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第三話 セミテリオの国際?井戸端会議

セミテリオー霊園で、いつもの面々が暇にまかせて井戸端会議

第三話 セミテリオの国際?井戸端会議


(烏...)

(が鳴いておるかのっ。鳴いてないぞっ)

(いえ、はい、烏も鳴かないですわ、と申し上げようと思っておりましたのに、だんなさ〜はせっかちでらっしゃる)

(彦衛門さま、この世界での時間は永遠ですわ。ごゆるりと)

(気が急いてのっ。生前からの癖と申すかのっ)

(亡くなるのまでせっかちで、わたくしより三十二年も先でしたものね。わたくしは昭和の御代まで永らえました。だんなさ〜の祥月命日にこちらに参る度に烏が鳴いてました)

(烏って、どうして墓場に多いのでしょう)

(ユリさんはもう火葬でしたか。私は火葬でしたが、だんなさ〜は土葬でしたの。土葬ですと、烏が来るんですよ。ですから、烏は死を知らせる鳥のように思われてましたの。黒いですしね)

(コルネイユは、欧羅巴ではあまり死とつながってませんでしたわ。聖フランシスコさまは腕にたしか烏もとまらせたのではなかったかしら。それに聖ベネディクトさまも、烏に助けられたように教わりましたわ)

(日本にもヤタガラスとかあったように吾輩は記憶しておるが)

(八咫烏だのっ。ロバート殿、おくわしいのっ)

(あれは関西のどこかので、金鶏とは別物と教わりました)

(金鶏は神武天皇が日向の国を出る時に案内役だったの。我が薩摩の近く)

(ロバート殿、本当にお詳しくていらっしゃる)

(鳥は人間と関わっているんですね。欧羅巴でもこちらでも)

(身近な生き物ですものね)

(金鶏は鳶ですわよね)

(♪と〜べと〜べとんび空高く、な〜けなけとんび青空に♪ でしたわね)

(マサ、また歌かのっ)

(はい、これも朝子がよく歌っておりましたわ。ユリさんごぞんじかしら)

(いえ、残念ですけれど、烏の歌もぞんじませんし)

(ごめんなさいね。ユリさんお若いから、つい、でも、わたくしより先にこちらにいらっしゃったのでしたものね)

(今日は風が強いから、烏も鳶も飛ばないのっ)

(鳶は、最近はこのあたりでは見かけませんわね)

(東京市だったころには、よくいましたわ。婆やが家の前でお豆腐屋さんからあぶらあげを買う時、いつも上を注意していました)

(まぁ、どうしてでしょう)

(カテリーヌさん、あぶらあげもご存じではないでしょう。お豆腐を揚げたものですわ。鳶の好物だそうで、上から急に舞い降りてきてさらうそうです)

(怖そうですわ。あっ、あぶらあげは存じております。でも、あぶらあげがお好きなのはお狐さんではなくて)

(面白い。カテリーヌさんが狐におを付けるなんて)

(女中がお狐さんって申してましたので。女中は、私にもお狐さんにあぶらあげをお供えするようにと。でも、わたくしカトリックでございしょ。でも、女中の信仰を否定もできず、女中に余分にあぶらあげを買わせてお供えさせましたの。あのあぶらあげ、本当にお狐さんが召し上がってらしたのでしょうか。翌日になりますと消えていましたが)

(ははは頭の黒いお狐さまかの)

(頭が黒い狐っているんですか。ユリ見てみたいです)

(ユリちゃん、なに、人間のことさ)

(あらっ。虎ちゃん、お帰りなさい。楽しまれたかしら)

(はい、存分に。またその内、みなさまにご披露いたしましょう。我が冒険談)

(貴女は、心がお広い方ですな。キリスト教は一神教。他の神は異端。他の考え方ですら容認できぬ者が多い中、ましてや宗教になると理屈より感情。容認できぬことが多いのですがな。我が亜米利加でも南米でも、くろんぼや土人はキリスト教の神を信仰することを知らぬ以上、魂がないのであり、よってこれを人間とは認めぬ、いや、それでも神が造られたものであるから、先に神を知った我ら進んだ西洋人が土人や黒人の魂を救わねばならぬ、などと喧々諤々、羅馬の教皇まで巻き込んで議論されたものが)

(まぁ、そうだったんですか。わたくし存じませんでした。魂が無い...)

