第十話 セミテリオの新入居者 その四十六
(え〜と、その一眠りの間に問いたいことが数点あってのっ)
(左様同様、我輩もトミー殿に質問がござる。ちなみに彦衛門殿、ホテルとは西洋式旅籠のことで、チェックアウトは、宿泊所を出ることですな。モーニングとは朝のことですな。然し乍ら、多分に、彦衛門と同じであろうと推察いたしますが、財布の中のくれかとは何ぞや)
(左様ですのっ。忝い。しかしながらですのっ、私にもロバート殿にも不明の、その財布の中の物とは、新しいものですかのっ)
(ロバートさん、確かにモーニングは朝のことですが、でも、私の言いたかったモーニングは朝のことではなくて朝食のことなんですよ。ホテルや喫茶店で、午前十時ぐらいかなぁ、それより前だと、朝食がセットになっていたりして、あっ、セットって、宿泊費に込みだったり、喫茶店だと、バラバラで頼むより安上がりだったりするのを、モーニングって言うんです)
(ほうっ。breakfastは日本ではモーニングと言うのですかな)
(いえ、breakfastは朝食ですよね。モーニングは、あくまでもホテルや喫茶店の朝食のことなんですよ。で、え〜と、財布の中身は、私、何申しましたっけ。財布の中は、現金と、保険証とキャッシュカードと、クレカと、あちこちの会員証と.....ぐらいですか。あ〜、キャッシュカードじゃなくて、クレカですか。credit cardですよ。ロバートさんはご存知ないですか。欧米由来の筈ですが。あっ、失礼、クレカは戦後ですね。ロバートさんの頃にはまだ無かった筈です)
(credit card、信用札ですかな。つまり、旅券の様に、何処の誰それかを証明する札のことですかな)
(通行手形の様なものですのっ)
(いえ、お金の替わりになるもので)
(ほうっ)
(え〜と、あ〜、面倒臭い。いや、失礼、独り言です。どう説明しましょうか。そうそう、先ほど銀行口座を座布団にたとえてご説明いたしましたが)
(はいはい、わたくし覚えておりますわ。解ったとはあまり申せなくて申し訳ございませんが)
(え〜と、今度は、座布団を一つの会社だと思ってください)
(はい、会社でもお座布団を出していただけるのですね)
(いや、そうではないのですが、今時、座布団を出すような和室のある会社なんてないですし。あっ、守衛室なんかがあれば、座布団ぐらいはあるでしょうが。そうではなくて、それじゃぁ、座布団を大きなお店だと思ってください)
(越後屋の様な大店ですのっ)
(まぁ、そういうことにしておきましょう。座布団じゃない方が解って頂ける様ですね。で、マサさんが、越後屋ではなく、どこかの店、仮に小間物屋で買い物をしたとします)
(まぁ、小間物屋さんですか。ユリの育ったお店です。懐かしい)
(あ〜、そうだったんですか)
(へぇ〜、そうだったんすか。ユリお姉ちゃん家ってお店だったんすか)
(そうよぉ)
(え〜と、小間物屋って、何売ってるんすか)
(色々。櫛や簪や懐紙入れとか、巾着袋とか)
(櫛以外、俺、あっ、僕、わからないっす)
(武蔵君は男の子ですもの)
(あの、でね、マサさんが、小間物屋さんで、それじゃぁ、櫛を買ったとしましょう。お金の持ち合わせがなかったんですね。で、そこでクレジットカード、クレカを使う)
(まぁ、お金が無いのにお買い物してしまうのですか。あっ、はい、付けで買うわけですわね)
(はぁ、まぁ、付けといえば付けですね)
(つまりですな、トミー殿、クレカとはクレジットカードであり、クレジットカードとはお金を持ち合わせぬ折に、信用して頂く為に使用するものなのですな)
(まぁ、そんな様な。で、つまり、マサさんは、越後屋クレカ、札を示すと、金を持っていなくとも、小間物屋で櫛が買える訳です)
(越後屋さんの札で、越後屋さんではないお店で買えるのですか、まぁ。なんですか、越後屋さんは櫛を売っていないのに、ですか)
(越後屋は流石大店、太っ腹ですのっ)
(一寸違うのですが。で、小間物屋は越後屋に櫛の代金を請求する)
(えっ、越後屋さんは損してしまいますわ)
(いえ、一寸待ってください。損はしないんです。越後屋は、マサさんに、払ってください、って請求するんです)
(はい)
(で、マサさんが越後屋に払うと、越後屋は小間物屋に支払う、ということです)
(金は天下の回りもの、ってことですね)
(虎さんそういうことです)
(しかしですな、何処の何者ですかな、然様なややこしい手段を考えたのは)
(たぶん、ヨーロッパかアメリカだったと思いますよ。六十年頃、あっ。千九百六十年頃ですか。で、日本も割とすぐ追随したのではなかったでしょうか。ただ、一般化するには随分かかったと思います。最初は富裕層しか持っていなくてね。資産や収入の審査が厳しかったですからね。七十年、千九百七十年代は、クレカを持っていることは、信用できる人物だとされて、持っていることだけで信用されましたから、一種のステータスシンボルでしたね)
(社会的に高位であることの象徴、ですな)
(あっ、ロバートさんありがとうございます)
(ご隠居さんなど、早めにお持ちだったのではないですか)
(僕は、生涯持たなかったです。僕には胡散臭くてね。それに、落としでもしたら恐ろしいでしょう)
(そうだったんですか。初期は社長や医者や弁護士が持っていたと思いますよ)
(今はね、学生だってクレカを持てる)
(学生さんは、信頼できますもの。末は博士か大臣かでしょう)
(あはは、今時学生が博士や大臣になっていたら、世の中成り立ちませんね。だれだったか忘れましたが、石ころ投げれば学生に当たる、なんてね、あれ言われていたのは、もう三十年以上前のことでしたか。あっ、学生は、そりゃ信頼というか信用できればできたに越したことはないですが、学生って収入は無いかあっても少ないでしょう。同じ理由で、年金暮らしをしている高齢者や無職とされる主婦も、以前はクレカを持てなかったんですよ。でも、実際に買い物するのは、家庭にいる主婦でしょう。家族会員ではなく、直接主婦に持たせる様になった頃から、一般化して)
(富実さん、主婦の買い物は、日常の食品とか塵紙とかでございますわ)
(今は、スーパーでもクレカで払えるんですよ。あっ、スーパーは、マサさん、何だかご存知ですよね)
(はい、わかりますとも。万屋さんでございましょう。越後屋さんも大変ですわねぇ。あちらごちらの万屋さんで、あちらこちらの奥様方がお買い物なさるのを、万屋さんに請求されて、奥様方に請求なさるのでしょう)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。