第五話 セミテリオのご隠居 その四
(僕がセミテリオに参って早十年、ハナはそれより三十五年も前でして)
(あら、もしかして、お年寄りと歩きたくない若い女性、ですかしら)
(いえ、そんなことない、と思いますよ。ハナが亡くなった時、あちらの年齢で六十五でしたから)
(まぁ随分お若い奥様でしたこと)
(マサさん、そんなことありませんよ。同じ年の生まれです。今の私は百歳、先ほども申しましたが、生まれてからは百十年で、こちらはハナも同じですよ)
(ついついお見かけで判断してしまいますものね。わたくしも、だんなさ〜よりかなり老けて見えるので辛いですわ)
(まぁ、それだけあちらの世で長生きしたということですよね)
(僕、十七でしょ、みかけは。あちらで長生きできなかったから)
(ユリやカテリーヌさんみたいに、時々仮装なさればよいのに。気の私たちですもの。なりたい見かけの年齢を念じて、気力を持ち続ければ、お若くもお年寄りにもなれますわ。先日もマサさま、黒髪でお顔の皺もなくされたことございましたでしょ)
(気力を続けるのはしんどうございます)
(僕はこちらに参ってたかだか十年。いくら東京の変わり様が激しくとも十年ですし、まぁ、十年一昔とは申しますが。でも、僕はほら、ひょいひょい出かけますから、変化にもついていけているわけです。ところがハナは、何しろオリンピックの翌年にあちらからこちらに参り、その後は、たぶんみなさんご存知の様に出不精、いえ、気が参って、気が滅入って、ですからね、あちらの世の変化についていけないわけですよ。僕と出かけると、浦島ハナ子なわけですね)
(ご隠居様のお名字は浦島さまとおっしゃるのですか)
(カテリーヌさん、喩えですぞっ。浦島太郎という日本の昔話がござる)
(あっ、わかりました。浦島太郎さんが助けた亀に連れて行ってもらった海の中で数日間遊んで、陸地に戻ったら数日どころか数百年経っていたという)
(つまり、ハナさんは、浦島太郎同様に、今のあちらの世では居心地が悪い。されど、開ける玉手箱もなし、というわけですのっ、まっ、玉手箱を開けてもこちらの世ではどうにもなりませぬのっ)
(♪昔昔浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城に行って見れば、絵にも描けない美しさ♪ ですわね。それで、ハナさまは気が参って、滅入ってらっしゃるまま三十五、いえ四十五年ですか)
(まぁ、色々ありましたから)
(もしや、後添えを貰われたとか、女遊びがお盛んだったとかかのっ)
(いえいえ、そういうことではございません。それはもう、ハナ一筋で)
(まぁ)
(それにも色々訳がございまして)
(お伺いしても構わないのかしら。ユリ、好きです。ごめんあそばせ。つい、まだ十九の気持ちのままで。前もマサさまとお話いたしておりましたの。ご結婚生活ってどのようなものなのか、と。ユリ、お見合い目前でこちらに参りましたでしょ。ですから興味津々。ましてや、ご隠居様どころかハナ様もわたくしと同じ年齢ということですし)
(いやぁ、参ったなぁ。いや、あの、話しをすることが嫌なのではなくて、どこから話しましょうか。そうですねぇ)
(なれそめは)
(なれそめですか。う〜ん、これまた難しい。本人達が、つまり僕もハナもまだ十二の頃に遠縁同士で決めた許嫁でして、ハナは広島から嫁いで参りました。寺の大黒になるということでね)
(えっ、ご隠居様は、たしかお医者様でしたわね)
