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第五話 セミテリオのご隠居 その六


(お寺はどちらにございましたの)

(カテリーヌさん、おわかりになりますか。え〜と、三代将軍家光公に言われて、梅を取りに曲垣平九郎が馬で登った階段のある神社の近くです。ほら、あそこに見える塔、東京タワーというのですが、あちらの方です)

(家光公、いつのことですの)

(江戸の、え〜と有名な話しだのっ、三百六、七十年前かのっ)

(♪汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入り残る月を旅路の友として♪)

(そうそう、お月見しましたね。少しでも高ければお月様に近くなってよく見える、美しさを堪能できるからでしょうか)

(その歌は私も知っておる。マサの歌う歌で私が知っているのは珍しいいことだのっ)

(だんなさ〜、その内、東海道のを全部一緒に歌いましょうよ。田原坂も阿蘇のお山も出て来る九州のもありました。もう少し早く出ていれば、生きてらっしゃる内にだんなさ〜がお喜びになったのにと、残念でしたわ。わたくし、だんなさ〜とお話しようとここにに参る度に、小声で歌を歌っておりましたが、聞こえてらっしゃったのかしら)

(そうだったかのっ。旧い事は覚えておらんのっ)

(んまっ)

(僕知ってる。あっ、歌もですけど、史話の方も。でもいつも、あの話本当かな、本当だとして、それでどうやって馬で石段を降りたのかと。だって、階段って登るのは大変、でも怖いのは降りる方でしょ。登る方ばかり大変だ大変だって言われていて、たぶん、降りる方が馬が怖がったから、怖がる馬の上でもっと高い所にいた平九郎さんは一層怖かったのじゃないかって)

(ユリ、平九郎さまにお尋ねしてみたいです。曲垣家のお墓はどちらかしら)

(さぁ、たぶんお近くなんでしょうね)

(鵯越の逆落としというのもありますのっ。一の谷で義経がというのが。ですから、馬は案外怖がらないのかもしれませんのっ)

(もっと旧い話、覚えてらっしゃるじゃありませんかっ)

(それ、いつのことですの)

(平安時代より後だからのっ、八百三十年程前のことだのっ)

(一の谷もお近くですの)

(うふふ、神戸の方ですわ、とっても遠いです)

(神戸は港のある所ですわね、わかります)

(♪鹿も四つ足、馬も四つ足〜馬の越せない道理はないと、大将義経真っ先に♪)

(マサ、その歌は、私は知らんのっ)

(ユリも知りません)

(だんなさ〜、朝子が幼い頃の歌ですもの)

(僕は知ってます。尋常小学校で教わりました)

