第十話 セミテリオの新入居者 その四十
(あ、そういえば、え〜と翔君でしたっけ、富実さんのお子さんって、富実さんに似てらっしゃるんですか)
(えっ、今まで話した時点では、まだ、たぶん、が付いていたんですが、はい、いえ、え〜と、阪神大震災の頃はまだ写真を見たことが無くて、それにまだ、本当に実の子なのかどうかも実感は無かった頃なんですが、いや、今でも実のところ、実感は無いのですが。でも、ただ、新聞やテレビの報道で阪神の地震が相当ひどいと知ってからは、そりゃ心配というか気になっていました。ただねぇ、家に帰ったって、妻娘はそのぉ、外の子というのは知らない訳でね、翔を別にすれば、関西には血の繋がった者は誰もいないわけですから、あまり心配しているのもね。妻が義父母の所で、私が地震のことで心配しているなんて言ったりしたら、また義父に呼ばれかねなかったですし。ただねぇ、別にね、そもそもあの娘が妊娠したなんて、私は知らなかったわけで、出張先で浮気とすら呼べないことをね、妻子や義父母に秘密にしているなんてつもりも無かったんですよ。で、義父から告げられて、義父は義母にも私の妻にも内密にって言われたでしょ、ですからそこで秘密をかかえてしまったわけですよ。会ったことも無い実感も無い自分の息子がいるなんて、言いふらすことでもないですし、震災の頃を除けば、毎月息子名義の通帳に送金する時にだけ、たぶん私の息子なんだろうって思い出すくらいでしたよ。つまりね、秘密のつもりはなかったんです。なのに、同じ秘密が二度暴かれたんですよ。その度にひと悶着もふた悶着も。一度目は、義父が亡くなって、四十九日も済んだ頃、相続税の計算を始めるのに、たいへんでしょ。で、司法書士に頼みました。もう何もかも任せるって形で、土地の権利書のコピー、あっ、写しのことです、それと通帳なんかも全部渡して。で、月々の光熱費の支払いなどは、引き落とし口座を換えなきゃならないから、それぞれ連絡して、たいへんなんですよ。電気ガス水道電話固定資産税新聞、保険だって生命保険や傷害保険は満期を過ぎてましたが、火災家財保険等々。義父はそういうところは流石元銀行重役、きちんと引き出しやファイルに分けて、あっ、ファイルって、うわっ、え〜と、皆さまおわかりになりますか。ご隠居さん、ファイル、どう申せばいいでしょう)
(そうですねぇ、え〜と、カルテを挟むもの、バインダーでもないですし、紙挟みですか)
(なるほど、紙挟み。ありがとうございます。え〜と、その、用途ごとと申しましょうか、それぞれ分けてあって、で、その中に、振り込み用紙の控えが出て来て、毎月、義父も翔に振り込んでいたんですよ。三万円ずつ。私もそれまで知りませんでした。変でしょう。義父は、私とだって血が繋がっていないってのにね。私が認知したわけでもないし、私の息子だって証明は何ひとつ無いってのにね、義父は、後始末のつもりだったんでしょうか。いまだに謎ですよ)
(富実さん、そちらにお義父さまいらっしゃるのでしょう)
(はい)
(お尋ねになればよろしいのに)
(はぁ、あぁ、そうですねぇ。でも、義母もおりますし。いやぁ、なんか、照れくさいと申しましょうか)
(今更)
(えっ、だって、今、気付いたんですよ。ここで私が語っていること、義父母にも筒抜けってことなんですねぇ)
(聞いてらっしゃるかどうかは、わかりませんがね)
(あっ、そうなんですか。よかった)
(僕の所にもハナがいるんですが、口を挟んだことはないんですよ)
(それに、夢さんみたいにお出かけなさってらっしゃるかも)
(あ〜、そうなんですね。よかった)
(ふふふ)
(あっ、で、それを義母が見つけて、妻も見て、で、京都の住所でしょう。関西支店にいた私が尋ねられたわけで。でも、銀行が、私が勤めていた銀行ではなかったですしね、わけがわからないふりをしました。で、その場はそれで済んだのですが、義母にしたって妻にしたって、義父が毎月同じ個人に振り込んでいた理由がわからない。よもや恐喝なんてことはないだろうけれど、ということで、これも司法書士に任せてしまったんですね。司法書士が直接動いたわけではないと思うのですが、ばれてしまいました。しばらくして義母と妻が私の正面に並んで座って、調査結果を淡々と伝えてきて。怖かったですよ。冷たい。せめて怒鳴るなりヒステリー起こすなりしてくれればいいものを、淡々と。で、あなたの子なんですか、と問われても、何しろ、私にはこうだという確信がないものですから、曖昧に返事していたのですが。で、義母も妻も娘には言わないようにしていたのですが、何かの拍子で娘も知ってしまって、娘は、怒るか軽蔑するかと思いきや、年の離れた弟がいるなんて、面白い、会いに行こうかしらなんて、からかわれているんだと思っていたんですが、一時期全く相手にしてくれなかったのにね)