(わたくしたち、魂、霊ですのにね。セミテリオは日本語では霊園とおっしゃるのでしょう)

(ユリね、その言葉好きなの。だって霊園、私たち霊の園なんですものね)

(考えてみたら不思議だね、あちらの世には、僕もあちらにいた頃はそうだったけどさ、目に見えないから非科学的だ、よって霊などない、ってそう思う人が多いのに、霊園って呼ぶなんてね)

(風が強いと、鳥が飛ばぬ。人も通らぬ。妙な音のみ風に運ばれてくる)

(ああ、あれ、風の流れで時々聞こえる、あのぶつぶつぶつぶつ、気の滅入る様な、耳をすましたくなくなる独り言)

(頑固爺の声ですわね)

(頑固爺、とは、カテリーヌさんらしくないおっしゃり様)

(虎さまがいつもそう呼んでらっしゃいますわ)

(貴女はおよしなさい。虎之介殿のは若気の至りの乱れた日本語ですからな。貴女が模範とすべき日本語はマサさまとユリさまのでござる)

(いえ、ロバート殿、わたくしのは安政生まれの古い薩摩なまりでございます)

(あら、ユリのも、明治とはいえ、東京なまりですもの。それに、父は越後ですし)

(頑固爺様とお呼びすればよろしいのでしょうか)

(あっはっは。爺に様を付けても、他人様を頑固と呼ぶことは構わぬのかのっ)

(でも、頑固という言葉、他にどういう日本語があるのかしら)

(意地っ張り、強情、きかん坊、一刻者・・・たしかにどれを取ってもあまり良い響きではないのっ、う~ん、 一徹、これならよかろうのっ)

(では、一徹御爺さま、これでしたらどうでしょう)

(カテリーヌさん、そういうことにいたしましょう)

(えっ、でも、可笑しいでしょうか。ユリさまはこういう言葉をお使いになりませんか)

(はい、あっ、いいえ、使わないですけれど、面白いです。ここだけのお話ですものね。私たちの間だけではね)

(それで、一徹御爺さまは、どうして頑固爺、いえ、一徹なんでしょう)

(あちらの世で偉かったからでしょう)

(偉い...とは、地位の高い人物のことですな。たとえば徳川将軍や明治天皇。我が国の場合ならリンカーン大統領、ワシントン大統領、リー将軍ですな。一徹殿も左様なお方ですかな)

(リンコルン大統領の名は耳にしたことあるのっ。ワシントンも大統領ということですの。それで、最後のリー将軍というのは、徳川将軍家の様に、亜米利加にも天皇と将軍のように、大統領と将軍がいらっしゃるのかのっ)

(彦衛門殿、それはちと違いまする。吾輩の国では一番上にいるのが大統領で、大統領の下で軍を指揮するのが将軍でして。リー将軍は、南軍の将軍でして、北軍と戦った英雄でござる)

(ならば、我が国の江戸時代でも明治でも、そういうことでしたの。いや、明治以前ならば、将軍の上に天皇様、明治の世ですと、将軍の上にいるのは陸軍大臣であり、いや、江戸時代ですと...実際のところ徳川家の世であって、いや、末期は我が薩摩や長州、土佐、肥前が強かったしの、その後は皇室で、今のあちらの世では総理大臣かのっ。いや、やはり天皇様かのっ。それで、ロバート殿、南軍とおっしゃるのは、我が国の少し前までの南町奉行と北町奉行のようなものかのっ。おっと、南町奉行と北町奉行は戦いはせなんだ。奉行所は裁く所。北軍とは、別の国の軍隊ですかのっ)

(おのこのなさることはややこしいですわね。みなさんが安寧に暮らせられればそれでよろしいのに、ねぇカテリーヌさん、ユリさん、そう思いませんか)

(ほんと、男の方って、すぐ喧嘩なさるし、すぐ戦争だって勇ましいこと)

