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第十話 セミテリオの新入居者 その五十


(ユリさん、違うんですってば。食事を部屋に持ってきてもらうと、別料金を取られるんですよ)

(うわっ、けちなの)

(けちって、何だか身も蓋もない表現ですねぇ)

(だってそうでしょ。お宿だったら、仲居さんが朝ご飯と夕ご飯をお運びしてくださるし。布団だって敷いてくださるもの)

(布団はベッドですから、最初からありますよ)

(僕がこの前憑いて行った留置所では、看守さんが盆に乗せて持ってきてくれたってのに、西洋式旅館は留置所以下ですね)

(虎之介さんまでそんなことおっしゃって、もう......。でね、そのルームサービスでサンドイッチ、え〜と、パンの間に色々とはさんだ食べ物ですよ、それとコーヒーをポットで頼んで、テレビをぼんやり見ながら、さて、帰宅を考えるのは鬱陶しい。だからと言って、夕食もルームサービスを頼んで部屋から一歩も出ないというのも、何だか退屈して来た。そうだ、このままタオルのガウンでいるわけにもいかないし、かといって昨日の下着をまた履くのも嫌だし、服がみな酒臭い。今からホテルのクリーニングに出すのもなぁ、あっ、また別料金ですしね。で、帰宅するにしたって下着と靴下ぐらいは履き替えたい。家なら箪笥の引き出しを開ければあるけれど、仕方が無いから買いに行くか。おっと、買いに行くにも裸では行けないわけで、結局、気色悪いが、下着も靴下も前日のを身につけ、近くのデパートで、下着から上着まで全部一式買いそろえましたよ。でホテルに戻って、何しろ昨日の服を着てしまったから、気持ち悪くてね、さっとシャワーを浴びて、買って来た服を着ようとしました。ははは、タグ、値札が付いている。フロントに頼んで鋏を持ってきてもらうことも考えましたが、何しろまたタオルのガウン姿。ということで歯で切って)

(先ほどもおっしゃいましたのっ。タオルは手ぬぐいのことですのっ。がうんとは如何なる物でござるか)

(え〜と、和服のような、前であわせて紐で縛る、湯上がりに着る、え〜と浴衣の裾が短いような。膝ぐらいまでで。あっ、タオルは手ぬぐいとは違ってもっと厚手でふわふわとしているんですよ)

(厚手の手ぬぐいの膝丈の浴衣ですか。お子様のお服みたいですわ)

(マサさん、大人が着るんです。あっ、そうそう、上野の西郷さんのあの着物って、丈が短くなかったでしたっけ。あんな感じですよ)

(あれは、猟に行く時のお姿ですもの。富実さんもあのお姿でしたらお外に出られたでしょうに)

(いえいえ、あんな格好では、ホテルの廊下ですら歩けませんよ。あ〜、温泉旅館でしたら浴衣で歩けますねぇ)

(我輩が思うに、中と外の概念の違いですな。旅館の場合は建物の中は家の中同様。ホテルの場合には、部屋の外はpublic、公の場なのですな)

(なるほど。で、ロバートさん、すると、病院の中と外は如何がでしょうね)

(ふむ)

(僕は寮生活をしませんでしたが、あれはどこまでが中だったのでしょうか。教室は外ですね)

(へっ、教室は外だったっすか)

(あっ、武蔵君、建物の外という意味ではなくて、公の場か否かという意味で)

(お兄ちゃん、それくらい、いくら俺、僕が馬鹿でも、話の流れで解るっす。そういう外って意味じゃなくて、え〜と、教室って、外なんすか。つまり、え〜と、きちんとした場所ってことっすか)

(そう。まさか、今の教室では起立礼着席が無い訳ではないでしょう)

(それはある、あったっす)

(でも、え〜と、きちんとした場所だから、きちんとした格好じゃなきゃいけないってことっしょ)

(うん、そうだよ)

(え〜と、朝はね、学ラン着てったっす)

(がくらんって何でしょう)

(カテリーヌさん、あれはカテリーヌさんの頃にもあったでしょう。中等学校や高等学校の男子の黒い制服、あのことですよ)

(あっ、はい、軍人の様な)

