第五話 セミテリオのご隠居 その十二
あけましておめでとうございます。
今年も気の世界におつきあいよろしくお願い申し上げます。
(ハナの文句は続きました。まぁ、この黄色いポツポツはなんですか。白線は別にあるのに。あら、灰皿がどこにもないですわ。線路に煙草の吸い殻も落ちていない。僕が存命中にはまだ灰皿があったのにね。僕がこちらに来る少し前でしたが、国鉄の赤字解消の為に煙草特別税をあてるといって値上げしておいて、なのに灰皿撤去なんて不条理不合理な。僕は思い出して怒っていたんですよ。僕がこちらに来た後もどんどん禁煙ファッショでしょ。あっ、皆さんご存知ないでしょう。ロバートさん、貴殿の国アメリカがもう三、四十年前に言い出してね、今じゃ世界保険機構が音頭取って、日本では厚生省、今は厚労省というんですが、そこが音頭取って、もう僕なんか医者の癖に喫煙するなんて、と散々言われましたからね)
(あら、お煙草、吸っちゃいけないんですか)
(吸う人の側にいると吸い込む煙に毒がある、喫煙者のマナーが悪い、癌予防、医療費を減らそう、なんだかんだと理屈つけて。車の排気ガスだって同じなのに、車を減らそうとは言わない、自動車産業は守るけれど煙草産業はいじめられる。煙草吸って早死にするならその方が邪魔者が早く減っていいだろうに。禁煙で長らえさせられても年金は勝手に使って減らしておいて、反面煙草税はうんとむしり取るいじめ政策。そもそも厚生省は名前を変えたって、昔から民の健康を守っているような表の口先ばかり、官僚がいかに生き延びるかばかり考えて、医者や製薬業者や権威にはとんと弱いごますり集団だから薬害も公害対策も事実を見ようとしないで、どれほどいいかげんだったか。健康優良児だの、歯は一日何回磨けだの、卵は一日一個だの、正しい食生活だの、腹の周りを測るなどと馬鹿げた行為も要は医院を儲けさせる為。科学という名を借りて、自分の導きたい結論に都合の良い理論と結果ばかり採用して、反対理論や反する事実は隠して、いつの世も、尻馬に乗って寄らば大樹の影で、一見正しそうな理屈であなたの為だからという言葉で正しいことをやっていますと思い込んで徒党を組んで主張するファッショの元ばかり作りおって、事細かく干渉されるのに慣れた馬鹿息子や主体性の無いこどもならなんとも思わないかもしれないが、まるで口うるさい姑根性、と厚生省に腹立てていたわけです)
(でも、セミテリオでは煙草を吸われる方が増えたと感じるの、ユリの気のせいかしら)
(確かに増えてますのっ)
(だんなさ〜、紫煙をいつも喜んでらっしゃいますものね)
(喰えぬ、ひねれぬ、飲めぬ、吸えぬ身、否、気だからのっ、紫煙ぐらいは嗅ぎたいですからのっ)
(なんて訳で腹立てておりましたなら、現代語で申しますなら、頭にきて、むかついて、つい気が逸れて、いつもの気楽な姿に戻ってしまっていたのです。ハナの怒ること怒ること。なんてこと、あなた、それで結婚式に行くんですか、そんな恰好じゃ私一緒に歩くの恥ずかしいです。何言ってるんだ、誰にも見えやしない、それに自分の脚で歩いているわけでもなし。でも嫌です。それでしぶしぶまた気力を使って、スーツ、あっ、背広に着替えました。あら電車が。まぁ、この電車、なんですかっ。いつからこんな色に。ハナの頃はもう色が付いていただろう。えぇ、もちろん小豆色ではなかったですわ。しっかり色が付いていました。山手線は黄緑色、中央線が黄色でしたっけ。なのに、これ何ですの。全部銀色じゃないですか。あら、たしかに線だけ色が付いてます。でも、なんだか弱そうな色、ちょっと叩いたらへこみそうじゃないですか。それに窓がこんなに大きくて、ぶつかったらほんと、恐ろしい。いいじゃないか。もう爆撃されるわけでもなし。明るくて外がよく見えるだろう。まぁ、こんなにビルがあって、これじゃぁ外が見えてもビルだらけじゃないですか。まぁ、なんですか、この窓開かないようになっているんですか、空気が悪くなります、どなたかがお風邪召していたら皆様に伝染りますわ。ちゃんと換気しているだろう、ほら上。あら、これ電気使ってるのかしら、無駄なことを、窓さえ開ければすみますのに。日本人はいつからこんなに無駄遣いするようになったのですか。