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第五話 セミテリオのご隠居 その五

(ふと気付いたのだがのっ、坊主、すまん、僧侶は結婚できるのでしたかのっ)

(そういえば、カテリーヌさんも我輩もカトリックだが、神父は結婚しない一方、同じ基督教でもプロテスタントの牧師は結婚してますね)

(彦衛門さん、昔はできませんでした。けれど、明治の最初の頃に政府が僧侶の結婚を認め、その後、多くの宗派で認める様になったのです。剃髪もしなくなりましたしね、魚も食べる)

(妻もいりゃ、髪があり、酒も飲む、じゃぁ何が違うのかのっ)

(お経を知ってらっしゃる)

(ははは、僕だって寺育ち、坊主じゃなくてもお経は詠めます)

(それでは何が違うのでしょう。お寺に住むことでしょうか)

(僕だって、寺に住んでましたしね、昨今では寺に住まない坊さんもいる。法事などで頼まれればお経をあげる、要するに職業なんでしょうかね。瑞光、弟も帝大印哲を出て、本山で修行後寺を継いで、僕も学部を終え、それぞれ許嫁と結婚し、つましやかな生活してました。僕は、大学に残って研究し続けたり博士号まで取るつもりもなく、その頃にはもうハナは妊っていて、いや、義妹も妊っていましてね)

(あら、お医者様って博士様と違うんですか)

(世間では、お医者様は博士だと思われているようですね。違いますよ。昔は大学まで稼ぎもせずに勉強だけしてりゃいいなんて贅沢でしたから、いきおい、立派な人だと周囲が思う、学士でも博士と呼んでいただけですよ。ただ、町医者の場合は、博士号を持っていると箔が付く、昨今のあちらの世でも、博士号を壁に貼っている医院が結構ありますからね。偉い先生なんだと思うと、病気が治るのも早いかもしれませんし、あはは、でもこれほんと。信じる者は救われる、別に僕が寺育ちだから言っているんじゃありませんよ。栄養剤だと思って砂糖水飲めばしゃっきり元気になるんですから)

(僕、肺病だったんで、小石川の伝通院の夫婦塚を撫でてこい、って言われました。行かなかったんですが、行けば治ったのかもしれないのですかね)

(まぁ、結核は、体力あると治る人もいましたからね、治そうと思う力が強ければ、不思議なものですけれど。それで、男三人と婆やが住んでいたおんぼろ寺に若い女性が二人増え、直こどもも二人増える、庫裏にはもう無理。まさか本堂に住む訳にも行かず、さぁどうしよう。瑞光は寺を継ぐわけだから、長男でも僕が出て行くしかないじゃありませんか。かと言って、金もなし。丁度隣家が空いて、そこを借りて、開業したわけです。内科。なんでもありの内科です。耳鼻科や外科に比べれば、機材がほとんど必要ないでしょ。極端な話、聴診器と舌圧子だけでも、それすらなくともいいわけで。後は医者の判断力。初期費用がかからない。内科はなんでも屋みたいなもんですから、火傷しました、お腹こわしました、でも来るでしょ。時には卒中や高熱で、あるいは赤痢疫痢猩紅熱、伝染病予防法に該当するものもあって、目黒の方にあったでしょ、伝研に行った仲間に連絡したり、手がほどこせない場合もありましたがね。まだ衛生教育できていないですから、トラホームや蓄膿、虫歯だらけの子がたくさんいた頃ですよ。手を洗うことすら大人でもいいかげんでしたから、食器や食物をきちんと洗わない、畑の西瓜をざっと洗って切ったって、疫痢赤痢になりかねない。蚤壁蝨虱蚊蠅鼠の天下といっちゃ大げさだけど。また、健康保険のない時代でしたけれど結構繁盛して、医院が繁盛ってのはあまりよくないことなんですけれどね。僕は助かった。ハナも助かった、とは思ってくれていなかった様です。医院と言ったって僕一人、看護婦なし、ハナは受付と会計をやらざるを得ない。寺の大黒さんになる筈が、医院で病人の対応をせにゃならぬ。感冒でも大変、ましてや結核など伝染されたら赤子の生命さえ危ぶまれる。ハナは神経質になって、紙幣は天日干し、硬貨は酒精綿で拭く毎日でした。あっ、二人とも七月に産まれました。僕の方には男の子、父が名付けて瑞鏡、結局一粒種でした。弟の方が数日先に産まれて女の子。赤子二人、暑い夏がそろそろ終わる頃、赤子もそろそろ首もすわるかと思っていた頃、ぐらっと来ました。瑞鏡を抱き上げたハナと僕は医院件住居から、姪を抱いた弟夫婦は庫裏から慌てて飛び出して来て、地面にはいつくばっていました。父が出て来ないんですよ。本堂から経を詠む声がして。年のせいなのか信心がしっかりしているのか、父は肝が据わってましたね。幸い寺も医院も庫裏も、建物には被害は少なくて。でも、周囲は、倒壊したり、火災で、揺れと火と煤と埃から赤子を守らねばならないし、朝食のあと何も食べていないと気付いたのは薄暗くなってからで、近所の人たちと一緒に火をおこしたり、夜には本堂を提供したり、翌日ぐらいでしたかね、朝鮮人の暴動だとか、朝鮮人が放火したとか井戸水に毒を入れたとかいろいろ流言蜚語も伝わってきまして。あっ、そう、彦衛門さん、警察のいい話があるんですよ。その当時は知らなかったのですが、戦後時折話題になるんですよ)

