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第十話 セミテリオの新入居者 その三十一


(何やら怪しき物ばかり召し上がるようになったのですのっ)

(えっ、ゆでたまご、うでたまごですか。それとコーヒー、あっ、パン)

(パンは解りますのっ。しかしパンの前に何やらついておりましたのっ)

(あ〜、え〜と、丸いパンとブドウ入りのパンのことですよ)

(最初から日本語でお話いただければまごつかないのですのっ)

(いや、あの、今では普通の日本語なんですが)

(暮らし辛い世になったものですのっ。新しい言葉がやたらとあるのですのっ)

(だんなさ〜、あちらの世にいるわけではないですから)

(しかしながら、食い物のこととなるとですのっ)

(だんなさ〜)

(しかしながら、マサ、先ほどの縦に積み重ねた長屋に住むとしたらですがのっ、食い物の名前を知らなければ買うのも不自由、厠に行っても出したものがこの先どの道を行くのかと、気もそぞろになるわけでしてのっ)

(ですからだんなさ〜、もうこちらの世ですから、縦に積み重ねた長屋に住むわけでもないですし、身体に入れる方も出す方も、ご心配不要でございましょ)

(それはそれで味気ないものですのっ)

(はぁ〜)

(で、そろそろ悪い虫かついたのかな)

(ご隠居さん、どうしてもそこに話を持っていきたいのですか)

(あはは、先ほどから時折そういう気配というか言葉の端々に感じているのですよ。天網恢恢疎にして漏らさずなんてね)

(いやぁ、ですから、悪いかというと、良いとも言い切れない様な、虫かというと、虫は虫でも、なんだろう、かまきりではないし)

(夜の蝶、ではないようですわね)

(はい、夜の蝶でしたら後腐れなかったでしょうね)

(ほっほっ)

(夜の蝶って、ユリ、蛾なら知ってるけど)

(ユリちゃんには耳の毒)

(えっ、虎ちゃんにはいいってことなの)

(僕は、あはは、男です)

(ユリさん、席をお外しになりますか)

(えっ、マサさんはいいってことなの)

(わたくしもカテリーヌさんも既婚者ですし、もう若くはないですしね)

(えっ、ユリだって、あちらの世では若いままですけれど、あっ、でもおばあさんのユリって自分で想像できないし、でもあちらの世であのまま生きていたらもう今のマサさんより年上ですか、いえ、でもそれをマサさんに当てはめるとマサさんはもっとお年上になられるし、あれっ、わからない)

(ほらほら、言葉遣いからしてユリちゃんはおこさま)

(え〜、だって、富実さんのお話を一番聴きたがっているの、ユリだと思いますっ)

(別に私は構わないんですけどね。男に幻滅なさるかもしれませんね)

(幻滅、しちゃうかもしれません。でも、今更)

(ユリさん、そこはわかりませんよ。何しろ、あちらの世界にいた時に、こちらの世界がこうだとは知らなかったでしょう。で、こちらの世界で、もしいつか終わりが来るとして、次の世界があるのかないのか、あるとしてどんな世界なのか、人間に生まれ変わるのか動物や虫に生まれ変わるのか、はたまた植物になるのか、雄なのか雌なのか、女なのか男なのか、何になるのかならないのか、今のところ全くわからないわけでしょう。もしかして人間の男に生まれ変わりたいと思っていたのに、男に幻滅すると、雌猫になるかもしれない、人を刺す雌の蚊になるかもしれないわけですから、下手に幻滅はしない方が選択肢を広いまま残せるわけですしね)

(でもご隠居さん、もし次の世でなりたいものになれるのでしたら、それがどういうものなのか知っておいた方がいいと思いませんか。いいとこばかりでなくて、悪いとこも)

(あはは物はいいよう、わるいよう、すくいようがないやもしれずですな)

(ロバートさんまでっ)

(先ほど銀行業務の一端に触れて、ユリさんはご関心なかった様ですが、私は融資先の選別、いや、こう言ってはいけない、借りていただける方を調べる、いや、これも表向き使ってはいけない、え〜と、まぁ、要するに、ちゃんと返してくれるかどうかを判断する立場に関わっておりました。最初の頃は大阪の企業のことは右も左もわからず、支店長や部下に教わりながらね、で、接待される所の内、自分の気に行った店はたまに接待する時に使うわけで。で、地元ばかりではなくね、遠征もするわけですよ。融資の話は、表に出すまでは内密に運ぶこともあって。人の口には戸をたてられない、できるだけ人目を忍ぶには、どこで知人が見ているかもしれない大阪市内を避けて、京都までね。でも、考えてみれば、わざわざ離れた京都で誰かに見られたら、余計に不審に思われかねない、かえって噂になるかもしれないのですよね。まぁ、でも、京都で時折つかう、豆腐料理の地味な店というか料亭があってね、明治まではどこかの藩屋敷だったそうで。戦前からある小さな料亭、それでも平安時代からの京都では老舗とは呼ばれないそうですが、夜間や中からはわからないようになっている高い塀と竹林の中の座敷でね)

