第十話 セミテリオの新入居者 その三十六
(それにしても、お高いものなのですわね)
(マサさん、そりゃね、昔とは違いますよ。昔は、家でお産婆さんを呼んで、お湯を湧かすぐらいは誰でもできましたし。瑞穂の頃でも、既に病院で出産でした。で、あの頃でも、陣痛測定はしていましたし、脈拍や心電図も計っていましたし、それに、産科医の他に助産師もついたり。待機室だの分娩室だの、産後も一週間三食付きで入院だのね。自宅でお産婆さん一人というのに比べたら、もう、施設にも機械にも人間の数にも、何倍もかかるってことになるわけですよ)
(三十年程前でも三十万かかったんですか。あ〜、そういえば、私の所も、娘が産まれた時、同じくらいかかったとか聞いた覚えがありますが。ただ、私の所は長く入院していましたしね。やっぱり参考になりませんね。で、要するに、あの当時の概算で三十万かかる出産費用の半分にも満たない、きりの良い所で、十万円包んだわけです。
戸籍通り、女将の話の通りに女将と板前さんの子であるならば、お祝いの品だけでよい、一万円だけでもよい、もし本当に私の子だというならば、娘さんを傷物にしてしまったというならば、育児費用や慰謝料としてだったなら百万でも安い、十万円というのは、自分の子なのかどうか、相手の出方でわかるかもしれないと思いましてね。で、数日後、賞味期限が短いのでお早めにお召し上がりくださいませというメモが付いた千枚漬けと共に、通帳と印鑑が私宛に送り返されてきました。私ね、またしても堂々巡りの疑心暗鬼の状態になりましてね、でも、そんなこと、電話でも手紙でも問い合わせられないでしょう。かといって、京都まで行っても、たとえ会ってくれたとしても、結果は同じだろうし、そりゃ、あの娘に会えればそれにこしたことはないけれど、あの娘に会う手段が思いつかないまま、まさか料亭の外で待ち伏せするわけにもいきませんしね。で、どうぞお納めください、とまた通帳と印鑑を送って。流石に送り返してはこなかったのですが、その後、毎月養育費として五万円ずつ振り込んでおりましたら、毎月五万円ずつ現金書留でこちらに送り返してくるんですよ。参りましてね。で、最後の手段というか強行手段に訴えてみようか、と。もしお受け取り頂けないようでしたら、供託制度を利用したいと思っておりますが、と手紙を書きました)
(供託制度......それはまた恐ろしい)
(虎さん、恐ろしい、ですか)
(虎ちゃん、恐ろしいことなの)
(はい、アカを取り締まるためのものだった筈ですよ)
(えっ、あの、そういうのではなくて、女将が受け取ってくれないから、代わりに裁判所に預ける形を取るってだけのことなんですが)
(いや、たしか、そもそも、選挙の時にアカの候補が立候補できないように裁判所が預かる金だったと思います)
(虎さん、お詳しいですね)
(いや、それほどでも。ただ、僕、司法の道に進みたかったのでね)
(ユリ、そんなの全然知らないですぅ)
(だってユリちゃん治安維持法なんて知らないだろう)
(はい、それ何ですか)
(説明していたら長くなるから、長くなると、富実さんの話がまた中断されるから、やめておくけれど、僕が産まれる直前に成立した法律でね。つまり、ユリちゃんがこちらの世に来た後のことだからね)
(私が知らないのも無理ないですのっ)
(だんなさ〜、わたくしはその法律の名前は存じておりますのよ。関わりのないこととは思っておりましたが、何か恐ろしい法律のようでしたわ)
(恐ろしいですね。僕たちにとっては、口にするのも恐ろしい法律でした。いや、恐ろしいなどと申すこと自体が、アカと疑われかねない)
(あの、供託ってそんな恐ろしいことではなくて、要するに、たぶん私が父である子の養育費を、育てている女将と板前さんが受け取ってくれないならば、替わりに裁判所に預けるということで、こちらの誠意は見せておこうというのと、その手続きの際に、あわよくば、なぜ私がその子の養育費を払う意思があるかという経過説明の過程で、相手側が受け取り拒否をする理由としてその子が私の子ではないという証明をあちらがしなければ、あるいはできなければ、などという事態になるやもしれず、などという、一寸小狡い考えもあったのですがね。で案の定、供託制度は困ったみたいで、結局、それ以降、返金されることもなくなってね、つい先月まで、私、毎月五万円ずつ振り込んでいましたよ。女将があの時に供託制度を嫌ったということで、かえって、やはり私の子だと、確信できたというか。