第五話 セミテリオのご隠居 その十四
(あのぉ、三高じゃなくて二高だといけないのでしょうか。一高は三高や二高より低くなったんですか。そりゃ仙台より京都の方が評価高いかもしれませんが、一高は一番上ではなくなったのですか)
(虎さん、三高、二高というのは高校の名称じゃなくて、え〜と、あちらの世では、収入学歴身長の高いのを三高と言いまして、女性が結婚相手の男性を求める時の条件の呼び方です。曾孫の瑞樹の場合、収入はまぁそこそこ期待できますね、自分の家の医院の後継ぎですから。学歴は大卒、しかも医学部。で、後の一つが足りないから二高なんです。背が低いんですよ。百七十そこそこ。え〜と、四尺五寸くらいでしょうか)
(おっ、それだけあれば充分だのっ)
(彦衛門さん、今のあちらでは小柄に見えるんですよ)
(ほうっ、外国から食物を輸入して来て、食料に満ち足りておるのだのっ、これはいい)
(あのぉ、できちゃった婚ってなんでしょう)
(結婚より先に妊娠することですよ)
(まぁ、はしたない)
(そうかのっ。昔もあったがのっ)
(古今東西どこでもでしょうな。未婚の女性が孕むと、親は慌てる。早く結婚させないと、とね)
(なぜ早く結婚させるのかしら、みっともないからかしら)
(ユリちゃん、男が逃げるからだと僕は思うよ)
(つまり、結婚って、男の方に責任を取らせるってことなのかしら。何か、ユリの夢壊れそうです)
(ユリちゃん、結婚って現実的なもんだからさ)
(面白いものですな。我輩も虎之介殿もユリさんも、みなあちらでは生涯独身でしたからな。恋だの愛だの夢だの結婚だのかしましい、いや、我輩には想う令嬢がおりました)
(あらっ、ロバート殿、すみにおけない、お話しお聴かせくださいませ)
(いや、まぁ、旧い話で)
(そうそう、結婚などして当たり前。できぬ男は甲斐性の無い男。昔は稼げねば結婚できぬ、というのも、建前と本音が別でしたのっ。稼げぬ男でも娘が孕んじゃ仕方ない。結婚させるわけでのっ)
(殿方が稼ぎ手ですから、どのような殿方、家柄に嫁ぐかで、おごじょの人生が幸せかどうか、でしたわ)
(それでマサは幸せだったかのっ)
(はい、たぶん)
(たぶん、かのっ)
(だんなさ〜、他の方に嫁いだことございませんから、比べられませんでしょ。わたくしは幸せだったと思っておりますから、たぶん幸せでしたのでしょ。ですが、他の方から見て幸せかどうかは分かりませんもの)
(なんだか竹を割ったとはほど遠いのっ)
(だんなさ〜をこちらの世に送りましてから三十二年も独りでしたのよ。もう少し長くあちらで生きてくださってたなら、はい、もっと幸せでしたでしょ)
(すまんのっ)
(あのぉ、もう一つ、ユリわからない言葉があったんですけれど。え〜と、すてなんとか、高校入ってからっての)
(あっ、ステディですね)
(steady、安定したですかな)
(はい、いいえ、え〜と、もう他の異性とはつきあわない、という意味で使うようです)
(それって、若い女性と若い男性がおつきあいしていても、他の異性とおつきあいする男女がいる、ってことでしょうか)
(カテリーヌさん、仏蘭西でも我が国我が時代でも、一対一ではなく、多数で集うことはございませんでしたか。左様な状況では、何人もの異性とある種のおつきあいがあるわけで、その中で互いに意中の人であれば一対一でおつきあいをする、そういうことだと我輩は理解しましたが、ご隠居さん、いかがでしょう)
(そう、そう、そうです。あっ、西洋文明ですと然程不思議ではないのでしょう。彦衛門さん、マサさん、それにお若い、いえ若くないのか、まぁ、それはともかく、虎さんやユリさんには分からないでしょうね。僕が生まれた頃、いや、その後も、東京オリンピックぐらいまではなかなかね、男女が勝手につきあうと世間の目は厳しかったかもしれませんね。恋愛結婚は大正時代にもありましたが、戦前戦中は親の目や人目を忍ぶどころか、官権や軍の目も忍ばなけりゃなりませんでしたしね。恋愛も様変わりしました。戦前でしたら手をつなぐのがやっと。映画のキスシーンで大騒ぎでしたからね。そもそも恋愛という言葉ですら御法度)
(鱚死因って何かのっ)
(口吸い、口づけ、接吻場面です。そういうことが想像される映画は見ちゃいけないという建前、隠れて見に行くという本音、僕の周囲にいっぱいいましたよ。本音と建前の葛藤に身悶えしてるってのが)
(虎さん、でも、たぶん虎さんの頃には、傘の中とか、窓の中とか、見えないようになってたでしょ。日本ではそういう場面はカット、あっ、切るって意味ですが、つまりそういう場面があっても見せないようにしていたんですよ。そうそう、思い出しました。GHQがね、キスシーンのある映画を日本人に見せるようにって通達したんでした)
(僕、もうちょっと長生きしたらそういう映画を見られたんだ。あっ、でも長生きしていたら、赤紙が来ていただろうけれど)
(まぁ虎ちゃん、いやらしい)
(GHQとは何かのっ。おっ、前にも同じ質問をしたような気がするがのっ、もしそうだとしたらお許しあれ。何しろ忘却の彼方に漂っておってのっ)
(General Headquarterの略ですな)
(そう、総司令部、あれは、米軍総司令部だったんだと思います。もしかして連合軍総司令部、いや、どっちもかな、日本が占領されていた頃のトップ、一番上にあった機関です)
(つまり、その頃のお上が、そういう場面を日本人に見せろと、なんとまぁ。接吻など、あら、わたくしこの言葉を口にするだけで赤面しそうですわ。それを映画で見せるなど、なんてまぁ、恥知らずな)
