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第十話 セミテリオの新入居者 その五十二


(ご隠居さんの頃には、洗濯機、ありましたよね)

(戦後でしたかね。ハナが喜んでいたのは、樽の中で棒が回転するだけのものでしたが、確かに電気で動くものでした。でもその前は、手で洗ってましたね。たらいと、洗濯板)

(ユリもそれだったらわかります。あっ、でも、ユリは、この近くのお家で、今の洗濯機っての、見た事あります。でも、お金は入れていませんでした)

(はい。ですからね、日本の家庭には洗濯機があるわけですよ。ご自分の持ち物ですから、金は入れない。けれど、泊まっていたビジネスホテルには、コインランドリー、つまり、金を入れれば洗濯と乾燥をしてくれる洗濯機があったんです。洗濯と乾燥合わせて五百円、洗剤もそこに自動販売機があって、小袋が三十円でしたか。もったいないから途中から洗剤は箱を買って来ていましたが、箱で買ったら今度は計って入れるのも面倒でね。スプーンが、あっ、匙の事ですが付いていて、それできっちり計るっていってもね、洗濯物の重さとか水の量とか、そんなのわかりゃしない。洗濯機が便利になったと言っても、妻は結局こういうことを日常的に行っていたのだなぁなんて思わされましたよ)

(日がな一日その洗う機械と格闘しておったわけではないのですのっ)

(はっ、まさか。洗濯乾燥機はドア、え〜と蓋を閉めたら後は機械任せですから)

(それでは、何をなさってらしたのでしょうか)

(洗濯と乾燥が終了するまでは、あっ、終わったって教えてくれるんですけどね、それまでは、ぼうっとしていたり、さぁ何しようかって考えたり)

(で、何をなさいましたの)

(何も。だって、何もすることないんですよ。で、気付いたんです。私には趣味がないってね。で、趣味を見つけないと、宿で暇つぶしもできやしない。まぁ、ともかくずっと閑なわけで。こうなってくると、まだ家にいれば、なんだかんだとやることあったなって。たまにはゴルフの誘いもあったし、細々片付けようと思えばやることはあった。まぁ、退職してからというものの、いつでもできるからいつもしない、いつまでもしない、で、ただただのんべんだらりと過ごしていたわけで。考え様によっては、洗濯乾燥機と取り組むことすら、新たな暇つぶしなのかも、なんて思ったり。洗濯乾燥機の部屋には週刊誌が置いてあってね、それを読んだりしたこともありますし、ロビーで新聞を読んだ事もあったり。紙面で、昔は安定株とされていた大手の株が下がっていたりしてね、株をやっていなくてよかったなんて思ったってねぇ。どこそこで事故があった、事件があった、暴力団の抗争があった、場所も定かではない国境で小競り合いがあったとか、直接自分と関係ないでしょう。かといって、小説読んだって続きも気にならないですし、歌舞伎や芸能も縁がないですし、子育ての相談目にしたら、自分の孫達のことよりも、自分の息子ということになっている翔のこと、そこから姉妹の電話攻勢を思い出して、無断外泊していることを妻や娘がどう思っているか、三つ目の鍵はまだ開けてあるんだろうか、充電器を買って来て携帯の電源を入れてみようか、いや、やはり恐ろしい、やだやだ、やめた、気分転換に何をしようか、そうだ趣味。何を趣味にするか、趣味を作らなきゃ、閑を持て余し過ぎる)

(ほうっ。趣味とは作るものなのでござるか)

(違うんですか)

(いや、そういう考え方をしたことがなかったのでしてな、そういえば、我輩も何が趣味でござるか。日本でござろうか)

(ロバートさんは、日本が趣味なのですか)

(やもしれぬ)

(我が国は趣味なのですかのっ。何やら、失敬ではないですかのっ)

(いや、彦衛門殿、あいすみませぬ。しかし、我輩の趣味、いや、そもそも趣味とは如何なるものでござろうか)

(私は暇つぶしだと思ったんですが、いけませんか)

(趣味って、ユリ、よくわからないんですけど。ユリね、千代紙集めるの好きでした。で、集めた千代紙を見ているの。それだけで幸せでした。でうっとりして、でも、よく叱られました。そんなことしてないで、ほら、自分で出した物は片付けなさい、いつまで婆やの手をわずらわせてるのですか。閑ならお店でお父様のお手伝いをしなさいな、なんて言われました。あっ、そうか、閑に見えたってことは、やっぱり千代紙はユリの趣味だったのかしら)

(趣味ですか。僕に趣味はあったのでしょうか。そういや、医者仲間には書画骨董品を集めたり、やたら海外に観光に出かけたり、写真を撮りまくったりしていた者もいましたねぇ。だからといって皆が皆閑なわけでもなかったですよ)

(虎ちゃんは)

(僕は、趣味......なかった......ですね。司法に関心はありましたが、あれは趣味というより興味関心、立身出世の方であって)

(そうですねぇ。僕も、仏より理科が好きでね、趣味というよりは、虎さんと同じで興味関心、生きて行く上の方便でしょうかね。なるほど、僕にとっては、医学は趣味なのかもしれません)

(まぁ、ご隠居さん、趣味で病人を診て方便ですか)

(マサさん、そうかもしれません。そうなんですね。好きなことで金を得て生きて来た。はい、幸せな人生でしたねぇ。好きなことを仕事にできれば皆幸せですね。ただ、職業によって収入が異なりますからね。どんな仕事でも、同じ時間働いたら同じ収入ということになれば、その時こそ好きなこと、趣味を仕事にできて、皆幸せという時代や社会がその内来るのでしょうか)

(なるほど、それは興味深いですな)

(そういえば、天才より努力より好きこそ物の上手なれ、ですのっ。はて、私は何が趣味であったろうのっ)

(俺、僕も趣味ってなかったかもっす。ぼうっとしているってのはよくあったっす。でも、ぼうっとしているって趣味って言わないっしょ)

(武蔵君、好きなこと無かったのかしら)

(ユリお姉ちゃん、なかったっす。適当にコミック読んで、適当にゲームして、適当にってかあんまり勉強しないでだったっす。あっ、俺、店は手伝ってたっすよ。勉強よりおもしろかったっす)

(わたくしは、あれが趣味だったのかしら。レースのハンカチは集めておりました。使うためですから、趣味とは違うのかしら)

(ほら、みなさん、趣味って案外お持ちでないでしょう。で、私にもありゃしない。というわけで、今夜もまたガード下に飲み食いしに行こう。この前行ったあの店はちょっと気が合わない。前行った、鰈の煮付けの美味しかった所にしようか、あぁ、趣味はガード下グルメにすればいいんだ、なんてね、で、またガード下へ行くわけですよ)

(gourmet、もしかしてわたくしの国の言葉でしょうか。vin、葡萄酒に詳しい方、まぁ、そのガード下では葡萄酒も頂けるのでしょうか)

(はっ、いや。葡萄酒なんて洒落たもの置いてたかなぁ、なかったと思いますよ。それに私、ただただガード下の食い物を趣味にしようか、なんて思ってはみたものの、趣味というほど長続きもしない内にこちらに来てしまいましたしね)

(まぁ、残念ですこと。葡萄酒があるのでしたら、わたくしもそのガード下に参って味わいたいと思いましたのに)

(カテリーヌさん、それは無理というものでございますわ。わたくしも皆様もこちらの方々は何も口を通せませんもの)

(口から入れられぬ、よって出すものも無しですのっ)

(だんなさ〜)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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