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第五話 セミテリオのご隠居 その十

(それで、その、エスカレーターは歩かないでください、駅長という張り紙をプリントアウト、つまり印刷しているのはワープロ、自動筆記装置とでも申しましょうか、なのですが、入力、つまり文章を作っているのは駅員さんでしょうから、駅員さんが入力の段階で日本語を間違えている訳です。エスカレーターは歩かないでくださいじゃ、エスカレーターが歩けることになってしまうのですが、ですからみなさんも今色々と楽しい、恐ろしい誤解や空想なさいましたね。ハナは、お得意の僕の気が滅入る反応。まぁ、いくら私がセミテリオに四十五年いたからって、まさかエスカレーターが歩くわけないじゃありませんか。駅長さんの学力が落ちたのですわね。情けないですわ、日本語が乱れています。どういう教育を受けたのかしら。小さい子も利用するこういう駅で間違った日本語をこんな大きな紙に書いて貼るなんて恥知らず。それに、歩かないでくださいと書いてあるのにエスカレーターの上で歩くなんて、まぁ。それで、改札を入る時に、あら、この方切符を買われないのですか、定期をお持ちなのかしら、あら、駅員さんがいない、ストの最中なのでしょうか。え〜と、ストはみなさんご存知ですか。ストライキ、労働争議とでも申しましょうか、労働者が労働者の権利を守ったり要求する為に、労働を一時的に停止することなのですが)

(僕の頃にもありました。アカ、でしょ)

(桃色でしょ)

(えっ、社会主義や共産主義だからアカでしょ。賃下げ反対、解雇反対、対資本家の活動で、世界大恐慌の後、方々で起きて、あれは、反乱、ソヴィエットができた元みたいな。労働争議にはたしか特高も目を光らせていましたよね)

(あら、桃色なんです。虎之介殿はご記憶にないかしら。わたくしがこちらに参る少し前でしたが、松竹少女歌劇で東京ではターキーが湯河原に、大阪では三笠静子が高野山に立てこもりましたでしょ)

(ターキー、turkey、七面鳥は日本にはおらぬと思っておったが、七面鳥は湯河原に隠れていたのですな、それともトルコの大使館が湯河原にですかな。七面鳥は美味なんですな)

(ほう、亜米利加では七面鳥も喰うのですか。たしかに、鶏よりでかい分だけ得ですのっ)

(おほほ、ロバート殿、ターキーって、水の江瀧子さんの愛称ですのよ、少女歌劇団のお話ですのに)

(それ、母から聞いたことあります。僕は覚えていないんです。尋常小学校に入った頃かなぁ、それ、桃色なんですか)

(はい、桃色争議と、新聞に書き立てられていました)

(時が経つと面白いものですね。今では、ストライキは労働者の権利として、現在の日本国憲法では認められているのですよ)

(えっ、そうなんですか)

(まぁ)

(それに、ストライキは決してアカではない、とも言えるのです)

(アカでも桃色でもないのですかのっ、どうも、私にはよくわかりませんのっ。下克上の一種かのっ)

(我輩には奴隷解放と似ているようにも思えますな)

(夫の国、英吉利に対抗していた印度のシパーヒー達のと似ていますわ)

(あっ、カテリーヌさん、印度はもう英吉利から独立して六十年以上経っています。おっ、ですから、独立運動の初期の動きだったんでしょうね)

(なるほど、日本では下克上、アメリカでは奴隷解放、印度では独立運動、スト、ストライキは労働争議、皆、同じ様なものなのですねぇ。苦しけりゃ戦う。戦う相手は自分たちを苦しめて金を儲けている人たちということになるのですか)

(そういう考え方がアカだからって特高が目を光らせていた、つまり労働争議はアカ、ですよね)

(虎さん、そこが不思議な所でね。僕だって当時は知らなかったですよ。ストライキはアカの行動だって思ってました。ところがね、どうも、ソヴィエット、今は露西亜と国名を換えたのですが)

(えっ、我輩の頃は露西亜だったのが、ソヴィエットになったと、先ほどそうお伺いした記憶がありますが)

(そうそう、私も耳にしましたのっ。もう露西亜と呼んではいないのだと頭に、否、気に刻みましたのっ)

(え〜と、昔は露西亜でした。革命、それこそアカの革命で、ソヴィエット連邦と名前を換えました。今から二十年ぐらい前でしたかね、今度はソヴィエット連邦が解体して、独立国家共同体と名前を換えて、すぐにロシア連邦とまた名前を換えたんだったと思いますよ。この頃、曾孫の瑞樹が中学受験でしてね、早口言葉みたいに唱えていたので覚えてしまいました。えぇと、何の話しをしていたんでしたっけ、あっ、そう、ストライキ、今ではストと言ってますが)

