第五話 セミテリオのご隠居 その一
(皆の衆、ご機嫌いかが)
(ご隠居さま、こんにちは)
(ご無沙汰しておりますわ)
(僕はじっとしていられない質でしてね、どうもセミテリオよりもあちらの世の方が面白くて、ついついひょいひょい出かけてしまいますから。ハナが付合ってくれないのが残念です)
(ハナさまは、何故お付き合いなさらないのでしょう、あら、立ち入ったことをお伺いしてごめんなさい)
(いえ構いませんよ。ただ、それを話し出すと長くなりますから)
(お気遣いなく。たぶん永遠の時の中にたゆとうわたくし達ですもの)
(それじゃぁ、話してみましょうか、あちらの百年、こちらの十年の人生)
(ご高齢とおみかけいたしますが、おいくつなんですの)
(カテリーヌさんよりは若いと存じますが、おっと失礼、見かけではなく、あちらでの出生はですよ。見かけでしたら、カテリーヌさんは私の三分の一ぐらいでしょうか。どの年齢を申しましょう。生まれてからなら百十年、あちらの世で止まった年齢でしたら丁度百、切りの良い年齢ですよ。こちらに参ってからでしたらまだまだ若輩十歳の若造です)
(ご隠居様、百十年前ということは、うわっ、もしかして、明治三十二年ですか)
(はい、そうです。僕は西暦ですと、丁度千九百年の生まれです。これまた切りがよい)
(うわっ、うわっ、あら、まぁ)
(ユリ様、どうなさったのでしょう)
(マサさま、だって、ですから、あのぉ)
(ユリちゃん、深呼吸、はいっ)
(あの、あのぉ、ご隠居様、ユリと同じお年なんです)
(うわっ、ユリちゃんって、百歳なのか、いや、百十歳)
(ということは、わたくしはユリさんより先に生まれてますあら、百歳を超えている、あら、セラヴィとはとても申せませんわ)
(僕、なんだか、ここにいらっしゃる方々の中で、ほんと若造。といっても、え〜と、あのまま生き続けていたら、今、僕は、八十四歳。やっぱり二十六もお姉さま、母でもおかしくない方をユリちゃんとよんではいけないみたい。ユリさま、ユリおばさま、ユリお婆さま、かな)
(いえ、やっぱり、ユリちゃん、でいいです。いえ、ユリちゃん、がいいです)
(ほう、ほう、僕はユリさんと同じ年ですか。ユリさんはいつ頃こちらへ)
(大正九年に、西班牙風邪で)
(十九の時ですね、あぁ、あの頃、僕が結婚できるかどうかという頃でしたね。ふむふむ。あれから八十一年僕はあちらで生きて、うむ。まぁあちらの世は動きも浮き沈みも苦楽も激しいですからね。ユリさん、こちらの世界は穏やかでしょ)
(はい。穏やか過ぎて、このまま空気になりそうです)
(僕はまだまだ当分空気にはなりたくなくて)
(それで、最近ちょくちょくおでかけなのですね)
(マサさん、そうなんです。元々ひょいひょい、身軽な今じゃひょいひょいひょいひょい。何しろつい最近、玄孫が生まれましてね。赤ん坊は見ているだけで面白い)
(命の輝きを感じますでしょ。男の子ですの、女の子ですの)
(両方です)
(まぁ、双子さん)
(いや、三つ子でして)
(三つ子の魂百までですわね)
(カテリーヌさん、それはちと違いますのっ)
(あら、彦さま、三つ子は百歳まで魂が長持ちするということではないのでしょうか)
(雀百までってのもあるんだよ)
(虎ちゃん、カテリーヌさまをからかっちゃだめっ)
(えっ、雀は百歳まで生きるって意味ですか)
(いや、雀は百歳まで踊りを忘れないという意味で、三つ子の方は、三歳までに覚えたことは百歳まで忘れないという意味ですよ)
(やはり、百歳まで生きるんですね。存じませんでした。鶴や亀が長生きするというのは、来日してから知りましたが、雀もなんですね)
(最近の日本人はどうも二百歳や百五十歳がぞろぞろいることになっているらしいのです)
(ご隠居さま、まぁ、そうなんですか)