(はい、そこなんですよ。僕の家は代々、寛永の頃から寺でして、僕も長男でしたから寺を継ぐ定め、運命ではあったんです。しかしながら、どうも文系は苦手でして、僕は理科、とりわけ生物学が好きで、一方、一つ年下の、本来、寺を継がない筈だった瑞光は信心深く仏の御心が好きで好きで溜まらないわけです。で、僕の一高受験の直前に二人して父を説得しましてね、父は割とすぐに納得して下さったのですが、まぁ、そりゃ、解剖ばかりしている僕が坊主じゃね、あっ、その時既に母はこちらの世におりましたから、父さえ了承して下さればそれでよかった、と思ったのが甘かったわけです)
(弟様が瑞光さま、ご隠居様は何というお名前でらっしゃるのでしょうか)
(そういえばそうですわね。いつもご隠居さま、ご隠居さんと皆様でおよびいたしておりまして、お名前、当然ございますわね)
(あっ、墓石に書いてありますが、ここからでは読めませんね、瑞顕ともうします。けんの字を顕にするから医者になってしまった、なんて悪口言われました)
(なってしまった、などというものではございませんでしょ。お医者さまとは大層立派なお仕事ではございませんこと)
(いやぁ、それは買い被りです。医者の社会的地位を高めたのは、医者達の策略。ほんの百年ちょっとのことですよ。まぁ、技術の進歩と相次ぐ戦争で大量に出た死者、重傷者というのも役立ったのですが)
(あら、わたくし、なんとなくその感覚わかりますわ)
(カテリーヌさんがですか、ということは、貴女の国、フランスでもですか)
(歯医者さんもお医者さんも、切ったり貼ったり血を流したり、伝染病に対処したり膿に触れたり死人に触れたりですから、表向きは病気を治す方として尊敬される一方、裏では忌み嫌われておりましたわ)
(技術の進歩がどう関係するのでしょうか)
(マサさま、例えば、顕微鏡の発明は技術の進歩です。とても役立ちました。小さいものがはっきり見えるようになって、ものが腐るには菌が関係していると分かり、菌の種類が分かり、病原菌が分かり、ひいては、病気への対処法が分かります。どう防ぐか、どう治療するか)
(戦争が医学の進歩に役立ったのかのっ)
(大量に出た死者を解剖できる。大量に出た傷病人を外科手術することによって、体内の構造が熟知され、手術の技術も向上する。脳の役割など、戦争傷病人がたいそう役立ったそうですよ。脳の半分を吹き飛ばされても生きている者、吹き飛ばされた部分には脳のどのような機能があったのか、などです)
(そういえば、たしか、江戸末期から明治初期には、刑場の死体が腑分け用に人気だったと耳にしたことがあったのっ。埋葬したことにして裏で医者に渡していた、それで袖の下を受け取った者を処罰するかどうかごちゃごちゃあったのっ)
(まぁ、恐ろしい。そんなことがあったのですかっ)
(お医者さまは、昔のお医者さまより学ぶことが増えたわけですわね。お可哀想。虎ちゃんが前に言っていた、後で生まれて来る人ほと、歴史で学ぶ事が増えてたいへんだ、ってのと似ていますね)
(昔は、医者は医者、病気ならなんでもござれ、でしたが、その内、内科と外科に分かれ、もっとどんどん細分化され、内科一つとっても消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、神経内科、心療内科など分かれていますしね。以前より確実に治療法がわかっている、という意味では、医者の重要性は高まりましたね。昔は、結構適当だったようで、士農工商、後継ぎになれないが小金があれば、ちょっと書物を揃え、衣服を整え医者らしくし、話術と商才で信用を勝ち得て、後は薬師まかせ、だったという話しも聞いたことがあります。