(相手にしてくれなかった、ですかのっ。お嬢さんが父親を相手にしなかった、というのですかのっ。それは全くもって失敬千万)
(いや、あの、そのぉ、でも、そんなもんでしょう。父と娘の関係なんて)
(マサ、悦はそうでしたかのっ)
(だんなさ〜、悦がその年頃ですと、あなたはもうこちらの世にいらっしゃいました)
(そうでしたのっ。とはいえ、相手にしてくれなかったとは、富実殿、おのことしてはあまりに情けないお言葉ですのっ。富実殿が、娘を相手にしなかったとおっしゃるのでしたらまだしも)
(いやぁ、その、そんなもんじゃないですか。父と娘の関係なんて。よく耳にしましたよ。父親の服は臭いから洗濯機を別にするとか、面と向かって言われることもあるそうで。家の娘は、そこまでは言いませんでしたから、私などまだましな方かと思ってましたよ。小学校、いや、幼稚園に入った頃から、いや、その前から、娘のことは妻任せでしたしねぇ。それに大阪におりましたし、父親が不在でもこどもは育つものでしょう。付き合いゴルフには行っても、娘のピアノやバレーの発表会や運動会にも行かないことの方が多かったですしね。で、その失敬というほどではなく、挨拶ぐらいは交わしてましたしね、その、何て申しましょうか、他人程ではないものの、家族という程の親しさも無いと申しましょうか。つまり、希薄な関係だったんですよ。ところがね、腹違いの弟がとても気になったようで、さすがに母親の前でははばかっていましたが、母親不在の時など色々と質問して来て、でも、私としても、送金しているだけの関係で、どんな息子なのかどんな生活しているのかなんて皆目見当がつかないわけで、答えようがない。しばらくしたら何も尋ねてこなくなったので、熱が冷めたのかと、義母と妻と娘にもただただ後ろめたい気分でしたよ。で、立ち消えになったと思い込んでいました。当然、義父からの翔への送金は義父の死で終了したと思っていました。その年の暮れに、喪中欠礼の葉書を出しましたから、翔の法的両親、本当は実の祖父母も理解しただろうと思っていたんですよ。その頃、銀行統合の話が進行して、資本力の差で吸収される側になってね、人員整理。もう義父の力も及ばず、失業こそしないですんだものの飛ばされましてね、収入もかなり減って、元々退職まで余すところわずかでしたし、閑職を適当にこなし、その替わり毎日定時退社できるようになって、ですが、定時退社すると夕食を妻娘と一緒にってことになって、もっとも娘はもう大学卒業して仕事していましたから、結局妻と二人だけの差し向かいの、話題といったら付けっ放しのテレビのことぐらいしかなくて、もそもそと食事して、だらだらとテレビ見ての繰り返しでした。で、和実が他界し、葬儀から半月後とはいえ、式場や新婚旅行の予約も入れてありましたし招待状も発送してあったので、予定通り、娘の結婚式があって、私が退職して、またその半月後には義母も他界し、四十九日法要が二つ続いて、あの頃、やたらと法事ばかりで、祖父母と両親と和実と、義父母と一周忌だ三周忌だなんだかんだと、法事の時だけは夫婦揃って出かけていました。新婚旅行を別にしたら、夫婦だけで外出なんてほとんど無かったのにね。あ〜、娘の結婚の方もね、もちろんこれも夫婦揃ってあちらのご両親に挨拶に参ったり、何しろ、ご次男さんとはいえ、養子にいただくわけでしたし、あちらからも打ち合わせや何やかやとご招待頂いたり、会食もあって、で、一応結納なんてのもやって、式に披露宴、なんだかんだと、その時ばかりは外面良い、仲の良さそうな夫婦を取り繕って、ははは。あの頃は、人生の終わりと始まり、祝儀不祝儀が矢継ぎ早に来て振り回されていました。親類縁者が集まるでしょう。で、私の実家の方のも、婿入り先の方のも、娘の結婚式も、大方が同じ面々なわけですよ。で、だんだん話しも尽きてくる。そんな中で、娘が口を滑らしたらしくてね、その時には冗談だと思って聞き流された翔の件を、十年近く経ってから蒸し返された、つまり二度目に暴かれたのが半年程前のことでした。私が突かれたんですよ。追い回されました。何故だと思います)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。