第十話 セミテリオの新入居者 その四十三
(マサ、薩摩でも、各々の墓でしたのっ)
(あらだんなさ〜、左様でございましたわ。どなたかがお亡くなりになると、小さい塚、板や石を置いて、その内朽ち果てて、あらまぁ、ここセミテリオに長逗留いたしておりましたので、これが当然と思っておりましたが、あら、左様でございますわ。この家族が代々入れるお墓は寂しくなくてよろしゅうございますわ)
(家の名を残すことが大切にされていますからね、養子を取ってでも、血が繋がってなくとも家の名を残しますからね)
(あはは、まさに私のことみたいです。養子に入って、娘を作って、私が墓を継いで、もう墓に入ってしまいました、次に墓を継ぐ娘にも養子を取って家名を継いで、あはは。男子三代血は繋がらず)
(まぁ、DNAとしては、次から次へと、つまり、代々次へと伝えて行くというのが生物としては望ましいことなのでしょう。お墓はね、僕のここは、以前お話しいたしましたように、我がご先祖や家族のみならず、弟で終えてしまった寺のお墓に埋葬されていた方々もご一緒ですしね)
(で〜えぬ〜え〜、出来の悪い何かが解るでしたかのっ)
(遺伝子の何かでしたわ、彦衛門さん)
(でしたのっ、出来の悪いのは、何度耳にしても覚えられぬ私ですのっ)
(ご隠居さん、合葬ですか。そういう手もあるんですねぇ。今更伝える術もなし、伝える気もないし。でも、ははは、雅実も怜実もね、自分たちが入った後の墓参者、永代供養料を払う者の心配をしていた、いや、心配しているんですよ。いやぁ、あれは心配なんてもんじゃない。度を越してますよ。少し前までは、こどもなんてうるさいだけだ、こどもを作るなんて馬鹿げたことだとまで言っていたのがね、手の平を返した様に、私の会ったこともない、本当に私の子かどうかもわからない翔のことを調べたくて、よりによって、妻にまで問い合わせ、埒が明かないからと興信所使ってね、戸籍や写真を取り寄せて私に持って来るだけでも非道いでしょう。挙げ句の果てに、DNAで調べれば親子関係がはっきりするらしいわよ、と来ました。どうにかして翔の毛髪か唾液か手に入らないか、毛髪って抜け落ちた毛じゃだめらしいよ。じゃぁ、切った爪とか使って捨てたティッシュを拾えばいいのかも、なんて無茶苦茶、汚い、生々しいこと言い出していましたよ)
(てっすとは何ですかのっ)
(えっ、あ〜、鼻紙、塵紙ですよ、懐紙でもいいですか)
(おう、toilet tissue paper、厠紙は我輩が物心付いた頃にはありましたな)
(えっ、ロバートさんが物心付いた頃って、いつ頃のことですか、随分昔のことでしょう)
(まぁ、昔ですな。もう一世紀以上前のことですな)
(お手洗い用のは、鼻紙ではなく落とし紙ですわ)
(然様然様 toilet tissue paper)
(もしかして、落とし紙って、え〜と、ほら、あの時、カテリーヌさんいらっしゃいませんでしたっけ。幼稚園のお子のお宅で、お手洗いでくるくる回る紙、あのことですか)
(いや、ロバートさん、ユリさん、それはトイレットペーパーでして、そっちじゃなくて、え〜と、長細い箱に入っていて、スコッティーとかクリネックスとかエリエールとか)
(オリンピックより後でしたっけ。ティッシューが出て来たのは)
(そうですね、ご隠居さん。私、あの頃は実家ではまだ使ったことなくて、なのに、妻は平気で使っていましたよ。育ちの良さなのか経済感覚なのか。無造作に取り出して一度使ったらゴミ箱へ直行でした。私など、そうっと、一枚ずつ出して、何度も使ってからでないと捨てられなくて)
(あはは、わかります。今の若い人は、ちょっとテーブルが汚れていたりしたら、二、三枚スッスッて取って、平気で拭くでしょう。台拭きなんて使わずに。ティッシューが出始めの頃は、診察室でね、ティッシューの箱を置いて、どうぞお使いください、と申しても、皆最初は知らないから、一枚抜くと次のが出てくるのに驚いたりしてね。お年寄りなど、怖々とでしたから、一枚抜いてお渡ししたりね。あんなに薄いのを二枚も重ねるなんて、技術力もすごいと思わされましたっけ)