ただ、確信できたというのも変なものでね、実感は全くなくて。でね、今思うと、小狡いと思った私の行動は、実は小賢しかった訳ですよ。そもそもが、女将と板さんの子だとしているのに、ちゃんと世間体も繕って、なおかつ、私には一切の連絡も無いままで行こうと、あちらは思っていた訳ですよね。そりゃ、噂が巡り巡って義父の耳に入り、義父が興信所使って、義父が私に伝えた。で、私はあせりまくって、行動起こして、挙げ句の果てに供託なんてのまで持ち出して、私の息子なんだと横やりで確定させてしまったようなものでしょ。噂があったとはいえ、義父が、そして何よりも私が動きさえしなかったなら、そのまま私は関係ありませんって顔できたでしょうにね。竹やぶつついて筍見つけた、で筍は育って竹になるわけで。そんな訳で、私には実の娘の他に、腹違いの、会った事もない息子がいるらしいんですよ。先ほどからみなさんご旅行できるっておっしゃってるので、是非ともその技を習得して、まだ見ぬ息子に会ってみたいものと思ってる次第です)
(うわぁ、なんか、すごい話を聴いてしまいました)
(ユリさんにせっつかれて、ついつい語ってしまいました。あっ、しかし、語ってみると、何か肩の荷がおりたような)
(で、お坊ちゃんのお顔は、一度もご覧になってらっしゃらないのですか)
(はい、いや、つい最近、写真は見せられました)
(まぁ、お写真を送ってくださったんですか)
(まさか。私とあの料亭の間では、年賀状のやりとりも無し。ただただ、こちらが一方的に毎月五万円振り込んでいただけですよ)
(だが写真をご覧になったのですのっ)
(ええ、隠し撮り写真)
(隠し撮りとは、隠して、いや、隠れて撮ることですかのっ。如何に)
(はっ。そんなに難しいことではないでしょう。電柱の影とか、そういう所に潜んで)
(おおおっ、写真機は電柱の影に入る大きさになったのですのっ。しかし、いやぁ、写真館に行かずとも撮影できるものなのですかのっ)
(彦衛門さん、僕が懐かしくなってきましたよ。そうそう、戦前は、写真といえば、学校の集合写真と、記念日などに写真屋さんで家族揃って撮るものでしたねぇ。仕事でカメラを、写真機を持つのは当然として、趣味でカメラを持つ人が増えたのは、オリンピックの前ぐらいからですかねぇ。今ではね、ほら、例の携帯、携帯電話、普通カメラになりますからね、誰でもどこでも簡単に写真が撮れますよ。彦衛門さんも、携帯の大きさはご存知でしょう。あれでしたら、簡単に電柱の影に隠れて写真を撮れるってことですよ)
(ユリ、まだ赤ちゃんだった時に両親と一緒の写真とか弟が産まれてから、四人一緒の写真とか、写真館で撮ってもらいました。みんなね、余所行きのいい格好して、で、おすまししてるの。弟が産まれた時のも、おめかしして、父と私が立っていて、母は籐の椅子にかけて弟を抱いているの)
(ああ、そういう写真でしたよ。僕が赤ん坊の時のも。で、あと七五三の袴の写真もありましたっけ。僕の最後の写真は、高等学校入学後に旧友達と撮った、あはは、みんな何か気取って腕組みしたり、斜に構えたり格好つけているってのでした)
(あら、何の話でしたっけ。もう富実さんのお話、終わりましたよね。どうして写真の話しているんでしたっけ)
(いや、それは、私が尋ねたからですのっ。隠れて撮った写真があるとのことでしたのっ)
(でも、まぁ、どうして隠れてお写真を撮らなければならなかったのでしょう)
(今は、写真にも肖像権とかね、色々とうるさいんですよ。というよりも、相手に気付かれないで撮りたかったんでしょう)
(あぁ、はい、お坊ちゃんに会いたい富実さんが、探偵さんに頼んで、隠れて撮ってもらったのね)
(いや、違うんです。あぁ、そうか、そこの話ね。あはは、肩の荷おろしたのは片方の肩だけでしたね。そうそう、まだまだ続きがあるんですよ。もうついでだから、いや、そもそもそれが私がこちらの世に来た理由というか原因というか、違うのかもしれませんが)
(えっ、理由ですか、原因ですか、ええっ、ご自殺では......ないですよね)
(自殺、あはは、死にたくはありましたが、自殺ではなく、一応病死ですよ)
(まぁ、死にたくもなっていましたけどね。死んで、こんな世界があると知っていたなら、さっさと死んでいた方がましだったかもしれません)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。