第十話 セミテリオの新入居者 その二十二
(まぁ、まぁ。語れば語るほど恥ずかしい話ばかりですからね)
(いいじゃない。教えて〜)
(ユリさん、おいおいと)
(う〜ん)
(嫁は、それでも時折顔を出していて、で、雅実に非道くあたられていた和実のこと、言葉少なに私に伝えていました。あの頃から夫婦の会話も少なくなっていましたし。それこそ、和実と私とどこが違うっていえば、私は嫁に邪見にはされなかったくらいで。邪見にはされませんでしたが冷戦状態ってのか。いやぁ、嫁のあれも更年期障害だったのかなぁ。いや、やっぱりあの件を、もう知っていたのか、いや、まだな筈だから、やっぱり更年期障害効だったんだろうなぁ。で、私が大阪でしたから、それに娘がもう大学だったので、しょっちゅう夕食はいらないってなっていたらしくて)
(お嬢様がいらっしゃる)
(はい、マサさん、あれ、申し上げませんでしたっけ)
(お伺いいたしたかしら)
(お子様何人いらっしゃるの)
(一人、いや二人、いややっぱり二人)
(まぁ、ご自分のお子様の数をご存知ないなんて)
(ほっほっ)
(ご隠居さん、なぜお笑いになりますの)
(カテリーヌさん、時折そういう殿方もいらっしゃいますわ)
(えっ、どうして)
(まぁ、ユリさんまで)
(あら、マサさま、わたくし、解りましたわ。わたくしと今こちらにおります息子が一人。英吉利に夫が連れ帰りました息子が一人ですもの)
(ははは、カテリーヌさんなるほど。しかし)
(あら、ご隠居さん、そうですわね。二人とももうあちらの世にはおりませんから)
(えっ、カテリーヌさん、そういうことではなくて。家族は何人って答えられないのって、変でしょ)
(ユリちゃん、それは家族をどう捉えるかってことだろう。僕、ユリちゃんの言いたいこと解っているかもしれません。ユリちゃんの言いたいのは、家族にどこまで含めるかってことだろう。同じ家の中に住んでいれば家族でいいし)
(あっ、でも、ユリの家には婆やがいました。でも、本当のお婆様ではなくて)
(それに、同じ家には住んでいなくても、兵隊さんで、ってのもあるでしょ)
(僕の頃には確かに息子や父が出征しているという家庭が周りにたくさんありました。そう、だから、家族ってどう数えるかは難しい)
(たしかに、昔は結婚した子供夫婦、特に長男夫婦は同居というのが普通でしたでしょう。いつから離れて暮らすようになったのでしょう。あら、でも、わたくし、だんなさ〜のご両親とは一緒に暮らしませんでしたわ)
(そりゃのっ、薩摩から東京に出て来たわけですからのっ)
(でも、だんなさ〜、わたくしは、温夫婦と一緒に暮らしましたのよ)
(だったらしいですのっ。その頃、私は既にこちらの世)
(我輩など一人日本におりましたが、我輩の家族は亜米利加におりましたわけで、家族の人数をどう数えるか、たしかに困難なものですな)
(あのぉ、わたくしがトミーさんにお尋ねしたのは、お子様何人いらっしゃるのですか、でした。ご家族の人数ではなくて)
(カテリーヌさん、まぁ、その辺で)
(ご隠居さん、どうして)
(まぁねぇ富実さん)
(ありがとうございます。結婚して、でもなかなか子どもができなくてね。あの頃、子どもができないから離縁される嫁ってまだまだ普通だったでしょ。跡継ぎができないと困るからって。で、私の場合も、相手は一人娘なわけで、婿入りした身としては似たようなもので、針の筵に座っている様な居心地の悪さ。同じ敷地内に義父母が住んでいるから、新婚早々の頃はしばらく嫁と私だけにしてくれたものの、その頃からでも、日中は私の嫁というより元々の母娘なわけですよ。で、義父がリタイアしてからはもう私以外の三人が家族なわけで。私の方はどんどん仕事が忙しくなっていたので付き合いや接待で帰宅時間も遅くなるし夕食だって家で食べることは少なくなって、休日もゴルフに接待されたり、でしたからね)
(ゴルフとは何でしたかのっ。球技でしたかのっ。蹴鞠のような。蹴鞠は公家の接待だったそうですのっ)
(蹴るのではなく、打つのですよ)
(あら、あれは野球と呼ぶのではなかったかしら)
(いえ、ああマサさん、野球もたしかに。でも違います。野球は投げられた球を打って飛ばすのですが、ゴルフの場合は置いてある球を打って飛ばすのですよ)
(飛んで来るものではなく、置いてあるものを打つのですかのっ。飛んで来るのより楽ですのっ)
(いやぁ、結構難しい)
(ご隠居さんもゴルフなさってらっしゃった。スコアはどれくらいで)
(あはは、なさったなんて、おこがましくも。三桁のまま、数回でやめてしまいました。いくら運動に良いと言われてもねぇ。どうも性に合わなくてね)
