第五話 セミテリオのご隠居 その十三
(なるほど、長く生きるということはこういうことなのですね。いや、後の時代で生活すると、ということなのでしょうか。どんどん新しいものが出て来ているわけですね。毎日目にしていると昔からあるような気がしてしまいますが。ハナは僕よりたった三十五年早くこちらに来ただけですが、それでも色々、感心というより憤慨していました。まぁなんですか、まぁ降りる前に乗って来るなんて、まぁこの音楽はなんですかっ、えっ、下りのエスカレーターまであるんですか。ここにも、エスカレーターでは歩かないでください、駅長って書いてあるのに、歩くんですか。あら、こちらはちゃんと、でが入っています。正しい日本語をご存知の駅長さんもいらっしゃるんですね。ほっとしました。でも、こう書いて貼らなきゃいけないなんて、みなさんせっかち。まぁ、小走り。やはりハナの小言が出ました。僕は混ぜ返したかったんですよ、歩かないで走るならいいじゃないか、歩かないんだからなんてね。まぁ私みたいな和服の方が電車の中どころか、駅にもいらっしゃらないじゃありませんか。スカートの方も少ないですし、そんなに男勝りばかりなんですかっ、それとも戦時中みたいなんですかっ。スカートは膝が見えてますし、はしたないっ。私、今から着替えた方がよろしいのかしら。いや、もう、いい、誰にも見られないから。あら、でもほらあそこのお年寄りの肩の所に寄り添ってらっしゃる方、あの方、和服ですわ。ああ、僕たちの仲間みたいだ。たぶん、あの男性のこちらの世の奥さんじゃないのかな。ハナも僕が墓参りに行く度に僕に乗ればよかったのに。あの頃の僕ならば、こういうことができるなど知らなかったが、ハナは楽しめたろうに。いえいえ、私、もう外出はこりごりです。死んだ時のことを考えると、外を出歩くなんて恐ろしくて。でも、もうこれ以上死なないのだし。死ぬとか死なないの問題じゃございませんっ。目の前で車の前にこどもが飛び出しただけでぞっといたしました。車が私の方に向かったのでぞっとしました。その車が街灯にぶつかってぞっ、そのすぐ後には頭にがつん、そこまでしか覚えておりませんが、ああいう死に方はもう金輪際こりごり金輪際結構です。だから、もうこれ以上死なないだろう。死ななくとも、ぞっとするのはもう金輪際結構です。だが、もっと外出していれば、今みたいに色々細々ショックを受ける事はなかったろうに)
(ショックとは、驚愕という意味でござる)
(ロバート殿、かたじけない)
(あいがとさげもした)
(ですから私は今日の曾孫の結婚式もお断りいたしたじゃございませんか、なのにあなたはこうやって私を連れ出して。私、外をほっつき歩いているあなたからお話しを伺えればそれで充分でしたのに、いえ、それでもお釣りが来ますのに。伺うだけでもたくさん)
(ほっつき歩くとは、なんかひどい言われようですのっ)
(まぁ、僕、たしかに、ほいほいひょいひょいですから、でも歩いているのは僕じゃなくて僕を乗せてくださってる方々なんですよね)
(左様でございますわね)
(まぁ、こんな調子で、まぁこの東京地下鉄ってなんですか、営団じゃないんですか。あっ、これは僕がこっちに来てからそうなったんで。僕がこっちに来た時にはまだ営団だったよ。こっちってどちらです、ややこしい。こっちって、つまり今僕とハナがいる世界で。でも今あなたも私も動いているこっちの世界はこっちでしょう。いや、え〜と、つまり、生きていた頃の世界じゃなくて、今、ああややこしい。生きている人たちが動いている世界はあちらの世界で。でも私たちこうして動いておりますのも生きている方々の世界ですから、私のこちらの世界はこの生きている方々の世界でございます。う〜ん、ともかく、僕が生きていた頃は営団だったのよ。何度名前を変えればいいんでしょう。最初は東京地下鉄道でしたのに。あっそうか、今は道を取っただけでほとんど元の名称に戻ったんだよ。どうして、省電は元に戻らなかったのに。そんなこと僕が知るか、ほとんど僕切れかけていました。あっ、腹が立つという現代語ですね。もっとも百を超えた僕が使うにはやや若者言葉なんですが。こんな調子でしたから、僕もいつもの調子じゃなくて、降りる駅を間違えていたのでした。いえ、降りる人に乗り移るのを間違えていたのです。恵比寿で降りる人に憑けば日比谷線で一本で、これならハナの生きていた頃にもあったから、さぞや文句を言われまいと思っていたのですが、ついつい降りる人並みに乗せられて、というか乗っている人から降りそびれて渋谷で降りてしまったんです。そこでまたJR、省電の山手線に乗る人に乗り換えればよかったのですが、まあなんとかなるさ、どの人が渋谷で外に出るのか銀座線、半蔵門線、井の頭線、東横線に乗るか分からないでしょ。一寸した賭けみたいになりまして)
