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第五話 セミテリオのご隠居 その九


(先ほどお孫さんが小学校の三年生に東京タワーに上られた、まででしたわね。なのに、もう曾孫さんの結婚式ですか)

(いやぁ、僕の高等学校時代からハナの輪禍までほぼ半世紀分話し続けておりまして、僕もですが、みなさまもお疲れでしょうと思いまして、少し端折りました)

(少しですか....四十年くらい分ですわ)

(ユリの人生二つ分ですぅ)

(また、別の機会にでもちゃんとお話しいたしましょう。いえ、この先、おいおい。そもそも、たしか、ハナが何故僕に付合わないかのご説明の筈だったのですが)

(そうでしたっけ)

(あら、そういえば、ユリ、覚えています。カテリーヌさまとマサさまが、そうお尋ねなさってました。ユリも井戸端調子でお尋ねしようと思っておりましたのに先を越されたので黙ったのを思い出しました。そうですわ。どうしてハナ様がいらっしゃるのに、ご隠居さんはいつもお一人でお出かけになるのでしょう)

(そう、そのお話だったんですよ、ですから、ハナの憂鬱、ハナの屈託を語る内に我が人生の半分以上を語ってしまいました。残りの半分はまた別の機会にして、まあ、要するに、孫の瑞穂が結婚して曾孫の瑞樹が産まれて、その曾孫の結婚式なんですが、そこにハナも参列させたかったわけです。で、結論から申しますと、ハナを参列させるのには成功しました。連れ出せましたから。ただね、その体験が元で、その後はとんと、付き合わなくなりました。元々、嫌がるのを連れ出した僕が悪かったんですね。ここまで語りましたように、そもそも大黒さんになりたかった、娘が欲しかった、うどん粉の件、そしてこちらの世に来る時の事故ですからね、あちらの世はまっぴら、なわけですよ。こちらの世で、我が先祖や我が母、あちらの世で互いに顔見知りだった我が父、我が弟、檀家の面々と共に、静かな時を三十五年過ごしてましたからね、日常の何気ないことで寂しくなって、僕がここに墓参りに来ても、僕に話しかけてきはしませんでしたしね。いつも一方的に僕が話していただけでした。ハナが秋に亡くなる前に、医院と我が家の前の庭にハナが植えていた球根が、翌春先に咲きましてね、チューリップとヒヤシンス、赤と黄色のチューリップ、ピンクと水色と紫のヒヤシンスが綺麗に咲いて、僕はほろりとしまして、ここまで参ってハナに報告しました。その時に線香の香りとハナ行きつけの花屋で買って持ってきた菊の香りに交じってヒヤシンスの香りが漂ってきたのが、ハナの返事だったのかと、それ以外、僕がここに入るまで、年に数回は墓参りに来ていた僕に何も語ってくれず、そぶりも香りもなし)

(あっ、それでご隠居さんのお墓の廻りには、お墓には珍しいチューリップやヒヤシンスが咲くんですね)

(ユリも不思議だったんです。どうして毎秋、必ずどなたかがいらして球根を植えられるのかと)

(最初の内は皆で揃って墓参り。僕は休診日以外にも来てましたが。だんだん足が遠のいて。それでもハナの命日には、僕と孫の瑞穂、息子。僕がこちらに来てからは息子が来て毎年植えてますから。はは、欲を出せば、息子より瑞穂に来てほしいんですよ、あっ、墓の中じゃなくて、墓参りの方ですよ)

(やはりお孫さんは目に入れても痛くないからですか)

(いや、はい、それもありますが、あの子だけが煙草を吸うんでね。ロバートさん、彦衛門さん、分かりますよね)

(そうですのっ)

(そうそう、そうですな)

