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第十話 セミテリオの新入居者 その五十三


(あら、カテリーヌさん、でも、香りでしたら)

(いや、そもそもですね、ガード下ではワイン、葡萄酒には巡り会わないですよ。それよりも今の日本では、ワインはかなり簡単に手に入る、いや、手に触れられないんですね。でも、見る、かぐだけでしたら、そこら辺りの少し凝ったレストラン、え〜と西洋風食堂にでも入れば。いや、国産のだったらスーパーにも売ってるんじゃないかな、あっ、店に並んでいても香りは無理ですね。やっぱり食堂ですか)

(トミーさん、教えて頂きありがとうございます。あの、ユリさん、ご一緒していただけるかしら)

(ユリですか。う〜ん、葡萄酒ってあの、血みたいなのでしょ。何か苦手ですぅ)

(ユリさん、血みたいなのではなくて、透明なのもございますのよ)

(はい、では、その内、どなたか西洋風の食堂に行かれる方がこのセミテリオを通った時にでもご一緒いたします)

(ふふ、それって難しいんじゃないっすか)

(あら、武蔵君、どうして)

(だって、お腹の空いている人見つけるのは簡単っすけど、レストランに行く人ってわからないっしょ。乗って行ってみたら行き先はファストフードかもしれないし、立ち食いうどんかもしれないし、コンビニ弁当買って帰って家で食うかもしれないっしょ)

(fast food、手早くできる食物ですな)

(おにぎりのことでしょうか。お茶漬けかしら)

(いえマサさん、ほら、以前ロバートさんがお話になった鶏肉やハンバーガーのお店などのことですよ)

(ご隠居さん、ありがとうございます)

(で、そんな毎日というか毎晩の繰り返しでした。何度か会ったそんな仲間の一人がね、万年課長とはいえそこそこの大企業で勤めあげたたとかいう人でしたが、退職した途端に離婚届を渡されて、あっと言うまに奥さんに家を追い出されたそうで、自虐的に語られるのかと思ったら、今はかえってせいせいとしてさばさばと楽しい暮らしをしているって言うんですよ)

(妻女の方から離縁状ですかのっ。恐ろしい世の中になったものですのっ。家付きの妻女でしたかのっ)

(いやぁ、夫がせっせとローン、え〜と長期の借金を払ってってのだったんじゃないですか。家付きとは聞いていませんよ。あぁ、こういうのね、最近多いそうですよ。まぁ、私なんか、養子の身ですからね、追い出される危機感はもっと持っていてもよかったんですが、先にこっちが追ん出てきた、ははは)

(笑い事じゃないですのっ)

(いやぁ、彦衛門さん、本当に最近多いんですって。戦後女と靴下は強くなったってご存知ないですか)

(いや、私にとっては、西南戦争とおっしゃるのでしたら戦後ですのっ。しかしですのっ、最近の方がおっしゃる戦後というのが、第二次世界大戦とのこと、第二次というからには第一次があったということで、つまり、私がこちらの世に来てから二度も世界規模で大戦があったということは驚天動地、まさに天も地も驚天動地のことですのっ)

(あっ、すみません)

(女が強くなるというのは、僕も最近のユリちゃんを見ていてわかるのですが、靴下が強くなったとは、どういうことですか)

(あっ、あれっ、どういうことなんでしょう。私知らないんですが、ご隠居さんご存知ですか)

(それねぇ、確かにそう言われていますねぇ、というかもうその表現も古いんじゃないですか)

(ははっ、たしかに私使ってしまいましたが、最近そんなこと言わないですねぇ。で、私は戦前といってもたかだか五年間、実家の母は元々強かったですしね、靴下、そういえば昔の靴下はよく穴が開いた。いや、最近の靴下だって爪をきちんと切っていないと穴あきますしね)

(トミーさん、靴下ってのは、ストッキングのことらしいですよ。戦前のストッキングはすぐ伝染したけれど、戦後のストッキングは伝染しにくくなったとか。でも、孫娘の瑞穂など、それでもすぐ破れるって言ってましたっけ。そうそう、今はパンストですしね)

(ぱんすととは何ですの)

(パンをよこせとストライキですか)

(伝染って靴下が伝染するんですか、まぁ、靴下にも病気があるんですか、恐ろしい)

(虎さん、ストライキではなくて、ユリさん、病気じゃなくて)

(だって、ご隠居さんお医者さまでしたでしょう)

(はい、でも、靴下の伝染は病気ではなくて、え〜と、僕もよくは知りませんが、糸がほどけるのでしょうか、それがどんどん広がって大きな穴になるのでしたっけ)

(ぱんすととは何ですの)

(カテリーヌさん、パンティストッキングを短くしてパンストですよ、和製英語らしいですよ)

(日本語特有の短縮系ですな。しかしながら、我輩にはその、pantyは理解いたすが、stockingとは長靴下ですかな)

(そうそう、その通り。要するに胴から爪先まで一体化しているのですよ)

(ふむ、要するに洋風褌と足袋が繋がっている様なものですかのっ。何やら滑稽な)

(いえ、女性用ですよ、あれっ、でも男性用も売られていると聞いたことありますっけ)

(ふ〜ん、パンストって昔はなかったっすか)

(武蔵君、なかったんですよ。それくらいは私も覚えてます。あれはたしか私が学生の頃にはまだなかったから、え〜と、かれこれ四十年でしょうか)

(ふ〜ん)

(でね、話を元に戻すと、その人佐藤さんって言うんですが、あっ、本当の名前かどうか知りませんよ。みんな適当に名字とかあだ名付けてましたからね。で、その佐藤さんに何度か訪ねてらっしゃいと誘われていたんですが、なんかね敷居が高くて。で、何度も誘われて、しかも、お隣さんに面白い学生がいるっていうんですよ。で、どこがどういう風に面白いのか尋ねても、にやにや笑ってね。会ってみれば、訪ねて来ればわかるって。でもねぇ、訪ねたら返礼でこちらも招かなきゃならないでしょ。でもねぇ、その頃の私、まだビジネスホテルに連泊しているって言ってなかったから、困りましてね、先延ばししていたんですよ。そしたらある日、その日入ったガード下の店には他の仲間はいなくて佐藤さんだけってことがあって、しかもその学生さんはもうすぐ帰っちゃう、今晩はまだいるけれど、いかがですか。そんなに遠くないですし、って言われて、重い腰を上げて、早く切り上げて、JRか地下鉄に乗るのかと思ったら、通り過ぎてしまうんですよ。まさか私みたいにビジネスホテル住まいなのかと思ったり、でもどんどん歩いて日比谷公園の中に入って行くじゃありませんか。あの辺り相当土地が高いですしね、戸建てもマンションもそれほど無いですし、日比谷公園を突っ切ってどこに行くのかと思ったら、暗がりに入って行く。もしやこの男、追いはぎか泥棒なんてことはないだろうなんて少し不安にもなりました。大して中身の入っていない財布とはいえ、クレジットカードやキャッシュカードが入っていますしね、まぁ、財布を失うのはともかくも、痛い目に遭うのは嫌ですからね。そうそう、あの頃は、財布を失くしても、なんて余裕あったんですね。で、財布を失くすのが怖くなって、クレカード類をゴロゴロに入れてしまったんだ。あ〜あ。あっ、でね、暗がりの中にあちこち小さな灯りが見えるんですよ)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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