(私の国にも大統領がおりますわ。私の曽祖母さまの頃でしたらナポレオン皇帝でした。偉い方とおっしゃる方もいらっしゃれば、自分勝手だとおっしゃる方もいらっしゃいましたわ)

(ユリ、わからなくなります。大統領様と皇帝様と王様と天皇様と首相さまと将軍様と。男の方ってそういうのお好きなんでしょうか)

(あちらの世界では、最近はおごじょも好きだそうですわ)

(彦衛門殿、南軍も北軍も亜米利加国内の軍でして、日本の方に説明するのにそういう表現をするのでして、えぇと、南軍というのは亜米利加南部の奴隷制を支持する州の軍隊でして、北軍というのは奴隷制に反対する北の州の軍隊でして)

(奴隷...まぁおぞましい。亜米利加には奴隷がいたんですか、おかわいそうに)

(人が人を動物のように使うなんて...でも、そういえば夫が申してましたわ。印度は英国のもので、印度人は英国人のもの同様と)

(貴女の国もあちらこちらに進出し、弱い国々を支配下においたのですぞ。然様な国々では、土人はやはり奴隷同然。もっとも、亜米利加ではわざわざ暗黒の地から黒人を連れてきて奴隷労働させたのですが、いや、英国も、印度人を連れてきてましたな)

(あのぉ、先ほどもおっしゃってらした、土人ってなんでしょうか。土でできた人のことでしょうか)

(その土地の人ということでしょうな。だが、亜米利加土人とか英国土人とか仏蘭西土人、日本土人とは言いませぬな)

(黒人ってくろんぼさんのことですか。ユリ怖い)

(そう。ユリさんの頃には日本ではほとんど見られなかったでしょう。怖いですか。しかしながら、我が輩の調べたところによると、時は戦国、信長公の従僕に弥介という名のくろんぼがおったそうな。くろんぼも、慣れれば同じ人間。吾輩は黒人の乳母に育てられたのでござる。慣れぬものを怖がるのは人間の常のようですがな)

(最近はあちらの世界の日本にはいろいろな肌の方がいらっしゃいますわね。白い方、黒い方、間の色の方。あら、でも白と黒を混ぜたら、灰人にはなりませんわね。不思議ですこと。髪の色も目の色もいろいろ。昔の大和のおなごはまっすぐな髪が自慢でしたのに、近頃の日本のおなごは他国の方々のように縮れさせてますわね。わたくしの頃には縮れ毛は嫌がられました。時代は変わるものですわ)

(ふむ。そうえいば、私が幼い頃には、日本が外国に乗っ取られると心配し、攘夷運動華やかでしたの。それでロバート殿、南と北とどちらが勝ったのかのっ)

(北でござる)

(それでは奴隷はいなくなったのですか。あらっ、でも、どうしてリー将軍が偉い人なんですか。負けた側の将軍でしたのに)

(石川五右衛門が大泥棒でも、人気があるのと同じかしら)

(ユリさん、それは違います。リー将軍は、北軍との戦には負けましたが、人格高潔、大学の学長にもなったのでござる。この国にも判官贔屓という言葉がありますな。負けた義経に人気がある)

(鼠小僧次郎吉というのもあるよ)

(義賊ですな。次郎吉殿とはちと違う)

(ほう~)

(それに、奴隷はいなくなったわけではござらぬ。奴隷という立場が無くなって、かえって食べるにも事欠いて、北部の工場で働ける者もいた一方、食事と居所の代わりに、そのまま南で暮らし続けた者も多かったのでござる。実は、吾輩の家にも元奴隷がおって、その奴隷が作るコーンスープが美味しかったのでござる)

(この前お話になってらした唐黍の汁ですね。あちらの世におりました時に味わいたかったですわ。こちらに来てしまうと、見えても嗅げても味わえませんもの)

(ついでに申すなら、吾輩のロバートというのも、リー将軍の名前にちなんでおる)

(ほう~。それはそれは。それほどに愛される方だったのかの。だがロバート殿は軍人ではなかったのっ)

(はい。我が輩は外交官として来日いたしました。日本のことをいろいろ知るにつれて、次の任地には参りたくなく、そのまま居ついてしまったのですな)