(また、いつもの、何でも短くする日本語ですな)

(はい、それで、ストはアカの行動じゃないんですよ。アカ嫌いのアメリカでは、警察官や消防士や公務員がストできるんですね)

(えっ、日本では、僕の頃には特高が取り締まっていたのに、アカじゃないアメリカでは警察官がストできるんですか。アカ嫌いというところでは同じでも)

(そう。逆に、ソヴィエットや中国ではストライキは禁止されていました。今もかな、今の中国はアカじゃないみたいで)

(えっ、支那じゃなくて今は中国だというのは、もう分かっていますが、中国もアカになって、でも今はアカじゃないんですか)

(中国は今も社会主義の国だと本人達は言っていますよ。国旗も赤いですし。でも実態は共産主義で中央集権、でも経済活動は資本主義的、アメリカより一層資本主義的なようですよ。僕がこちらに来た頃はそれほど資本主義ではなかったようなんですが、最近はすごいらしい。社会主義や共産主義の国は随分減って、今、どこが残っているのでしょうか。キューバとベトナムとモザンビーク、一応中国と北朝鮮ぐらいでしょうか、他にもあったかなぁ)

(キューバは、カリブ海の島国ですな。あそこは我が国が西班牙と戦った後、僕がこちらに来る前に西班牙から独立したのですが、あそこもアカになったんですか。モザンビークとベトナムは、我輩には分かりませぬ)

(キューバの場合は、確か、アメリカと仲良くてね、で、上の方はそれでよくとも、下の方は、アメリカの自由主義経済に組み込まれて苦労して、それで革命が起きて、え〜と、東京オリンピックより前に、ソヴィエットが援助してアメリカの経済支配から逃れて、今もたしか共産圏ですよ)

(あのぉ、社会主義と共産主義とどう違うのでしょう)

(さぁ、僕も詳しくはわかりません。ただ、今の日本の政党には共産党と社会党、え〜と社会民主党に名前を換えたんだっけ、があります。僕には似た様に見えるのですがね。そうそう、民主社会党じゃなくて、民社党というのもありますし、つい最近までは自民党という政党が政権とっていましたし。どうも民という字が人気の様です)

(私は警察官の労働争議に感心があるのだが、労働争議を取り締まる警察官が労働争議を起こすとは、取り締まるのは誰なんだろうのっ)

(彦衛門さん、それは日本の話しじゃなくて、アメリカの場合です)

(我輩も疑問ですな、軍が出てくるのですかな)

(さぁ、すみません、僕もそこまで知らなくて。ロバートさん、その内、お国のどなたかにお乗りになっては)

(然様ですな)

(私にはまだよく分からないのだがのっ。いや、その労働争議ではなくて、支那のことなのだがのっ。私が生まれる前に阿片戦争というのがござったの。私がセミテリオに来る前に日清戦争というのがあったのっ。マサがセミテリオに来る前に支那事変があったのだったのっ。中国にはたしか皇帝がいて、それも下克上で今はいなくなったのかのっ)

(彦衛門さん、僕の専門外ですからご容赦ください。え〜と、皇帝はいません、いなくなりました。皇帝の変わりに主席という共産党のトップ、一番上の人がいて、あれっ、共産党なんですよね。でも中国は共産主義じゃなくて社会主義って言っているらしいです。あっ、曾孫の瑞樹のを思い出しました。中学の時の歴史のテスト、えぇと、テストとは考査のことですよ。その考査の前に早口言葉みたいなのを唱えてました。どうだっけ、え〜ともしもしかめよの歌、皆さんご存知ですか)

(おおっ、私でも知っているのっ、こりゃ嬉しいですのっ。兎と亀ですのっ。♪もしもし亀よ亀さんよ、世界の中でお前程、歩みの鈍い者はない、どうしてそんなに鈍いのか♪)

(♪なんとおっしゃる兎さん、そんならお前と駆け比べ、向こうのお山の麓まで、どちらが先に駆け付くか♪ この話は昔から知っておりましたわ。日本の昔話ですものね。歌ができたのは最近、いえ、明治でしたかしら)

(そのお話、日本のお話ではございませんことよ)

(まぁ、カテリーヌさま、まさか。この歌日本のお話しのですわ)

(然様、その話しは我輩も存じております、兎が寝ている間に亀が先に到達するのですな)

(まぁ、亜米利加のお話しなのですか)

(いえいえ古代希臘の愛江祖母とか伊曽保と日本語で言われたイソップが作った話しですな。我輩、驚きましたよ。我が国が建国されるよりさらに前に日本にイソップの物語が入っておりましたのでな)

