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第十話 セミテリオの新入居者 その四十九


(はぁ、やっぱり複雑怪奇です。ユリ、そんなにお電話の種類があるなんて、もう訳がわかりません)

(ユリちゃん、僕だってそうだよ。明治のお生まれのご隠居さんも、そんなにたくさんある電話機を使いこなしてらしたのですか)

(一度に全部が登場した訳ではないですから。少しずつね。公衆電話だって、赤の後にピンク、桃色のが出て、その後黄緑のが出ましたしね。昔はダイヤル式だったのが、今はプッシュボタンですし)

(わたくしもダイアル式は存じておりますわ。ぷっす釦というのは)

(pushは押すことですな)

(そう、数字の釦を押すとつながるのですよ)

(まぁ)

(でね、妻への電話は気が失せたというか、嫌な事は後回しにしてしまい、ホテルのベッドで痛い頭をなんとかしようかと、頭痛薬を飲んで治るってものでもないでしょう。それに頭痛薬、フロントかボーイ、え〜と宿の受付か番頭さんに頼むか自分で買いに出なけりゃならない。面倒。二日酔いには迎え酒か)

(ですのっ。あれは効くものですのっ)

(だんなさ〜)

(かといって、一人で真っ昼間から迎え酒というのもねぇ。冷蔵庫のバーに酒の小瓶は並んでいたけれど、気が乗らない)

(冷蔵庫は解りますが、ばぁ、とは何でしょう)

(barとは棒、棒状のことですな。止まり木が棒状になっていた居酒屋のことも申しますな)

(冷蔵庫に居酒屋さん、ですか)

(ホテル、宿には普通、冷蔵庫が付いていて、中にはアルコール類、え〜と、酒類が並んで入っているんです。で、飲んだ分だけ宿を出る時に払えばいいんです)

(のんだ分だけ払うんですか。置き薬みたいなのかしら)

(え〜、そういえば似ていますね。でね、あっ、これもその置き薬みたいなものなのですが、薬ではなく、ミネラルウォーター、え〜と、瓶入りの水ですが、これも水割り用に冷蔵庫に入っていて、それを手に、ともかく身体からアルコールを抜こうと、風呂に入りました)

(富実殿、風呂に入ったのは昼前ですかのっ)

(はい、え〜、はいそうです。♪小原庄助さんなんで身上つぶした♪ってことですか)

(♪はぁもっともだぁもっともだぁ♪)

(マサ〜、はしたないですのっ)

(あら〜、だんなさ〜、これ、民謡ですのよ。会津の)

(会津とのっ。う〜む。かつては薩摩の敵でしたのっ)

(はい、えっ、でも、流行りましたのよ)

(私は知りませんのっ。左様な歌)

(はい、だんなさ〜はもうこちらの世にいらした後で)

(会津の歌ですからのっ)

(あのぉ、つまり、彦衛門さんは、この歌をご存知ないのですか)

(存じませぬのっ)

(では、朝寝朝湯朝酒ってことをお尋ねになったのでははなかった)

(はっ、解りかねますのっ)

(だんなさ〜)

(あのですね、えっ、私が説明するんですか。つまり、会津磐梯山という民謡があって、その中で、小原庄助さんが、破産してしまうんですよ。その理由が、朝寝朝酒朝湯が大好きで、という訳で。で、確かにその日、私は、朝寝しました、朝湯に入りました、でも、朝酒はしなかったんですから)

(はっ。何故、富実殿は、朝寝朝酒朝湯のことをおっしゃるのですかのっ)

(私が風呂に入ったのが、昼前だったかとお尋ねでしたから)

(ですのっ。尋ねましたのっ。昼前に入れるような温泉が江戸にあったとは存ぜぬことであったからですのっ)

(あ〜、はい、はい。温泉じゃなくて、風呂です。浴槽。あっ、ホテルの部屋には風呂もついているんです。でその風呂にお湯をはって)

(風呂にお湯を運ぶのですかのっ。そりゃ番頭さんが大変ですのっ)

(いえ、家と同じで、蛇口をひねればお湯が出て来るので)

(ほうっ。便利な世の中になったのですのっ)

(あら、だんなさ〜、ほら、この近くの、あのため息ばかりの青年のお宅でも、そうでしたわ。瓦斯に火を点すと、お風呂が湧いてました)

(つまり、宿の部屋に瓦斯が引いてあるのですかのっ)

(いえ、たぶん、ホテルの地下のボイラーから水道管を通ってお湯が入るんだと思いますが)

(boiler room即ち石炭や薪をくべて火力を起こすところでありますな)(ふむ)

(で、ミネラルウォーター、水を飲みながら、風呂にのんびり浸かり、さぁどうしよう。取りあえずもう一泊は泊まれるが、無断外泊を続けるのは如何がなものか。二晩も無断だと、妻が娘に話すかも。いや、もう話しているかも。何しろ娘の家はすぐ隣。いや、どうせ希薄な家族関係。いや、しかし、婿にばれるのは、今後の娘夫婦の為にもよくないか、あっ、何よりも愛しい孫達の手前、お爺ちゃんがそんなんじゃまずいか、あっ、だから妻は話さないだろうし、妻が娘に話しても、娘は婿には話さないだろうし、ましてや孫達には、どうせまだわかりっこないし。考えるのが面倒、考えると自分のしでかした事を反省しなきゃならないし、そもそもこうなってしまったのもあの、たぶん俺の息子ってことになるらしい子が京都にいるらしいってことで、つまりは大阪に転勤したことで、つまりは嫁が義父の娘であったことで、つまりは俺が銀行に就職したってことで、あ〜あ〜あ〜あ〜。俺の人生、こうなってしまった、なんてね、堂々巡りして、結論も出したくないし、反省もしたくないし、うんざりしてきてね、考えるのをやめてしまって。で、風呂から上がって、ルームサービスで遅い昼食をとって、あっ、ルームサービスってのは、部屋まで食事を持って来てもらうってことですよ、彦衛門さん)

(部屋に食事を持って来てもらうのは、至極当然ではなかろうかのっ)

(いえ、だんなさ〜、温泉付きの宿ですもの。自分達でお料理するのが普通ですわ)

(マサさん、温泉付きではないですから)

(あら、そうですわね。東京のお宿でしたわね。でしたら、お部屋にお食事を持って来てくださるのは、当たり前ですわね)

(はっ、違うんです。宿ではなくて西洋式旅館ですから。いや、宿には違いないんですが、え〜と、つまりホテルなわけで。食事は普通は部屋で食べないんですよ。ただ、頼むと持って来てくれる)

(ならば、お頼みすれば、いつでも持って来てくださるんでしょ。だったら同じじゃない)


お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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