第十話 セミテリオの新入居者 その三十
(いや、え〜と、百円は、今では煙草も買えませんよ。ペットボトルだって、消費税込みで百円で売ってくれる所は少ないですからね、今では百円はこどものお駄賃のような。あっ、彦衛門さんがって意味ではないですよ。あくまでもたとえですから。で、この座布団が口座みたいなもので。で、彦衛門さんがマサさんの座布団に五十円移してくれと銀行に依頼すると、銀行は彦衛門さんから、たとえば三円の手数料を取って、マサさんの座布団に彦衛門さんの五十円を振り込む、ってことなんですが、このたとえ、お解りいただけましたでしょうか)
(手数料を取るのですのっ。それで銀行は儲ける)
(まさか手数料だけで成り立っているわけではありませんよ。例えば彦衛門さんが百円を座布団の上に置き続けて頂ければ、毎年利子で一円増えるとか、え〜と、例えばもし彦衛門さんが何か急にお金が必要になって銀行が三十円彦衛門さんに貸すとすれば、三円の利子を上乗せするとか、あるいは彦衛門さんの百円をたとえばユリさんが必要になった時に銀行が貸すのも銀行の役割で、ユリさんからの貸し出しへの利子と、彦衛門さんへの預かりの利子の差額も銀行の収入になるわけでして)
(ユリ、お座布団、ないです)
(ユリさん、たとえ、ですから)
(そのお話を伺っているとですのっ、銀行は阿漕な両替商と似ていますのっ)
(まぁ、両替商が銀行の元と言ってしまうと、少し語弊があるのですが、はい、銀行は他国の通貨との両替も業務ですしね。まぁ、ついでに申せば、私の仕事は大方、貸す相手を捜す、借りてくれる相手、相手といっても中小企業や商店などとの折衝が主でした)
(つまり、貸して、利子を儲ける立場ですのっ)
(まぁ、そういうことになりますか)
(つまり、大金を貸せる相手をうまく見つければよかったのですのっ)
(いや、まぁ、でも、審査が大変なんですよ。戻ってくる可能性が低ければ大変なことになってしまいますしね。あ〜あ、俺、ちゃんと解っていたのにね。馬鹿だった)
(えっ、何かおっしゃいましたかしら)
(いえ、何でもないです、独り言)
(お座布団が口座で、お座布団にお金を移すことが振込ってことですわね)
(はい、マサさん)
(今ではね、その日の内に、というかすぐに地球の裏側までも振込できるんですよ)
(如何にして。摩訶不思議ですのっ。日本の紙幣や硬貨が地球の裏側まで飛んで行くのですかのっ。その飛行中に他国の紙幣や硬貨に変化するのですかのっ)
(だんなさ〜、ほら、お札は羽が生えているかのように飛んで出て行くと申しますし)
(そうですのっ、マサ。あれはたとえではなく、本当のことだったようですのっ。それにしてもその日の内にとは、一っ飛びするとは、何と身軽な軽業師。私がこちらの世に参ってからのあちらの世の変わり様はなんともはや)
(あ〜、いや、あの〜、実際の札束が移動するわけではなく、ほら、少し前でしたら電信で、今ならインターネットで、え〜と、電報のような)
(電報は存じておりますのっ。江戸から薩摩、いや、東京から鹿児島まで一っ飛びでしたのっ。しかしながら、あれは書状が送られるのでして、札ではないですからのっ。電話でも荷物は送れませんでしたのっ)
(ですから、え〜と、実際の現金が瞬時に移動するわけではなくて、数字の上でのことでして。はぁ〜)
(理解しかねますのっ)
(はぁ〜)
(もし我輩に養うべき家族が亜米利加にいたとしても、日本から亜米利加にすぐに届くということですな。文明の発達は実にすさまじきものでござるな)
(ロバートさんは外交官でいらっしゃった由。ご理解お早くて助かります)
(......)