(それだと、私やマサより前に生まれた方々ということになるのっ。すさまじいですのっ。大和魂は長生き魂なのですのっ)
(いやいや、彦さん、マサさん、実はそうではなくて、こちらの世に参った方々を役所、役場が把握していない、要するにいい加減なんですよ。戸籍や住民票をきちんと管理していないからで)
(あのぉ、戸籍はわかりますが、住民票ってなんですか)
(おっ、ユリさん、そういえば、孫が生まれた時には住民票はまだなかったですね。え〜と、孫は今年六十になったから、六十年前より後なんですね。そうそう、昔は戸籍だけでした)
(わたくしが生まれた頃には戸籍制度もなかったのですよ)
(あれは、私が薩摩から上京した頃だったかのっ。戸籍を作るというので、亡き父や母、父方祖父母など過去帳と記憶を頼りに整えたのは)
(過去帳には戒名しか書いてなく、おごじょは某の娘などだけでの、名前はもとより、いつ生まれたのかいつ亡くなったのかもわからなくて。お国がしっかりした制度を作られたものだと感心いたしましたのよ)
(血税と課税の為に整えた制度と、僕は教わりました)
(課税の他に、血税って何でしょう)
(血で払う税金のことさ)
(まぁ、血を抜かれるんですか、恐ろしい)
(いや、血どころか命かな。あっ、徴兵のことを血税って言うんですよ)
(その、百五十や二百まであちらで生きていることになっていた方々は、つまり税をとられていた、ということですかのっ)
(まぁ、こちらの世からは払えませんよ)
(それにいたしましても、三つ子とは珍しいことですわね)
(昔なら、犬腹とか嫌われましたな。日本では、逆にそれが安産につながるから戌の日に腹帯を巻く風習があるのですな。しかし一度に三人ですと、一人ずつが小さ過ぎて、昔でしたら育たなかったですな。それにしても三つ子とは珍しい)
(え〜と、ロバートさんでしたっけ。最近は珍しくもないんです。子ができないとかえって双子三つ子になるんですね)
(ご隠居様、わたくし、日本語がわからないのでしょうか)
(いや、カテリーヌさん、僕がきちんと話してませんので。つまりですね、結婚したがこどもがいつまでもできない、そういう場合、どうするか、で、双子や三つ子が生まれるのです)
(わたくし、わかりませんわ)
(カテリーヌさん、大丈夫です。安政に薩摩で生まれて昭和に東京で亡くなりました、八十五年も日本から出たことの無いわたくしでも、理解できませんもの。ご隠居さま、どういうことなのでしょう)
(つまり、子ができなかったので、曾孫の精子を受精した曾孫の妻の受精卵を妻に戻して、着床できない場合もあるので四つ戻したところ、三つが着床して、勿体ないから一度に三人産むことにしたわけです。お分かりにならないことが多数あったと存じますので、今からおいおい説明いたしましょう)
(わたくしの頃でしたら、子を生さねば離縁でしたわ)
(そうですねぇ。夫婦には相性というものもありますが、とはいえ、子を生さぬのは、何も女性側に全責任があるわけではなく、男性側にある場合も、まぁ半分といたしましょう。でも、かつては女性側の責任にされた。哀しいですね。今では、どうしても子が欲しい場合はどちらに原因があるのか検査します。これまた結果は辛いものもあります。まぁ、原因が分かれば対処のしようもあるというもの)
(離縁ですか)
(まぁ、そういう場合もあるやもしれぬが、でも、別れたくはない場合、それでも子が欲しければ)
(貰い子ですのっ、家系を継ぐ為に養子をとるとかのっ)
(しかしながら、できれば自分の血を分けた子が欲しいですね)
(まぁ、そりゃそうだが、それが無理な場合だろうのっ。男兄弟の子を分けて貰えば一番よい)
(それは、彦衛門さん、男の視点)
(殿方の家系を未来永劫残すというのが定め)
