第十話 セミテリオの新入居者 その三十八
(で、電池とは何かのっ)
(あ〜、つまり、電気を貯めておくこのくらいの、あっ、だめですね、ご隠居さん、それこそいろんな種類がありますものね)
(初期は、単一と単二ぐらいではなかったですか。それから単三、で、今は、と言っても、僕がこちらに来る前には単四がありましたから、もしかしたら単十なんてのもあるのかもしれませんが、ニッケルとかマンガンとかアルカリとか、電池の種類があって、それにボタン電池もでしょう。ボタン電池なんて種類があり過ぎてもう訳がわからなくなりましたよ)
(え〜と、富実殿、ご隠居さん、再びご質問申すがのっ、電池とは何ですのっ)
(えっ、ですから、指や指先ぐらいの大きさの物体で、中に電気を貯めてあるんです)
(あはは、トミーさん、そういえば、充電式電池なんてのもありましたっけ)
(ご隠居さん、何か、この電池の件、話をややこしくなさりたいのでしょうか)
(いえね、つい思い出してね)
(電気を貯める、そんな小さな物の中に電気を貯めてあっても、すぐに使い果たしてしまうのっ。そもそも電気は貯められるものなのかのっ。流れっぱなしではないのかのっ)
(はぁ、あって当たり前の電池のことなど、私、今まで疑問に思っていなかったので、彦衛門さんにあらためてご説明しようとすると、私が如何程に知らないかを思い知らされておりますが。ちぇっ、こっちの世にきてまでこうなるとはね)
(僕だって同じですよ。いいじゃないですか、僕はそちらのお医者様には、古い医学知識と言われてしまいましたが、それなりに医者として生きていた訳で、トミーさんは、銀行のお勤めでいろいろと経済のことをご存じでしょう。人それぞれですからね。何もかも知っている者など、いないと思いますよ)
(いやぁ、それにしても、いつも身近にあった物なのにね)
(で、つまり、電気で見られるテレビを見るためには遠隔操作をする機械が必要で、その機械を動かすためには電池が必要で、その電池には色々な種類がある、ということですかのっ。何やら、文化はどんどん複雑になってきている様ですのっ)
(それに、プラスとマイナスを間違えると付かないですしね)
(ご隠居さん......)
(いえね、つい思い出してね)
(だんなさ〜、温の家には電気もガスも水道もございましたから、文明的な生活ができましたのよ。でも、電気を引くには電柱と電線とヒューズや使った量を計る機械が必要で、で、水道もガスも同じで、管や蛇口や色々と、大変で、毎月会社からやってきて、家々を回って使った料金を徴収していました。あの頃は、覚えることが少のうございましたが、本に、今のあちらの世は、覚えなければいけないことが多い様でございますわね)
(ロバートさんも彦衛門さんも、疑問は解消されたでしょうか。地震のことに話を戻してもよろしいでしょうか)
(おう、左様でござるな)
(で、そのタイマーで付いたラジオのNHKのニュースで、神戸で一筋二筋煙が上がっています。大きく揺れた割には静かな朝ですとかなんとか言っていて。へぇ〜、関西で地震なんて珍しいって思ったのを覚えています。で、朝ぐらいしか一緒に食事しない妻と、トーストとサラダと目玉焼きとコーヒーを機械的に口に運びながらテレビのニュースを見ていて、なんだかすごく揺れたらしいけれど、大した事無かったみたいだね、なんて会話をしていたんですよ。で、仕事に行って。銀行では、窓口にはお客様へのサービスで音をしぼってテレビをつけているんですが。銀行ってところは、滅多なことでは大声を出さないんですよ。穏やかに、静かに、お客様にご安心頂けるように、ですからね。安心できない所になんてお金を預けようと思われないでしょう。お客様の方だって、よほどの事が無ければ声を荒げない。もしそういう事があれば、別室までいらして頂くわけで。なのにね、その日は、ソファーの客も、窓口対応している女の子達も、声にこそ出さないが、後ろ姿を見ていても、何かそわそわ、変な雰囲気でね。そうそう、大震災の前にはオウムの地下鉄サリンばらまき事件もあって、あの年はほんと年明け早々、色々あった。いや、あれっ、地震の方が先立った。そうそう、地震の後にサリンで、その後に警察庁長官襲撃事件で。で、地震の時、最初はたいした被害ではないような報道だったんですよ。なのに、だんだん被害状況が分かってくると、ひどくてね。要するに、被害状況が把握できない程にひどかったってことなんですが、時間が経つごとに、日が変わるごとに被害者数が増えて行って。地下鉄のは、行員の中には直接の被害者は出ませんでしたが、家族が乗り合わせていて、体調には影響が出なかったものの、身ぐるみ着替えさせられたって話は聞きましたっけ)