(まぁ、その半蔵門線とは何ですの)
(地下鉄ですよ。途中まで銀座線と同じなんですが、逆方向には神奈川までのびています)
(半蔵門とは、江戸城の半蔵門ですかのっ。忍者の出と言われた服部半蔵に因んだ門ですのっ、ということは、城の下に地下鉄を走らせているのかのっ、天子さまに不届き千万、という世の中ではなくなったということかのっ。それにしてもお堀の下を通るのかのっ。土竜みたいに地面を掘るのはさぞかし大事ですのっ。それに、地下に汽車を走らせると煙はどこにいくのですかのっ)
(あら、だんなさ〜、電車はご存知でなかったでしたっけ。あの頃山手線が電車になりましたのよ。地下鉄はもちろん電車ですわ。ですから煙は出ませんの)
(あの頃ね。うむ、私はみていないのっ。私の頃は、日本鉄道の汽車だったのっ)
(我輩の頃も、そういえば、今世紀、いや、もう前世紀の初めの頃に東京市内には電車が走っておりましたな。我輩は最近、例の携帯、あの紐無し電話のことでござるが、あれ以来、旅して参りましたので、東京の私鉄や地下鉄網の便利さややこしさは理解しておりますな)
(ユリも少しは電車知ってます。日本鉄道はほとんどまだ汽車でしたけど)
(わたくしの頃には、銀座線と東横線と井の頭線はございました)
(僕の頃もそうです。あの頃は、院電じゃなかったでしょうか)
(地下鉄がどんどん増えたんですよ。僕があちらにいた頃、自分の脚で歩けた頃でも、駅で路線図を見て、どの経路がいいのか悩むことありましたから。ましてや僕にはどこに行くのか分からない方々に乗せて頂いてますとね、うまく乗り移らないと。なのに、渋谷で降りてしまったので、しかも半蔵門線に乗ったわけです。で、次は青山一丁目とアナウンスが入りまして)
(アナウンスって、何かしら)
(ラヂオでニュースを読むことでございましょ)
(あっ、え〜と、例のマイクで車掌が告げることなんですが、でも車掌じゃなくてテープだと思うんですが)
(テープって、紐のことですか)
(いえ、え〜と、どこの駅ではどこ行きの電車に乗り換えられるとか、次はどこの駅だとかを録音してあるものがテープで、あっ、もしかしたら今はそれもテープじゃないのかもしれませんが、ともかく、次は青山一丁目だから、大江戸線に乗り換えれば六本木で日比谷線に乗れる、と思ったのですが、ここで、都営地下鉄はハナの頃にあったっけ、また何か言われるんじゃないか、大江戸線などという、面白いけれどハナが何か言いそうな名前だし、と降りる人に乗り移るのをやめてしまったんです。何しろ、シルバーシートが省電と地下鉄で色が違う。シルバーって銀なのに、銀色じゃないです、なんだかんだとまぁ、文句の付けっぱなしでしたし。あっ、シルバーシートというのは、優先席、先ほど説明いたしました、弱者用の席のことです。その上、この地下鉄に乗ったら江戸時代に戻れるわけないのに、時代錯誤な名前を付けたのはどなたですかっ、と言われたら説明面倒ですし。丸の内線ならばハナも文句は言うまいと、永田町で降りて、赤坂見附から丸の内線に乗って、霞ヶ関で日比谷線に乗って神谷町で降りたわけですが、もう、僕、どっと疲れていました。自分で歩くわけじゃないですから、行きたい方に行く人に乗り移るわけでしょ、自分一人ならまだしも、何かと小うるさく文句を言う、乗り移り若葉マークのハナを連れてですからね、こんなことなら歩いた方が速かった、せめて自転車か、でもそうそう都合良く愛宕行きの人がみつかるとも限りませんし)
(若葉マークってなんでしょう)
(え〜と、車の運転に未熟な者が車に貼る印です。つまり、初心者という意味で。何はともあれ、神谷町の駅に着いたわけです。まぁ、お家が無いですわ。ビルばかり、あら、愛宕山が低く見えます。まぁ、東京タワーの下の方が見えませんわ。あら、道路がこんなにきれいに舗装されて。まぁ、車の色が色とりどり。あら、電柱が木ではないのですね。まぁ、物干が無いですわ、皆様洗濯物を干さないのかしら。あら、まぁばかりのハナでした。コンクリの建物は家には見えないようだったので、いや、ビルはビルでも住んでいて、事務所やレストランやお店ばかりじゃなくて、と説明しなければなりませんでした)
(コンクリとはなんですかな)
(concreteです)
(あっ、建築に使うものですな、虎さん、かたじけない。またしても短縮されてますな)
(えっ、ユリにはわかりません。セメントとは違うのですか)
(セメントは仏蘭西が日本に輸出しておりましたわ。あら、もしかして、中に鉄の棒を入れる方法かしら)
(あぁ、鉄筋コンクリートって言いますよ。僕もよくは知らないのですが、たぶん、セメントに色々と混ぜたものをコンクリと言うのかなぁ。ともかく、今の日本にはコンクリの建物が多い訳です)