(いい話しですかのっ、是非お聞かせ願いたいものですのっ)

(え〜と、神奈川の、鶴見はわかりますか)

(おう、わかるとも。生麦事件の辺りだのっ)

(あっ、そうでしたね)

(生麦事件って、夫の国英吉利の方が二人、殺された、あの事件、ですか。薩英戦争につながる)

(そうそう、久光公の行列に乱入したからのっ)

(不幸な事件ですよ。今の日本で同じことが起きたとしたら、文化背景を知らぬ傲慢な外国人の行動として、裁判にかけられる。いや、しかし、殺害することはないのでしょうか。しかし、あの時代背景、殺すのは当然とも言えますし。それで戦争になるんですから、どうも互いに面子が問題になるということなのでしょう。あっ、それでその鶴見の警察署長が、関東大震災の日本人暴徒に追われた朝鮮人を数百人署内にかくまいましてね、出せ、殺せという日本人暴徒にむかって、朝鮮人を殺すなら私を先に殺せと言ったらしいですよ)

(おう、いい話しですのっ。あいがともさげもした)

(震災の翌年弟には男の子、瑞祥も産まれました。儲かってきたから、本山と檀家の許可を得て、寺の敷地に医院建て、看護婦に薬剤師も雇い、受付は看護婦が兼任、ハナは解放されました。急に暇になったハナは、もう一人欲しい、女の子が欲しいと。だが出来ぬものは出来ぬ。これもハナのがっくりでした。寺は、ある程度復興し、ここで駄目になったら、先生、隣の寺で葬式出してください、檀家じゃなきゃだめですか、檀那寺は東京市内にはないのですが、などと言われもしましたが、たぶん、後から考えてみると、あの頃が一番僕の周囲が皆幸せだったのかもしれません。まぁ、ハナの願いはかなえられませんでしたが。支那事変の少し前からきな臭くなってきて、時折、女の子ならよかったのに、とハナが小声で言うようになりました。真珠湾攻撃の翌年末ぐらいまででしたかね、暫くは日本の勢いもよかったのですが、だんだん、ラジオの勇ましい放送とは裏腹に日常生活にも重苦しさがのしかかってきて、僕も白衣の下は国民服を着るようになって、寺の鐘も供出し、数少ない檀家も伝手を頼って疎開し始め、それでも、昭和十九年の春に姪がハナの遠縁の広島の寺に嫁いだ折り東京での祝言の席ではもんぺではなく婚礼衣装でした。その時ばかりは、娘と離れる義妹の寂しそうな姿を見て、女の子じゃなくてよかったのかしら、とハナは申しておりました。僕の息子は僕と同じ道を歩み帝大にいて、一方甥の瑞祥も帝大のこれまた印哲にいたのですが、甥は卒業を早められ、昭和二十年三月に、学徒壮行会もなく入営しました。学徒壮行会って、ほら、あれですよ、テレビの歴史物でよくやる、雨中の神宮外苑という、あっ、みなさまご存知ないのですね、え〜と、本来学生は二十六歳までだったかな、徴兵を猶予されていたのですが、兵力不足ということで、徴兵年齢が段々下げられ、昭和十八年の秋でしたか、明治神宮外苑競技場に数万人の学生が集められ、戦地に送られて行ったんです)

(それ、僕がセミテリオに来た頃ですね)

(虎之介さんは、何年生まれですか)

(大正十五年です)

(すると、僕の息子の三歳下ですね。ぎりぎり徴兵は免れたけれど、志願して戦地に行った若者が多かった世代ですね)

(はい、僕はもう病んでいましたが、高等学校を休学して出征するからと、我が家に挨拶に来た級友もいました。若いですからね、級友も僕も、お国の為だなどと励ましたりして、友は、貴様とは靖国で会おうと言っても会えないしな、なんて笑っていました。でも、母は後でしんみりしてましたよ。お母様はどれほど苦しんでらっしゃるか、と。たぶん、先行き長くはない僕の身にも重ねていたのでしょうね。その友、蒙古の方に送られて、暇な時には寒さしのぎの為にらくだの毛を引っこ抜いてた、なんて、戦後、ここに来て僕の墓前で語ってましたから、やはり靖国では会えなかったのですけれど)

(弟も瑞鏡も甥も煙草を吸わなくて、配給の煙草、僕を入れて四人分僕が吸っていたのですが、あの頃、配給の本数がたしか七本だったかな、それが半減しまして、更に甥の入営で減らされるのが辛くてね。まぁ、幸いにも、今だから言える言葉ですけれどね、当時は、幸いなどと口が裂けても言えない雰囲気でしたから、うっかり口を滑らせたらどこでどう密告されるやもしれず。幸いにも三月の東京大空襲では寺も医院も焼けませんでしたが、建物疎開も進んでいなかった近所は結構焼失しましてね、本堂にも罹災者が避難してました。配給切符を持ち出せないままですと、食料にも事欠く。助け合い精神とはいえ、自分の食料を削ってまで炊き出ししてどこまで他人に優しくなれるか)