ですから私、外出は嫌でしたのに。まぁ、なんですか、これ、席の手前に、こんな所に棒が、あちらにもこちらにも。ちゃんとたくさん座るようにね、そうしないとたくさん座れないから。棒の分だけ邪魔じゃないですか。いや、こうやってここは何人と分けないと座れる人が少なくなるから。まぁ、いつから日本人はそんなに自分勝手になったのでしょう、嫌ですわ。あら、これはなんですか、このつり革の色が違うのは。それにここだけ座席の色が違います。えっ、ここは妊婦さんや怪我人やお年寄りが座る所なんですか。そういう人はここにしか座っちゃいけないんですか。いや、違うんだ。え〜と、最近は席を譲る人が少なくて困る人が多いから、ここだけ優先席で、えっ、なんですか優先席って。まぁ、そんな。えっ、それじゃぁここにいるこの髪の毛の金色で目は黒い、どこかの方やどうみても四十代にしか見えないこの男の人、この派手な化粧の茶色い髪の若い方、怪我人や病人や妊婦なんですか。まぁ、だから居眠りしたり、あっ、脚を折られたから脚を伸ばしてるんですね、お可哀想に。 耳になんか突っ込んで、 新しい聴診器ですか、まぁ、胸の方につながっていますっ。自分の心臓の音をいつも聞いていなけりゃならないのかしら、まぁ、大変、あら、でもあちらの普通の座席の方にも、なんですか、こんなに心臓のお悪い方が増えたのですか。もう日本人は滅亡するのでしょうか。あら、そうえいば小さい子が少ないですね。まぁ、あちらの方々は心電図を小さい画面で見てるのかしら。まぁ、大人が漫画読んでいますっ。あら、あんな所にテレビが。まぁ、どこで降りたら階段やエスカレータがどこにあるか書いてあるんですね。まぁ、こんな所でもコマーシャルが入るんですか。コマーシャルって、広告のことです。一億総白痴ってこういうことだったんですか。しかもカラーじゃないですか。カラーって、色が付いているってことですよ。電車の中でカラーなんて。これはあら、なんですのこのJRというのは。ハナが乗っているこの電車のことだ。省電が国鉄になって、今度は私鉄になったんですか。いや、え〜と、それは話すと長くなるんだが、国鉄の赤字解消の為に民営化していくつにだっけな、分けたんだよ。JR東日本、JR東海とか、あっ、新幹線はJR東海だよ。まぁ、それじゃぁ、山手線で東京駅まで行っても、新幹線に乗るのには別の会社の切符を買うんですか。いや、ここからなら品川駅の方が近い。あなた、品川には新幹線は止まりませんっ。いや、今は止まるんだ。まぁ、そんなっ、東京駅を出て品川でもう止まるんですかっ。それじゃぁ超特急の意味がないじゃありませんかっ。まぁ、まさか白雪姫がお二人。いえ、白雪姫とは違いますわね。でも、瑞穂と千代子さんと一緒に銀座の映画館で見たデズニーの白雪姫そっくりの恰好ですわ。デズニーじゃなくて、ディズニーだ。ハナが生きていた頃、もしかしたらあの番組はやっていたっけ、ディズニーランドって番組。はい、ございました。瑞穂がおばぁちゃん昨日の見たってよく聞いてきたので、見なくちゃと思って、あなたも私とご一緒に見てらしたでしょ。たしか夜の九時から、毎週じゃなくて、無い週もあって、瑞穂が今週は無いんだってがっかりしていた時もありました。カラーテレビになって色がきれいになりましたわね。ハナ、あの頃は、テレビで見たディズニーランドはアメリカの西海岸のだったろう。今は東京、いや実際には千葉なんだが、東京ディズニーランドってのがあるんだ。まぁ、瑞穂が喜んでるでしょうね。いやぁ、瑞穂はもう、あれいくつだっけ、六十だからね。でも瑞樹が小学生の頃はよく連れて行ってたよ。白雪姫の恰好の方は、もしかしてその東京のディズニーランドに行くのかしら。それにしてもどうしてこんなに外人が多いのでしょう。 ほら、あちらにはネールさんみたいな、印度の方かしら。その向こうには青い目の方もいらっしゃるし、ほら、こちらには金髪の、あら、でも目が黒いわ。混血かしら。外人かしら。 今日も東京オリンピックみたいな何か催し物があるんですかっ。ハナ、外人って言っちゃいけないんだ。外国人って、今は言うんだ。あら、どうしてですか、それに、どうせどなたにも聞こえないんでしょ。