第十話 セミテリオの新入居者 その二十七
(はいはい、僕ですよ。医者の不養生の筈がね、ひょいひょい、ひょうひょうと、百年。でもねぇ、僕の話なんて、もうこちらの皆さんには語ったことばかりでね)
(でしょ、ねっ、だから富実さんのご体験は、新しいお話ですもの。ユリ、興味津々)
(いやいや大して語ることもないですからね。カテリーヌさんやロバートさんはいかがです。お二人とも外国のお生まれでしょうから、さぞかし日本人には興味深い話題、変わったお話をご存知でしょう)
(いえ、わたくしももうお話いたしました)
(我輩もですな)
(あら、ロバートさん、ユリ、まだ聞いてないお話があります。ロバートさんがこちらにいらっしゃったのは)
(いやぁ、その話ですか。あちらの世の方々が判明できなかったことが、こちらの世に参った我輩に判明できるとは思っておりませんからな。何しろ、相手の顔も見ていません。見たのは刃の一瞬のひらめきのみでしたからな)
(物騒なお話の様ですね。事件ですか事故ですか。彦衛門さんの出番ではないですか。幕末の混乱期の攘夷ですか)
(いやぁ、それよりだいぶ後のことで。大正でしたから)
(私は明治の四十二年にこちらに参りましたからのっ、私の出番は無かったですのっ)
(是非そのお話を伺いたいものです)
(いやぁ、ですから、見ていないので)
(じゃぁ、やっぱり富実さんのお話に戻ってくださいな。ユリ、わくわくしてます)
(わくわくするような話なんて無いですよ、ユリさん)
(あのね、ユリもお年頃の乙女だったんです。ご近所の噂話、大好きなの)
(ユリさん、ご近所ったって)
(だって、ご近所でしょ。これから長ぁいおつきあいが始まるご近所。お引っ越しってそうそう無いんですもの)
(はぁ、参ったなぁ)
(ねっ、ねっ)
(私の話ですか。何を話しましょうか。もう残るは下り坂のみ)
(上れば下るものですよ、富実さん)
(私、別に上りたくて上ったわけではなくて、そこに坂があったから)
(下を見れば下れたけれど、上を見て上ったのでしょう)
(はぁ、まぁ、そうですが)
(下り坂の方が楽なのに、上り坂を選ばれたわけでしょう)
(まぁ、そうとも言えるでしょうね。調子よく、適当にぴょんぴょんと上った私だったから、下る時にも調子良く転げ落ちたのかもしれませんね)
(ユリ、なんだか、手まりが坂を上ってからころんころん勢い良く転がる光景が目に浮かびます。赤い手まりかころんころんと転がって、ごつんとぶつかって)
(♪てんてん手まりはどこへ行く♪)
(あら、違いましてよ♪てんてんてんまり♪でございましょう)
(そうでしたか。あれ、どこの民謡なんでしょうね)
(あら、新しいお歌でしたわ)
(江戸の頃の歌じゃないんですか。だって、紀州の殿様とか、出てきませんでしたっけ)
(そうでしたか。でも、わたくしが幼い頃にも、悦が幼いころにもあの歌はございませんでした)
(新しいですか。新しいっていつ頃のことでしょう)
(ユリは知らないです。その歌)
(ってことは、僕とユリちゃんの間くらいの歌ってことになるのでしょうか。まぁ、新しい歌ですね)
(いやぁ、それって、もう八十年ぐらい前の歌でしょう。古い古い)
(富実さん、そうですわ。ユリ、古いです。そのお歌より古いです)
(わたくしなどもっと古いですわ。いえ、こちらの世に参りましたのは、ユリさんよりよほど後ではございますが)
(みなさん、申し訳ございません。私、こちらの世ではまだまだ新人。ほやほやの新人ですので、つい口が滑ってしまいました)
(ほらぁ、滑ったってことは、思ってはいるってわけでしょ)
(申し訳ございません。あ〜、まだまだ慣れない、この素通し感覚)
(あはは)