(ハナの名前の漢字は華だったのですが、花になったようです。元はカタカナでしたが、戦後はカタカナだと老人臭いってね、勝手に華の字をあてていたんですよ。大黒さんにしてやれなかった一件以降数々の罪滅ぼしというわけでもないんですが、そんなハナの気晴らしを兼ねて、曾孫の結婚式に連れ出そうとしたわけです。結婚式は医院近くのフレンチレストランを借り切りましてね、ごく内輪での予定だったようですが、そこからしてハナは気に食わないわけです。廃寺とはいえお寺の家系で、どうしてフレンチなのか、あっ、フレンチレストランとは、フランス料理の食堂のことです。なぜ異国の食堂なのかとね。僧侶も神主も神父も牧師もいない食堂で何故結婚式ができるのかとね。で、僕が、息子の時だって僧侶も神主も神父も牧師もいなかったじゃないか。息子の、僕もでしたが、大学の学士会館を借りたじゃないか、と申しましても、いえ、その前に、私とあなたの時にはお父様が、瑞鏡と千代子の時にも寺でご仏前で式だけすませました、と申すわけです。次に、食べられもしない料理を目の前にするなんて、ましてや和食じゃない料理なんて、匂いをかぐのも嫌です。それにお式に着ていく恰好じゃないですし。ハナを棺に入れた時にはハナの気に入っていた、戦後買い出しの折にも物物交換には持って行かなかった、嫁入り時に持って来た鴇色京友禅の訪問着を着せたのですよ。もったいないという声もあがりましたよ、でも千代子さんも瑞穂も、やっぱりおばあちゃんのだからということで、ですから、ハナは気の世界でも訪問着なんです。もし他のにしたかったら、気を振り絞れば着替えられると申しても、そんな気力はありません、いえ、私の服装ではないんです。あなたのその恰好が嫌なんです。そりゃ、僕は隠居してから気楽にと、亡くなった時の毛糸の帽子にマフラー、タートルネックのセーター、コーデュロイのズボンに運動靴、え〜と、みなさま、また分からない単語ばかりだとおっしゃいますね。つまり今の僕がしている恰好、これです。僕を棺に入れる時は、ちゃんとスーツ、え〜と背広ですね、を着せられたのですが、僕はいつもこの恰好が楽なので。それで、どうせあちらの世の人に見られるわけじゃなし、と申せば、いえ、訪問着の私と、浮浪者みたいなあなたとでは一緒に歩くのが恥ずかしいです、と申すから、じゃあ一寸待って、スーツ、背広に着替えたわけです。すると、あなた、結婚式でしょ、もっとちゃんと、と申すので、いっそのこととばかりにもう燕尾服にしちゃいましたよ。この調子で、やれ草履が僕の靴が、やれ帯締めが帯留めが、やれ髪型が、と細々とね。これじゃあ、生きている時よりも出かける前の時間がかかる、じっと我慢。何しろ慣れていないハナは、変身に時間がかかるわけです。このおしろいじゃぁ、とかこの紅じゃぁとかね。あなたに頂いた指輪はどこにあるのかしら。墓に持ち込めるわけがないじゃないか。火葬場で苦情が出るから金属は駄目なんだ、いえ、でも、気力を使って思い出せばよろしいのでしょ、あの指輪どこに行ったかしら、あれは物物交換には出してない筈、そうそう、私の死後、あなたは千代子さんに差し上げたっておっしゃってましたわね、じゃぁ千代子さんは今日してくるかしら、だったら私がして行ったらよくないわね、それじゃぁどの指輪にしましょう、あら思い出せませんわ、あっ、あれはサツマイモと換えた時かしら、お米に換えた時かしら、卵に換えた時かしら、行田だったかしら、羽生だったかしら、太田だったかしら、薮塚だったかしら、あの時のお百姓さんは強欲だったわ、あちらは無愛想だったし、あら、あそこの若いお嫁さんは親切だったわ、鶏に追いかけられた時だったかしら、青大将が出た時かしら、日帰りぎりぎりの距離でしたよ。駅ごとにみつからないようにして、重くて肩に食い込むのを軽そうな振りしたり、大変でしたけれど楽しかったですよ、などと他の思い出話に逸れたり、逸れるほどに珍しく元気なハナに戻ってましたが。なんとか外見が整って、ハナは僕を見るゆとりができたのでしょう。燕尾服の僕をしばらく見て、あなたそれじゃぁあんまりです、園遊会にいらっしゃるみたいじゃないですか。大げさですわ。大丈夫、生きている人の目では普通は見えないんだから。でも、私の訪問着とあなたの燕尾服じゃつりあいがとれません。あなたがこちらにいらした時の黒っぽいスーツになさいな。ネクタイは、あの時の赤じゃなくて、白ですよ、白。気力を使いまして、僕はまた着替えました。するとハナは僕をまたじっと見て、あなた、小さくなられました。そりゃそうです。僕は百年生きたのですから、こちらに来た時にはもう乾涸びて、医学的にはでずね、関節と関節の間の滑液が減少し、長年の重力で身長も低くなってますしね。一方ハナはご存知の通り、中年太り、中年、いやあの当時六十五歳はしっかり老人でしたが、恰幅良いわけです。これじゃぁ蚤の夫婦じゃないですか。しかもあなたご高齢、私、あなたの孫ぐらいに見えちゃいます。というわけでまたまた気力を使いまして小太りの僕をイメージ、えぇと、想像しまして、ハナがこちらに参った頃の僕、つまり六十五歳の僕にして、少し太らせて、きつくなったスーツのサイズ、ええと、大きさです。サイズを大きくして、やっとハナの合格点を貰いました。それで、あなたどうやってそのフレンチレストランまで行くのですか、タクシーを呼ぶ訳には参りませんでしょ。電話はかけられないですし。タクシーの運転手さんには見えない私たちがタクシーをとめられるわけもないですし。タクシーは、みなさんごぞんじですね)