(京都でしたら芸者、いや芸妓、いや舞妓ですかな。我輩、花魁道中は目にしたことがござるが、花魁と遊女、芸者、芸妓、舞妓等々、名称の違いと実態がいまだに不明でしてな。で、比較しようにも今では花魁の世界は無くなりましたしな。芸者は東京でも辰巳と新橋では格が異なる、芸者は遊女ではない、売春ではない、色々な説を耳にいたしましたが、よくわからないままでしてな)

(あの世界は奥が深いものですのっ。売春は取り締まりの対象になることもあり、人身売買は取り締まりの対象であり、それでも芸妓や舞子は取り締まりの対象にはならなかったのではないですかのっ)

(売春ではないのでしょうが、ひそひそ話では出ていましたよ。どこの誰それは政界の誰それにひかれてとか、どこの誰それは財界の誰それが舞子に生ませた子で、とかね。あっ、私はそういう世界とは無関係ですよ。女性を侍らせるような席ではなかったんです。風で竹の葉が触れる音、せせらぎの音しか聞こえず、鹿おどしの音がコーンと響くような奥座敷でね、三味線も踊りも芸妓もなし。女っ気といえば、最初に挨拶する女将と膳のお運びさんぐらいでね。それも、アラフォーのが)

(なるほど、その内のどなたかとってことですのっ)

(あらほーとはなんでしょう)

(ああ、around fortyですよ)

(四十前後ですな)

(四十人もお運びさんがいらっしゃるのですか。大きな料亭でございますこと)

(いやいや、四十人ではなく、四十歳前後という言葉で)

(今のあちらの世では、そこまで英語が使われているのですか。仏蘭西語はどれ程使われているのでしょうか)

(しかしながら、around fortyがアラフォーでは、英語とはいいかねますな。全てを短くする日本語ですな)

(まぁそうなんですがね。誰が使い始めたものなのか。で、要するに、アラフォー、四十歳前後のお運びさんが数名ですからね)

(でも、その頃、富実さんおいくつでしたの)

(私ですか、え〜と、アラフィフ、はは、五十前後でした。どこかで支店長になる前に腰掛け副支店長の筈だったのですが、それでも今から思うと、遅い出世。まぁ、義父が退職して随分経っていましたしね)

(悪い虫が騒ぎ出すには丁度の年齢差でございますな)

(いやぁ、そんなことなかったですよ。いや、白状しちゃいますとね、あったのですが、お相手はその方々ではなくて)

(まぁ、お年上の方がお好みですかしら。あら、女将さん)

(いえいえ、うへっ。おっと、それに女将さんにはれっきとした連れ合いがいらして、板前さんでした)

(うわっ。板前さんってことですか、先ほど富実さんの気配の中にいらっしゃった青年って)

(えっ、あぁ、たしかに板前修業中の若いのがいましたが。えっ、あっ、そういうことではなくて。まぁ、そんなこんなでね)

(何がそんなこんななのでしょうか)

(ねっ、富実さん、話を逸らそうとなさってるっ)

(はぁ。暮れに、帰京する前に、頼まれていた千枚漬けを買おうと思ってね)

(ほら、やっぱり話を逸らしてますっ)

(いや、そうじゃなくて。新大阪の駅で千枚漬けを買おうとして)

(新大阪とは、大阪を別の場所に作ったのですかのっ)

(だんなさ〜、播州の帰りに通りましたわ)

(そうそう、マサさん、それですよ。新幹線の大阪駅は、在来線の大阪駅とは別でね、同じ大阪市内なのですが)

(富実殿、千枚漬けは大阪のものでしたかのっ)

(いやぁ、京都のものでしょう。でも、近いから大阪でも売っているんですよ。新幹線の中でも買えましたがね。ただ、娘がどこそこの千枚漬けと指定していたものですから、それを探していたんです。そしたら、若い女性に声をかけられて、女性の方は私を知っている風で、にこにこ笑ってくる。私、とまどいましてね。窓口業務ではないからそうそう知られている顔でもなし、とはいえ、窓口から見える奥の方の席もありましたから、銀行によく使いに来る中小の企業や店舗の事務員ならば、私の顔を見た事もあるのかと、とりあえず適当に挨拶しておりましたら、気付いていないということを見破られてしまいましてね。豆腐の料亭のお嬢さんでした。お運びさんが急に来られなくなった時に二、三度お手伝いなさったそうで、でも、私もいちいちお運びさんの顔まで覚えませんでしたしねぇ、それに服装が違う。お運びさんの時と違って、パンタロン姿でしたしね。あっ、パンタロンなんて言葉、世代が分かってしまいますね)

お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。


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