(最近、セミテリオにもそういう墓石があるように思うがのっ)
(それで、丁度神谷町の駅を出た所で、胸にコサージュをつけた華やいだ雰囲気の若い女性が三人、自販機の前にいたので、たぶん曾孫のお相手のお友達だろうと、勝手に見当つけて乗り移りました)
(自販機とはなんですか)
(自動販売機。え〜と、ペットボトルのお茶やコーラ、缶入りのコーヒーやジュースなどを売っている機械です。あれ、皆の衆ご存知ないですか。ここセミテリオの管理棟の近くにも設置されてますが)
(気付かなかったのっ)
(便利なものがあるんですね)
(ペット用の飲み物も売っているんですね)
(はっ、ペット用の飲み物は売ってないですよ。ああ、ペットボトルのことですか。あっ、ペット用じゃなくて、え〜と、なんて言ったけな。何かの略語なんですよ)
(日本語お得意の簡略語ですな。Mc Donald’sをマックやマクドと言う様な)
(いえ、それとも少し違って、PとEとTが何か化学物質の略でした。それで、その化学物質でできた容器に入れて売っているものですよ)
(化学物質とは。安全なんですか)
(まぁ安全なんでしょう。世界中でそれに飲み物入れて売っているそうですよ。それで、その自販機の前で話していたのが、まぁ、僕からすれば、若い子の普通の発言なんですが、ハナには堪えられないものでした。茜さぁ、上手いことやったよねぇ。卒業して早々に結婚なんて。もしかしてできちゃった婚なのぉ。違うと思うわよ。しかも医者だもんね。折角大学まで出たのにもう永久就職なんて、もったいなぁい。何言ってるの。それって親の台詞みたいじゃない。だって、看護学勉強した意味ないじゃん。あら、子育て一段落したら戻ればいいのよ、親の台詞みたいだけどさぁ、手に職つけるって強いわよ、離婚できるし。縁起じゃないわ。あら、縁起なんて担ぐの。それに勤め先が自分の旦那の医院なんて、職住接近だし、いいなぁ。そうかなぁ、夫婦喧嘩していたら、家でも職場でも顔合わせるの嫌じゃない。そうかっ、これで離婚でもしたら、一気に職住失うんだ。だから、手に職つけてれば離婚したって他の病院に務めればいいわけでしょ。養育費だってがっぽり取れるだろうし。なんか披露宴に出る前に縁起でもない。あら、また縁起担いでる。だってさぁ、もし私たちが結婚する時に友達が離婚の可能性なんて話していたらやっぱり嫌でしょ。なんだか嫉妬してるみたいじゃん。そりゃそうね。あの二人ね、付合って長いのよ。中学からだもん。だからできちゃった婚じゃないと思うんだけど。むしろ長過ぎた春なんじゃないかなぁ。もぉほとんど幼なじみの領域でしょ。あら、二人とももしかしてエスカレーター入学だったの、知らなかった。うん、私もそうだから。下から上がって来る子って、もまれてないからなんかお嬢様お坊ちゃまなんだよねぇ。悪かったわね。私もそう、お嬢様でございますわよ。でもね、ほんとのお嬢様は看護士にはならないわ。よっぽど志が高くない限り、切ったの貼ったのはやっぱりね。家だって、どうせ切ったり貼ったりなら医者になった方がいいって言われたわよ、でもそこまで成績良くなかったから。えっ、あっ、やっぱり内部進学でも選抜されちゃうの。そうよ。よっぽど良くないと医学部や希望する学部には入れない。そうなんだぁ、でも外部からよりは楽でしょ。まぁね、それだけ中高と払っているし。あっ、それでね、あの二人たしか中二の頃から仲良くて、高校入ってからはもうステディ。瑞樹君、三高じゃなくて二高でしょ。でも、なにしろ、十年近く愛を育んだ仲だから。いいなぁ。じゃぁこの結婚ももう決まっていたようなもんなんだ。そう、そうじゃなきゃ、卒研中に結婚するなんて、ちょっと厳しいでしょ。そうなんだ、できちゃった婚じゃなかったんだ、ふ〜ん。そろそろ行こうよ。うん、新婦茜さまご友人らしく振る舞わなきゃ。そうそう、新郎側ご友人方々にいいのいないかなぁ。三高なんて欲張り申しません。一高でもいいから。こんなとこで油売っていたらやばいわ。さぁ、おしとやかでしっかりしていて優しい看護士の新婦友人に変〜身〜、てくまくまやこん、な〜んちゃってね。こんな発言だったわけです。もうハナは鼻息荒くなるくらいに怒りまくっているわけですよ。大学を出たお嬢様方がこんな言葉遣いなのですかっ、私達の頃の高女卒の方がよっぽどましでした。しかも話の中身の何と下品なこと、はしたない、世も末ですわ、こんなのを耳にするなんてっ、ですから外出は好きでないと申しましたのにっ、こんな方が看護婦さんでは病院にも参れませんわ)
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次回は1月19日の予定です。




