瑞穂の時には結婚式場で六段か七段だったか、上に新郎新婦の人形が飾ってありました。それにナイフを入れて切るわけです)
(まぁ、そんな高い大きなケーキをみなさまに切り分けるのですか。たいへんですわね)
(マサさん、切るのはほんの少しだけ。儀式みたいなものですよ。たぶん、そのほんの少し切ったケーキは同じ式場の次の結婚式でまた使われるらしくて。みなさまにお配りされるのは別にきれいに切り分けられたものだったと思いますよ)
(そのぉ、結婚式場ってのは何かのっ、神社やお寺なのですかのっ)
(ああ、なるほど。昔はなかったですね。今は、結婚式場と葬儀場とあって)
(それも、お寺や神社がなさるのでしょう)
(いえいえ、企業、つまり会社になってますね。結婚式も昔は家でしていたけれど、家じゃ狭い、葬式も家じゃせまい。参列者が入り切らない、家の中を片付けねばならない。料理も、昔なら結婚の場合も葬式の場合も近所が手伝ってってのが普通でしたが、今はね、マンションだったりすると近所付き合いもないですし)
(万所ってなんだのっ)
(mansion、大邸宅ですな。はは、自慢じゃないですが、我輩が来日前に住んでいたような、大きな館ですな。亜米利加の南部諸州には多かったですな)
(おっと、そうですね、ロバートさん、英語のマンションは大邸宅。日本語では違うんです。え〜と、アパートが木造なら、それを鉄筋コンクリートにして、もっと高層にしたのがマンション、いや、しかし鉄筋コンクリートのアパートもあるし、う〜ん、どう説明したらよいか。いずれにせよ、大邸宅じゃなくて、広めのアパートのような)
(ユリ、そのあぱぁとってのも分かりません。もしかして、木賃宿のことですか)
(う〜ん、構造は似ていて、でも宿というよりはある程度長い時間住むのですが)
(あっ、下宿のような。賄いはついていないのかしら)
(僕分かりました。大震災の後にできた同潤会のアパートメントハウスですね)
(おうっ、apartment houseを短くしてアパートですな、なるほど)
(同潤会のはたしかに鉄筋コンクリートでしたね。あれはアパートと言っても、昨今の日本語ですとどちらかというとマンションに分類されるような。要するにアパートというのはマンションより狭くて安いのでしょうか)
(あっ、もしかして、亀歩き青年の住んでいたのが、アパートかしら。ほら、皆様覚えてらっしゃるでしょ。あの時ご一緒したのはどなたでしたっけ)
(あぁ、ユリちゃん、あれね。なるほど)
(同潤会のアパートは、お若い方には最先端の近代生活の場と思われておりましたわね。お台所が便利だと伺ったことございますわ。わたくしは、人間が作った石の壁に囲まれて暮らすのが良いなんてとても驚きでした)
(地震でも壊れないように作られて。虎ノ門、小石川、日暮里、江戸川、青山、本所、あちこちにありました。でも、もしかして戦争で壊れましたか)
(爆撃でも壊されたのかもしれません。僕、その辺り詳しくなくて、ただ、再開発でどんどん取り壊されていましたね。今でも残っているのでしょうか)
(僕の頃には勤め人になって結婚して親から離れて官舎や同潤会のに住むというのが理想の形の一つでしたね)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。
毎週水曜日に更新しております。
次回は2月9日の予定です。