(まぁ、愛宕は便利な地でしたが、大して広くないので、接収されていたのは移転先が見つかるまでのひと月半ばかり。その最中に、仙台に住む見知らぬ方から寺宛に葉書が届きました。甥と同じ東京の部隊に入った東北帝大生からのもので、ご子息とは生前親しくさせていただきました。復学する途中そちらにお伺いいたそうと思いましたが首都は混乱、食糧難の由、書状にての遅ればせながらのお悔やみ申し訳ございません。小生、ご子息とはつかの間のご交誼を賜り、苦しい戦中を楽しく過ごさせていただきました云々と書かれてありましてね、弟は真っ青。その後何度か連絡を取り、とは申せ、戦後混乱の中、郵便も遅れがちで、それでも、甥が部隊移動中の六月の名古屋空襲で、軽症だったものの壊疽にかかり、左足を切断したが治療介無くとわかったのですが、お骨も戻らず、戦死通知はその年の終わり頃に届きました。戦死扱い。仙台からの葉書が届いた頃、本堂には占領軍がいるわけです。直接甥に危害を加えたわけではなくとも、少し前までは敵の兵士、みな甥や僕の長男瑞鏡と大して年の違わない連中なわけで。僕だって複雑な気分でした。ましてや弟がどれほどの感情を抑えていたのだろうかと。少し前まで鬼畜米英という言葉が流行っていた頃には、弟は米英も鬼畜ではなく同じ人間なんだと声を潜めて申しておりましたがね、息子の死を知らされてしまうと、目の前の米国人がさぞかし鬼畜に思えたのではなかろうか、されど賎しくも最高学府で印哲を学び僧侶を職業とする身。辛かったと思います。で進駐軍が転居し、土足で踏み荒らされた本堂を何度も拭き清め、遅ればせながら形ばかりの父の四十九日法要を終え、小さなご本尊さまの前で肩を落とした瑞光の寂しげな姿。一方、気を取り直したかのごとく、瑞鏡は大学に戻りました。もう少し勉強やり直して、さて、専門をどれにしよう、軍医になりかけていましたから外科中心だったのですが、戦争が終わったのなら今更外科はさして必要なかろうと、これからは何の時代、父さんのあと継いで内科にしようか、戦後復興で増えるだろうこどもの為に小児科だろうか、 結局整形外科を選びました。傷痍軍人の役に立てるかもとね。ハナは、なんだか生き返ったみたいでした。今から思うと、あれは更年期から抜け出たのでしょうか。一人になってしまった瑞光と僕と息子の食い物を入手しようと、闇物資の買い出しに生き生きとしていました。便りの無いのは良い便りと気を強く持っておりました弟も憔悴気味。 便りが無いまま息子に先立たれましたからね。それでも妻と孫にはまだ希望を託していたようです。父を亡くし、行方不明のままの妻と長女と男の子か女の子かも分からない多分産まれた筈の孫の安否を気遣い、接収されたけれどすぐに返された本堂を拭き清めたものの、物資は少ない東京に戻っては来ない檀家、罹災証明書がないと東京に戻って住むのは大変でしたしね。元々少ない檀家とはいえ置き去りにされた寺脇の墓の草むしりをしている最中に弟は倒れまして、ハナが気付いた時には既に死亡していました。心労。心が痛んで心臓に来たのでしょう。寺の長男だった僕の一応まともな経で弟の葬儀を終え、さぁ寺をどうしよう。本山に連絡して僧侶を送って頂けるのか、戦争で兵に取られ数が少なくなっている折、食糧難の東京に来て見知らぬ寺をまもってくれる僧侶がいるものだろうか、医院を瑞鏡に任せて僕が寺を継ぐべきなのだろうか、寺と医院と二足の草鞋というのはやはり、ね。けれど長男だしと考えあぐねておりましたその時に、弟の私物を整理していたハナが僕宛の弟の手紙を見つけました。父の四十九日の後に書かれたもので、弟が先に逝った場合の弟の家族のこと、翌年末まで待っても連絡無き場合には死亡したものとあきらめること、本山との調整で土地も寺も個人所有にしてあり、鐘も供出したことであり、連絡の取れた檀家には伝えてあるから廃寺にしてよい旨、寺脇墓内遺骨の取り扱い方や、廃寺後にもし義妹と長女と孫の生存が分かった場合には生活を助けてやってほしい、後は兄さんの望むように医院拡充なりなんなりと、と記されておりました。万が一のことを考えて細かく書かれた手紙によって、今いる僕の墓ができたのです)

(あっ、それでなのですね。お寺のご長男のご隠居さんが、どうして霊園の墓地にいらっしゃるのか不思議だったんです)

(僕も不思議だったんだ。だって、ご隠居さんのお墓に書かれた家の名前、たくさんあるでしょ。何何家代々の墓は最近増えているけれど、それにしても合葬の数がと思ってました)

(そうそう、寺脇の墓、連絡取れて檀家がお骨を引き取った所もありましたが、連絡取れない方が多くてね、弟の記載通り、家ごとにそれぞれ小さな布袋に入れて、それを骨壺にまとめて入れて、寺の名を記し、父や弟や僕のご先祖様と共に、ここに一緒に。皆さん寡黙でして。弟も寡黙のまま。お骨は無くとも、甥や、一応義妹の名前も記しました。姪と姪の子は、嫁ぎ先の墓にたぶん。何しろそのまま連絡途絶えましたからね。気も訪ねて来ないのですよ。新型爆弾は気も昇華させてしまったのでしょうか。原爆の落とされた夜、そして次の晩、地表から光が多数、球になって空に上って行くのを見たという記録がいくつかありましたが、それがもしかしたら昇華した気なのでしょうか、数多の骨の成分の燐が燃えたということなのだろう、いわゆる人魂だと、あちらにいる時には思っていたのですが、昇華だったのだなどとこちらに参ってから僕、思うんですよ)