(あのぉ、建物疎開というのは、ユリ、初めて耳にしました。まさか建物が歩いたり電車に乗って疎開するわけでもないでしょうし、どうやって移動させたのでしょうか)

(あぁ、なるほど。いえ、え〜と、東京初空襲は、いつでしたっけ)

(僕がセミテリオに参る前の年でしたから、昭和十七年の四月ではなかったでしょうか、なんだ、大したこと無いんだ、って思いました)

(そうそう、あの最初のはね、こんなもんか、そうでしたね、どんどんひどくなっていったんですがね。宮城を上から狙われる可能性など、考えられなかったことでした。あの後、類焼を防ぐ為に、家屋の密集地では家と家の間を広くすれば良い、命令で取り壊される一帯が決まる。慌てて家財を持ち出す、家が取り壊される。これには高等学校生が多数動員されましてね、初期の頃には、その日の予定数が終了すると真っ白な握り飯が配布されるので、若い学生には嬉しかったらしいですよ。気力も体力も漲っている年頃の学生には、力任せに破壊するというのも、今から思えば、発散できるいい機会だったのでしょうね。お上の命令とはいえ、壊される方は文句も言えず、お国の為と言われても心の内はどんなだったか。白い握り飯は、労働奉仕でも貰えたそうです。若い男手を兵にとられてにっちもさっちも行かなくなった武器製造工場や近郊の農村に高等学校生や大学生が送られましてね、役場で各農家に数人ずつ配置され、田植え、水やり、草むしり、稲刈りの奉仕を年数回、一週間ぐらいずつ勤労奉仕。田んぼ仕事の終わりの風呂の心地よさ、白米のにぎり飯の旨さ、夜、電灯も無く、ラヂオも無く、星空を眺めながら聞く蛙や虫の声は、僕も地球の中にいるんだ、自然の一部なんだと実感できた、などと瑞鏡は申してました。そうそう、お父さん、僕は二宮金次郎になりました、と申すので何かと思ったら、田んぼに水を入れるのに、ばたんばたん足踏み続けるだけで、目は暇だから、片手で専門書を手にして足踏みしていたそうです。二年目も息子達は同じ家庭に行きました。戦地への学徒動員は始まってましたが文系中心、瑞鏡は医科の最後の二年になってましたから、卒業は待ってくれました。医科理科工科系の学生は将来の帝国を担う存在ということでね。卒業後は軍医になる短期訓練に行ったのですが、実習も少なく半端なまま、どこの戦地に送られるのか、ハナ共々心配しておりました。その頃、姪の出産が迫っておりまして、あちらも呉がありましたが、帝都の方が危ない、身重の娘を旅させるよりもと、なんとか切符を工面しましてね 七月半ばに義妹が自分の配給米を持って東京駅から広島に向けて発ちました。そろそろ赤子が産まれたと、弟の所に葉書でも来るのかと思っておりましたら、広島に新型爆弾が落とされたと知り、戦後になっても、姪からも義妹からも嫁ぎ先からもなしのつぶて。赤子はたぶんもう産まれた筈、五体満足だろうか。三日後には長崎にも新型爆弾が落とされ、これはいよいよ息子も軍医として戦地に送られると、覚悟しておりましたら、数日後息子がひょっこり帰って来まして、終の別れの挨拶か、秘蔵の酒を出して、いや、水杯を交わすのかと思いきや、暫く自宅待機と命じられたのですが、理由がわかりません、と。それじゃ暫く医院を手伝うかと言いたくとも、薬も底をついていましたからね。病名は判断できても、何もできやしません医院は開店休業状態。その頃、父が亡くなりました。特にどこが悪いということもなく、まぁ老衰。弟が坊主ですから葬儀はできたものの、火葬がね、順番待ち。そもそも、都内には火葬場が少ないのに栄養失調ですぐに病気になる、すぐに死ぬ、空襲に続く空襲、焼死体だからとて生焼けも多数。火葬せぬわけには行かない。火葬場でですよ、終戦の詔勅を聞いたのは。父が焼かれその煙が空に登って行くのを見ながら直立し耳にしました。息子は涙を流していましたが、あれは祖父への涙なのか陛下への涙なのか負けたことへの涙なのか、本人も分からないと申してましたっけ。敗戦、終戦と言われても、変わったのは空襲警報がなくなったくらいで、どうも日本のあちこちでまだ戦争を続けたいと将校や兵卒が暴れていたり、たがが外れたような混沌、不穏な空気と、底が抜けた様なあっけらかんとした明るさとが共存していた記憶があります。妻と娘と赤子の行方はまだ知れず、父の葬儀もあって参っていた弟に追い打ちをかける様に、寺が進駐軍に接収されましてね、便利な場所でしたから)



 続く



お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けたなら幸いです。

毎週水曜日に更新しております。

次回は11月24日の予定です。

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