ただ、その頃は、何しろ病人と病人の家族に信頼されなきゃならないから、上辺だけでも心のこもった対応だったそうですよ。医者は謙虚だったのです。かえって、一千年以上の歴史があって、朝鮮王朝時代や中国からの知恵に基づいた東洋医学にも詳しい薬師の方が、どういう症状にはどういう漢方が効くのか詳しかったし、医者に何とかして貰うよりは、最初から薬師に尋ねる方が安上がり、どうせ薬を買うのだから、と。まぁ、これとて、医者にかかるよりは安いとはいえ、薬を買う金があれば、ですがね)
(そうですわね、昔は、どの葉っぱをどうすれば傷が治る、どうすれば火傷によい、などと、何時の間にか身についていました)
(まぁ、中にはかえって症状を悪化させるものもあり、科学の発達で、そういう対処法は間違っている、などとされ、その内、科学的根拠が明確でない東洋医学、漢方は非難され、欧米中心の科学的根拠が明確な西洋医学一辺倒になりましたね。ごく最近、東洋医学には根拠がある、治癒できると再認識されるようになり、自然の植物や昆虫の中に人間の病気を治療するのに役立つものがあると分かり始め、インドネシアやブラジルなどジャングルの中を欧米の科学者が目を皿のようにして荒らしているようですが)
(ご隠居さまが医学を志された頃は漢方を学ばれたのでしょうか)
(いえいえ、もう西洋医学一辺倒でした。今、東洋医学の大学はたぶん、一、二校講座を設けている所はあったと思うが、必修講義なのだろうか)
(必修講義、懐かしい言葉です)
(虎さんは、高等学校に通われたのですね)
(はい、少しだけ。殆ど必修でしたが、少しだけ選択もできて)
(医科の場合も殆ど必修なんですよ。内科学、外科学、整形学、小児科学、産科学、婦人科学、神経科学、精神科学、耳鼻咽喉科学、歯科口腔学、公衆衛生学、免疫学、病理、生理、解剖その他諸々、全て西洋医学で必修でした)
(やはり、お医者様は偉いお方なんですね。そんなにたくさんお勉強なさる)
(まぁ、頭はいいんでしょうね。頭というか記憶力。判断力。国家試験もありますしね。ただ、頭が良くても心が良いとは限らない。俺様は頭がいい、記憶力がいい、病気への対処も知っている、尊大、横柄、傲慢不遜に陥り易いわけですよ。僕はそういうのが嫌いでね。江戸の頃でしたら、医者にはなっても、治せるかどうか、薬次第、運次第ってところもありましたから、医者はある意味謙虚だったと思うんですよね。その分、患者や患者の家族に接するのは上手い、心を読み取る能力があったと思います。まぁ、筍医者なんてのもいたそうですが)
(藪医者じゃなくてですか)
(ユリさん、薮じゃなくて、薮よりひどい筍です)
(ユリ、分かりません)
(おっ、私が分かったように思うが。筍は育っても竹、薮にはならない、ですかのっ)
(あらぁ、彦さま、竹薮ってのもありますっ)
(そうですね。いやぁ、僕もそこまで考えませんでした。もしかして、筍はめくっていくと何もなくなる。書物と衣類を剥げばただの人、知恵も残らぬ、ってのはどうでしょう)
(ご隠居様、薮だって刈ればきれいさっぱり跡形無くなります)
(そうですねぇ、だとすると、どうして筍医者などと言われたのでしょう。江戸人の諧謔センスなのでしょうね)
(扇子、ですか)
(いえ、センスというのは、感覚と申しましょうか、Mr.Robert, how do you translate the word sense into a nice Japanese?)