(昇華、昇って華になる、美しい言葉ですわね)

(あら、ってことは、ユリは、昇り切っていないから、華にはなっていない、ってことなのかしら)

(昇華してしまうと、今の我輩の様な楽しみは無くなるということですかな)

(昇華すれば華になる、昇華せねば、楽しめる、う〜ん、難しいのっ。今は痒みも痛みも無いが、食べられぬ、ひねられぬ、吸えぬ、飲めぬ。どちらが良いか。うむ、こういう悩みもなくなるのが昇華かのっ)

(だんなさ〜、そういう雑念をお持ちですと昇華はご無理でございましょ)

(そう、欲を出さねば昇華できる、と思うか、欲を出さねば昇華してしまう、と思うか。僕はまだまだ欲出してこうやってあちらの世をこちらから楽しんでます。どうもね、僕より三十五年も先にこちらに参ったハナは、昇華してしまいたいようで、今のあちらの世は嘆かわしいことだらけだそうで、同じ墓の中の僕以外の方々のお仲間になりたいようなんですよ)

(ハナさま、確かに滅多にわたくし達の井戸端いえ、セミテリオ墓前会議にはいらっしゃいませんが、無理にお誘いいたしましてもね)

(まぁ、色々、先ほどまでの話しの後に続いたものでね。戦後、食糧難の時代、ハナはほんと張り切ってました。もうもんぺなどはかなくても構わなくなっていたのですが、もんぺをはいて、背嚢を背負って、若くも細くもなかったからさほど心配はしませんでしたが、ものすごい混雑の列車に乗って、神奈川千葉茨城埼玉栃木群馬山梨と物物交換に買い出し、闇市で買い出し、統制されてましたからね、駅で官憲にみつかると没収。あっ、僕、いつも思っていたんです。没収した後、官憲はどうしていたんだろうって。没収したものを仲間内で分け合っていたのではなんて。それともまた闇市に流していたんだろうか。ともあれ、没収されないように、色々と工夫したようですよ。サツマイモの形がばれない様に、玄米の妙にへこむのがばれない様に、外側は物々交換されなかった衣類でくるむとか、重そうに見えるとまずいから軽々と背負うとか、近くにいる幼子を借りて孫と老婆のように装うとかね。こちらだってなけなしの、というわけでもなかったのですが、ハナの嫁入り道具を片っ端から持って行って交換してましたからね。なのに帰路没収されたら、意気消沈、その上からDDTをかけられる)

(なんですかな、そのDDTとは、英語の様でござるが)

(dichloro-diphenyl-trichloroethaneでしたかな)

(はっ、我輩にもわかりませぬ)

(殺虫剤ですよ)

(人間に殺虫剤をかけるのですか。虫ではないのに。官憲がですか)

(昭和の警察は然程の狼藉をのっ)

(元はアメリカ軍が持ち込みまして、それを官憲が代行しまして、頭から振りかけてました。都内に入ってくる列車の駅では改札の中や外で待ち構えてましたね。池袋や新宿や浅草や上野。上野には戦災孤児も多数いましたしね。ハナも時折、髪や肩、背嚢やもんぺを真っ白にして帰って来ました)

(おじいちゃん、それくらいなら狼藉でもないかもしれない。僕がこちらに来る前には警察は恐ろしい所だった。僕は直接じゃぁなかったけれどね、あの頃、泣く子も黙る特高ってのがあって)

(それも警察なのかのっ)

(そう、特別高等警察、略して特高。政治犯取り締まりで。直接軍と結びついていたのかどうか知らないけれど、特高に睨まれたら即激戦地送りって言われてました)