(サリン事件、あれは、すごかったですね。僕も覚えていますよ。僕の所はそんな高度な医療はできませんから、病院そのものは多忙にはなりませんでしたが、病院の前も、救急車や消防車やパトカーがサイレン鳴らして走り回っていて、で、テレビをつけても、地下鉄の駅で爆破事件かとか、曖昧なままでしょう。あれも、やはり、被害が大きすぎると情報がつかめなかったってことなのでしょうね)
(警察庁長官が襲撃されたのですかのっ)
(恐ろしいことでございますわ)
(はい、あっ、でも、犯人捕まっていないですよ。たしか未解決のままですよ)
(なんとっ。警察庁の長官が殺されても、犯人が野放しなのですかのっ。今のあちらの世の警察は何をしているのですかのっ)
(いや、あの、殺されはしませんでした。大怪我だったと思いますが、ご無事で)
(それはよろしゅうございましたわ)
(おっ、珍しく質問が無い。サリンのこと尋ねられたら困るなぁ、知らないし)
(ふむ、富実殿、独り言ですかな)
(犯人が野放しというのは、なぜですかのっ)
(いや、その、私も詳しくは覚えていないんですよ。最初は、みな、オウムの仕業だと思っていたってのは確かなんですが、結局違ったらしいですし、いや、やっぱりオウムだったのでしたっけ。ご隠居さん、覚えてらっしゃいますか)
(あの頃、矢継ぎ早に色々ありましたからねぇ。もうどれがどれだか)
(鸚鵡がおまわりさんを襲ったのかしら。嘴で突いたくらいで、鳥は犯人にされちゃうんですか)
(被害者が警察庁長官ともなると、鳥といえども犯人にされるのですねぇ)
(あ〜、いえ、ユリさん、虎さん、違います。オウムというのは鳥ではなくて、カルト集団なんですよ)
(なぁんだ、つまんない。鸚鵡さんが襲ったってのなら、面白いのに。あっ、でも、かるとって何ですかぁ)
(僕もわかりません。軽い人とでも書くのですか)
(虎さん、礼拝、宗教活動のことをcultと申しますな。その集団ということは、宗教団体ですかな)
(いや、ロバートさん、カルトは、一般的な、例えば仏教やキリスト教やイスラム教のような宗教ではなくて、何て言うか、う〜ん、逸脱していると言うか、反社会的と言うか、過激なと言うか)
(なるほどね。あれっ、オカルトってのは、カルトなんですかねぇ。私は好きではなかったのですが、そういえばオカルト映画って一時流行っていましたねぇ)
(occulとは、キリスト教の正統な主義や主張に反するものですな。cultとは異なりますな。しかしそういう映画がこの日本で流行っていたのですかな。キリスト教徒の少ない日本でですかな)
(いや、えっ、オカルトってそういう意味ではなくて、え〜と、今の日本では、恐ろしい映画ってことなんで。おどろおどろしいというか、気の弱い人だったら悲鳴を上げたり気絶してしまうよな)
(ほうっ、そういう映画があるのですか。興味深い。その内、どなたかに乗せて頂いて、見たいものですな)
(ロバート殿、富実殿、話を元に戻させていただいてですのっ、つまり、その鸚鵡とやらは、何ですかのっ。かつての日蓮宗や耶蘇教や天理教のようなものですかのっ。それまでの宗教から撃退されるというわけですのっ。で、撃退されるから余計に意固地になるという歴史の繰り返しですのっ)
(いや、彦衛門さん、それとも違うように思いますよ。あ〜、でも、戦後の学生運動も、オウムも似た様なものでしょうかねぇ。社会に不満がある、若いからと相手にされない。一人では立ち向かえない年配者の作り上げた社会構造。集団でならなんとかできるかもしれない。既存の思考とは異なる新たな論理に、行き場を失くしたと感じている若者が惹き付けられるということですか)
(おうっ、私も、尊王攘夷の思想には血湧き肉踊る思いでしたのっ)
(鸚鵡さんはどこに行っちゃったのかしら、ねっ、虎ちゃん)
(話が難しくなりましたし、もう今日はこの辺りでお開きにしましょうか)
(えっ、富実さん、地震の話はどうなってるのかしら)
(はい、でも、ほら、カテリーヌさんもマサさんも、退屈してらっしゃいますし)
(え〜と、僕は地震の件を気にしておりますが。関東大震災の話はしょっちゅう両親に聞かされましたしね)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。