(普段空気の悪い都心で、そうそう、あの頃の東京、本当に空気悪かったですからね。今みたいな青空少なかった。なんだかいつも黄色っぽくて。で、ゴルフ場に行くと、空気は住んでいるし緑はきれいだし、こう、自然を感じるっていうか)
(自然と言っても作られた自然でしょう。それに、まず、当てるのが難しい。当たってもあまり飛ばない。飛んでも方向が合わない)
(あはは、でも一発でグリーンだと嬉しいものですよ。おっと、でも、接待の関係で調整しなくてはならず、その心理戦の部分が面白い)
(そういうものですかねぇ。遊びに行ってまで心理戦ですか)
(男の遊びってそういう所があるでしょう)
(私には何となく解りますのっ。間合いとか気合いとか、相手がどう出て来るかというのと同じですのっ)
(彦衛門さん、少し違うかもしれませんが、ほら、男には外に出たら七人の敵がいる、ってなもんで)
(そういえばだんなさ〜も、その言葉おっしゃってましたわ。で、わたくし、時折数えておりましたのよ。どうしたら七人になるのかしら、って。上の方と下の方とご同輩と合わせて七人を選ぶのかしらなどと。七人選んだ後の残りはお仲間なのかしら)
(あはは、あれは都合のいい言葉でね。男は外に出たら敵がいっぱいなのだから、家にいる間くらいはわがまま放題、威張ってみたり甘えてみたり、なんだかんだと母と娘の役割まで妻に求める、ね、トミーさん。彦衛門さんもそうだったのではないですか)
(でしたわねぇ、だんなさ〜)
(しかしですのっ、マサ、あの頃は七人だったか否かはともかくも、宮之城から江戸、いや東京に出て来て、たしかにまだまだ藩閥の敵は多かったのですのっ)
(えっ、えっ、それに比べれば私の方はちまちまと。敵というよりも同期の中で誰が出世頭か、まぁ、その点、本店の部長の娘を射止めた私は一歩先んじていたわけで、それなりに敵も多かったとも言えまして。いや、たしかに、ですが、あの頃はそれが普通で。それにほら、毎日忙しかったですからね、嫁というのはそれでいいものだと。ゴキブリ亭主なんて言葉があるくらいですから、亭主たるものゴキブリにはなってはいけない。家のことは嫁にまかせて、主人たるもの稼げばいいのでしょう。七人の敵と戦って帰ってきた男に嫁は快適な家と美味しい料理を作って待っている、というのが普通だったでしょう)
(普通だったかどうかは、さて。まぁ、男の身勝手な言い分ですよね。僕も、その言い分に乗っかっていなかったとは言えませんがね。でも、僕は僕なりに家族を大切にしていたつもりです。トミーさんもそうでしょう)
(はぁ。まぁ、周りの連中も似たようなものでしたからね。あんなものでいいんだろうと。婿としてそれなりに気をつかっていたつもりだったんですがね。結婚したての頃は、渋谷で、ついつい実家の方に帰る電車の方に足が向いたりすることもありましたが、新居は玉電に乗る実家より近すぎて、思ったより早く帰宅できて。早すぎるとまだ仕事の心を引きずったままで、で、食卓につくと洋食中心なんですよ。こちとら農家で煮っ転がしだの漬け物だのってな食事だったのが、スープで始まって、フォークとナイフの食事。朝だって、ご飯とみそ汁、焼き魚に生卵だったのが、コーヒーにトーストにハムエッグとかゆで卵とサラダ。インスタントコーヒーだったのが笑えますが。ただね、あの頃は、インスタントコーヒーは最先端、モダンだったんですよ。今から考えるとおかしな話)
(その、何とかコーヒーとは何ですかのっ。コーヒーはもう以前にどなたかがご説明してらしたので存じておりますがのっ)
(instant、すぐに、簡便な、という意味でござるが、簡便なコーヒーとは、如何なるものですかな。我輩も存じませぬ。まがい物というわけではないのですかな)
(コーヒーって、お時間を楽しむものだとわたくし思っておりました。豆を焼いて、豆を挽いて、お湯をかけてゆっくりと。日本のお茶もそうでございましょう。お茶の葉を焼いて、細かくして、お湯をかけて少し待つのですわね、マサさま)
(カテリーヌさん、お茶の葉は、焼くというより煎るのですよ。からっとするくらいまで。急須に入れて待っている間が楽しみですわね)
(はい、わたくし、お抹茶も好きです)
(練りきりと一緒ですと、本当、おいしいですものね、カテリーヌさん)
お読み頂きありがとうございました。 霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、再来週水曜日に再会いたしませう。