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第十話 セミテリオの新入居者 その五十七


(私、ほんと、仕事に就くかまではね、ほいほいと調子よかったですからね。婿入りなんて周囲がお膳立てしてくれて、据え膳食いましたし。あとは日々仕事して適当に過ごしたわけで。あの時、あそこの公園で魔がさしたのでしょうか。ああは、でも、人生の終焉で、自由とはとか、人生とはなんて考えさせられました。辛いものですよ。今更考えたって、先はそう長くはないわけで。そりゃね、平均寿命をうんと超えて長生きする方だっていらっしゃるとはいえ、まぁ、六十過ぎていたら普通あと長くても二十年ぐらいのものでしょ。しかも既に若い頃にくらべて疲れやすいし気力は衰えているし、何かを始めようたって、先立つものが無い訳で。現役世代に比べれば年金は半額以下でしょ。そりゃホームレスさん達に比べれば、年金受け取っていない人の方が圧倒的に多いわけですし、日々の糧では苦労しないとはいえね。つまり、体力も気力も金もなきゃ住む所もない方々に比べればまし。私の場合住む所は何となく出て来てしまった訳ですし、金はあると言えばある。けれど、しがらみはね。あの煩い妹達、今更帰宅したら、嫁や娘には何言われるかわかったもんじゃないし、身から出た錆とはいえね。しがらみ全部ふりほどいて、気ままな公園生活、たまにビジネスホテル、ってのも悪くはない。ましてや夏ですからね。で、油断していました。ふと気付いたらコインロッカーの鍵を持っていない。最初は自分がどこかに落としたのかと思って、前の日の行動を思い出して、地面をみながらゆっくり歩いて、でも見つからず、次に、昨晩飲んだ仲間達を疑って、で、鍵知らないかと、面と向かって尋ねたりもしたんですが、皆一緒になって心配してくれるんですよね。なんだかね、仲間を疑っている居心地の悪い思いというか、でもそう思う反面、面の皮の厚い奴なら知らんぷりできるだろうしとまた疑ってみたり、いっそのこと、交番に届けてみようか、でも何かためらっていて、で、預けてからまだ三十時間ぐらいだから、延長金を払えば出せるわけだからと思ってコインロッカーまで行ってみたら、扉が開いている。つまり、やはり誰かに中身を取られたってことで。なんかね、暗闇に落ちた感覚でした。着の身着のままと前日にキャッシュカードでおろした一万円の釣り銭、小銭を入れて数千円。これで幾日過ごせるか。節約すれば一週間ぐらいか、いやもっと。そりゃ、自宅に帰ればいいわけで。でもふんぎりがつかない。盗まれたのは衣類にクレジットカードにキャッシュカードに携帯。衣類はともかくも、カード類は困る、暗証番号は解らなくとも、クレジットカードには名前が書いてあるから成り済ましができるかも、私の財産が失われて行くことになる。ホームレスには財産が失われるという恐怖感は無いのかなって考えが横に逸れたり、なんだかんだと言っていても、所詮は長年身に付いた財産感覚。カードの怖さ。やはり交番に行くべきか、帰宅すべきか。あっ、衣類。きっと盗んだ奴は着ている筈だ。いや、しかし、私の前では着ないだろうし。急に羽振りの良くなった奴がいるか、疑心暗鬼で周囲の者を疑ってみたり、なんだか、その公園に居辛くなってね、で、このセミテリオに来てみたんですよ。家には戻りたくなかったですし、それに、何となくね、自分の入る、いや、あの時、入れてくれるかなって少し不安も感じていたんですが、まぁ、入れるだろうと思ってましたしね、実際入れてくれましたし、で、来てみたところで、義父母の入っている墓以外は知らないですしね、どうしたってここに足が向いてしまう。で、来てみたら、雑草が結構生えていて、そりゃそうなんですよね。墓の掃除って、一人娘の妻か私、あるいは娘か娘婿しかするわけないですし。いや、枯れた花はあったから、妻は少し前には来たのかもしれませんが、夏ですからね。雑草がどんどん茂ってしまったのかもしれません。ともかく、墓の前に座り込んで、草むしり。で、日がかげってくると、結構居心地いいんですよね。そうそう、公園でもそうでしたが、今時、地面に触れるなんてそう滅多にあることじゃないでしょ。地面に座るとね、気持ちいいんですよ。夏だというのにひんやりしていて。でも、その日は歩いて、また前の公園に戻って。でも、やはり居心地悪い。今までは酒や煙草やつまみなど買って行ってましたが、何しろ手持ちの金が切れたら家に戻るしか無い訳で、それを避けたい。で、考えちゃうわけですよ。金が切れたら縁の切れ目なんていうつれないものなのだろうか、いや、暖かい人達だし、でも現実的なのか。金が切れたら逆に鬱陶しい縁に戻るのか、なんて。最終的には家に戻るとして、汚い格好で戻る訳にも参りませんしね、戻る前の日には銭湯に行かなきゃならないですし、着替えも無い訳ですから、どこかの水道で洗ってなんてね、そうすると銭湯代を残して、あと毎日三食と夜のつきあいの金を計算すると、大してもちそうになくて。だったら、居心地の悪くなってしまった公園よりは、知っている人が誰もいないここの方がいいかなって。ただね、上野の方に行けば、ただで飯を食うこともできる。とはいえ、ここから上野まで、歩いて行くには遠すぎる。地下鉄乗ったら、往復料金で安い弁当二食、巧くすれば三食買える。片道歩いて片道乗るか。いや、歩けば腹減るわけで。やっぱり割にあわない。それに、あっちに行って、この情報くれた公園の仲間と言うか知人と出会うのは気まずい。で、ここ、お盆の時など、結構人出が多いのかと一寸怖かったのですが、あまり多くないんですね)