(はい、大丈夫です。綾子出産の折りに、わたくしとだんなさ〜は朝子に乗って乗りましたし、そのお話もみなさまにいたしましたので)

(今まで知らなかったのかい、僕がどうやって出かけて行くのか。どなたかに乗せて頂いてたのは見てましたよ。同じ方法で行くんだよ。そのどなたかのお宅じゃなくて、フレンチレストランに行くのに、どうやって、乗り継いで行けるのでしょう、人から人に乗り移るのですか、だって、どこに行かれるかわからないのに、いや、慣れればなんとかなるもんなんだ、僕にしっかり掴まっていれば大丈夫、まぁ、あなたに掴まるのですか、人目があるのに。大丈夫、こちらの世の住人にしか普通は見えないんだから。それでも何か恥ずかしいです。わたくし明治の女ですのよ。そんなこと今更言っていたら、式に間に合わない。はい、いいえ、じゃぁ。だから時間がかかるからもう出なきゃいけないんだ。幸いこちらの世ですと、出かける直前にトイレ、え〜と、厠のことです、には行かなくてすみますからね。少し待っていたら初老の男性が通りました。僕はハナをつかみ、ハナは僕の腕をしっかり握り、その初老の男性に乗りました。その男性、歩むのが遅くて、僕はもっと速く歩いてくれないかなぁと思っていたんですが、ハナは、初めての乗車いえ乗人体験でしたから、自分のではない揺れに戸惑っていました。それでも、この方良い香りがいたしますね。丹頂のヘアトニックとは違いますわね、髪がないですし。どこから匂うのかしら。あら、耳の後ろ、まぁ、今時の男の方は女みたいに香水つけるのですか。セミテリオの外に出て、人通りが増えた所で、電車に乗りそうな人を見つけて、今度は若い女性でしたが、階段を上らずエスカレーターに乗りました)

(その、エスカレーターってのは、なんですかのっ)

(あっ、みなさまの頃にはなかったでしたっけ。え〜と、階段なのですが、動くのです)

(もしかして、自動階段のことではございませんこと。上野にございましたわ)

(あっ、ユリ、分かりました。三越呉服店にありました。あら、あれ、大震災の前です。あら、あれは自動昇降機の方だったかしら、下駄を脱いで乗るの。もしかして、虎ちゃん、これもご存知ないかしら)

(いえ、どこかで乗った記憶はあるんですが、下駄も靴も脱がなかったけど、はてさてどこだったか)

(虎之介殿、自動昇降機の方はご存知でしょう。エレベーター)

(エスカレーター、我輩は、昔は知りませんでしたが、今は知っておりますぞ。あちらこちらの駅や摩天楼にありますな。あの、階段状になった段が動くものですな)