(ロバートさまのお話が面白いので、忘れておりましたのに、また耳に入ってまいりましたわ。ぶつぶつぶつぶつ、一徹御爺さまのお声が)

(こちらにお仲間にいらっしゃればよろしいのに)

(うわぁ、ユリ、ちょっと苦手です)

(ユリさん、くろんぼと同じですよ。慣れれば怖くなくなる。まずは相手を知ることから。楽しくなりますよ。吾輩が日本に居ついてしまったように、未知のものはまず知りたいと思えば怖くなくなります)

(わたしたちやわたしたちのこちらの世界が怖がられているのも、あちらの方々はこちらを知らないから怖いのかもしれませんわ)

(そうですわね。幽霊、おばけ、天国、地獄、色々と)

(あちらの世界にいる間に、こちらの世界を知ろうとしたってそりゃ無理だのっ)

(知りたくて、知りたくて、こちらの世界にいらした方に再会したくて、色々と試されて、という方もいらっしゃいますわ)

(非科学的だと、目に見えないものは信じない方々に批判されますしね)

(天国だ、幸せな所に行けると思って来るのと、地獄に行かされると思って来るのでは、後者の方が楽ですな)

(とはおっしゃるものの、地獄に行かされると思ってあちらの世界で生きている者は、他人を不幸にしているわけですの。その場合、不幸な人間は極楽に行けるものと思い込んでいるのだろうかのっ。不幸と幸福は紙一重というところかのっ)

(こちらの世界が極楽か地獄かは、あちらの世界での生き様だけではなかろうし)

(一徹御爺さまは、どちらなのでしょう)

(ぶつぶつぶつぶつ、文句があるということは、こちらの世界では不幸ということですな)

(あちらの世界ではどうだったのでしょうか。マサさま、何かご存じのご様子)

(えっ、あっ、はい、いいえ、ちょっと奥さまとお話いたしたことがございますの)

(一徹御爺さまの奥さま...とんとお見かけいたしませんな)

(どうしましょう。うっかり口を開いてしまいました。噂話は女の特権とは申しましても、苦手でございます)

(井戸端会議ははしたない女のすることですよ、と母がよく申しておりましたわ。ユリはね、好きでしたの。で、母に隠れて裏通りの長屋の奥に参りますと、婆やに連れ戻されまして、母にお説教されました。でも、構わないんじゃございませんこと。私たちの世界ではどなたかに乗せて頂いて楽しむか、長話しかございませんもの)

(井戸端会議とは井戸の周りでご婦人方が会議をするということなのでしょうか)

(カテリーヌさんは上流のご出身ですからご存じないようでござる。炊事や洗濯、家事には、おっと、火事にも必要。いや、家事には水がつきもので。女が家事をする下々の暮らしでは水場に女が集まる。そこでなさる噂話のことですな)

(さすがロバート殿、お詳しい。だが、私も、藩の演武館にて剣柔弓道の後、汗を流しによく井戸端で水を使いましたの。確かに、おごじょは噂話が好きですのっ)

(おごじょ...先ほどからおっしゃってるのは、おなごのことですかな)

(さよう。おう、ロバート殿でも知らぬ言葉がございましたのっ。薩摩言葉でおなごのことをおごじょと申すのだの)

(日本の方言は難しいですわ)

(マサさま、井戸端会議、霊園会議にしてしまいましょうよ。ユリなんだかわくわくしてまいりましたわ)

(ええ、ええと、どこから始めましょうか。夢さまは二年ほど前にこちらにいらしたのですけれど、狭いお墓は嫌です、やっと自由になれたんですもの、と、お子さま方がお参りにいらっしゃる度にお乗りになってあちこちご旅行ばかりなさってらっしゃるのです。一徹さまが二年遅れでこちらにいらしても、夢さまはいつもお留守で。それでぶつぶつ)

(お子さま方がお参りにいらっしゃる時に、一徹御爺さまも夢さまとご同行なさればいいのに)

(一徹殿は、出不精のようですのっ)

(だんなさ〜とは違うようですわね。だんなさ〜はわたくしが出かけるときにはほとんどいつもわたくしとご一緒ですものね)