(何時頃のお話しですの)

(え〜と、日本に入ったのは、信長の頃のようです。作られたのは、紀元前六百年ぐらいだそうですから、今から二千六百年前ぐらいですね)

(あら、日本が紀元二千六百年をお祝いしたのが、わたくしがこちらに参る前の年でしたから、神武さまよりは新しい方ですのね。それにいたしましてもお古い方ですのね。わたくし、自分がとても若く感じますわ)

(その歌の音楽に合わせて、中国の王朝を覚えるというのがありましてね、曾孫が歌っておったのだが、え〜と、うろ覚えで、殷周秦漢三国晋、間は覚えていなくて、最後の方が、清、中華民国、中華人民共和国、なんですよ)

(僕ももうあまりしっかり覚えてませんが、少なくとも間に、随唐元明の四つは入りますね。宋ってのもありましたね。あぁ、春秋戦国とか五代ってのも、金ってありませんでしたっけ)

(あったような。それで、つまり、今は中華人民共和国という名前なんですよ。あっ、これも民という字が入りますね。あっ、そう言えば、民という漢字が二つ入る国がありました。朝鮮民主主義人民共和国)

(あっ、それ、私、びわちゃんの教科書で見ました。そこと日本の間の国が韓国でジミニちゃんのお国)

(そういえば、あの時、ユリさんおっしゃってましたわね。朝鮮半島に二つ国があるって)

(はい、それ、それです)

(韓国は、正式には大韓民国と言うんです。僕がこちらに来てからサッカーで、え〜と、ボール、つまり球を蹴り合う競技で、それの世界大会が日本と韓国両国開催だったんですよ。あの頃までは、あちらは名前を変えさせられたり、慰安婦にされたり強制労働させられたり日本支配下での辛苦の記憶を持ち、こちらは謝罪してもすぐ他の者が発言を翻したりで、両国の間に確執があったのですが、政府や政治家よりも国民同士が仲良くなってきた様ですよ)

(大戦で日本が負けたら、朝鮮は二つに分かれたのですか)

(そうなんです。ソ連、え〜と、先ほど説明しましたソヴィエットのことですが、ソ連が北側、中国に近い方を、アメリカが日本に近い方を取ったんです)

(つまり、日本の領土みたいだった所を、勝った国々が分けたということでしょうか)

(いえ、あの戦争ではなくて、第二次世界大戦のあと)

(第二次...)

(はい、虎さんはお分かりになりますね。みなさんが大戦と呼んでらっしゃるのは、大正七年に終わりました)

(知らないのは私だけだのっ)

(その後、支那事変が昭和十二年で)

(あら、それはわたくしと虎之介殿しか)

(その頃、イタリアとドイツが、概ねヨーロッパの残りの国々と戦っていましたので、合わせて第二次世界大戦と呼ぶのですが、この第二次世界大戦は先にイタリア、次にドイツ、最後に日本が昭和二十年八月十五日に降伏して幕を閉じたのですが、日本の支配からは自由になったとはいえ、中国も朝鮮も共産主義と自由主義がしのぎを削っていたのです。日本の敗残兵の一部もそれぞれに参加したりして、そのまま大陸中国は一応一国でしたが、朝鮮半島の方は、ソ連やアメリカも加わってまた戦争になりましてね、もし広島や長崎で原爆、例のすさまじい爆弾ですね、あの時日本で使われていなかったなら、きっとアメリカは朝鮮戦争で使ったでしょうね。新しい兵器を使いたくてたまらなくなるのが常ですからね。原爆は使われませんでしたが、日本からも米軍、あっ、アメリカの軍隊です、空軍爆撃機がどんどん飛んで行って、朝鮮戦争のお陰で日本は戦後復興したのでした。戦いは二年程続いて、休戦。今も休戦状態なんですよ)

(まぁ、まだ戦争が続いているのですか)

(両国とも終戦宣言はしていないようですよ。半島の真ん中あたりに軍事境界線があって、にらみ合いが続いてはいるようです。大きな戦闘はないのですが、ちょくちょく北、つまり民の字が二つついている方が、南、つまり韓国にちょっかい出しているみたいです)

(まぁ、お二つに別れるなんて、お可哀想)

(第二次世界大戦の後、ドイツも二つに分かれたんですよ)

(まぁ。独逸がですか)

(はい、東西の二つに。こちらも朝鮮半島同様ソ連側とアメリカ側と。ベルリンなど街まで二つに分けて)

(まぁ)

(ドイツは僕がこちらに来る前に統一されましたが、朝鮮は二つに分かれたまま。実は、日本も二つに分けられていたかもしれないんですよ)

(まぁ)


 *


  続く




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回は12月29日の予定です。



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