(マサさん、分かります。そうでしたよね。結婚相手の顔を見るのは結婚してからなんてのが当たり前みたいでしたからね。実際、僕も、顔を見ずに許嫁。周囲が認めた、経済的にも階層的にも似た立場の者を紹介する、家柄の釣り合った、似た様な家庭で育って来ているから、恋だの愛だの一時の迷いで盲目になって選ぶよりしっかりしている、そういう風潮でしたよね。好いた惚れたは犬畜生、なんてね。釣書を見れば氏素性は分かる。そもそも結婚する当人じゃなくて親祖父母が決めるのが当たり前でしたし。おっと、それでマサさんは彦衛門さんとどうして)
(あら、わたくしは、だんなさ〜とは幼なじみでございましたの。わたくしの兄とだんなさ〜も竹馬の友というわけで。ですからごく自然に。人柄も互いによく存じておりました)
(幼なじみですか。それじゃあ、曾孫夫婦と似たようなものですね。曾孫夫婦は仲良くてね、高校生の頃から僕の所に遊びに来て、人前で平気で手をつないでましたよ。今の若い子はいいねぇなんて、僕のお仲間にひやかされても平然としてました)
(手をつなぐくらいで騒がれるのですか)
(はい、カテリーヌさん、そうでした。そうでしたよね、虎さん、ユリさん)
(はい、そんなこといたしましたら、町内どころか東京市中に広まるんじゃないかと大騒ぎされたでしょうね)
(高校でならともかくも中学の頃でしたら不良分子扱いでしたね)
(ですからわたくしが夫と腕を組んで歩くと、遠巻きひそひそでしたのね)
(そうだったんですよね。そんな日本に、GHQは接吻場面の映画を積極的に見せるように通達を出してから四半世紀後、え〜と東京オリンピックより後、あれはいつ頃でしたか、ベトナム戦争の頃でしたか。アメリカから流行って、日本にも入って来たのが性の解放、いや、フランスが最初でしたかなぁ。フェミニズム)
(なんですかのっ、蛇水飲む)
(彦衛門さん、フェ、ミ、ニ、ズ、ム、です)
(屁、見ずに、無、そりゃ屁は見えないし無いようなものだがのっ)
(笛をはやく言ったようなフェですが、エフの発音は今の日本語には無いですからな)
(えふなのかふえなのか、えとふとどちらが先なのかのっ)
(文字はえふ、この言葉はふえ、になります)
(で、その笛ミニズム、とは何でしょう)
(feminismですな、フランス革命の後に始まった)
(あぁ、あれですか、え〜と、人間は平等というのに、殿方と婦人が平等でないという)
(ほぅ、フランスが最初だったのですか。僕も知りませんでした。僕が知っているのは、人種間の不平等が問題になったアメリカで、人種もだが、男女間の間も不平等だというので、どうして女性は家庭、男性は外で仕事なんて分担があるのか。どうして社長は男性で、秘書は女性なのか。どうして女性は大学を出ても同じ給与同じ仕事ではないのか、とかね。日本でも、平塚らいてうさんが色々とおっしゃってましたよ。ハナは、そんなこと言ったって、誰がごはんを作るんですか、でしたがね。で、アメリカでは、性が平等ならば、女性にだけ処女を求めるのは変だ。そもそも男は子を産めない、男も女から生まれるのだから女の方が偉いんだ、ってなりましてね。日本でならともかくも、女は男の肋骨から神がお造りになったというキリスト教の西洋では、すさまじい言い分なわけですよ)
(西洋では、女は男のあばら骨から作られたと信じられているのでしょうか)
(まぁ、それでは、西洋人の殿方は日本人の殿方よりあばら骨が一本少ないのでしょうか)
(ユリちゃん、まさか、と言っても僕も自分の肋骨だって数えたことないし、ましてや外人、いや外国人の肋骨を数えたことはないけどさ)
(僕も実際に数えて比較したことはありませんが、まぁ、同じでしょう。ただね、人種によって、皮膚の色やまぶたの厚みが異なる様に、脂肪の厚さや罹り易い病気も違うってことは最近分かってきていますが、おっと、人種と言うのも最近では無いことになっている、いや、しかし分類状、いや、この話をするとややこしい)
(ご隠居さま、何をお一人でぶつぶつと。なんだかハナ様のがお伝染りになった様です)
(いや、話を続けましょう。それで、女の方が偉いと言う論調になれば、当然男達から反発が出る。その点、日本ではさほど主張も激しくはなかったので、反発も激しくはなかったのですが。主張と反発の度合いによってその中央あたりに変化していくのが世の常だと僕は思うのです。女が偉いという主張、いや男が偉いという主張、その間で、どちらも偉いとなれば平等なんでしょうね。もっとも僕は、偉いとか立派という言葉は嫌いです。フリーセックスという言葉も流行始めましたが、エイズなどの性交感染症により一応下火になったような、実態はどうだか微妙なのですが、僕も性病の診療からは占領時代以降遠ざかっていますから、詳しくは知りませんが)
(フリーセックス、エイズ、自由、性、援助、ですか)
(虎さん、半分当たりです。性の自由、性の解放、つまり極端な話し、誰と交わろうと構わないというのと、エイズは援助ではなく長い病名の頭文字を取ったもので、元はサルだったかな。性交渉で感染するなかなか完治し辛い病で)
(まぁ)
(ほうっ)
(ユリ、一応ご隠居さんと同じ年齢なのですが、十九で止まったようなものなので、生々しくて)
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