(私はマサとは仲睦まじいと自認しておるのでの。おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪のはえるまで、だのっ)

(だんなさ〜、何をおっしゃるのです。だんなさ〜は六十一、わたくしは八十五、共にどころかわたくしのみ白髪。早々とわたくしをおいてこちらにいらっしゃっておいて)

(すまんのっ。私も白髪になってみるか)

(どうだっ。白髪を思い浮かべたのだがのっ。これで共白髪)

(あらっ、やはりだんなさ〜は黒髪がお似合い)

(気の我ら、自由気ままの変貌自在、とはいえ、やはり元のお姿がお似合いですな)

(夢さまがお出かけなさろうとすると、一徹さまは、おまえはそうやってすぐにほいほとしっぽを振って出て行く、若い者とどこぞにいって何が楽しいんだ、浅はかな、おまえはそもそもいつもそうやって俺の言うことを聞かない、そもそもその態度は何だ、口を閉じていれば、耳を閉じていればいいというのか、耳をよぉくかっぽじって聞くがよい。おい、俺の言うことを聞け、聞いているのか、誰がおまえを養ってやっていると思っているんだ、この墓だっておれの父が買ったからお前はここに入れているんじゃないか、なんだその目つきは、殴られたいのか。この調子で延々と。夢さまがお気の毒になります。ですから、夢さまは、お留守ばかり。一徹さまのお傍にはいらっしゃりたくないようで)

(ほんと、お気の毒ですわ。連れ添うって難しいんですね。ご夫婦ってみなマサさまのところみたいだと思っておりました。私の両親も仲好しですし、今は仲良くこちらで静かですけれど)

(彦衛門殿、たしかそういうのを小言幸兵衛と申すのでは)

(そうそう、ほんとロバート殿はお詳しい)

(落語にあるそうですな。庶民のものだそうで、一度も耳にしたことはないのですが、一度ぜひどなたかあちらの世界で連れて行っていただきたいものですな。寄席という処に)

(でも、難しいのではございませんこと。落語って面白いものなのでしょう。お笑いになった途端にこちらに戻されてしまいますわ)

(笑いは生命の元。笑いの無い生活など無味乾燥。たしかにこちらに戻されると話が中途半端になるかもしれませんな。できるだけ笑わないで、最後まで我慢する)

(それではお楽しみになれませんわ)

(う~ん、難しい)

(夢さま、一徹さまがこちらにいらっしゃるまでは、一人身を楽しんでいらしたのに。わたくしともよくおしゃべりいたしましたのよ)

(ほう。私は聞いていなかったのかのっ)

(だんなさ〜は、いつもおごじょのお話に口をはさまずそのままお昼寝でしたもの)

(あのころの夢さまは、生き生きとしてらっしゃった)

(生き生きとは、ははは、こちらの世界で生き生きね)

(あちらの世界ではさぞかし生き生きできなかったのでしょうね)

(一徹さまがいらしてからは、ほとんどご旅行で、たまに戻ってらっしゃっても、わたくわたくしとお話なさろうとすると、一徹さまが横からぶつぶつぶつぶつでしたから、私も一徹さまのお言葉を耳にするのは辛うございますし)

(ユリ、やっぱり苦手です)

(かといって、転居は難しい我ら、つき合わざるを得ない辛さ)

(あちらの世界ででしたら、伴侶選びは慎重に、と良い教訓になったかもしれませんが、こちらの世界ではね。わたくしたちの頃でしたら、釣り合った家柄やお相手の人品骨柄もそれなりに伝わってまいりましたし、狭い付き合いの中でお相手を探しておりましたものね、そう無茶な方とのご縁はなかったのかもしれませんわね。夢さまの頃は、最後の大戦の後でしたから、お相手を選ぶのもかなり自由になってましたもの。かえって難しいのかもしれませんね。恋する眼にはあばたもえくぼ。子供ができてしまえば、どれほど辛くてもなかなか別れるのはね、かえって江戸の頃の、いえ、大戦前の、親が選ぶということで親も責任を負い、しかも財産を持って嫁いだ時代の方がいざという時に別れ易かったのかもしれませんわね)