(ということになっておりましたね。古今東西、ほとんどの場合世の習い。でも、女性側とて自分の血を分けた子がほしい、けれど身籠らない場合。しかし、卵子と精子はある場合)
(卵子と精子ですか、何か生ぐさい)
(ユリさんにはお耳の毒かしら、あら、虎ちゃんにも)
(マサさま、ご心配ありがとうございます。あちらでは花も恥じらう年頃でしたけれど、もう百十歳ですもの。ユリ、大丈夫です。ご隠居様のお話、新鮮です)
(僕は、一応知ってはおりますが、う〜ん、恋だの愛だのとは無縁の、人生十七年。何か、人が動物と同じというのは、分かったような、辛いような)
(虎さん、あはは、すみません、虎さんとおよびすると、あちらの世界の寅さんの映画を思い出します)
(へぇ〜、寅の映画があるんですか)
(はい、渥美清氏が演じる葛飾柴又の寅さん、シリーズで映画になりました。面白かったですよ)
(シリーズとは、連作ということですな)
(はい、五十作近く作られたと思います。是非ご覧になってください。面白いですよ。そうそう、彦衛門さん、下のお話お好きでしたね。寅さんのには面白い台詞があるんです。結構毛だらけ猫灰だらけ尻の廻りは糞だらけ、蛸は疣疣、鶏二十歳、毛虫は十九で嫁に行く、というのがあるんですよ)
(うむ、そりゃ面白い、猫の尻の廻りは糞だらけ、ということですかのっ。葛飾柴又の寅さんが活動弁士ということですかのっ)
(彦衛門殿、言葉遊びの様でござる。猫の尻だけではなかろう。これは、我輩の好きな日本の世界の様でござる)
(弁士が寅さんではなく、物語の主人公が寅さんで、あっ、でも寅さんは香具師というのでしょうか、あちらこちらで怪しげな物を売る時の口上ですよ。日本各地が舞台になってます)
(うんっ。怪しげな物を売る香具師ですかのっ、私の警察魂に火がつきそうですのっ)
(だんなさ〜、魂に火がついたら、こちらの世からどこぞの世に参るやも知れず、お止めなさってくださいませ)
(うまく見る機会があれば、是非見たいものですなっ。葛飾柴又とは我輩の興味をそそります。ましてや日本各地が舞台ですと、乗って旅せずとも見られるわけですな)
(物語ですがね。で、話しを元に戻しますと、え〜と、虎さん、人間も動物ですから。脊椎動物、哺乳類、虎さん、わかりますね)
(背骨があって、乳で子育てをする、はい)
(哺乳類は卵ではなく、子を産む)
(難しい名前で呼ばなくとも、人間なら当たり前のことだのっ)
(まぁ、科学というものは、分類も大切でして。で、子が生まれるには卵子と精子が必要で)
(つまり、おごじょが持つのが卵で、殿方が持つのが精で、ということでございますわね。こういうお話しをおおっぴらに語るなど、あちらの世におりました頃には考えられませんでしたわ)
(まぁ、おおっぴらと申しましても、こちらの世の、ここだけの話しですよ。もっとも、今ではあちらの世でも、このくらいは教科書に載っておりますよ)
(まぁ、教科書にですかっ。はしたない)
(いえいえい、マサさま、みなそうして生まれてくるわけでして、はしたなく生まれてくるわけではなく、まぁ、はしたなく生きる御仁はいますがね)
(それで、卵子か精子の片方が問題無い場合、問題ある方をなんとか得られれば夫婦の片方の血は継げるわけですね)
(おごじょ側に問題があれば、お妾さん、ですわね。江戸の頃は、後継ぎを作るために、お殿様には大奥がございましたでしょ)
(殿方側に問題があると分かった場合、男版大奥という文化は、古今東西少なくて、この場合は貰い子をする。これは、女性側にのみ貞節を求めた文化ですね)
(あら、然様でございますわね。そういう風に考えたことございませんでした。男版大奥ですか)
*
続く
お読み頂きありがとうございました。
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次回は10月27日の予定です。