(え〜と、感覚は正しいですね、ましてお医者様ですと。そうですねぇ、我輩、洒落っ気と訳しますが、如何かな)
(おぅ、流石ロバート殿、ありがとうございます。日本文化にも日本語にもお詳しい。僕など足下にも及びません。つまり、江戸人の洒落っ気、明治も半ば以降の生まれの僕には理解できない洒落ということなのでしょう。ところで、僕は、何のお話しをしてたのでしたっけ...あっ、そうそう、僕が医学を志すことで起きた一悶着の前までお話ししたのでした。本人達が十二の折に、双方の親族が決めた許嫁。ハナは広島の高女を卒業し、早々と行儀見習いで上京してきました。家風に馴染む為とのことでしたが、当時既に僕の母は他界してまして、家風も何も、廃仏毀釈は免れたものの、檀家も少なく、父と僕と弟に、婆やだけでしたから。そこに若い女性が単身来たら、男所帯の寺に、若い女性、これは一悶着起きそうでしょ、ところがどっこい、ハナが上京する直前ぐらいに僕は本郷の寮に入っていた)
(ご隠居さんの頃には本郷だったんですね。僕は駒場でした。でも、向ヶ岡の寮歌は歌っていましたよ。毎年新しい寮歌を作るのに、あれは名作なんでしょうか)
(♪嗚呼玉杯に花うけて、緑酒に月の影宿し、治安の夢に耽りたる、栄華の巷低く見て、向ヶ岡にそゝりたつ、五寮の健児、意気高し♪ですわね)
(おっ、その歌、私も知っておるのっ)
(我輩も)
(わたくしも耳にしたことございます)
(ユリも。あの、ほら、虎ちゃんはなさらなかったらしい、汚い恰好の学生さんがだみ声で歌ってました)
(何故あの寮歌ばかりが有名になったのでしょうね。戦後、寮歌祭というのが毎年開かれていて、あっ、今もまだあるのかなぁ、旧制高校を卒業した一番若いのが八十前後だから。ナンバースクール出身者が集まって、出身校別に歌うんですよ。袴やマントや高下駄手拭姿で、肩組んだりして。息子はたまにしか出席しませんでしたが、僕はほとんど毎年行ってました。あちこち観光も兼ねてね。夜の宴会も楽しみで。時折、地元の旧制高校が前身の新制高校の合唱部なんてのが昼間の部には参加してくれましてね、合唱部だからなのか女子高生ばかりで、みんな孫がいる年になっても制服姿の乙女の集団を見ると若い頃を思い出して妙に気恥ずかしくなって赤面するものもいたりでした。旧制高校生は、まぁ、中には軟派もいましたが概ね硬派でしょ、純情素朴真面目に天下国家を語っていた口ですからね。あっ、それで、何故か一高というと、やはりその♪嗚呼玉杯に花うけて♪ばかり歌うんですよ。まぁ、他の年のを出されると、知らないこともありますから結局有名なのばかり歌うので、余計にそればかりが歌い継がれるのでしょうか)
(そうですか、僕が在籍したのは、旧制高校と言われているんですか。旧制ですか、なんだか、ここでは十七のままの僕が、とっても旧くなったみたいで、一寸寂しいです。ところで、ご隠居さん、お読みになったことありますか。嗚呼玉杯に花うけての寮歌を元に佐藤紅緑が書いた小説。僕は尋常六年の時に読んだのですが、嗚呼玉杯に花うけてを題にした小説で、舞台は高等学校じゃなくて中学、一高じゃなくて、浦和なんです。僕の浦高に行った従兄が気にしていましたっけ)
(聞いたことはあったが、読んでません。少年倶楽部に連載されていたらしいですね。話を続けましょう。父を説得して、僕は医科進学予定の三部にね。たまにしか寺には帰らない僕、一つ年下の弟はまだ中学生の筈、だったのですが、これが賢くてね、飛び級で、僕と同じ年に合格ですから、ハナが来た時には父と婆やだけ。ハナの第一のがっかり。尋常小学校の最初の二年間ぐらいだけですからね、女の子が近くにいたのは。あとは、中学も男ばかり、寮も男ばかり、それが、休みに寺に帰ったら若い女性、それまで僕は、遠縁が決めた許嫁、会ったこともなかったですからね、驚嘆至極、弟とて同じ。僕が寺を継ぐのかと思いきや、僕は医科進学予定。ハナの第二の誤算。じゃあ弟の嫁になれば大黒さんになれる、とはいえ、弟は弟で別の許嫁がいたわけで、じゃぁ交換しちゃえば、そんな訳にはいかないでしょ)
*
続く
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