(ユリもね、嫁ぐ時には婆やが一緒のはずでしたの)

(ユリさん、私もそうでしたのよ。ロバートに嫁ぐ時にはね、英国迄は付き添ってくれたのですが、でも、日本に参ります前に、私の婆やは、どうしても船には乗りたくない、男が裸でとっくみあう野蛮な東洋の国など恐ろしくてと、何が何でも暇をいただきたいと言われました)

(わっはっはっ、その婆やさんは、さぞかし相撲の錦絵か浮世絵でも目にされ怖気づいたのでしょうな。今、一瞬ぎくりといたしました。カテリーヌさんの夫君は私と同名なんでしたな)

(私のロバートは濃い茶色の髪、濃い緑の目、息子ロビンが受け継ぎました。ロバートさまの金髪や青い目ではございませんの)

(興味深いのっ。どうして異人は髪や目の色が様々なのかのっ)

(ユリね、初めて青い目を見た時にはね、目の見えない方がびーどろを目玉のかわりに入れてらっしゃるのだと、おかわいそうにと思ったの。婆やも一緒になって、ラムネの玉がうまく外せたら、差し上げましょうなんて申してましたし。そしたら、青いびーどろが動いたので、腰が抜けそうになりました)

(私は、こちらの世界に来てからだが、黒人がここを散歩するのを見て、何か仮装大会があって、墨を顔や手に塗りたくっているのだと、仰天しましたの)

(いや、その墨を顔や手に塗りたくった白人というのもおったのですな。丁度我が輩が来日した頃には、亜米利加の水兵がそういう格好で新しい音楽を横浜で披露しておりましてな。しかし、セミテリオを散歩していたというのは、たぶん先の大戦後、占領時代のことであろうか)

(白人が黒い墨を塗っても灰色にはなりませんわね。白と黒をあわせても。肌色を肌の色という意味だと思っておりましたが、どの色になるのかしら。髪の色も、最近では黒白金銀赤に茶、緑や紫も目にいたしますわ)

(ねぇ、みなさま、折角の気の存在の私たちですもの、セミテリオ仮装大会などいかがですか)

(ユリちゃん、気をしっかり持ち続けないと、すぐに元の姿に戻ってしまうよ)

(わたくしは、日本に参りました当初は大層困りましたわ。皆さん黒髪黒眼、肌の色もあまり差がなく、異なるのは背丈と細いか太いかでしたから、みなさんが同じに見えてしまい、女中たちの名前や顔を覚えるのがとてもたいへんでした)

(カテリーヌさんもでしたか。吾輩もそうでしたな。まだ写真機が普及していなかった当時の日本で、下手人の人相書きがどれを見ても同じに見えました)

(ほう、そんなもんですかのっ。あの人相書きは江戸以前からの慣れでして、高札に書かれる内容で結構私達には通じたのだがの。それにしても、どうしていろいろな髪や目や肌の種類があるのだろうのっ)

(だんなさ〜、その内、ご隠居さまが戻ってらしたら、新しい知識をいろいろ教えてくださるかもしれませんわ。その時まで気長に待ちましょう。気だけのわたくし達ですもの)

(ご隠居様は森鴎外の後輩だそうで、いまだに好奇心盛んだからのっ)

(森鴎外って、小説を書かれた方ですわね)

(小説も書かれましたが、軍にもいらした。お医者さまだったのですよ)

(器用な御仁ですな)

(あらっ、そういえば夢さまがおっしゃってましたわ。え~と、頑固、じゃなくて一徹さまもお医者さまだそうですよ)

(ご隠居さまにお友達ができそうですわ)

(カテリーヌさん、それはちょっと難しいかもしれませんわよ。ご隠居様は好奇心旺盛であちらこちらすぐお出かけになりますけれど、頑固、いえ一徹さまは、ねっ、ぶつぶつぶつぶつの方で、お出かけにならないようですから)

(うふふ、なんだかゆり、判ってきました。夢さまも、一徹さまではなくて、ご隠居さまとご一緒になれば、気の合う者どうしでしたのにね)