(で、私が大阪にいた頃は、まだ銀行勤務でも、私の給与は手渡しでした。ですから、私は大阪で受け取って、自分の手で東京の妻の口座に振り込んでいたわけですよ。そうそう、あの頃は、電気水道電話ガス代金もまだまだ集金の人に手渡しや振込が普通だったでしょうかね。その内、振込どころか自動引き落としになって。銀行業務も日々改善されているものなんですね。改善なのだろうか。あの頃は、集金人の給与とか信頼性を心配しなくてよくなり改善と思ってたけれど、あの人達の働く場はなくなっているわけだしなぁ...... まぁ、今さらながらに、自分が勤めていた業界のこととはいえ、感心します。ただね、現金で給与を受け取ったり、現金で妻に渡したりってのが無くなって、何か、金というものが実態を伴わなくなって、ただでさえ大金が行き交う銀行で、実態よりも数字ばかりで、あれは危ない感覚なんですね、これも今さらながらに感じています。手の平の百円硬貨の重みがね、本当はだいじなんですよ)
(百円は、やはり、私には大金ですのっ)
(百円あると、スーパーで、納豆が六、いや、賞味期限間近だと九パック買えるんですよ)
(納豆そんなに高くなったのですか。あら、それともぱっくって大きいのかしら)
(いえ、一パック、このくらいの大きさで)
(まぁ、百円で九つってことは、そんな小さいのが一つ十円以上するのですか。ユリ、信じられない)
(納豆と言えば、そうそう、関西ではあまり食べないらしい、いえ、食べなかったらしくてね、苦労しました)
(毎朝売りに来てましたでしょう)
(そうそう、お気に入りの納豆屋さんってのがあって、婆やが二番目に回って来る納豆屋さんから買ってました。藁の、毎朝三本買ってたんです)
(あら、あれは、三包みって数えるのだと思っておりましたわ)
(僕は三つって言ってました)
(日本語は難しいですわ)
(まぁ、そこの難しさが面白いとも言えるのですな。兎を一羽、二羽と数えるのが不思議でね、とぶからだそうですな)
(わたくし、なんでも、つって数えるので充分です。それだって、いち、に、さん、ではなくて、ひとつ、ふたつ、みっつでございましょう。ややこしくて)
(カテリーヌさん、しかしながら、日本語では、一番目、二番目、三番目ですが、英語や仏蘭西語ではそこは異なりますからな。どちらがややこしいかと申せば)
(やはり、日本語の方が難しいですわ。物によって数え方が違うなんて。物の数にはきりがございませんのに)
(う〜ん、僕は、それこそ物の名前にはきりが無いのに、フランス語では女性形か男性系かなど、ややこしくて。その点、英語は多くの場合、男性系も女性形も関係ないから楽なのですが。それでも赤子とか神とかね指示代名詞の時に異なりますしね。それと、英語の場合もフランス語の場合も、冠詞が数に影響するのと、定冠詞と不定冠詞の差がいまだによくわかりません。理屈はわかってもね。もっとも、こちらの世に参ってしまえば、言葉は手段でしかないですから、関係ありませんね)
(納豆の数え方、ふむ。考えたことはなかったですね。確かに、昔はわら包み、僕がこちらに来た頃は売っていましたが、トミーさん、最近はいかがでしょう)
(あはは、最近はもっぱらパックでね。藁で包んであるのは、かえって高級品みたいですよ。昨今は手が出なかった。昨今のは三つまとめて、ってのが主流でしょう。あれっ、あれはどう数えるのでしょうねぇ。三つまとめて一つと言うのでしょうか。昔はね、納豆、朝売りに来ていましたっけ。終戦直後はとだえていて、オリンピックの前ぐらいまでは朝、自転車で売ってましたね。豆腐も魚も野菜も。まぁ、私の処は野菜は自前でしたが、魚や野菜は遠くから背中に籠背負って、売りに来てましたよ。ユリさんの頃もそうでしたか)
(私が知っているのは、納豆とお豆腐と金魚とお水と、夜鳴き蕎ぐらいかしら。お魚とお野菜は、近くのお店で買ってたんです。お店が近かったからかしら、お魚とお野菜を売ってる人に会ったことないかもしれません、でもね、家で買っていたのは、お豆腐と納豆だけだったと思います。お水はお腹こわしちゃうからだめだって。金魚は、すぐ死んじゃうからだめって言われてたの)
(納豆ね、大阪に行ってからはほんと手に入れるのがたいへんでね。あの頃、今と違って、お店が早くしまってしまいましたから、仕事終えてからはどこでも買えない、いや、買えないどころか、そもそも取り扱っているお店が少ない。で、取り扱ってくれている店でも、私の好きな銘柄はない。昼休みに銀行の近くのデパートで買おうかと思ったこともありますよ。女子行員に頼んで買ってきてもらおうかと思ったこともね。でも、どちらも、何か恥ずかしくてね。それでも納豆無しの朝が数日続くのはいやで、恥を忍んで、女の子に、納豆を買ってきてくれってようやく頼んだら、納豆は借りれまへん。えっ、どういうこと。どこかお店で買ってきてほしいのだが、いえ、お店は売るのが商売ですから、貸してはくれません、それとも購入してきてくれですかと尋ねられてね、で購入の方を標準語では買ってきてと言うんだ、でも、副支店長、ここは大阪です、購入をお望みでしたら、こうてきてとおっしゃらなければ、などとやりとりがあって、でやっと買って、こうてきてくれたと思ったら、甘納豆でってこともあってね。で、休日にまとめ買いして。休日がつぶれてしまうと一週間納豆無しってことになる。二、三ヶ月に一度は東京に戻ってきていましたが、ある程度冷凍できるってわかってからはまとめ買いしていました。新幹線のホームに入ってから、納豆を買い忘れたことに気付くとがっくりしたり、新幹線の中で納豆が匂わないかと気を遣ったり、納豆にはてんてこまいさせられました。
こんな調子でしたからね、せっかく独身謳歌で昔懐かしい和食の朝食風景も、結局だんだん面倒になってね、だって、前の晩から米を研いで炊飯器にセットしなきゃならないし、納豆よりは手にいれやすかったけれど、即席みそ汁だって今ほど種類なかったですしね。たまごだって生で食べたいと思えば、毎週買わなきゃ古くなるでしょう。で、結局、元の木阿弥、簡単なインスタントコーヒーとロールパンとかレーズンパンになってしまいました。たまご、一週間前のだって、ゆで卵にすれば問題ないしね。まぁ、こんな感じでしたよ)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。