(武蔵君、学ランを着て教室に入ったということは、きちんとした格好で入る場所ですから、外ということですよ)

(お兄ちゃん、それが違うっす。確かに、登校は学ランっす。けど、昼前に体育の授業があったり、無くても、学校着いたとたんにジャージに着替えちゃうっす)

(ジャージとは、セーターのことですか)

(えっ、違うっす。お兄ちゃんの頃はジャージってなかったっすか。え〜と、ジャージってのは、体操服っす)

(ほうっ。それは、学ランを大切にするためでしょうか)

(へっ。違うと思うっす。たぶん、ジャージの方が楽だから)

(楽......ですか)

(っす。だって、学ランってきついっしょ。あっ、僕が太っていたからってことじゃなくって。だから、きちんとした格好ではなくて、だから、教室って外じゃないってか、それに、小学校の時なんか、登校する時からジャージっす)

(まぁ。今は体操服で登校するのですか)

(あっ、俺、僕のいた所だけかもしれないっす。家に帰った時にお爺ちゃんが来ていたりすると、あんなのはみっともない、東京じゃ体操服で下校するなんてそんなはしたない事はしない、って僕の父ちゃんと母ちゃんに文句言ってたっす。でも、みんなそうだったっす)

(ですわ。体操服で登校なんて、運動会ではあるまいし)

(所変われば品変わるですね)


(え〜と、どこまで話しましたっけ。あっ、服を買って来て着替えたところでしたね。でね、着替えた。着替えたものの、じゃあどうする、何する。やはり家には帰りたくなくてね。でも閑を持て余してしまい、結局、またふら〜っとホテルの外に出て、ATMで現金下ろして、何となくまた有楽町に行ってしまったんですよ。歩いて行ける距離でしたしね。昨晩の連中と再会するなんて思ってはいませんでしたが、昨晩みたいに初対面の似た者同士自然に集まるんじゃないか、で予測通りというか期待通り、また新しいメンバー、え〜とメンツ、え〜と仲間とでもいうんでしょうか、二日目ともなると少しは慣れて来て、またおごったりおごられたり。でね、気付いたんですよ。ガード下の味って、昔懐かしいおふくろの味なんですね。結婚前の農家の料理。味が濃いというか煮魚でモツ煮でも、野菜の切り方でも、大雑把。妻の作るツンと澄ました洋風料理ではなくてね、田舎、田舎と言っても世田谷ですから東京なんですが、でも味付けが田舎風とでも言うのか。醤油や味噌の懐かしい味。大阪にいた時にも定食屋なんかに入ることはあったんですが、関西の味付けって違うでしょ。色が薄い。で、その晩も、またホテルに戻って。一瞬だけ帰宅も考えたんですよ。ただね、延泊を申し込んでいましたし、それに初日に着ていた服はホテルのクローゼット、え〜と箪笥みたいな所に置きっぱなしでしたしね。で、二日目は少し賢くなって、ホテルに戻る前にコンビニで下着と靴下を買いました。明日はデパートで服をもう少し買い増ししなきゃ、ホテルでクリーニングも頼めない、なんて考えている自分に、帰宅するつもりはないんだ、と改めて気付かされたりしてね。あっ、前日の二日酔いに懲りてましたから、飲み過ぎない様にはしていました。ですから、朝、普通に目覚めて、ここでチェックアウト、え〜と、もう泊まりませんっていうのか、料金精算するってことも考えなくはなかったのですが、二日も無断外泊してしまうと、家が遠くなる、足が重くなる。どうせならもう暫く延長してしまおう、せっかく昨晩からデパートに行くことを考えていたんだし、なんてね。でかれこれ半月ばかり、そんな生活をしていて、ふと気付いたんですよ。ホテルの宿泊料金やデパートでの買い物はクレジットカードを使っているから、妻がその気になれば、私がどこにいるかばれてしまう、ってね。ばれてしまう、なんて変な言い方かもしれませんが、もうしっかり妻に隠し事している気分でしたし、ばれて、迎えに来られても、来られなくても電話で尋ねられたりしたら体裁悪いし、ってんで、別の、もう少し安くて、しかもガード下に近目の所にしてね、ATMで先に現金をおろして、クレジットカードはできるだけ使わないようにしました)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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