(警察は民の方を向かねばならんのにのっ、嘆かわしい)

(アカを取り締まるためですからね、特高で殺されたという噂話は流布していました。火の無い所に煙はたたない、でしょうから、たぶん火はあったのだろうと、僕たちの間でもひそひそ。僕の遠縁の家で起きたことも、僕は今まで誰にも話せませんでした。両親に口止めされてました。うっかり口を滑らしたら、僕にも危害が及ぶから、と)

(アカってなんですかな、redの赤とは違うようですな)

(ロバートさんもご存知ないですか。露西亜ですよ)

(露西亜革命ですかな)

(そう、共産主義社会主義の思想とその思想を持った者のことをアカと呼びました。たぶん、露西亜、いえ、ソヴィエット国の旗の色からでしょうか)

(ソヴィエット国とはなんでしょう)

(露西亜が名前を変えたのです。ソヴィエット社会主義共和国連邦でしたっけ)

(まぁ、そうなんですか。時が経つと国の名前が変わったり、国の数が増えたりするものなのですね。仏蘭西も、もう千五百年も前に東西と中部とに分かれたり大きくなったり小さくなったりしたと教わりましたわ)

(虎之介殿、何があったのでしょう。わたくしも特高の名は耳にいたしましたが。恐ろしい話ばかりでした)

(おばあちゃんもですか。その僕の遠縁の家では、ある日、特高がやってきて、土足のまま家にあがり込み、書棚から洋書を全て持ち出し、主を無理矢理車に乗せて連れ出した。翌日主は怪我一つ無く帰って来たが一週間後には中国戦線に送られたそうです。もう四十過ぎていたのにですよ。両親に言わせると、全くアカではなかったのだそうですが、早稲田の文科出身で欧米の軟派戯曲を翻訳していたのが特高の気に障ったのではなかろうかと言われていました。英語と仏蘭西語の書物は全部没収、独逸語のは返却された、その中に学生時代に受けた講義で使った資本論があったのが笑止千万だったと。あれこそアカの元なのに)

(そのような警察があるのかのっ)

(今もあるのかどうか。この前僕が警察署と日比谷公園脇の検察庁を旅していた時には、特高というのは目にしませんでした。あっ、おじいちゃん、特高じゃなくても、ほら、オイコラ警察って言うじゃありませんか)

(あれはのっ、困ったもんだのっ。力を得ると力を誇示したがる輩が多いからオイコラがそういう意味になってしまったんだのっ)

(彦衛門さまのおっしゃること、ユリ、わからないんですが)

(オイ、にもコラにも、そのぉ、相手を叱責するような、権力を傘に着る様な意味もないのですのっ)

(さようでございますわ。薩摩では、オイもコラも、あのぉ、ちょっと、ねぇというような、やぁ、子等、というような呼びかけの言葉です、でしたのよ)

(然様、明治の世の巡査には我が故郷の者が多くてのっ、民を呼び止めるのに、あのぉ、ちょっと、という意味で使っておったのだのっ。しかしながら、要望風貌の異なる我らや薩摩言葉に慣れぬ江戸や他の民が、巡査に呼び止められるのは恐ろしいと思うから、オイとコラが一人歩きして、恐ろしい言葉になったのだのっ。あれは勘違い。いやぁ、そう感じさせた巡査達にやはり非があるのだろうのっ)

(あのぉ、どうしてそのDDTがふりかけられるのでしょうか)

(長引いた戦中、戦後の混乱生活で、蚤壁蝨虱が増えていましてね。風呂にも入れず洗濯もできず、着の身着のままそりゃ虫には居心地いいですから。食糧難で体力落ちていますから、発疹チフスやその他の病気になりやすいですし、進駐軍にしてみれば、そんなの伝染されたくないわけで。まずは衛生状態確保、しかも手頃な、だったんでしょうね。実は、ハナが頑張って生き生きと買い出ししていた頃、僕も闇物資が手に入るようになっていたんですよ)


  *


  続く





お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回は12月1日の予定です。

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