(そうそう、ティッシューを取ってと頼まれて、一枚取って渡すか、箱ごと取ってどうぞとするかで、親しさ、近しさのバロメーター、おっと、え〜と測れるってのでしょうか。さすが、いくら冷えていても、私の家では、妻も娘も、一枚抜いて渡してくれていました)
(なるほど、近しさのバロメーターですか。あれ、面白いんですよね。次から次へと出てくるでしょう)
(俺、僕の出番っす。あれ、俺面白くて、小さい時、全部出すっての何度かやって、叱られたっす。で、小学校に入ってからも本当はやりたかったっす。けど、叱られるから上から出すのやめて、箱の横を開いて出してみたことあるっす。それも叱られたっす)
(武蔵君、昔は高くてね、一箱売りしていたんですよ。今じゃ普通五箱まとめて売っているでしょう)
(うっす。あれ、トイレで使っちゃいけないって言われました)
(あぁ、それは高いからではなくて、溶けないからですよ)
(そうっすか)
(溶ける紙があるのですかのっ。摩訶不思議)
(だんなさ〜、紙は溶かした楮や木の皮などからつくりますでしょう。溶けて当然ではございませんか)
(ですかのっ。紙は丈夫ですのっ。溶かすのは大変ですのっ)
(いや、和紙ではなくて、トイレの紙、便所紙は、そうそう、昔は汲取でしたしね、溶ける必要なかったですね。あ〜いう紙、今も売っているのでしょうか)
(最近見なくなりましたね)
(あっ、それでね、あのトイレのロールになっている紙は、水洗便所でパイプがつまらないように、溶け易くなっているんだと聞いたことがありますよ。で、ティッシューの方は、溶けにくいらしくて)
(ふむふむ。便所の話は興味深いですのっ)
(だんなさ〜)
(しかし何の話をしてらしたのでしたかな。そうそう、我輩が知っていたtissue paperはトイレ用のでして、しかしながら、今のあちらの日本ではトイレ用のではなくて、鼻紙のことで、で、それが汚いことなのですな)
(そりゃそうですよ。ゴミ箱漁るなんて、汚いでしょう。そうでもしなけりゃ、翔のDNAなんて入手できるわけがないって言ってました。もう、我が妹ながら情けない)
(おっ、またまた出ましたのっ、できの悪いのは私の記憶で、え〜と、何かが明かされるでしたのっ。犯罪の捜査に使われるものですのっ)
(で、ともかく、何とかならないかと、姉妹揃って、金と暇にあかせて、京都まで旅行して料亭で食事までしてきたそうです。一見の客ですしね、女将も出て来なかったらしいですし、翔の顔を盗み見ることすらできなかったそうですが、で、後で言うんですよ。私の実家、つまり姉妹の名字じゃなくて、お兄さんの名字で予約を取っていたならば、何か違ったかしらね、なんて。大体ね、仮にDNAが採取できて、私と父子関係が明らかになったとしたってですよ、女将夫婦の籍に入っていて、料亭の跡取りにと思っている子を、私の実家の墓の跡継ぎの為にもらおうと思っていること自体がね、あまりにあまりでしょ。それこそ、子育ての大変な部分は他人に任せておいて、自分たちの都合の良い様に考え過ぎてるでしょう。で、私が妹達にそう伝えたら、なんて答えが返ってきたと思います。裁判沙汰にすればいいじゃないの、ですよ。老舗の料亭ならば、裁判沙汰になるなんてことになったら、手を引くでしょう、ですよ。でもねぇ、それ以前に、こどもの立場ってものもあるでしょう。突然知らない人がやって来て、あなたの実の父親の妹です、なんて言われたってね、胡散臭いだけでしょう、信じませんよね。で、こんなことばかり、毎日の様に家の電話や携帯にかけてくるんですよ。もう参っちゃってね。携帯は着信拒否にして、家の方は留守電にして、そうしたら手紙、それも速達にしたり書留にしたり、終いには、電報ですよ。今時電報なんてね)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。