(そうなの。お盆になってもね、あまり。忘れられちゃってるの)

(いや、本当に忘れられていたら、その内、墓無くされますから、一応払ってはくれているだけ、忘れきったわけではないのでしょう。永代供養料という名の永遠ではない管理費とか掃除費用とか)

(もう古いお墓ばかりですものね)

(そうそう、その掃除。ここ、平日の昼間は、掃除のおばさんと言うか、結構高齢、中年、いや、お若い女性もいるでしょ。で、顔覚えられても嫌なので、近くの公園にいて、夕方になると、ここに来ていたんですよ。管理棟の所にトイレも水飲み場もベンチもあるから、皆さんの出勤の後や朝、出勤前にあそこで身ぎれいにできますしね。で、夜になると、ここの地面に寝そべって)

(墓地で寝られるとは、震災や戦後の様ですね)

(ご隠居さん、なさったんですか)

(いや、僕の所はどちらも大した被害がなかったんですよ。ですが、震災の後も戦後も、この辺りも結構ね。そういえば、どちらも夏でしたしね)

(あの、今、こちらの世にいるユリが言うのも変なんですけど、富実さん、お墓で寝るなんて、怖くなかったですか。ユリだったら、とてもできない)

(ああ、う〜ん、以前の私でしたらね、怖いというより、そんな体裁悪いでしょう。そんなみっともないことできない、って感覚でしたかね。幽霊とかお化けとかそんなもの居るわけないって思ってましたから、怖いなんてのはなかったですね。それに、ほら、もうこの年になると、親族や知人友人含めても、死者の方に知り合いが多いですし。墓の中の義父母に心の中で語るというのか、叱られている様な気分になったり、対話していましたよ。ホームレス仲間すらいなくなって、話し相手がいない。図書館で新聞読んだって、雑誌読んだって字面を追っているだけ。ふと現実に帰ると堂々巡り。そこから逃避したくてね、墓の中の義父母と語る。そちらの住み心地はいかがでしょうか、なんてね。ご近所の皆さんとは仲よろしいんでしょうか、なんて。で、辺りを見回してみたら、お盆の最中でも花の無い墓も多かったり、草ぼうぼうだったりね。別に罪滅ぼしって訳でもなかったのですが、なんせ閑、服も金も携帯も一切合切盗られちゃいましたからね、ぎりぎりになったら帰宅するにしても、それまで閑。で、掃除のおばさんというかお姉さんというかおばあさんがいない週末に、この辺りの草むしりしたり、帚ではいてみたりして。草むしりや掃いている時ってね、頭の中が空っぽになって、楽なんですよ。で、なんか一心不乱になってむしる、掃く、で、ふと我にかえると、重くのしかかる現実。もう家を出て二ヶ月以上経っていましたからね。帰りたくない。数日前までは、気楽に、これこそ自由だと、共に語らい飲み食いしていた仲間のつもりの誰かに裏切られたというか、心では仲間だと思っていたのに現実は厳しい。あの中では裕福な立場で、おごっていたつもりが、奢りだったと。自分が金の無い立場になってしまって惨めだと感じる心が奢りそのものでした。簡宿、簡易宿泊所に泊まる金すらなくなって、家に帰らなければ本当にこのままホームレス生活か。そこまで踏み切れない。彼らが、面白いからではなく、やむにやまれずホームレスを選択してしまったのだと気付かされ、自分が思い上がっていたことに気付かされ、どんな状態でも油断してはいけなかったのだと、自分の甘さに気付かされ、彼らの顔が思い浮かぶ。誰がコインロッカーの鍵を盗ったのだろう、いや、拾っただけなのかもしれない、疑うのも信じるのも辛い。ここまで逼迫してくると。あの時の酒代がもったいなく思えて来る。深夜の公園で酒盛りしていた時に、消費する為に生きているのは嫌になったと、誰かが語っていましたが、実際にホームレス寸前に追い込まれて、生きる為に消費する毎日が現実になってしまうと、辛かった。でも、あの時、こんなに早くこちらの世に来てしまうってわかっていたら......)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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