(ハナは文句言うわけですよ。若い内からご自分の脚を使わないなんて、とね。どうして右側があいているんですか。どうしてお隣に乗らないのですか。どうして前の方との間に一段あけるのですか。もったいないじゃありませんか。いや、ハナ、これはもっと早く行きたい人のために片側をあけているんだ。下手に並んだら後ろから文言われるんだ。まぁ、日本人はそんなにせっかちになったんですか、急がなくたって構わないじゃありませんか。それに、横にお二人お並びになればよろしいのに。いやぁ、最近の人は知らない者が隣に並ぶのは窮屈に感じるらしいんだ。日本は狭いお国なのに、人口が減ったんですか、もうラッシュなんてないのかしら。いやぁ、ラッシュはあるんだけれど、相変わらず、電車の中に押し込むバイトもあるようだし)

(ラッシュ、rushですかな、急ぐですな。バイトは、bite、噛むですな)

(おっと、これも和製英語ですね。ラッシュとは、混雑していることを言います。元は多分、みんなが急ぐ時間という意味だったのでしょうか。バイトは噛むじゃなくて、え〜と、英語じゃなくてドイツ語のarbeit、労働なんですが、それを短くして、短期労働、学生の賃仕事みたいな)

(まぁ、相変わらずそんなに混んでいるのに、片側を開けるなんて、余計に無駄ですわ。いや、そういう時にこそ、片側は早歩きする人が通るから空けておくんだ。まぁ、忙しないこと。あらまぁ、あなたまでご一緒に忙しないこと、ですから私は外出は嫌だとお断りいたしましたのに。東京じゃ右をあけておき、大阪じゃ左をあけるんだ。まぁ、同じ日本なのに違うんですか。その時ぞっとしました。お願い、エスカレーターは歩かないでください、駅長って張り紙があったんですよ。もう早速ハナが文句を言うわけです)

( まぁ、エスカレーターが歩くんですか。動くんじゃなくて、歩くんですか。ユリ、怖いです。あの階段ごと上がって行くのでもなんだかからだがふらふらいたしましたのに。その自動階段が自動で前後左右にも動くのでしょうか。まぁ、恐ろしい)

(ほうっ、自動階段ですら信じがたい光景、ましてやそれごと前後左右に動くとはのっ)

(まさか、そのような事はないのですけれど)

(あら、残念ですわ。もし、階段に乗って、上下のみならず前後左右にも動くなら、どこにでも参れますもの)

(おっ、マサさん進んでますな)

(おばあちゃん、僕もそう思う。とっても便利だよね)

(でも、それでしたら、みなさまが同じ方向にいつまでも行くのではございませんこと)

(カテリーヌさま、そうですよねぇ)

(そうなんです。いくらなんでも、エスカレーター、自動階段は、それごとは動きません。でも、昨今の駅には時によって、いえ、場所、駅によって、エスカレーターは歩かないでください、駅長、って書いてあるんですよ。駅長本人が書いているのではなくて、ワープロが書いているのでしょうけれど)

(まぁ、今では駅員さんをワープロと呼ぶのですか、何語でしょう)

(いえ、ワープロというのはword processorのことです。え〜と、文字を入力して変換させてプリントアウト、つまり印刷する機械なのですが、つまり、人間が文字を機械に打ち込み、候補の漢字から適切なのを人間が選び、確定された文字を縮小したり拡大したり、文字の種類を選んだり、飾りをつけたりして、それを機械が印刷するわけです)

(あのぉ、僕、なんとなくしか分からないのですが、それってもしかして刑事さんや検事さんが使っていたもののことでしょうか。パソコンとおっしゃってました)

(あぁ、パソコンとはまた違って)

(我輩、分かりました。ユリさん、お花屋さんでお父さんが使っていたのがパソコンですよ。我輩もよく見ました。ああいうのは確かに、そう、パソコンと呼んでました。ユリさんのお話の時には我輩も名前を思い出せませんでしたが、今ご隠居さんがおっしゃったので、そうそう、パソコンでした。で、パソコンとword processorとは異なる物なのですね、ご隠居さん)

(パソコンは、ロバートさん、personal computerの日本での言い方なんです。つまり、個人用の電脳機械とでも訳しましょうか。そのパソコン、殆どの物に付いているのが今ご説明しておりますワープロ機能なんです)

 

 *


  続く

お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回は12月22日の予定です。


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