(縁は異なもの奇なもの、気の我々は気楽な稼業、乗って旅してなんぼのもの。ご隠居殿は、新しいものは何でも好き。好奇心旺盛。一方頑固、いや、一徹殿は、つまり頑固なわけで、変わらない、いえ変われない、融通が利かない、これが違いなんですかな)

(あっ、なぁるほど。一徹さまは、妻女はこうあるべきもの、世の中はこうあるべきもの、って決まっているんですね。だから、その決まりから外れたものは、みな苦手。あってはならないものってことになってしまうんですね)

(うわぁ、カテリーヌさんの説明、わかりやすいです。でも、ユリ、そんなの耐えられないです。だって、それって、だめだめだめだめ、あれもだめ、これもだめ、何をしてもだめなんでしょ。夢さまはよく我慢できたんですね。あっそうか、だから、こちらにいらしてからは我慢なんて無し。だから一徹さまは我慢できなくてぶつぶつぶつぶつ)

(連れ添ったら、互いに我慢することは多いものだのっ)

(わたくし、たくさん我慢いたしました)

(私もですのっ)

(それがご夫婦というものではないでしょうか)

(カテリーヌさん、我輩も貴方と同意見ですな)

(ご隠居様のところは、奥様はいかがお過ごしなのでしょうか、お見かけいたしませんわ)

(ユリ、知ってます。ハナ様でしょ。ハナ様は...とってもお堅いの。あらっ、もしかしてやはり一徹様かもしれません)

(女の一徹ですかのっ、おお怖)

(だんなさ〜、女が一徹で何かいけませんかしらっ)

(そうですわ。男が優しくたってかまわないのと同じですわよ)

(カテリーヌさん、マサさま、あちらの世界の時から今のような、なんと申しましょうかお強かったのですかな)

(いえいえ、わたくしも昔はいわゆる女らしい、あるべきと言われておりました姿にとらわれておりました)

(ユリもそうでした。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花のように、美しくあれ、しとやかであれ、親に口答えするな、嫁しては夫に従え等々しつけられましたわ。でも、こちらに参りましてから、あちらの今の世界の方々を目にして、何もそういう考え方にとらわれなくてもいいって、まして気なんですもの。気ままにね)

(でも、あちらの世界で生きておりました頃には、決められたことに従って生きていれば間違いないと思っておりました)

(自分で考えなくてすむから、楽は楽なんだよ。けれど、抑えて抑えて、男でも辛かったからましてや女性陣には辛いことだったのかな)

(そうですわね)

(そうでございますわよ。ハナさまは、一徹。遊ぶなどもってのほか。墓にはじっとしているもの。女は外を出歩かないもの。そういう世間的には理想的嫁女でいるのを置いてほっつき歩く好奇心旺盛なご隠居さまが腹立たしいそうで)

(お呼びかなぁ)

(あらぁ、噂をすれば影、元々、気の私たちには影などございませんが)

(またハナが文句言ってましたかぁ)

(あらっ、申し訳ございません。ハナ様は何もお話になってらっしゃいません)

(ごめんなさい、ユリがついつい、噂話をしてしまいました)

(井戸端会議にうわさ話はつきものさ)

(今聞こえたのですが、立てば芍薬ってのは、漢方の薬のどれを摂ればよいかという説もごじゃるのですよ)

(さすがお医者さま)

(ハナが腹立てたら芍薬を煎じるとか、効果のほどは知りませぬが、試したこともないが、ましてや今ではハナも気の存在。腹を立てるとぷんぷん立腹気分が漂うのじゃが)

(ハナさまと一徹さまがご一緒になればよろしかったのに)

(ぶつぶつと立腹ぷんぷんですか、ユリ、怖いです)

(ご隠居様、今回はどちらへ)

(いくら気とはいえ、長旅の後は疲れます。また今度ゆるりとお話いたしましょう)

(まずはハナのご機嫌伺いじゃ)

「クワ〜コルネイユ〜クロウ〜クワ〜」

(あらあら、烏も国際交流それとも井戸端会議かしら)


第三話 終わり 


お楽しみいただけましたなら、幸いです。

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