(思ってしまったら読まれるんですよ。ほらほら、今も思ってるでしょう。うまく切り抜けたって。転落人生を語らずに済みそうなんてね)
(ご隠居さんもお人が悪い)
(いやぁ、そこで語るも自由、語らぬも自由。ただ、語りたくない事は、考えない、思わないようになさればいい)
(はぁ〜、そうですか、思わなければよいのですか。考えなければ、あの事を考えなければ)
(ほら、あの事って考えた時にあの事の事を考えたでしょう。何となくね、わかってくるわけですよ)
(参ったなぁ)
(あら、ご隠居さん、ユリ気付きませんでした。富実さんは何をお考えだったのかしら)
(ユリさん、トミーさんが口を開かれるまで待ちましょう。僕に見えたのは青年でした)
(男の人なのっ、なぁんだ。あら、でも、どなたかしら)
(もう、ユリさん、勘弁してくださいよ。はいはい、話せばいいんでしょう。でもねぇ、どこから話せばいいんだろう)
(最初っから)
(もう話しましたよ。終戦直後のことや、ほら、銀行に入れて、で、部長の娘と結婚できて、娘も生まれてって)
(じゃぁ、その続きからお願いします)
(続きったってねぇ)
(じゃぁ、ご隠居さんに気付かれてしまった、富実さんの考えられた青年って、どなたなの)
(ですからねぇ、はぁ。つまりね、私、大阪に転勤していたわけですよ。単身赴任ね)
(単身赴任ってなぁに)
(主人が妻子を置いて、一人、別の場所で働くことですよ。出稼ぎの現代版)
(出稼ぎとは、何ですのっ)
(あら、だんなさ〜、ご存知ないですか。そういえばだんなさ〜がこちらにいらした頃はまだいなかったのかしら)
(お百姓さんが、田植えや稲刈りをしていない時に、街に出て来て稼ぐことですわ)
(ほうっ。なるほど、民が藩を出るのにいちいちことわりもいらぬ世になったからですのっ。しかし、富実殿は百姓ではなかったのでしたのっ。あっ、百姓の家の出ゆえにですかのっ)
(いえ、そうではなくて、え〜と、大阪に銀行の支店があって、そこに私が勤務するのに、まさか毎日東京から通うわけにも参りませんから、それであちらに住居を、あっ、住居といっても賃貸のマンションを借りて、私だけがそちらに住むという形のことでして)
(賃貸のなんとかやらとは何ですかのっ。貸家とは違うようですのっ)
(え〜と、貸家といえばそうなんですが、家ではなくて、アパートのような)
(あぱ〜ととは何ですかのっ)
(だんなさ〜、ほら、以前こちらで黒い飲み物を飲みながらぶつぶつつぶやいていたあの青年のお家のような所ですわ)
(おお、あの青年、如何に過ごしているのかのっ。とんと姿を見かけませんのっ)
(あ〜、ユリも思い出しました。コーラって飲み物でしょう。あそこのお宅で、ほらガスに火がつくのとか、それからコロッケとか)
(あのお宅はお母さまが泥棒でしたかしら)
(お子様、路頭に迷ってらっしゃらなければいいのですが)
(えっ、そんなことがあったのですか)
(はい、それでね、その時)
(ユリさん、そのお話なさると富実さまのお話が進みませんわ)
(いや、私の話など大したことないですから、その泥棒の話、ぜひ。それに、こちらの世の時間はいくらでもあるとのことでしたから、話が横道に逸れてもとおっしゃってましたし、私の話など面白くもなんともないですから、ぜひその話をご拝聴いたしたく)
(あら、でも、あの青年のお話、富実さんの他はご存知ですもの、ねっ、みなさん)
(然様ですな)
(はい、僕もおりました)
(僕はいなかったかな)
(ご隠居さん、いらっしゃらなかったかしら)
(そのように思いますが、まぁ、そちらの話はまた別の機会にして、やはりここは富実さんのお話を)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。