いや、セミテリオにも外人墓地、いや、外国人墓地があるから。え〜と、外国人が多いのは、東京国際フォーラムや国際展示場や幕張メッセで、毎日たくさん色々な国際展示や国際会議があるからね。えっ、そんなにたくさん、そんなに毎日。だから、こんなに外人が、いや、外国人が。そのメッセってなんですか、滅相も無いみたいな言葉。ドイツ語のMessegelände、見本市場だよ。あら、枢軸国は戦争に負けたのに、ドイツ語を使うんですか、節操のない。いや、もう戦後六十年だから。あらっ、日本人だと思ったら、支那語です。支那もいけないそうだ。差別用語だそうだ。もうっ、何もしゃべれなくなるじゃないですかっ。よかったです、他界してなかったら無口になりますっ。ですから外出なんて嫌だと申しましたのにっ)
(支那はいけないんですかな)
(はい、どうも、支那は差別語だそうで)
(しかし、英語でもChina、Chineseですが、今は違うのでしょうか)
(あのぉ、仏蘭西語でもChine、Chinoisですわ、今は駄目なのかしら)
(どうしていけないのでしょう)
(さぁ、アメリカやイギリスやフランスにいる中国人がChinese、Chinoisと言われてが差別されていると感じるかどうかは知りませんし、よく分からないのですが、まぁ、日本では、支那人と言われると中国人が差別されていると感じるから、だそうです)
(あら、ユリ、来来軒の支那蕎好きでしたのに、なんて呼ぶのでしょう、支那竹は)
(普通は、拉麺って言っていますよ。あと、中華蕎とも。支那竹は麺麻って言ってます)
(そうなんですか、なんだか違う物みたい)
(まぁ、私たちの後ろから聞こえるのは、支那語、いえ中国語でもないみたいです。朝鮮語かしら)
(ハナ、朝鮮語というのもね)
(朝鮮語とは言えないのですか)
(マサさん、そうなんです。でもややこしくて。北のは朝鮮語で南のは韓国語だそうで、それで、面倒だからハングルって呼ぶって言っていたこともあるんですが、ハングルってのは文字のこと、それにハングルを漢字で書けば韓国なわけで、どうもね、定まっていないようです)
(もしかして、僕の頃みたいに、鮮人、ってのも言えないんですか。鮮人は北だけになるから)
(いやぁ、言っちゃいけないらしいのですが、理由は南北に分かれているからではなくて、支那人同様、差別されていると感じるかららしいです)
(ふ〜ん)
(びっこやめっかちも駄目なんですよ)
(びっこやめっかちの方が差別されていると感じるからですか)
(じゃぁ、びっこやめっかちをどう言えばいいのでしょう)
(脚の不自由な方、目の不自由な方)
(まぁ、たしかに不自由ですわね)
(ひっくるめて、身体障害者、略して身障者とも)
(日本語お得意の短い言葉ですな)
(それじゃぁ、虎ちゃんみたいに意地悪な方は、心障害者)
(僕、意地悪かなぁ。そういうこというユリちゃんの方が心障害者かも)
(ほらっ)
(それじゃぁ惚けちゃったら)
(あっ、惚けもいけなくなったんですよ。え〜と、認知症っていうんです。僕は、認知症の方が言葉としては嫌いなんですけれどね。惚けの方が可愛いでしょ。で、先を続けます。ハナの憤慨は続きました。あらもう降りるんですか。まぁ、車掌さんのこの言葉、普通じゃないですか。調子まで変わってしまったんですか。あの鼻にかかった調子がなくなるなんて寂しいです。いや、たぶんマイクの性能が良くなったんだろう)
(マイクとはなんですかな)
(microphoneですよ、ロバートさん)
(我輩、まだ分かりませぬが)
(えっ、もしかして、マイクが分かるのって、お婆ちゃんと僕だけですかっ)
(え〜と、音を大きくする装置です。テレビジョンで見たことないですか、こう、下から棒が立っていて、その先、口の高さくらいの所に握りこぶし二つ分ぐらいのが付いているのを。あの先の部分のことです)
(ほうっ)
(へぇ〜)
(まぁ)
*
続く
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
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次回は1月12日の予定です。